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管理人の食卓風景と日常の日記
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今日奥さんは休み。
いつもより少しだけ寝坊して、起きたのは午前8時半過ぎ。
テレビのワイドショーを見ていたら、職場から電話の着信。
出ると外来看護主任からで、年末年始の私の仕事についての質問でした。
実際に、入院するだいぶ前に年末年始の仕事のスケジュールは組んであったんですが、もう12月に入ってしまってはちょっと遅いと思いながら、負傷休養中の私に代わって私の仕事を引き受けてくれているスタッフにそんなことは言えないので、とにかく今日から前倒し前倒しで、来年の2週目の分まで終わらせてくれるよう頼んで電話を切った。
今はまだ風邪も治らず、傷も完全に塞がっていない状態では、手伝いに行く事もできないもどかしさを感じながら、今の自分にできるのは本当に申し訳ないと頭を下げて手を合わせるだけでした。
午後から奥さんは市役所と私の職場へ行って、色々な手続きをしてくれ、2人で家にいる時には奥さんが録り溜めてくれてあったドラマのビデオを見て過ごしました。

両手首をヒモで縛られて拘束と言うシチュエーションの夢は、昨日のとはまた違ったパターンでも見ています。
気がついたらある島のある民家に寝かされていて、もちろん、縛られて拘束状態。
脱出に成功して自由になったが、なぜかまたその島に近づいてしまい、その島民の中型船に収容されて拘束されてしまったという夢の話を。
④両手首を縛られてベッドサイドの両柵に縛り付けられていたところが病院だという。
ここが病室なのか、カーテンで仕切られていて状況が分からない。
ただ、ベッドは病院で使っているそのものだし、ベッドサイドの柵もそのまま。
ただ、周りには何かの機械が設置されていて、荷物置き場のように段ボール箱らしいものが積み上げてあった。
ナースコールは手元に置いてあるが、点滴はされていない。
自分がなぜここにいるのか、なぜ手を縛られて拘束されているのか、理解できないままうつらうつらしていた。
訳の分からない島から上手く逃げ出せて、自由の身になったはずなのに、何でまた同じように拘束されているのか。
しかも、今度は民家ではなく、もろに病院だという。
自分はどこか病気になったのか、どこかをケガでもしたのか。
痛くも痒くもないのに、なぜベッドに寝かされているのか。
常に感じる細かい振動と、わずかに体がベッドごと上下するような揺れを感じる。
病院と言う堅牢な建物が、こんな振動や揺れを感じるはずがない。
と言う事は、ここは建物の中じゃないのか。
喉が渇いたのナースコールを押すと、白衣姿じゃなく、病院と言う施設には全く不似合いな、油染みのような汚れがついた作業服を着た男性がやってきた。
これが看護師かと驚いたが、とにかく喉が渇いていたので「水をください」と頼むと、吸い飲みを手に取って私の口に水を注いでくれた。
「もういいです」と言うと、何も言わずすぐに立ち去ろうとしたので、「ここはどこですか」と聞くと、Aと言う総合病院だとの返事。
その後も何度かナースコールを押して看護師を呼んだが、ある時看護師から「しばらく来れないが、大人しくしているように」と命令され、ベッド横にあるテレビのスイッチを点けてドアを閉めて出て行ってしまった。
緩やかな上下動は続いているが、細かい振動は収まっている。
ドアの外では複数人の男女の声がしているが、何を話しているかまでは聞き取れない。
テレビを見ると、ニュースショーを放送しており、何かのイベントの模様を中継していた。
何気なく見ていると、ある離島から来た船で、その島の特産物を船内で販売したり、アワビやウニなどをふんだんに使った海鮮丼を安価で提供するコーナーがあったり、船をどこかの埠頭か岸壁に停泊させて、一般客を船内に招き入れてイベントをやってるようだ。
それをテレビ局が取材に来て、男性レポーターが売り子の中年女性にインタビューし、別の売り子らしい女性は客に買ってもらおうと甲高い声で呼び込みをしていた。
映像は、特産と言う海産物や、海鮮丼とそれを食べている客を頻繁に映し、客にもインタビューをしていた。
あれ?
映像にほんの僅かに映った男性の姿、それは商品の補充をしている船内店舗の従業員らしかったが、見た事があるような・・・。
気のせいかと思って、その時はそれで済ませたが、どうも引っ掛かるものがあった。
テレビの中継が終わり、イベントも終わったらしい。
水が欲しくなってナースコールを押すと、さっきとは違うがやはり作業服を着たがっしりした体格の男性が来て、吸い口を私の口に差し入れ水を流し込んだ。
「あなたも看護師ですか?」と聞くと、「そうです」と言い、「ここはどこですか?」とさっきと同じ質問をすると、「Aという総合病院だ」と答えて出て行ってしまった。
この男性が出て行く時、ドアを閉め忘れたのか、ドアの外から声が聞こえてきた。
「おい、この船って、あのよそ者の立ち入りを拒み続けてる島の船だよな」と。
「船の中を調べたら、何か分かるかもな」という言葉が、遠ざかりながら聞こえた。
どうやら、この船を取材に来たクルーが、何かを疑って船内を調査し始めたらしい。
以前私が拘束されて、島民にならされるべく拉致監禁された島の事をマスコミや警察などに告発したのだが、日本国内でそんな事があり得るはずがないと無視されていた。
その後、あるテレビ局が島を取材させてくれと、島の代表者に交渉し、その許可条件として大量の保存がきく食料品や日用品を、なかなか本土に行けない島民のためと言う理由をつけて、島民のために無償提供する事を提示され、その条件を飲んだテレビ局が大型運搬船一隻をチャーターし、大量の荷物とともに取材クルー複数人が島へ渡っていた。
その時の映像は私も見たが、とても国内の島とは思えないほど町並みや家屋は貧しいもので、また、インタビューは島の代表者が指定した数人にのみと言うものだった。
レポーターが指定された島民にしたインタビューで、「本土へ行った事はありますか?」との質問に、口ごもって答えられなかった島民に、すぐに代表者が割って入って、「みんな島を愛してるから、行こうと思わないんです」と答えていた。
代表者同席でインタビューしているあいだに、ビデオカメラの一台が町並みを撮っていたが、人っ子一人歩いていなく、全員家の中に隠れて息を潜めているように感じた。
ビデオカメラを持ったスタッフが、更に別の絵を撮ろうと町の奥へ歩いていこうとすると、2人の男性がスタッフの前に立ちふさがるようにして、その先の取材を妨害するようにスタッフを押し戻す姿が映っていた。
船からの荷下ろしが終わった頃、取材はここまでと代表者から打ち切られたのか、本土へ戻るチャーター船内でレポーターが印象を述べて、「もっと取材したかったんですが・・・」と納得していない表情の映像で終わっていた。
「・・・!」思い出した!
私はベッドからがばっと起き上がろうとして両手を縛られて拘束されている事に気づき、ベッドに倒れ込んだが、おぼろげだった記憶がはっきりと戻ってきた事を実感した。
「あの時の男2人は、看護師だと言って私に水を飲ませに来た、作業服の男2人だ!」
そう思った瞬間、細かい振動が体に伝わって来て、ドアの外からは男達の叫び声が聞こえてきた。
「奴らを早く下せ!」、「ちくしょう、どこへ行きやがった!」、「船を出す準備はできたか!?」
作業服の男の1人が私が寝かされている部屋に来て、焦りながら何かを探し、見つけたそれを持ってどこかへ行こうとした。
その際、私に向かって「しばらくお前にかまってるヒマはないからな」と。
この後私はどうなるのか。

