管理人の食卓風景と日常の日記
今日の起床は午前6時40分。
回りのおっさんらは、午前6時で一斉にスタート。
昨日入院した患者も、皆と同時にGo!
好きにしてください。
今日から栄養補助流動飲料(エネーボ、1缶300kcal)が1日1缶付きます。
朝イチで持ってきたから朝食前の空腹凌ぎに飲んでやろうと思ったら、今日のPET-CTに影響が出る恐れがあるから、検査が終わってから飲んでくれって。
昼メシ抜きだから、それもいいか。
昨夜寝る前から、血中酸素飽和度を測る機械を装着されて寝ました。
この機械、コロナ対策に使用すると有名になったから知ってる人も多いと思いますが、それの大型のやつです。
測定部は全く同じサイズで形も同じなんですか、データを検出して送信する部分がマイボトルサイズで重いんですよ。
この測定部を絶対外さず夜通し付けておいて、トイレにも外さず一緒に持って行けって。
ただ指をパチンと挟んであるだけだから、外れないように気になって気になってもの凄いストレスになって、それでなくても慢性の寝不足なのに、追い打ちをかけられたようです。
夜勤の看護師はモニタリングしていて問題なかったと言い、「ストレスだよね~、もっと苦しい時でなきゃね」と一晩で回収して行きました。
午前9時からの診察で主治医があごガードの貼り替えをしながら「抗がん剤は効くけど、副作用もかなり強いのを使う予定です。年齢的にまだ耐えられると思うんです。それを腫瘍内科にお願いしようと思っています」と。
1週間を過ぎてようやく見えてきた「スタートのゴール」、選択肢があるだけで運が良かったと思うべきなのか。
午前9時50分からは水以外の絶飲絶食で、午後2時50分にPET検査室に出頭するまでは何もする事がない。
ゲームをしてたけど、何度睡魔に負けたことか。
いや、そんなゲームじゃないんだ!
今の私は仮眠後の頭が痛くスカッとするなんて事は全くなく、頭痛が激しく襲ってくるので最悪である。
もうろうとした意識の中で、ゲーム機の操作をしていたら午後2時過ぎに突然男性の声で「スタットコール、内視鏡室です」との館内アナウンスが何度もはいった。
皆さんご存知の「コードブルー」ってやつです。
今回のは、内視鏡室で生命の危機に陥った患者が出たから、とにかく急いで行ける手の空いたスタッフが全館から集まって救命措置を行いますと言う合図です。
午後2時40分、PET-CTを受けに行きました。
始めてだけど、何だかとっても間延びした検査。
最初にまずとにかくペットの水を500mL飲む事。
冷でも常温でもと聞かれ、常温を貰って飲んだが、冷した方が良かったと思われる。
注射するまで別室に座らされ、注射してから30分また同じ別室でリラックスして座らされてようやく検査は横になって30分で終了。
それからまた別室に30分待機させられて本当に終了。
病室に戻ってきて、奥さんにメールで報告していたら主治医の岡本ドクターが「ひょっこりはん」とカーテンから顔を出して、PETの結果が出たから説明したいと。
治療室へ行き画像を見ながらの説明でした。
まず、明日気切をしなければ、窒息の危険がある。
PET画像ではあちこちのリンパ、肺、脳の横まで転移を示す黒く塗り潰された部分があった。
これだけ広範囲だと、抗がん剤も違うタイプのにしなければならない。
今は「キイトルーダ」を検討している。
まずは命の危機を回避するための気道確保が必要。
気切で違和感、咳き込む感じ、浸出液の多量排出によるサクション吸引、会話の不通によるイラ立ち、文字での伝達(筆談)の手間など、慣れるまで問題は山積み。
飲食は普通にできるそう。
気切はできれば回避したかったが、リスクを考えるとこのまま抗がん剤治療を行うのは勧められないと。
命を確保してから抗がん剤で叩く、私がキブする一歩手前までやると主治医は言ってた。
広範囲過ぎて放射線治療の適応にはならないから、可能な限り抗がん剤で小さくして残りを手術で取るのが目標。
聞きたい事、言いたい事はあるかと聞かれたが、今何を言ったところで始まらないので、お願いしますと答えた。
最初は全身麻酔でやる気切の後の夕方、奥さんに説明するから、麻酔で眠いだろうから直接奥さんだけに説明をと言っていたが、朝の8時でも9時でも来て待ってますと言ったら、それじゃあそっちの方が確実だから午前9時にICを行う事になった。
その時点ではまだ手術予定も入ってなかったし、麻酔科の診察も決まってなかった。
またその場その場で、慌ただしく進むんだろうか。
ハッキリ言って怖い!!
