忍者ブログ
管理人の食卓風景と日常の日記
[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今朝はダルかった。
飲み過ぎもあるんでしょうけど(* ̄m ̄)ノ彡☆ピシッ
昨日に続いて今日も気温が上がるけど、1日中曇って時々雨らしいとの予報。
普通の人は寝苦しい夜だったでしょうけど、酔っ払いだった私は感じず寝てました。
窓は毎晩、離れた部屋のだけ開け放しておいて、外の冷気が直接当たらないようにして寝てます。
ところが今朝は、体のダルさと同時に、軽くですけど喉が痛かったんです。
昨日カラオケに行った訳でもない、タバコの吸い過ぎ?、そういう程でもない。
って事は、もしかして気温の変化について行けなくて夏風邪でも引いたかな?
出勤後仕事を始めてからは、ダルさも喉の痛みも忘れてしまった程度の物でしたが。
連休明けの今日の外来は混むだろうと予想はしていましたし、実際に患者は大勢来院しました。
ところがいつもと違う風景が。
先週まで閑古鳥の巣と化していた待合室に、マスクが非常に目立って見えたんです。
しかも、話声に混じって「ゴホッゴホッ」と咳き込む音が、あちこちから聞こえてきました。
これはもしかして、みなさん私と同じ状況で夏風邪でも召されましたかな。
ふと見ると、受付事務員もマスクをしてるじゃないですか!
彼女の場合も、うつらないための予防と言うより、うつさないためのエチケットとしてマスクをしてると。
ほほう、ここ数日の蒸し暑さに北海道民は耐えられなかったのね。
しばらくすると院長が薬局にやって来て、鼻水が止まらないから何かいい点鼻薬ないかと。
医者なんだから自分の薬くらい自分で処方しろよと思った言葉をぐっと飲み込んで、ハイどうぞと抗ヒスタミン剤の点鼻薬を1本差し上げましたが、院長あなたも風邪ですか?

先週、病院に診察に来た叔母、24日に上棟式をするから出てくれないかと。
で、先週土曜の夜、私が夜間急病センターで仕事をしている最中に、その叔母の娘(私のいとこ)から電話があり、私は電話に出れなかったので自宅の奥さんにかけたようで、詳しい時間などを教えてきました。
その話を実家に集まった時に母にすると、母には何の連絡も来ていないと。
それどころか、私に連絡が来る前に弟に先に連絡をしたようで、弟は出れないと断ったと言うんです。
上棟式って神事でしょ、それを喪中の私達に出席してと言うのもどうかと思い、いとこに私も遠慮させてもらうと電話をしました。
その事を母に伝えておこうと昨夜母に電話をすると、私が電話をする少し前に叔母(母の妹)から母に出席して欲しいと電話があったと言うんです。
母は行くと答えたと。
弟に断られたから私に、私に断られたから母にってやり方、順序が逆だしおかしいでしょ。
私が出ると言ってたら母には何の連絡もしなかったって事か?
しかも、地鎮祭を執り行った神主は、他に用事があるから行けませんと断られたので、別の神社に頼んだとか。
やってる事がめちゃくちゃ。
私が母に喪中だと言うと、喪中にとらわれるんじゃない!と反論してきた。
ああそうかい!先日集まった時に話して決めた事と違うじゃん!
挙句には、「私だって会社のおめでたい新年会には事務員として行かなきゃならないんだから、喪中喪中って言ってたら何にもできないでしょ!」だって。
仕事で行くのと、招待されて行くのじゃ意味が全然違うってことすら分からなくなってる母。
だったら、喪中喪中って言ってないで、世の中の習慣に逆らって喪中ハガキじゃなく年賀状を出してみろって。
母は自分の妹だからと良い方に良い方に取ってるようですけど、本当は母には来て欲しくなかったんじゃないのと言ってしまった。
それでもわが家の代表として行くと言うので、それ以上は何も言いませんでしたし止めもしませんでしたけど。
最初から叔母が母に来てと言えば、こんな内輪での揉め事のような事態にはならなかったんです。
もしもですよ、工事中に事故でも起きて建設作業員に何かあったら、言う人は言いますよ。
「上棟式のめでたい席に、喪中の喪主なんか呼んだからこんな悪い事が起きたんじゃねぇのか」くらいにね。
そうなったら一体だれが責任取るんだって!
呼んだ方が悪いのか、行った方が悪いのか。
無用の指摘を受けないためにも、昔からそういう立場の人は遠慮するのが「しきたり」ってものだと思いますが、みなさんはどう思われますかね。