この夢もここでおわり。
現実の話をしますと、実際に入院していた病院の外科病棟に私の処置をしてくれた男性看護師が2名いたんですが、そのうちの1名が私が手首の拘束を無意識に外そうとしてセンサーが感知し、それを押しとどめようようと来たんです。
この夢を見た後だったんでしょうか、現実と夢が交錯してしまい、「こんな病院にはいられない」、「他の病院に移るからヒモを解け!」と暴言を吐きました。
彼がセンサーをつなごうとして私の体に近づいてきた時、「私の体に触るな!」、「暴力を振るうな!」と大声で怒鳴ってしまいました。
「~ました」と書いたという事は、そう言った言動をした事を自分でも覚えているという事なんです。
でも、自分では夢も現実も一緒になってしまっていたので、自分がやってる事は正しい事だと思っていた。
このままここにいては殺されてしまうかもしれないと思ったのかもしれませんし、また訳の分からない島に連れ戻されて一生そこから出られなくされてしまうかもしれないと思ったんでしょう。
必死になって、男性看護師に「おまえあそこにいただろう」とか、「ここは何とかという病院なんだろ、だから退院するんだ」と言ったような、意味不明の事を叫んだんでしょうね。
しばらくその看護師とのやり合い、にらみ合いがあった後、別の、やはり体格のいい男性看護師が来て私に「どうしたんですか?」と声をかけてきたと記憶しています。
その問いに答えて私は「あんたもあそこにいたよなっ!」、「さっき見たぞ!」と、これまた意味不明の事を言うと、穏やかな声で「私がどこにいましたか?ここはあなたが入院しているBと言う病院ですよ」と答えが返ってきました。
「ここはAと言う病院だろ?」と声を荒げて私が聞くと、わざとだったのかゆっくりとした口調で「Bと言う病院ですよ」との答え。
その瞬間に私の意識が正気に戻ったらしく、「そうか」と言って大人しくベッドに横たわりました。
それを見計らって看護師がセンサーをつなぎ直し、その後は何をされたか、何もされずただ私が眠ってしまったか、記憶は全くありません。
夢に出てきた作業服の男性は、明らかにこの男性看護師2名で、1人は細くて華奢なんですが、もう1人は夢に出てきたようにがっしりとした体格の看護師でした。
その後、幻覚も錯乱も治まり、いつもの精神状態の私に戻ってからも、いつものように普通に私の看護や処置をしてくれた男性看護師。
自分自身言った事やった事の記憶があるものだから、多少バツが悪かったのは確かですが、事あるごとに言葉で感謝を表し「本当に申し訳ない、あなた達のおかげで良くなってきた」と何度も言ったのは夢でも幻覚でもなく本音の事ですよ(^^ゞ

