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管理人の食卓風景と日常の日記
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昨夜は精神的ダメージのせいで夕食は手を付けられず、甘い飲料で済ませたらてきめんに体重が落ちた気がする。
寝れるかどうか心配だったが、奥さんの励ましのおかげで寝る事ができた。
この2日間、寝てての息苦しさは全くなく、逆に呼吸が楽過ぎて爆睡できてるような気がする。
でも専門家がCTなどの写真を見ると、窒息寸前の状態なのだそうだ。
もはや気切を拒否してまで我を通す事は得策ではない。
息苦しく感じていた2日程は自分でベッドアップしたり、呼吸が楽な態勢を取っていたが、昨夜、一昨夜はベッドは平坦なまま寝ている。
それでも苦しくないから、咳払いで「塊」のような物が動いたのが関係あるのだろうか。
ただ、ベッドを平坦にして寝るとどうしてもガンが集まっている左あごを下にして寝てしまうので、寝てる最中でも頭痛が酷い。
昨夜から今朝にかけても3回オキノーム散を服用せざるを得なかった。
昨日PEG画像を見たら脳のすぐ横まで増殖していたから、そいつが悪さをしているのかもしれない。
寝たり目覚めたり、夜中に奥さんに何度もメールをしたりして、朝は回りの皆さん起床の午前6時には全く起きられず。
採血がきた午前6時半になってやっと目が開いた。
朝寝の5分10分が気持ちいいのは、仕事の日も入院中も一緒らしい。
お口クチュクチュして顔を拭いて、セット申し込みのティッシュがもう無くなってしまった。
1箱150組だから、わが家の200組と違ってあっと言う間だな。
午前6時43分、奥さんからマンションの下に降りてタクシーを待つとメールが来た。
9日前の極寒30分待ちが甦る。
午前6時50分、タクシーに乗ったとメールが来た。
9日前の轍(てつ)を踏まないためとは言え、さすがに早すぎないだろうか。
午前7時20分で発寒と言うから、そんなもんか。
主治医とのIC予定は午前9時から。
早く来過ぎても、居場所を心配してしまう。
「気切」って、身体的侵襲のあるその後の苦痛を伴う手術だが、大病院ではさほどの重大事とは捉えられていないのかも知れない。
看護師サイドも症例数が多いから、慣れているのかも。
未知の体験な私にとって、これからしなければならないのは「抗う事ではなく、受け入れて、慣れること」につきるかも。
恐怖体験は、看護師が教えてくれるだろうと思いたい。
午前7時38分、奥さんから到着メール。
ナイショで荷物の受け渡しをして、院内コンビニが開く午前8時に奥さんが買い物をして、詰所の看護師に渡してもらうよう依頼と同時にICに来た旨を申告。
1階で待つようにと言われて行った。
午前9時、主治医の説明開始。
最終的にガンはステージ4cの末期なので、すべては抗がん剤が効けばって事が前提。
効けば外来通院治療にもなるでしょう。
気切後の食事は、口からどんどん食べてもらわないとと言っていたのに、今日になって同じような量は摂れないので、経管かPEGになるでしょうだと。
いつも思うけど、こいつの話は2転3転する!
奥さんがICの部屋に入って来る前に、主治医が私に私の職場では抗がん剤治療はやってないのか聞いてきた。
通院での抗がん剤治療の相談だったんでしょう。
説明が終わり、奥さんと別れて病室へ戻ろうとすると、出てきたナースマンが麻酔科外来で呼んでますと。
すぐに向かって、奥さんの後を追いかけたけど見つからなかった。
麻酔科へ行き、説明を受けた。
最初は喉と舌にスプレーで局麻をし、気道確保してから全身麻酔して気管切開すると。
怖いんだから最初から全麻でって言ってみたけど聞く耳持たず。
説明とは、ドクター達が決めた事の承諾を取る事だった。
口が開かないからとか、首を後ろへ曲げると痛いとかを麻酔科医と対話しながらやって行きますなんてカッコつけてるけど、どうせ始まったら患者の存在無視で自分達のルーチン通りにちゃちゃっとやって行くんでしょ。
麻酔科から戻ってきたら定期診察は終わっていたけど、看護師からドクターに処置してもらうように聞いてもらい、あごガードの交換はしてもらえた。
手術は空きを見て行うので時間などは未定だったが、午前10時50分、麻酔科から絶飲の指示が来たとの事で、オキノームを飲んでそれが最終時間と言うことにした。
今日奥さんが補充してくれたから、秘密の薬も一緒に飲んでやったぜい!
この時間でまだ手術開始時間が決まってないので、精神的にイライラしながらゲームをして時間を潰す。
定期巡回の血圧測定等をしていたら、主治医が「ひょっこりはん」と顔を出して、午後2時開始で行けそうでが、麻酔科と検討したところ、全身麻酔は危険なので最後まで、痛かったらすぐ麻酔薬をチュチュッとする局所麻酔で行くと決めたそう。
そうなりゃそうで腹をくくらなきゃ!
奥さんにメールを送っていたら、暇つぶしで院内コンビニをうろうろしていたら主治医と会って、同じ事を言ってたと。
さてさてそれでは、午後2時に向けて準備はすでにできているし、出発前の排尿は済ませ、ガウスタイプの病衣に着替え、パンツをT字帯に履き替えて、ルート確保の点滴をつないで歩いて行けばいい。
午後1時55分、ちょっと遅れたけど主治医と看護師と3人でエレベーターへ。
もちろん奥さんが待ち構えていてくれて、声援を送ってくれた。