「朝食」
・ごはん
・漬物
・シジミの味噌汁
・ウインナーソテーとスクランブルエッグ

「昼食」
・そうめん(椎茸のおかか煮、長ネギ)

「夕食」
・ごはん
・漬物
・シジミの味噌汁
・残り物各種

今日のBW:68kg

拍手[0回]

PR
今日、七七日、四十九日を迎えました。
もうこんなに経ったのかと言う思いと、色々な事があり過ぎてあっという間だったという感慨が複雑に入り混じっています。
今日は事前に有休を取ってあり、朝はいつもより少し遅くまで寝ていられましたが、やはりいつもと同じ時間頃に目が覚め、ん~まだ寝てていいんだと自分を納得させて眠りに入ろうとするものの、うつらうつらで時計が気になり、まだ1時間寝れる、あと30分寝れると、寝たような寝てない様な。
結局予定通り、午前8時半頃起床し、一応の身支度を整えて朝食。
タクシーを呼んで乗車し、実家到着は午前10時過ぎ。
弟夫婦もやってきて、午前10時半少し前に、父の遺骨、埋葬許可証を持ってお寺に向かいました。
今日は、時折パラッと雨が降りそうで降らない変な天気。
朝からどんより曇っていましたが、気温が数日前から見たら低い22℃程度だったので、遺族の正装である喪服でも何とか凌げましたけど、動くとやはり暑くて私は汗だらけ。
何たって、父1人分の遺骨をずーっと抱えてましたから、腕も重さでプルプル震え出しました。
納骨堂の仏壇を整え、父の遺骨は下段に収納し、母の妹とその娘夫婦も参列して、午前11時僧侶による読経が開始されました。
親戚一同が会しての四十九日法要はすでに初七日法要と合わせて済ませてありましたから、読経も簡単に済まされてしまったような・・・。
ただ、納骨と言う事でか、いつものお経とはちょっと違う内容だったような気がしました。
僧侶が退席した後は、母から順に焼香して終了。
その時私の携帯のバイブが震えだし、こんな時に仕事の電話かと怒りを押さえて着信相手の表示を見ると、それは父の弟からでした。
聞くと、お供物にお菓子を買ったのは良いけど、実家に電話しても出ないから私の職場に直接行って、持って行ってもらおうとしたら受付で今日は法要で有休ですと言われたと。
何考えてんだか、このオッサン!
長男である私が法要に出ないで仕事してると思う方がおかしいでしょ。
って言うか、弟であるあなたも札幌から来てたんだったら参列しなさいって(怒)
遠回しに私が言うと、これからそっち(お寺)へ行くけど、作業服で来ちゃってるから・・・だって。
仕方ない、玄関で待ちかまえて、納骨堂まで連れ込んでやる!
車から降りてこちらへ向かってきたところを、私が腰のベルトの後ろを捕まえて、どんどん納骨堂の方へ押しやったら、本人も諦めたか、先になって納骨堂の方へ歩き出しましたので作戦成功。
いや、まあ、そうしなくても、ここまで来たからには兄である父に手の一つも合わせないで帰るなんて、そんな薄情な人じゃないので、その気になったと言う事でしょう。
私の数珠を貸してあげて、お参りしてもらい、母としばし話をした後、仕事に戻られました。
すでに母の妹と娘夫婦は帰っていましたから、私達5人だけで近所のそば屋へ行って昼食を摂り、弟の運転で母を実家に送って私達も自宅に送らせて、一旦散会。
弟の運転に酔ってしまった奥さんの回復を待って、危険な状態にあった日用品等の買い出しに出かけ、帰宅後にシャワーをして、午後4時頃、再び実家へと向かいました。
私達が到着すると、遺骨がなくなった祭壇は葬儀社に返却され、送られた花や遺影と共に遺品の一部や仏具類が仏壇の周りに置かれていました。
ほどなくして再び弟夫婦も到着し、まずは実家の家具や襖などを現状に復する作業の開始。
大勢の人が弔問に来るからと、居間に置いてあったものはほぼ別の部屋に移動してあったので、元の位置に戻すと部屋が狭くなったようだと母。
神棚の半紙も外し、久々の7週間ぶりに神様の戸を開けて神棚封じを解き、水を奉げました。
今日は最初から家族だけでの法要と決めていたので、午後5時、今回の葬儀中一切の「食」を世話してくれた、私のいつもの行きつけの寿司屋兼仕出し料理屋から出前が届きました。
頼んであったものはすべて間違いなく届きましたが、支払いの段になって、天ぷらは、今は社長と呼ばれている「大将」からのサービスですと言われ、感謝感激雨あられ。
近いうちに菓子折りでも持って、ご挨拶がてらまた客として店に行かねばなるまいと肝に銘じました。
だって、3人前の天ぷら盛り合わせを見ると、タネがですよ、大エビ、タラバガニ、あわび・・・あわびぃ!!!ですよ。
あとはナス・グリーンアスパラ・笹竹・かき揚げなどでしたけど、金額にしたら1人前、ざっと見積もっても3千円やそこらはするでしょって感じ。
握りだって、最初から表示価格の端数はカットですもん。
テーブル2つ分に寿司桶、天盛り、そしてキンキの唐揚げあんかけ3人前を並べ、各自飲み物を準備し、ようやくお疲れさまでしたと。
食べ始めると、皆黙々と飲み食いし、まるでお通夜の席かいってな雰囲気にもなってしまった。
家族全員、一様に気が抜けたと言うか、一連に儀式的なものをすべて滞りなくし終えた安堵感、父の遺骨を納めるべき場所に収め終えた安心感、そして、もう本当に実家には遺骨すらいなくなってしまったと言う寂寥感。
すべてのもろもろの感慨が胸の中に去来して、一種の「ふぬけ」状態になっていたのかもしれません。
今朝までは、横を見ると父の遺骨があり、まだ父と対話していた母が、寂しそうな事を言い出したのが、すべてを物語っていたでしょう。
それじゃあと、仏壇横に置かれた父の遺影を私が居間に連れ戻して、母の定位置の真正面のサイドボード上に安置すると、母にまた活気が戻ってきたような。
これでひとまず安心と、午後8時、タクシーを呼び帰宅しました。