「朝食」
・トースト半分
・シチュー カップ1杯

「昼食」
・納豆スパゲッティー(ひき割り納豆増量、卵)

「夕食」
・半チャーハン(卵、玉ネギ、ベーコン)
・半醤油ラーメン(チャーシュー、メンマ、味玉、長ネギ、おろしニンニク)

「デザート」
・生八つ橋 抹茶味
・カフェラテ

今日のBW:60.5kg
最高7.3(23:36)、最低 マイナス2.6(06:56)、積雪量26センチ

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風邪にピークは過ぎたようです。
鼻詰まりはまだあるものの、昨日までの常に詰まって呼吸困難になりそうなほど酷くはなくなりました。
時折くしゃみが連発して鼻タレにはなりますが、抗ヒスタミン剤を服用しなくても耐えられるまでに回復してきたようです。
この鼻水・鼻詰まりを改善する抗ヒスタミン剤、もの凄く効果があるんですが、何たって眠気が強く出て、起きている時でも頭がぼーっとして思考能力が低下し、倦怠感が強くて何もやる気が起きなくなっちゃうんです。
昨日寝る前に飲んで以降は、さすがに今朝は服用を止め、昨夕からは眠気が出ない小青竜湯で対処しています。
味覚も、塩味が多少分かるようになったので、あと2、3日ほどで回復するんじゃないかと期待しています。

昨夜は当院の忘年会。
何事もなければ私も当然参加していたはずなんですが、この体では欠席もいた仕方なし。
予報通り、夜は猛吹雪でしたので、2次会や3次会への移動も大変だったでしょう。
まあでも、当院の職員はみんな元気ですから、雪くらいで怖気づくはずもなく、楽しく飲んで大騒ぎしたんじゃないでしょうか。
まあ、来年は、いつものように私も参加したいと思います。