手術部に入り、患者である私の受け渡しを済ませ、「手術室6号」へ案内され、手術台に寝かされてドクター以下のスタッフが着々と準備を進めていく。
もう慣れたもんだとばかりにてきぱき動き、照明が眩しいからと私には目隠しをされた。
研修医か院生か学部生かの手伝いに、よく見える所に来なさいと指導医が言い、主治医が術式や予定時間などのタイトルコール?を行い手術開始。
喉の皮膚に局所麻酔をして、あとは切開していったんでしょう。
個々の単語は分かるけど、進行具合までは想像できないし。
「これは甲状腺で」「あった!静脈、ずいぶん立派な血管だな」とか、これは患者に対するセクハラにならないか?
ちなみに私って、医療関係者から「血管」をよく褒められるんです(^^ゞ
「もう少しで終わりますよ~」。
途中で何度か私が「痛っ!」と言うと「痛いねぇ~、追加しよう」とすぐに対応しながらの手術。
どこまで鼻と口で呼吸ができるのか確かめてみたら、気管を切開した時くらいから鼻の通りを感じなくなり、空気が広く軽く吸い込める感じになって、気管に局所麻酔を垂らしてムセた時からもう鼻は呼吸できなくなっていました。
気切カニューレを装着し、切開部を合わせて器具を停めて終了。
ほぼ30分ほどでした。
全身麻酔じゃないので、すぐに車イスに移され、エレベーターを待つとき主治医が私に「気丈ですね」と声をかけてきた。
病室へ戻る時、病棟の入り口に奥さんが待っていて、ハイタッチでお互いに祝福。
今日から数日は大部屋から1人だけの2人部屋で過ごす事になりました。
苦難が始まったのはこれから。
徐々に気管の浸出液がタンとなり、それらが絡んで呼吸ができなくなり、窒息とはこういう事かと理解した。
普通にタンを出したくても咳ができないので、胸筋や首の筋肉を使って何とか楽になろうとするんだけどムリ!
看護師がサクションで引っ張ってくれたけど、初体験では死ぬ思いの苦しみでした。
呼吸はカニューレからしてるので、鼻周囲の感覚がなくなってしまい、鼻水が大量に垂れてきてもクチビルあたりまで下がって来ないと全く気がつかない。