全身あちこちに転移していて、私が医療じゅうじしゃの目として見たら、これは治らないと思える。
治療効果があっても、全部を叩くのは不可能だろう。
いつの間にこんな体になったのか、不思議でしょうがない。
以前、他院のドクターが私の治療をしていて「ポリープのできやすい体質」と言っていたが、まさか「ガンのできやすい体質」そのままだったとは。
すでに先週から「まな板の上の鯉」である事は間違いないが、この先何をされるか分からない未知の恐怖心が、刻々とつのってくる。
月に1,2回CT検査をして、薬が効いているか調べるので、抗がん剤が上手く効いて気管付近のガンが小さくなり遠ざかったら気切カニューレを抜きますと主治医は断言したけど、果たしてその日が来るんだろうか。
今はとにかく痛みを取って欲しい、痛くしないで欲しい。
だが、それだけを望めば、奥さんを悲しませる事になる。
「楽にして」の意味は2つあるが、私の願いは「苦しくないように治療して」である。
奥さんのために、すべてを投げ出す事は許されない。
「もうこれまで」と、サジを医師に投げられた時、その時が私の意志を示す時だ。
決意表明なんて言う大層なものじゃない。
今午後7時、奥さんとメールで遊びながらこの文章を書いているが、こうでもしていないと「変化」について行けなくて、精神崩壊しそうである。
文字を選ぶ度に涙がでてきて、病衣の袖がビチョビチョになってしまった。
でも、飽きずに私の相手をしてくれて、奥さんのおかげでどれだけ精神を保つ事ができているか。
安っぽい言葉なんかでは表せられない。
抗がん剤治療中の吐き気、倦怠感、食欲不振の時も、自分を投げやりにしないで奥さんに救いを求められるだろうか。
そばにいてさえくれれば…。
回りのおっさんらは、午前6時で一斉にスタート。
昨日入院した患者も、皆と同時にGo!
好きにしてください。
今日から栄養補助流動飲料(エネーボ、1缶300kcal)が1日1缶付きます。
朝イチで持ってきたから朝食前の空腹凌ぎに飲んでやろうと思ったら、今日のPET-CTに影響が出る恐れがあるから、検査が終わってから飲んでくれって。
昼メシ抜きだから、それもいいか。
昨夜寝る前から、血中酸素飽和度を測る機械を装着されて寝ました。
この機械、コロナ対策に使用すると有名になったから知ってる人も多いと思いますが、それの大型のやつです。
測定部は全く同じサイズで形も同じなんですか、データを検出して送信する部分がマイボトルサイズで重いんですよ。
この測定部を絶対外さず夜通し付けておいて、トイレにも外さず一緒に持って行けって。
ただ指をパチンと挟んであるだけだから、外れないように気になって気になってもの凄いストレスになって、それでなくても慢性の寝不足なのに、追い打ちをかけられたようです。
夜勤の看護師はモニタリングしていて問題なかったと言い、「ストレスだよね~、もっと苦しい時でなきゃね」と一晩で回収して行きました。
午前9時からの診察で主治医があごガードの貼り替えをしながら「抗がん剤は効くけど、副作用もかなり強いのを使う予定です。年齢的にまだ耐えられると思うんです。それを腫瘍内科にお願いしようと思っています」と。
1週間を過ぎてようやく見えてきた「スタートのゴール」、選択肢があるだけで運が良かったと思うべきなのか。
午前9時50分からは水以外の絶飲絶食で、午後2時50分にPET検査室に出頭するまでは何もする事がない。
ゲームをしてたけど、何度睡魔に負けたことか。
いや、そんなゲームじゃないんだ!