さて、今日も入院中の夢で見た話を。
③眠りから覚めて気がつくと、そこはとある民家だった。
ボーっとした意識の中で周りを見渡すと、お膳があってタンスがあって、昔ごく普通に見ていた昭和の雰囲気がする一軒家。
起き上がろうとすると、身動きが取れない。
見ると、両手首が太いヒモで縛られて、片手づつどこかに縛り付けられていた。
顔だけを動かして横を見ると、奥さんも同じように縛り付けられたまま寝ているようだ。
懸命にヒモをほどこうとするが両手首ともきつく縛られているので、口を使ってほどこうとしてもビクともしなかった。
しばらく格闘していると、見知らぬ男性が家の中に入って来て、「ムダだよ」と。
話を聞くと、私達はもうこの島の人間で、島から逃げ出さないという誓いを示すために毎日夕食後に手首を縛りつけて朝まで寝るんだと。
家族がいる家庭は誰かが家族を縛りつけて、残った1人は島の神がその忠誠を認めた代表者が縛って歩くんだそうだ。
その代表者は複数いて、その人達は逃げ出す事がないと島民全員から認められているので、縛られる事はないと。
朝になると、その代表者が島民のヒモをほどいて、各自準備をして朝食を摂り、与えられた仕事に従事するんだという事らしい。
翌朝、外に出て見ると、町並みは寂れて貧しい漁村といった風情で、人口も少なく、平均年齢も相当高そうな感じがした。
商店らしき店舗が1、2軒あるが、「何屋」というのではなく、わずかだが何でも扱う「よろずや」といった感じだ。
あちこちの少ない家屋から人が出てきて、仕事に向かうらしい。
ロープの束を肩から提げて歩いている男性に声をかけると、これから漁に出るという。
漁と言っても、古いボートのようなもので、エンジンは付いているが燃料がないので手漕ぎで行くため、近場で小魚などを獲ってると言いながら去って行った。
後方から私を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると中年女性がこちらの方へやってくる。
さあ行きましょうと私を連れてどこかへ向かい、連れて行かれたのは私が縛り付けられていた民家とは窓ガラス1枚でつながっていた建物だった。
ガラス越しに私達の行動は監視されていたらしい。
その別棟と言うか別室の方には、やや若い女性から中年女性までの複数がいて、何か忙しそうに作業していた。
私を連れてきた中年女性は私に、「ここに寝てください」とベッドを指差した。
指示通りにベッドに横たわると、女性は私の服をまくって腹部をむき出しにし、持ってきた道具などを使って私の腹部に何かをし始めた。
首を起こして何をしているのか見ると、何かの液を塗って、その上にガーゼらしい白い布切れを腹部に置き、絆創膏のようなテープで固定したようだ。
何をしているのか聞くと、私はどうやら腹部に傷を負っていて、その処置をしていると。
傷があるので仕事は免除されているので、安静にしているようにと、そして毎日処置を受けにここへ来なさいとも言われた。
私が連れて来られた建物、窓ガラス1枚向こうは自分の家とされた民家のようだが、そこはこの島唯一の病院機能を持った建物で、そこにいた女性達は粗末な衣服を着て白衣姿ではなかったが全員看護師らしいと分かった。
処置が終わって自宅に戻り、奥さんと誰にも聞こえないように話をしました。
もちろん、こんな訳のわからないところにいつまでも束縛されてるつもりはないので、どうやって島から脱出しようかという内容だった。
だが、知り合いがいる訳でもなく、地理的状況も分からず、住民が相互に監視し合っているような中での脱出は、非常に困難を伴う事が予想された。
「働かざる者は食うべからず」が掟らしいこの島で、仕事を免除されている私達には、島民の誰かしらが食材を差し入れてくれて、質素ながらも奥さんが料理を作って空腹を満たしていた。
夜には手を縛られて拘束され、朝には拘束を解かれて多少なりとも自由が与えられる。
脱出方法を考えながらも、何日か何週間かが過ぎ、島民とも親しくなって、本音の話も語り合える人も出てきた。
この島は、島民誰一人として見た事がない神とされるものを奉る看護師達によって支配されていて、島に来た人間のすべてを奪い取って拘束し、島から逃げ出せないようにして島の存在を維持していると。
そのために、住民相互で監視をさせ、目の届かない夜間帯は相互に手を縛りつけて監禁状態にし、逃げ出す意欲を奪う事によって住民を減らさない方策としているそうだ。
看護師は全員この島で生まれ育った人間で、自分達の故郷を消滅させない事が最大にして唯一の使命だそうだ。
住民の半分は、漂流してきたり、探索のためこの島を訪れた人達で、逃げ出す事に失敗して戻された人は、病院施設に連れて行かれ、安定剤・催眠剤・精神神経用剤などを多量に投与されて思考回路を洗脳され、逃亡する意欲を失わせるという事をやっていると。
この話をしてくれたのは、島の調査に来て拘束された中年男性で、脱出を試みたものの失敗し、病院施設で洗脳されそうになったが、幸い薬の効果がなく正常な精神状態のまま解放されたが、疑われないように他の島民と同じ状態を装って脱出できる機会をうかがっているそうだ。
島には産業などなく、わずかな農作物とわずかな漁獲だけでは住民の生活を維持できないため、不定期に看護師1名と忠誠を誓って逃亡の心配がない住民男性数名が、島の女性達が作った手工芸品を持って船で本土へ渡り、それを売った金で必要な食料や物品を購入して島へ戻ってくるらしい。
と言う事は、船を動かすエンジン用の燃料があるはず。