ルート確保の輸液(ソルデム3A200mL)にアセリオ静注1000mg(アセトアミノフェン)を追加。
ちょっとした体の動きでもムセるし、まだ水を飲む段階ではないのでオキノームを飲めず、あごと頭が強烈に痛い。
いずれどうなるか分からないが、今の段階では笑ってしまうと思いっきりムセて咳き込み非常に苦しい。
術後は看護師とドクターが入れ替わり立ち替わり来て、あごガード交換や喉のガーゼ交換、サクション吸引を色々とやってくれた。
今日は金曜日、教授回診!
さすがにこの状態では教授の方から病室に来ましたねぇ。
「月曜日からしっかりやって行くんで、土日はゆっくり休んでください」ってのが教授のお言葉でしたが、この状態でごゆっくりもないもんだ。
夕方、看護師がオキノームを飲めないのは辛いだろうから、ちょっと水を飲んでみたらどうかと言うので、ストローからちょっと飲んだらムセずに飲めた!
やったぁ!!
でも、定期の麻薬は大き過ぎて飲めそうもなかったので、貼るタイプのフェントステープ1mgにしてもらった。
その後も入れ替わり立ち替わり人が来て、午後7時頃には疲れて眠くなってしまった。
あごガード交換、喉ガーゼ交換 、抗生剤の点滴、寝る前の吸引などスケジュールが目白押しで、侵襲的手術をしたのに更に疲労を加えるとは。
そうそう、鼻周囲の感覚は常にマスクをしている感覚で、声がでないから相手との意志疎通時に表情が固まって、能面のようになっていると気がついた。
看護師に意思を伝える時は、筆談はもちろん、意識して大げさに表情を作ってやる事で相手が喜ぶって事が分かった。

午後8時30分、疲れたから寝ます。

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今日の起床は午前6時40分。
回りのおっさんらは、午前6時で一斉にスタート。
昨日入院した患者も、皆と同時にGo!
好きにしてください。

今日から栄養補助流動飲料(エネーボ、1缶300kcal)が1日1缶付きます。

朝イチで持ってきたから朝食前の空腹凌ぎに飲んでやろうと思ったら、今日のPET-CTに影響が出る恐れがあるから、検査が終わってから飲んでくれって。
昼メシ抜きだから、それもいいか。

昨夜寝る前から、血中酸素飽和度を測る機械を装着されて寝ました。
この機械、コロナ対策に使用すると有名になったから知ってる人も多いと思いますが、それの大型のやつです。
測定部は全く同じサイズで形も同じなんですか、データを検出して送信する部分がマイボトルサイズで重いんですよ。
この測定部を絶対外さず夜通し付けておいて、トイレにも外さず一緒に持って行けって。
ただ指をパチンと挟んであるだけだから、外れないように気になって気になってもの凄いストレスになって、それでなくても慢性の寝不足なのに、追い打ちをかけられたようです。
夜勤の看護師はモニタリングしていて問題なかったと言い、「ストレスだよね~、もっと苦しい時でなきゃね」と一晩で回収して行きました。

午前9時からの診察で主治医があごガードの貼り替えをしながら「抗がん剤は効くけど、副作用もかなり強いのを使う予定です。年齢的にまだ耐えられると思うんです。それを腫瘍内科にお願いしようと思っています」と。
1週間を過ぎてようやく見えてきた「スタートのゴール」、選択肢があるだけで運が良かったと思うべきなのか。

午前9時50分からは水以外の絶飲絶食で、午後2時50分にPET検査室に出頭するまでは何もする事がない。
ゲームをしてたけど、何度睡魔に負けたことか。
いや、そんなゲームじゃないんだ!
今の私は仮眠後の頭が痛くスカッとするなんて事は全くなく、頭痛が激しく襲ってくるので最悪である。