これで、まだ喪中の身ではありますが、とりあえず忌明けと言う事で、また気分も新たに日常生活を送りたいと思っています。
と言っても、すぐ19日には「月命日」が来ます。
今月は連休にかかりますが、17日の土曜日、私は夜間急病センター出向で、19日当日は連休最終日の翌日からまたみんな通常勤務ですから、なか日の18日に全員実家に集合してお参りと飲み会を開く予定。
それが終わると、来月はすぐ「新盆」です。
13日、仕事が終わってからお寺へ集合し、僧侶に読経をお願いして、その後はまた飲み会でしょう。
19日の木曜日に月命日を迎え、百箇日はそのあとすぐの、8月24日。
お寺さんが実家へお参りに来るかも知れませんが、私達は考えてません。
9月20日からは秋のお彼岸ですので、また全員集合してお寺へお参りに行くでしょう。
それを終えて、しばらくはようやく儀式的なものから遠ざかります。
その後も毎月の月命日には実家へ行きますが、それは生活リズムの1つとしてとらえて取り込んで行かなければならないでしょう。
肉親の死に当たって、色々な事を経験し勉強させてもらいましたが、仏教がここまで深く私達の生活に関わり根ざしている事を知り、新たな発見と驚きに戸惑いながらも、まだまだ続きそうですので、もっと勉強してみようと思っている今日この頃でした。

「朝食」
・チキンフィレサンド
・野菜ジュース

「昼食」(お寺近くのそば屋)
・もりそば大盛り

「夕食」(実家で出前など)
・握り(大とろ・ひらめ・大ぼたん蝦・しゃこ・うに・いくら・あわび・ほっき・ほたて・ずわいがに)
・天ぷら盛り合わせ(タラバガニ・アワビ・大エビ・グリーンアスパラ・笹竹・ナス・かき揚げ(イカ、ホタテ、ホッキ、玉ねぎ、三つ葉))
・キンキの唐揚げあんかけ(ちなみに1人前2,400円です)
・母お手製の笹竹、揚げ、コンニャクの味噌煮
・焼酎のウーロン茶割り

「自宅に戻って」
・焼酎のシークワーサージュース割り

今日のBW:68.5kg

拍手[0回]