この島で一番最初に会った漁師の船にはエンジンがついてると言っていたから、その燃料を入手できれば、追手に捕まる事なくこの島から脱出できるかもと考えた。
ある夜、いつものように両手首を縛られて拘束されながら寝ていたが、ふと夜中に目覚めると、いつもはきつく縛られているヒモが片手だけ緩んでいる事に気がついた。
もしかするとと、手首を折り曲げて指が届くようにしてヒモをこすりながら、更にヒモが緩むように手首をひねったり振ったりしているうちに、だんだん結び目が解けていき、とうとう片手のヒモが外れて自由になった。
もう片手のヒモも解いて、奥さんの拘束も解き放ち、さあ逃げようと2人で海岸へ向かい、暗闇の中を漁師のボートを探し当て、エンジンは掛からないがオールがあったので手漕ぎで海原へ漕ぎだした。
その後どうなったか、気がつくと見た事がある風景、見覚えのある女性が私の顔を覗き込んでいた。
私はベッドに寝かされ、両手首はヒモで縛られ、左右それぞれがベッドサイドのレールに縛り付けられ拘束されていた。
「傷があるんですから、あんな事はしないでください」と言いながら、女性は私の腹部の傷の手当てをし、何も言わず腕に注射をしてどこかへ行ってしまった。
注射されると急に意識が遠のき始め、薄れ行く意識の中であたりを見回したが、奥さんの姿を見つける事は出来なかった。
次に気がついた時には、病院施設隣の自宅で、いつものように両手首を縛られ拘束された状態で寝ていた。
またヒモが外れないかと手を振ったりしていると、住民の代表者が入って来て、ヒモがちゃんと締まっている事を確認して出て行った。
翌朝にはいつものように拘束は解かれ、病院施設へ行って処置を受けた後、散歩がてらボートを勝手に拝借した事を謝罪するつもりで漁師の所へ行った。
漁師に会うと、私が言葉を発する前に私を道具小屋の方へ手招きし、私にある物を見せた。
小屋の中は、漁師の小屋らしく魚の生臭さが漂っていたが、「ある物」が入った容器のふたを開けると尚一層生臭さが鼻を突いた。
見ると、ドロッとした茶色い液体が入っていた。
「これが燃料だ」
私の目をじっと見つめながら漁師はそうつぶやいた。
この島の船のエンジンの燃料は、この漁師が獲ってきた魚を絞って取った「魚油」だった。
ふと背中に人の気配を感じ、身構えると同時にそちらを見ると、本音の話をしてくれた、島の調査に来て拘束された中年男性だった。
「やるか」と、その中年男性は言った。
そのためには、要注意人物としてマークされている2人が従順に言う事を聞いて、住民として代表者クラスにまで信頼されることが条件だという事で一致した。
その後どのくらいの年月が経ったか。
腹部の傷などとうに癒えて、漁師の手伝いなどの仕事をしながら暮らし、積極的に住民の先頭になって祭りやイベントなどに参加し、住民から相談を受けるなど顔役としての地位を確立した頃、夜のヒモを縛って拘束する代表者からも信頼されるようになり、日に日にヒモの縛り方が緩くなってきているのを感じた。
お互いに助け合いながら生活していると、人情と言う物が出てくる。
脱出の約束をした中年男性も同じで、ある日、これ以上緩められないというヒモの縛り方での夜間の拘束がお互いに続いた頃、目配せして、その夜の実行が決まった。
夕食後、いつものように代表者がやって来て、ヒモで両手首を縛り、片手づつどこかに縛りつけて拘束し、二言三言、言葉を交わして出て行った。
縛り方はやはり緩く、代表者が出て行ってすぐヒモを外す事は出来たが、誰が来るかわからないので、自分でヒモを手首に巻きつけて、時間が経つのを待った。
そろそろかと思ってヒモを解き、事前に知らせてあった奥さんに言葉を発しないように付いてくるよう目で合図しながらヒモを解き、玄関を開けて辺りをうかがい、誰もいない事を確認して漁師の小屋へ向かった。
相棒となった中年男性もほぼ同時に来て、2人で燃料の「魚油」が入った容器を持ち、誰にも見られていない事を確認しながら海岸へ急ぎ、漁師のボートを見つけるとエンジンに燃料を入れ、岸から海へ船を押し出してからエンジンをスタートさせた。
奥さんを乗せ、私と相棒の中年男性が乗って、エンジンの回転を上げて沖に向かって走り出そうとしたところへ、浜の方から大声をあげて迫ってくる声が聞こえてきた。
その声の主は、動き出した船の縁につかまって乗り込み、エンジンを止めようとした。
中年男性が声の主と格闘し、抑え込んだので私がエンジンを操作し、船は浜から遠くへと走って行った。
しばらく海を走ると声の主が大人しくなったので、中年男性と顔を見ると、私の傷の処置をしていた看護師の1人だった。
もうここまで来ては連れ戻す事は無理だと悟ったのか、抵抗する事もなく黙って座っていた。
どのくらい船を走らせたか、方向も何も分からないままに走らせていたので不安ではあったが、遠くにちらっと見えた光を頼りにその方角に向かって船を走らせ続けていた。
光がだんだん大きくなっていき、それが本土か別のどこかの島か分からないが、とにかくそこに乗りつけることにした。
船を岸に乗り上げるように泊め、船から降りて近所の家に助けを求めて走った。
ようやくこれで拘束生活から解放されたと、一緒に乗って来てしまった看護師の女性にもその事を告げ、自由の身になったんだからどこへ行ってもいいと勧めた。
しばらく黙っていた看護師の女性だったが、自分はあの島で生まれ育ち、あの島を守る事が自分の使命だから戻りますと、きっぱりと言い放って島へ戻って行った。