もうろうとした意識の中で、ゲーム機の操作をしていたら午後2時過ぎに突然男性の声で「スタットコール、内視鏡室です」との館内アナウンスが何度もはいった。
皆さんご存知の「コードブルー」ってやつです。
今回のは、内視鏡室で生命の危機に陥った患者が出たから、とにかく急いで行ける手の空いたスタッフが全館から集まって救命措置を行いますと言う合図です。

午後2時40分、PET-CTを受けに行きました。
始めてだけど、何だかとっても間延びした検査。
最初にまずとにかくペットの水を500mL飲む事。
冷でも常温でもと聞かれ、常温を貰って飲んだが、冷した方が良かったと思われる。
注射するまで別室に座らされ、注射してから30分また同じ別室でリラックスして座らされてようやく検査は横になって30分で終了。
それからまた別室に30分待機させられて本当に終了。

病室に戻ってきて、奥さんにメールで報告していたら主治医の岡本ドクターが「ひょっこりはん」とカーテンから顔を出して、PETの結果が出たから説明したいと。
治療室へ行き画像を見ながらの説明でした。
まず、明日気切をしなければ、窒息の危険がある。
PET画像ではあちこちのリンパ、肺、脳の横まで転移を示す黒く塗り潰された部分があった。
これだけ広範囲だと、抗がん剤も違うタイプのにしなければならない。
今は「キイトルーダ」を検討している。
まずは命の危機を回避するための気道確保が必要。
気切で違和感、咳き込む感じ、浸出液の多量排出によるサクション吸引、会話の不通によるイラ立ち、文字での伝達(筆談)の手間など、慣れるまで問題は山積み。
飲食は普通にできるそう。
気切はできれば回避したかったが、リスクを考えるとこのまま抗がん剤治療を行うのは勧められないと。
命を確保してから抗がん剤で叩く、私がキブする一歩手前までやると主治医は言ってた。
広範囲過ぎて放射線治療の適応にはならないから、可能な限り抗がん剤で小さくして残りを手術で取るのが目標。

聞きたい事、言いたい事はあるかと聞かれたが、今何を言ったところで始まらないので、お願いしますと答えた。
最初は全身麻酔でやる気切の後の夕方、奥さんに説明するから、麻酔で眠いだろうから直接奥さんだけに説明をと言っていたが、朝の8時でも9時でも来て待ってますと言ったら、それじゃあそっちの方が確実だから午前9時にICを行う事になった。
その時点ではまだ手術予定も入ってなかったし、麻酔科の診察も決まってなかった。
またその場その場で、慌ただしく進むんだろうか。

ハッキリ言って怖い!!
全身あちこちに転移していて、私が医療じゅうじしゃの目として見たら、これは治らないと思える。
治療効果があっても、全部を叩くのは不可能だろう。
いつの間にこんな体になったのか、不思議でしょうがない。
以前、他院のドクターが私の治療をしていて「ポリープのできやすい体質」と言っていたが、まさか「ガンのできやすい体質」そのままだったとは。
すでに先週から「まな板の上の鯉」である事は間違いないが、この先何をされるか分からない未知の恐怖心が、刻々とつのってくる。
月に1,2回CT検査をして、薬が効いているか調べるので、抗がん剤が上手く効いて気管付近のガンが小さくなり遠ざかったら気切カニューレを抜きますと主治医は断言したけど、果たしてその日が来るんだろうか。
今はとにかく痛みを取って欲しい、痛くしないで欲しい。
だが、それだけを望めば、奥さんを悲しませる事になる。
「楽にして」の意味は2つあるが、私の願いは「苦しくないように治療して」である。
奥さんのために、すべてを投げ出す事は許されない。
「もうこれまで」と、サジを医師に投げられた時、その時が私の意志を示す時だ。
決意表明なんて言う大層なものじゃない。
今午後7時、奥さんとメールで遊びながらこの文章を書いているが、こうでもしていないと「変化」について行けなくて、精神崩壊しそうである。
文字を選ぶ度に涙がでてきて、病衣の袖がビチョビチョになってしまった。
でも、飽きずに私の相手をしてくれて、奥さんのおかげでどれだけ精神を保つ事ができているか。
安っぽい言葉なんかでは表せられない。
抗がん剤治療中の吐き気、倦怠感、食欲不振の時も、自分を投げやりにしないで奥さんに救いを求められるだろうか。
そばにいてさえくれれば…。