『3週間も過ぎてしまいましたが、あらためまして、父の通夜・葬儀に際しまして、ご多忙の中、お疲れの所を多数ご参列賜り、誠にありがとうございました。また、皆様より過分なるご香料を頂戴いたし、滞りなく父を送り出す事が出来ました。深く御礼申し上げます。ありがとうございました。』

昨日の夕方、先ごろご尊父様を亡くされた看護師長から内線がかかってきて、明日の朝礼で挨拶しますよねと。
自分もするから薬局長も次にと、わざわざ打ち合わせをしました。
こちらとしては、初七日を終えて復職した翌日の朝礼で挨拶をと思っていたんですが、運悪くその日の朝に企業の定期検診が入っていて、朝礼が中止になってしまっていました。
その日から初めての朝礼が今朝。
その間、院長の出張や、看護師長のご不幸などいろいろあり、今朝看護師長と私が揃って職員に挨拶することに・・・なってしまいました;
院長の挨拶と訓示の後、看護師長が「私事ですが」と挨拶を始めたのは良いんですが、私と違ってまだ10日足らずの悲しい思い出がよみがえってしまったようで、途中から涙声になって言葉にならず、やっとの思いで言葉を絞り出し、「ありがとうございました」と頭を下げるだけで精一杯でした。
すぐに院長が言葉を引き取って話し始め、全員こういう思いをする人達が相手の職場だから・・・云々。
話し終えるとすぐに事務長に連絡事項などをと話を振ってしまったので、慌てて「すいません、私からも・・・」と前に出ると、「ああっ、そうだった」と慌てて私を指名してくれました。
で、前に出て挨拶した内容が一番初めに書いた通りの文章でした。
私が所定の立ち位置に戻ると、院長から「まだ若かったよね」と。
更に、人に命を大事に仕事をしていこうと短い訓示を続けて、今朝の朝礼が終了しました。

昨年12月院長のご母堂様、本年5月の私の父、そして今月の看護師長のご尊父様と、半年の間に職場内で立て続けに3人の最愛の肉親を亡くしました。
わが職場においては、3度目が終わり、しばらくは不幸は来ないと確信しています。
この日記をお読みの皆さまにおかれましては、まだご両親がどちらかでもご健在であらせられるうちに、1分1秒でも長く親孝行して頂きたいと、切に願うものです。

「朝食」
・あっさりにゅう麺(ネギ、板かまぼこ、とろろ昆布)

「昼食」
・醤油野菜ラーメンとんこつ味

「空腹凌ぎ」
・きんつば

「夕食」
・残り物各種
・焼酎のウーロン茶割り

今日のBW:69kg

拍手[0回]

今日午前は通常勤務、午後からは母のお供で外出しました。
まずは徒歩で仏壇屋へ。
葬儀社の担当者から、仏壇を買うでしょうから、その時はこの店へ行って私の名前を出してもらえれば、すべての事を教えてくれて全部揃いますからと言われていました。
まあ、葬儀関連業の中での「持ちつ持たれつ」だとはすぐ分かりましたが、仏壇を購入するなんていう経験は私はもちろん母も初めてですから、頼れる人もいないので葬儀社の担当者の言う事に従って行きました。
店に入ると、線香やろうそく、仏具などが雑然と置かれていて、仏壇らしきものは見当たらない。
過去に商品を陳列していたであろうガラスケースの奥と手前に女性が座っていて、奥の女性はどう見ても店員とは思えない風体(多分この店の経営者の奥さんでしょう)。
グレーの髪は伸ばしっ放しで乱れたまま、体格は何をどう食べたらそこまで太るかと言ったお相撲さんのよう。
もう1人の女性は、顔を見るとこの女性の娘のようでしたが、こちらも輪をかけてお相撲さん体形で、髪型は母親と同じ感じ。
ただ違うのは、挨拶もろくにできない、ネジが2・3本抜けたような感じ。
仏壇屋でこの女性2名ときたら、あまりにもマッチし過ぎて、不気味という事ですけど、普通の客ならそのままUターンして帰ってしまいそう;
でもまあ、母と2人、意を決して入って行き、事の事情を話すと、母親の方は案外愛想がよくて、店の奥の方にあるエレベーターで階上へ案内してくれました。
どうやら仏壇を展示しているのは2階と3階のようですが、ちょっとぷらっと入って見て行くと言った雰囲気じゃない、うわべだけ見ると非常に感じの悪い店ですね;
宗派を聞かれ、仏壇を置く部屋について聞かれ、じゃあこのくらいの大きさが適当ですとすぐに示してくれました。
他にはどんな仏壇があるのか聞き、2、3見ましたが、母の希望は1番最初に見た仏壇との事で、じゃあ早速購入決定。
値札を見ると、当初予定していた価格の半分程度。
ところが!店の女性が提示した価格は、値札の3分の2!
おいおい、間髪いれずにその額を言ったけど、いいのかいそれで?
一応聞いてみましたが、仏壇本体は下の台も付いて、仏具一式すべて込みでその価格で良いって;
まあ、この店、店主である旦那さんが自らの工場で仏壇を作っているから、マージンなんか一切かかっていないでしょうけど、それにしてもこれで儲かってるんでしょうか、商売っ気がないと言うか心配になってしまった。
それは置いといて、1階のカウンター?に戻り、搬入の日時を決め、代金を支払っておしまい。
契約書も何もなし。
葬儀社の担当者の顔ですけど、本当に決めた仏壇が届くのか、仏具一式もれなく届くのか、と~っても心配ではあります(^^ゞ
それと・・・、言うのを忘れたと言うか、言わなくて良かったのか、実家のマンションのエレベーターに入るだろうかという心配。
恐らく間違いなく、エレベーターには入らないであろうと私は予想しますが、えっちらおっちら階段をのぼって運んで来てもらいましょうかね(^^)