とまあ、ここでこの夢は終わりました。
文章にするとかなり長いけど、実際にはどのくらいの時間をかけてこの夢を見てたんでしょうかね。
夢の時間など計りようもないけど、興味はありますね。
それにしてもところどころリアルで、「両手首をヒモで縛られ」は、ミトンの手袋をはめられていて、手首はマジックテープとヒモでまさしくその通りにされていたし、「どこかに縛り付けられていた」と言うのもベッドサイドの柵に結ばれていたんです。
窓ガラスを挟んで病院施設と自分の家って言うのは、外科病棟のICUで治療されていた時の風景そのものでした。
「安定剤・催眠剤・精神神経用剤などを多量に投与されて思考回路を洗脳され」と言うのは、私自身、管を抜去してしまった時に同じような処置をされ、それが幻覚を見て錯乱状態になった原因の1つだと思っていますし、脱出に失敗した後に注射されたくだりは、やはり幻覚と錯乱状態の時にされた処置そのものの事だったようです。

「朝食」
・にゅう麺

「昼食」
・月見そば(天かす入り)
・焼きおにぎり1個

「夕食」
・ごはん
・チキンクリームシチュー(鶏肉、ジャガイモ、玉ネギ、人参、ブロッコリー)

「デザート」
・プチエクレア
・カフェラテエスプレッソ

今日のBW:61kg
最高0.2(12:57)、最低 マイナス5.1(03:47)、積雪量32センチ

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風邪が治りません。
鼻詰まりも治らなくて、苦しいです。
それも、鼻の左側だけが詰まる。
味覚障害が起きてしまって、味とニオイが分からなくなってしまいました。
家でおとなしくして、風邪薬もまじめに飲んでるのに治らないなんて、やっぱり抵抗力と体力の低下が原因なんでしょうか。
旨いもん(栄養のあるもの)食って、温かくしてるのに、後は寝てれば治るのなら寝てますけど。
重ね着をしていたら暑くてボーっとしてきたので脱いで、パジャマ姿でしばらくいたら、鼻詰まりが軽減されました。
薄着、しかもパジャマ姿でフラフラしているのは良くないと思いながらも、温め過ぎも良くないんだなと認識した次第です。

まだある入院中の話。
意識が行ったり来たりしている時に、色々な夢を見ました。
その夢が現実と交錯して、看護スタッフに対し暴言を吐いたり暴れたりしたようです。
その時に見ていた夢のほとんどが、手を拘束されている事に関連した事ばかりでした。
ただ、最初の頃に見た夢は違いました。
これから思い出すままに見た夢と、現実が交錯して混乱し、奥さんから聞いた話や私の意識がふと戻った瞬間に行っていた言動を書いてみたいと思います。
①私が、怪しげなショップから非合法的で怪しげなニオイが出る装置を買いました。
その装置から出るニオイを嗅いだり吸引すると、その装置に書いてある現象を疑似体験できたり、気持ちが良くなったり元気が出たりするんです。
その装置を買うのは2回目で、そのうち使おうと職場に置いておいたら私が入院してしまい、退院してその装置を見るといつの間にか外来看護主任が作動させてしまっていました。
誰にも言わず私だけが楽しんでいたのに、私が不在の間に職場の職員の多くに知れ渡ってしまい、皆がそのニオイの「とりこ」になっていて、ある女性職員は私に内緒でその装置の販売ショップに連絡をして、職場内で販売の取り次ぎまで始めていました。
非合法的な装置であるのに、「それってヤバいよ」とその職員に言っても、その時は聞いたような態度をしても秘かに商売を続けていました。
一番最初にその装置を買ったのは私ですから、売れ行きが上がってるのをいい事に、ショップの密売人が私に面会を求めてきました。
私はヤバい事には手を染めたくなかったので居留守を使って、勤務しながら入院しているシチュエーションの中で、取り次ぎ販売している女性職員や購入者を集めてセミナーのようなものを職場で開催し始めました。
私としては、それ以上関わりたくなかったので、購入分の支払いを振り込んで済ませようしたんですが、入院しているので銀行には行けずに焦っていました。
奥さんに振り込みを頼もうにも、非合法なものなので言い出せずに更に焦りながら療養していたら、奥さんが来た時にふと嗅いだ事があるニオイが漂ってきたんです。
まさかと思って奥さんを問い詰めると、ニヤッと笑ってスルーされました。
そう、そのニオイこそ、非合法で怪しいニオイそのものだと分かったんです。
1度でも嗅いだ事があれば絶対に忘れる事が出来ない独特のニオイ、病院内を散歩していて出会った別の女性職員は、仕事が終わったから帰ると言いながらその装置を取り出して 吸引し始め、スッキリしたと言って笑いながら帰って行きました。
夢の中で自分が入院している病院と、勤務している病院がゴッチャになっていて、実際には両病院は遠く離れているのに夢の中では廊下でつながっていました。
取り次いでいた女性職員の元に買いに来る人間の中には、医師・看護師など多くの医療スタッフもいて、だんだんその装置の存在が口コミで広まって行き、そのうちスーツ姿の男女2名が院内をうろつくようになったと思ったら、その2名は薬物犯罪担当の刑事で、その姿を察した密売人は消えて来なくなりました。