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一昨日夜から昨日朝にかけて、昨日夜から今朝にかけて、寝ようと横になるとすぐに寝落ちするが、しばらくして午後11時位に息苦しさを覚えて目が覚める。
それも呼吸ができない苦しさだから、死の恐怖がついてくる。
昨日の診察でドクターに言ったがスルー。
すべてガンが喉を圧迫しているからと言う事で片付けられてしまう。
自分でベッドの角度を色々変えたり、体の向きを変えたりと試行錯誤しているものの、横たわった時の息苦しさは解消されない。
今朝も午前4時半頃あごから血が溢れたので看護師に処置してもらった時に言ったんです。
まずは医師に相談と言うので、昨日の診察で言ったらスルーされたと答えた。
看護師の個人的見解として、最近あごからの鮮血の出血量が減っていて、出るはずの血が出ないと言う事は、内側に向かってどこかに貯まっていて、それが声と呼吸にしているんじゃないかと。
なるほど、理にかなった考え方だ。
部屋に戻ってまたベッドの角度を調節して目を閉じたら、何となく喉の奥につかえる物を感じたので、鼻をすすってみたら、一瞬だけ開通して呼吸が楽になった。
タンが絡んでいる自覚はなかったけど、咳払いをしたら呼吸が開通した。
でもすぐに詰まった感じになるので何度か咳払いしていたら、喉が鼻の奥の方で「塊」みたいな物が「ヌッ」と動いたと思ったら呼吸がそれまでになく凄い楽になった。
それが午前5時半頃で、そのままうつらうつらと、午前6時にロケットスタートする同室者の騒音も、朝の薬を持ってきた看護師の声も全部ムシして午前6時40分まで寝てた。
もっと寝てたかったけど、どのみち午前7時に看護師が別の薬を持って来る事になっていたから起きましたが、2日間も死の恐怖にさいなまれて、寝不足の私にとってこの約1時間は何事にも代えがたい非常に気持ちのいい時間でした。

今日の検査予定は午前10時半に胃カメラ。
変な物があるかないかだけを確認するだけと言われている。
朝がゆも食わず、午前9時からの診察に呼ばれるのを待っていたら、午前9時ドンピシャに看護師が内視鏡室から呼ばれたので行ってくださいと。
一瞬「えっ?」って思ったけど、とっとと終わらせてくれるならその方がありかたい。
内視鏡センターに入って受付し、すぐに消泡剤を飲まされて検査台に座らされ、喉に麻酔スプレー「3回シュッシュッシュッ、5秒待ってごっくん」を2セットして横になり、マウスピースをして準備完了。
ドクターが来て挿入開始。
十二指腸まで進んで、そこから食道まで逆戻り。
胃を膨らませる空気を出すなと言われたのは辛かったが、当初の説明通り10分程で終了しました。
写真を見ながら「問題ないです」とドクターから説明があり、そのまま病室へ戻りました。
時間は午前中9時50分。
定期診察はどうしたらいいのか看護師に聞くと、ドクターに来てもらうと言ったが、ドクターも人手不足で外来が始まったら病棟へは来れなかった。
止血用の「あごガード」は昨夜の午後8に替えたままなので看護師が替えるけど「ちょっと待ってて」と言い残して別の患者の所に行ってしまった。結局「あごガード」交換は午前11時頃になって、血圧測定などと続けて行った。
女医研修医が来て、教授が診察するから外来へ行きますと連れて行かれた。
教授は口の中を見て、生検する場所を部下に指示。

昼食のおかゆの量、少なっ!
麻婆豆腐に刻んだ椎茸なんか入れて食えるかっ!