今の私は仮眠後の頭が痛くスカッとするなんて事は全くなく、頭痛が激しく襲ってくるので最悪である。
もうろうとした意識の中で、ゲーム機の操作をしていたら午後2時過ぎに突然男性の声で「スタットコール、内視鏡室です」との館内アナウンスが何度もはいった。
皆さんご存知の「コードブルー」ってやつです。
今回のは、内視鏡室で生命の危機に陥った患者が出たから、とにかく急いで行ける手の空いたスタッフが全館から集まって救命措置を行いますと言う合図です。
午後2時40分、PET-CTを受けに行きました。
始めてだけど、何だかとっても間延びした検査。
最初にまずとにかくペットの水を500mL飲む事。
冷でも常温でもと聞かれ、常温を貰って飲んだが、冷した方が良かったと思われる。
注射するまで別室に座らされ、注射してから30分また同じ別室でリラックスして座らされてようやく検査は横になって30分で終了。
それからまた別室に30分待機させられて本当に終了。
病室に戻ってきて、奥さんにメールで報告していたら主治医の岡本ドクターが「ひょっこりはん」とカーテンから顔を出して、PETの結果が出たから説明したいと。
治療室へ行き画像を見ながらの説明でした。
まず、明日気切をしなければ、窒息の危険がある。
PET画像ではあちこちのリンパ、肺、脳の横まで転移を示す黒く塗り潰された部分があった。
これだけ広範囲だと、抗がん剤も違うタイプのにしなければならない。
今は「キイトルーダ」を検討している。
まずは命の危機を回避するための気道確保が必要。
気切で違和感、咳き込む感じ、浸出液の多量排出によるサクション吸引、会話の不通によるイラ立ち、文字での伝達(筆談)の手間など、慣れるまで問題は山積み。
飲食は普通にできるそう。
気切はできれば回避したかったが、リスクを考えるとこのまま抗がん剤治療を行うのは勧められないと。
命を確保してから抗がん剤で叩く、私がキブする一歩手前までやると主治医は言ってた。
広範囲過ぎて放射線治療の適応にはならないから、可能な限り抗がん剤で小さくして残りを手術で取るのが目標。
聞きたい事、言いたい事はあるかと聞かれたが、今何を言ったところで始まらないので、お願いしますと答えた。
最初は全身麻酔でやる気切の後の夕方、奥さんに説明するから、麻酔で眠いだろうから直接奥さんだけに説明をと言っていたが、朝の8時でも9時でも来て待ってますと言ったら、それじゃあそっちの方が確実だから午前9時にICを行う事になった。
その時点ではまだ手術予定も入ってなかったし、麻酔科の診察も決まってなかった。
またその場その場で、慌ただしく進むんだろうか。
ハッキリ言って怖い!!
全身あちこちに転移していて、私が医療じゅうじしゃの目として見たら、これは治らないと思える。
治療効果があっても、全部を叩くのは不可能だろう。
いつの間にこんな体になったのか、不思議でしょうがない。
以前、他院のドクターが私の治療をしていて「ポリープのできやすい体質」と言っていたが、まさか「ガンのできやすい体質」そのままだったとは。
すでに先週から「まな板の上の鯉」である事は間違いないが、この先何をされるか分からない未知の恐怖心が、刻々とつのってくる。
月に1,2回CT検査をして、薬が効いているか調べるので、抗がん剤が上手く効いて気管付近のガンが小さくなり遠ざかったら気切カニューレを抜きますと主治医は断言したけど、果たしてその日が来るんだろうか。
今はとにかく痛みを取って欲しい、痛くしないで欲しい。
だが、それだけを望めば、奥さんを悲しませる事になる。
「楽にして」の意味は2つあるが、私の願いは「苦しくないように治療して」である。
奥さんのために、すべてを投げ出す事は許されない。
「もうこれまで」と、サジを医師に投げられた時、その時が私の意志を示す時だ。
決意表明なんて言う大層なものじゃない。
今午後7時、奥さんとメールで遊びながらこの文章を書いているが、こうでもしていないと「変化」について行けなくて、精神崩壊しそうである。
文字を選ぶ度に涙がでてきて、病衣の袖がビチョビチョになってしまった。
でも、飽きずに私の相手をしてくれて、奥さんのおかげでどれだけ精神を保つ事ができているか。
安っぽい言葉なんかでは表せられない。
抗がん剤治療中の吐き気、倦怠感、食欲不振の時も、自分を投げやりにしないで奥さんに救いを求められるだろうか。
そばにいてさえくれれば…。
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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
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