とまあ、この夢の話はこれで終わり。
辻褄が合わない、おかしな夢でしょ。
でも、今でも覚えているくらいはっきりとした夢だったんです。

②入院生活の中で、ヒマだから本でも読もうと奥さんに、着てきたダウンのポケットに文庫本 を入れて持ってきたはずだから出してくれと頼みました。
奥さんは、「そんなものは持ってきてないよ」と。
いや、確かに持ってきたはずだからもう一回見てくれと言ったんですが、やはり「ない」との返事でした。
そんなはずはないと私は怒りだし、ベッドから降りてダウンのポケットに手を入れると、持ってきたはずの文庫本が入ってなかった。
「おかしいな」と思いつつ、その時はそれで終わった(夢の中で)んです。
またある時に、同じ事を奥さんに頼んだんですが、やはり持ってきてないと返事が返ってきたので、またベッドから降りてダウンのポケットに手を入れると、文庫本が入っていました。
「ほら見ろ!あるじゃないかっ!」と、奥さんを叱責したんです。
次に、喉が渇いたけど、水は飲んではいけないと言われていたので、水の代わりに唾液を出せば少しは渇きを癒せると思い、酸味のあるガム状の清涼食品、タブレットタイプで言ったらミンティアとかフリスクのようなもので平べったいものを、これまたダウンのポケットに入れてあったから出してくれと奥さんに頼みました。
奥さんの返事はまたもや「持ってきてないよ」と。
今度もそんなはずはないと、自分でポケットに手を入れて探しましたが見つからない。
持ってきてなかったかと、奥さんに家に置いてきたから持ってきてと頼んだんですが、返事はなかった。

実際に、奥さんに文庫本を出せと、意識が少し戻った時に言ったらしいです。
「文庫本を出せ」を2回言ったのは、夢の中では時間が経ってからなんですが、実際には続けてその夢を見ていたのかもしれません。
そもそも、救急車で運ばれた入院時にダウンのジャンバーなど着てきたはずもなく、その時はまだブルゾンで十分な気温だったんですから、この時点でも記憶が混乱していましたね。
清涼食品は、ショルダーバッグにグレープフルーツ味のタブレットが入っていたので、なぜかそれを思い出したのかもしれません。

「朝食」
・自家製パンのトースト&バター
・ベーコンエッグ
・クラムチャウダー

「昼食」
・ブイヤベース風シーフードヌードル
・おにぎり(黒毛和牛のうまか煮)

「夕食」
・あんかけ焼きそば(豚肉、玉ネギ、人参、筍、うずらの卵、キクラゲ、椎茸)

「デザート」
・生八つ橋

今日のBW:61kg
最高 マイナス2.1(12:27)、最低 マイナス5.6(20:59)、積雪量28センチ

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風邪引いちゃいました。
熱はなく、鼻詰まりとくしゃみがメインで、鼻の周りに固まったような風邪です。
2日前頃から、鼻の真下の歯茎がポッコリ腫れて、これが風邪の前兆、「風邪の華」ってやつだったようです。
昨日朝起きた時にはすでに鼻声になっていて、その日1日間は解熱鎮痛消炎剤と抗菌剤を飲んでたんですけど、昨夜寝る前頃から鼻詰まりがひどくなりました。
布団に入ると体が温まって、なお鼻詰まりがひどくなり、呼吸困難になるんじゃないかと思うくらいにまでなってしまった。
夜中にトイレに起きた時もくしゃみの連発で、とうとう我慢できずに眠気を催す抗ヒスタミン薬が入った風邪薬を飲んでしまいました。
すると、あっという間に鼻詰まりは解消され、その後は朝まで爆睡。
今朝7時半頃に目覚めた時には、薬の効果が切れていたらしく、またもや酷い鼻詰まりとくしゃみの連発。
すぐに抗アレルギー剤を飲んだんですけど、これは全く効果なし。
空腹でしたけど、夜中に飲んだのと同じ抗ヒスタミン薬入り風邪薬を飲むと、あっという間に鼻詰まりは解消され、呼吸困難で病院送りにならずに済みました。
ただ、眠気はさほどではなかったものの、鼻の周りを中心とした顔と頭が多少ボーっとしてました。
さすがに、昼食後には強烈な眠気に襲われて、1時間弱ほど寝てしまいましたけど。
退院日を1日目とカウントすると、今日でようやく退院5日目。
この間、全く自宅から出てないんですが、シャワーを浴びた後に傷口とストーマの処置をしてもらうためにしばらく腹を出していたのと、処置の後に弟が訪ねてきて、パジャマ姿のまま玄関で対応して寒い思いをしたのが風邪を引いた原因かもしれません。
日中は、パジャマの上に服を重ね着して、暖かい恰好で過ごしていたんですが、やはり手術の影響で抵抗力も体力も奪われてしまっているんでしょうね。
引きこもり状態でこうですから、まだしばらくは外出は控えようと思います。