食後、トイレで踏ん張りました。
麻薬の一番の副作用は眠気で、その次が便秘なんです。
私にもスインブロイクと言う、下剤じゃない便秘治療剤が出てるんですが、なかなか固くて難儀してます。
トイレにこもっていたら、午後0時15分頃、耳鼻科外来で呼んでると看護師が呼びに来た。
中途半端に残した状態で行き、鼻から内視鏡を入れられて検査したら喉がかなり腫れていて、気管切開も考えなければならないと。
耳鼻科外来を出た傷心の私はすぐに呼び止められ、口腔外科外来に寄ってくださいと言っていますと告げられて向かった。
そっちへ行くと主治医が待ち構えていて、組織検査を明日にすると結果が金曜日までに出ないとの事で、今これから取って言いますかと。
いいも悪いも、早い方がいいなら「今でしょ!」。
すぐに処置台に座らされ、局所麻酔で組織(肉片)を削り取られた。
止血のためと1針縫われて終わったけど、地獄の痛みでした。
「痛いっ!」って言っても「痛いねぇ~」って言って、当たり前だけど止めようとも手加減しようともしないし。
戻る直前に、麻薬を飲んでも残る頭痛について聞いてみたら、あごの上の筋肉にも転移してるから頭痛がするんだけど、麻薬で痛みが消えないのは分からないと頭をひねっていた。
緩和ケアチームに相談してくれるそう。

口の中を血だらけにしながら、またトイレに行きました。
出ない!
やっと出たと思ったら、サナダムシみたいのが数本だけ。
あまりにも「いきみ」過ぎて、口から出た血でマスクが赤く染まってしまった。

病衣を着替えようと脱ぎ捨てたら、「失礼します」と緩和ケアチームが2組に分かれて来た。
最も強い麻薬を提案されたけど、さしあたっては今のまま続ける事に。
いざとなったら私には、頭痛専用秘密兵器があるし。
午後3時前、やっと今日のおつとめは終わったらしい。
変更変更で振り回されて、ゲームをしてるヒマなどこれっぽちもない1日だった。
なおさら頭が痛くなってきたわい!

今夜のあごガード交換時から抗菌剤(ロゼックスゲル、メトロニダゾール含有)入りのゲル剤の塗布が始まりました。
ずっと患部を密閉してたから嫌気性菌の増殖を疑ったのでしょうか。
当初は、皮1枚下はガン細胞だから治療も処置もできないって言ってたのに、今更感がとても強い気がする。

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昨夜からベッドを若干起こし気味にして寝たら楽だったので、今朝は6時に起きたくなかった。
まあ何とか思い直して起きて、見える所のヒゲを剃り、ウェットティッシュで顔を拭き、マウスウォッシュでお口クチュクチュ。
昨日は夕方くらいから、何かタンが絡んだような感じがしたが、「エヘン、オホン」とやってもタンらしきものは出て来なかった。
昨日から、水を飲み込む「ごっくん」が痛い事があった。
今朝、洗面所で挨拶を返そうとしたら、自分の声が異常にかすれていた。
その後来た看護師との会話でも、発音がかすれて出し辛かった。
今はタン絡みの感じはない。
熱は36.6度、サーチ99%で、問題なさそうなんだけど。
生唾ごっくんが更に痛いから、喉のリンパ節転移巣が更に大きくなっているのかも。
看護師は、今日診察のドクターに伝えておくと言って行った。
すぐに奥さんにメールで状況報告したが、直接声を聞いてもらった方がいいだろうと思い、通話可能エリアに行って電話で話をした。
日に日に悪くなってるような気がするし、緊急入院6日目なのに検査検査で何の治療もされていない。
最初から「サジを投げてる」から検査で時間を稼いで、その間に悪化したら仕方がなかったと言えるし、間に合えば適当な抗がん剤を投与してみればいいと思ってるかも。
手の施しようがない状態にさせて、あとは延命せずホスピスケアで眠ったようにが医師団の筋書きでは?