「朝食」
・納豆チーズトースト
・野菜ジュース

「昼食」
・おにぎり(筋子)
・ミニカップ麺

「夕食」
・つまみ揚げ(野菜、枝豆、ゴボウピリ辛)
・アサリバター
・漬物
・焼酎のウーロン茶割り

今日のBW:70kg

拍手[0回]

この日記は初七日の法要を終えて、ひと段落ついてから書いています。

いよいよ、父のための儀式の間近での最期、初七日法要の日です。
儀式はこの先も、四十九日、1周忌、3回忌と続きますが、さし当たっては今日の初七日を終えればしばらくは一息つけます。
朝7時前に起床し、身支度を整えて、午前8時半頃実家に向かいました。
今日の天気は最悪、昨日からの強い風と時折強く降る雨模様。
ん~、父の涙雨とは思いたくないけど・・・。
午前9時半頃弟も到着。
弟の嫁は仕事の都合で、ローテーションの変更がきかない職場のため、やむなく欠席。
午前10時頃、ようやく小降りになった雨模様の中、父の遺骨や遺影を濡らさないよう走って弟の車に乗り込み、会場として貸し切った仕出し料理屋の宴会場に到着し安置。
仕出し料理屋の担当者が祭壇をしつらえてあり、献花や供物も用意され、参列の親戚の到着を待ちました。
総勢17人が揃い、予定より多少早い午前11時前、僧侶が着席して法要の開始。
この初七日法要は、四十九日法要も引っ張って一緒に行う事とし、四十九日には納骨堂への納骨と読経だけを行って、それは母と私達夫婦、仕事の都合が合えば弟夫婦のみで行う事にしました。
市内在住の親戚も、来てもらえるなら参列してもらいますが、料理やお酒で接待するお斎(おとき)は準備しない事としました。
読経が終わり、僧侶の法話を聞き、会食会場へ移動。
料理が一通り出たところで、まず僧侶が腰を上げ、ついで順に親戚達は帰って行きました。
また強く降りだした雨の中、弟の車で実家へ戻り、祭壇に安置し直してすべての儀式が終了。
弟と母が、父の遺品の何かを探し始めたので、どっと疲れが出てきた私達は実家を後にしました。
今度母と会うのは、今週金曜の夜、私達と弟夫婦の5人で焼肉を食べに行く約束をしています。

「朝食」
・奥さんお手製にゅう麺(椎茸、舞茸、長ネギ、玉子)

「昼食」(仕出し料理店で法要料理)
・お造り(マグロ、ヒラメ、甘海老、ホッキ)
・うに
・天ぷら(笹竹、レンコンのはさみ揚げ、海老など)
・茶碗蒸し
・煮物
・寿司6貫(私は食べませんでした)
・お吸い物
・ウーロン茶

「夕食」
・法要料理についた持ち帰り用仕出し料理
・焼酎のウーロン茶割り

今日のBW:70kg

拍手[0回]

カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
お客さま数
                                                       
プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]