朝食はいつもと同じ、おかゆ、ムース食、ヨーグルト。
今日はどれもこれも飲み込むのが痛いけど、とにかく食わにゃ、とにかく飲まにゃ。
午前9時過ぎ、毎日の診察のドクターがどうですかと聞くので、声がおかしいのと飲み込むと喉が痛いと答えた。
ところが、さっき貼り替えたばかりのあごガード類をすべて剥がしてアズノール軟膏を塗って、貼り直してた。
キズ(1番目)が大きくなってるなぁとつぶやきながら、「高い」と言われている透明の新しい被覆剤の使い方を知らなかったらしく、1枚ムダにしてヘラヘラ笑っていたのは私の主治医です(^^ゞ
主治医は貼り替え作業が非常に楽しかった様子。
横でサポートしていた後輩の女医が冷めた目でみてた。
「ガンが気道の方へ移動しているからだろうけど、今すぐに呼吸ができなくなるって事はないから大丈夫です」と主治医は言ったけど、昨夜寝入りの段階ですでに息苦しかったんですが。
声の説明なし。

これで今日のおつとめは終わり。
今日の夕食後以降は絶食(水はいい)で翌朝に胃カメラが待ってます。
ったくあの主治医ったら、手加減なくキズに軟膏を塗り込んだから痛いし、その影響で頭も痛い。
何の治療もできないんなら、出血部も余計な事はせんでくれ!

男が女がって区別するつもりはないんですが、何度か書いたように、同室の男達は突然大きな音を立てたがる。
棚、冷蔵庫の開閉に際して、ここは病院の病室だから容態の悪い人が多くいるんだと言う事も認識せず、勢い良く開閉して大きな音を立てるんです。
そのデリカシーのなさが信じられない。
あなた自信も、痛みで昨日は1日塞いでいたじゃないか。
そんな時に突然何の前触れもなく、「ガチャ~ン」って大きな音を立てられたら、神経を逆なでされないかなぁ。
診察後にゲームをしていたら珍しく睡魔に襲われて、うつらうつらしていたら同室者が「バーン」と大きな音を立てて目が覚めた。
それ以上に、心臓が止まるかと思ったくらいにビックリした。
安静を保つ場所にはふさわしくない患者ですよ。

午後1時半くらいから寝るまでずーとゲームをしていたんですが、ゲーム中にうつらうつらして、意識消失してしまった。
それが何度もあって、病気じゃないのかと心配してしまった。
意識を戻すと眠くないし、頭がスッキリする事もなかった。
もしかして「タペンタ」の副作用(傾眠)か、屯用麻薬の併用による相乗作用なのか。
だって、昨日の午後もゲームをしていたけど、こんなに引き込まれた事はなかったから。

今日のBW:55.80kg

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まだ5日目ですか。
色々あり過ぎて、もう1ヶ月は経ったみたい。
当初の復帰予定の180分の5が過ぎたばかりです。
夜中は特に痛いんですよ。
うかつにも痛い左側を下にして寝てしまって、意識が戻ると顔左半分マヒして頭がガンガンしてた。
寝入りっぱなは昨日は精神的ダメージがMaxだったわりには、昼寝もしてないので消灯の数分後には意識を失いました。
ただ、眠りが浅くなると痛みで目が覚める。
午前0時25分、4時15分と2回麻薬の頓服を服用するも、効いてる時間は短い。
何故か頭痛だけが残るのが辛い。
麻薬の頓服(オキノーム)はトータル14回飲んだが、イマイチの効果だ。

今日、退院予定の男、夜中も荷物をまとめるためにバタバタゴソゴソとうるさかったし。
その隣のベッドの男も、みんなが寝静まってからドタドタと音を立てて歩いて、カーテンをわざと「シャッー」っと大きな音を立てるように開閉する。
1日2回、夜と早朝に必ずやる。
何の自己表現?単なる構ってちゃん?

昨日午前6時からの蓄尿は、今朝6時前に行って24時間を完了しました。
今朝は、採血3本。
病院食は美味しくないし、ましてやムース食で期待などしていないが、今日の朝食のおかずにキライなゴマだれの1品が出た。
でも、薬だと思ってるから入院以降すべてを完食してるから、今日も飲み込みました。
食べ終わって、何かが指に触れるので見たら、止血用のガーゼの口元の部分に大キライなゴマだれが大量に垂れて着いていた。
ティッシュで拭き取ったけど染み込んじゃって、ゴマだれのニオイが常に襲ってくるようになった。
自分が情けなくて、泣けてきましたよ。

午前9時過ぎ、定期診察へ行き「どんどん検査をして、ですね」って言うありがたい言葉を頂いて戻ってきました。
白々しい!!!

学薬会長に電話をして、半年は仕事ができないので辞めさせて欲しいとお願いをしたんですが、すでに届けを教育委員会へ提出したあとの事だったので、検討してくれる事になりました。
良くなったら会に戻ってきて学薬の仕事を続けて欲しいと言われましたが、見通しが立っていない今は、「その際にはよろしくお願いします」と答えるのが精一杯でした。

午前11時26分、日記をアップしていたら「のそっ」と「なまら目付きの悪い医者」がベッドサイドに来て、今のはあまり効いてないようだから似たような(同じ系統であると私は受け取った)12時間効く薬を定期的に飲んで、更に今までのオキノーム散を痛む時に追加して飲む(レスキュードーズと言います)にする事になりました。
何にしても、痛みを取ってくれればいい。
(タペンタ徐放錠25mg 4T,2x AM8,PM8)

奥さんが母のタオルを持って病院へ行ってくれました。
外来看護師長と話をし、病棟看護師長に頼んできたそうです。
その際、看護部長、病棟看護師一同、ケアマネからお見舞いを頂いたとか。
誠に申し訳ない限りです。

その後看護師が血圧などを計りに来て、消化器内科外来から呼ばれてると言うので、院内地図を片手にすぐに行って受付をしました。
ドクターから呼ばれて診察室に入り、胃カメラの説明を受けましたが 、何度か経験があるので問題なし。
鼻から入れるやつかと思ったら、口から入れるやつだと言うのである意味ビックリ。
マウスピースを噛めるかどうか、ドクターの前で口を開けて見せたが、とりあえず口からと決まり、ダメな場合は鼻からしますと。
詳しい説明などは待合室で待っててくださいと言うので待っていたら、なかなか呼ばれない。
他の患者と家族は、昼食にどこそこの「そば」にしようとはしゃいでいたし(^^ゞ
そのうち、前を通った看護師が「診察でよばれましたか?」と効いてきたので、「だいぶ前に終わって待ってるんですが・・・」と言ったら、慌てて診察室ブースに入って行き、書類を持ってきて私に渡しました。
詳しい事は病棟の看護師に聞いてくださいと言って、猛スピードで消えていった。
完全に忘れられていたらしい。
たったこれだけの事で、1時間以上もかかり、私がいつまで経っても戻らないと、ちょっとした騒ぎになっていたそうです。
あとで来た看護師に事情を説明したら、騒ぎの事も教えてくれて、内科外来看護師に成り代わって「ごめんなさい」をしてくれました。
戻るとすでに午後0時半だったので、すぐに置いてあった昼食を完飲!
そろそろ胃も痛くなるわ!

午後は、書き留めてあった日記をスマホで入力。
パソコンと違って、かなり疲れました。
その後は、ひたすらゲームをして過ごしました。

今日のBW:55.85kg

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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
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