今日も入院中の話。
両手を拘束されたまま個室に戻されて、落ち着いたかと思ったらさにあらず。
意識が行ったり来たりで、「まだら」な意識の中で周りに対応していたようです。
奥さんも、横で見ていて大丈夫だと思ってお見舞いに来た外来看護主任と薬局の助手を病室に招き入れたそうですが、私は全く覚えていないし、何を話したかも覚えていないけど、辻褄の合わない事をしゃべっていたと後になって聞かされました。
弟夫婦がお見舞いに来た時も、一瞬だけ弟の顔が見えたという記憶しかない、しゃべった内容など全く覚えていないんです。
意識がなく寝ていた時は、常に夢を見ていたようです。
その夢が、意識が戻った時に現実と入り混じって、自分でも何をしたか何を言ったかも覚えていない。
夢で見た事を喚き散らして、幻覚を見ているような、錯乱状態に陥ってるように周りの人には見えた事でしょう。
特に、常に接していた看護スタッフには、夢で見ていた内容をぶつけて暴言を吐いたり、手の拘束から解き放たれようと暴れて、センサーを外したりして迷惑をかけた事でしょう。
手が付けられなくて奥さんが呼ばれた事もあったそうです。
ただ、この時も私が奥さんを呼べと言ったと言う話になっていますが、混乱している私がそんな事を言うはずがない。
看護スタッフが、錯乱状態になっている私に、何度も「奥さんを呼びますか?」と聞いたらしく、その時に私が呼べと言った事になってるんでしょうね。
奥さんが仕事中に呼ばれて病院に来た時には、私を何人かの看護師が取り巻いていて、ただ遠巻きに見ていただけだったと言っていました。
飛んで来た奥さんの顔を見た私は、動きを止めて奥さんの顔を見たそうですが、その瞬間に看護師が私に注射をして、私を寝かせてしまったと奥さんは言っていました。
錯乱状態になっていたと言っても、凶器を持って暴れてる訳でもない私に、何人もの看護師が手をこまねいて見ているだけで、わざわざ仕事をしている奥さんを呼びだす事もなかったんじゃないかと思う。
錯乱状態の患者を初めて見た訳でもなかろうに、何のための看護師よ!学校で何を勉強してきた!今まで何を経験してきた!
後でこの話を聞いて、改めてここの看護師達はレベルが低いと確信しました。
同じ病棟に認知症気味の患者が何人かいましたが、聞こえてくる看護師の声は常に高圧的で、上手く言いくるめるとか根気良く何度も諭すとかある程度相手が納得するまで話を聞いてやるとかと言う看護技術が全くないなと感じました。
私に言わせれば、認知症患者も錯乱状態の患者も扱い方は同じで、頭ごなしに怒鳴りつけても理解できなくなってる状態なんだし、面倒な手間がかかる患者は寝かせてしまえばいいってものじゃないんだけどな。

幻覚って初めて経験しましたけど、凄いものですねぇ。
天井に設置してあるレールからぶら下げてあった点滴数本が、ある時グニャグニャ動いて変化し始めて、いつの間にか何種類もの乳飲料や清涼飲料の容器の塊になって行ったんです。
ベッド横に掛ってたカーテンの色が変化し始めて、茶色いモヤモヤが出てき始め、それがカーテンを這って天井に届き、天井の照明や火災報知機、張ってある天井の板を覆いつくしてしまいました。
それと同時に、カーテンがそのモヤモヤできれいに洗濯される様な風に見えて、「幻臭」とでも言えばいいんでしょうか、その時の洗剤の臭いが強烈に鼻についていたんです。
そのカーテンは、毎週土曜日に洗濯されるとまで自分の中で思い込んでいた。
恐いという感覚はなく、そのモヤモヤと点滴容器が動いて変化していくのを黙って見ていましたが、病室に来た男性看護師に点滴容器が変化していないか、カーテンは毎週洗濯されているのかと、洗濯の時の洗剤の臭いがすると言った覚えがあります。
もちろん、点滴は普通ですよと答えがありましたし、洗濯は「そうですか?」との答えでスルーされましたが。
意識が普通になってのち、その病室のカーテンは私が退院するまでの少なくとも1ヶ月は交換も洗濯もされませんでした。
天井の板には、小さな波型の穴と小さい丸の穴がまんべんなく施されていましたが、それを見てると徐々に動いて顔になったり風景になったり色が変わったりしていました。
奥さんに「天井のあれってうごいてるか?」と聞いたんですが、当然「動いてないよ」と笑ってあしらわれました。
動いてるし色も変わってると言っても、奥さんは私が幻覚を見てると分かっていたからそう答えたんだと思う。
そう言った状況がしばらく続いた後、改めて天井を見ると、小さな波型の穴の周りを囲むように開けられた小さな丸い穴1つ1つに番号が振ってありました。
恐らくこれも幻覚だったんでしょう、実際にはそんなのはありませんでしたから。
テレビドラマで、覚せい剤常習者が薬が切れた「離脱症状」を再現したシーンを見た事があるかと思います。
冷や汗や脂汗をかいて、壁に虫が這ってるとか誰かが襲ってくるとか言いながら怯えるシーンですけど、私も実際に壁に白い虫がたくさん這ってるのを見ましたよ。
これは1回だけでしたが、なぜかこの時は冷静で、「ああ、あれか」と気にもしませんでしたが、これも明らかに幻覚ですよね。

「朝食」
・参鶏湯風スープ

「空腹凌ぎ」
・野菜チップス

「昼食」
・塩ラーメン(チャーシュー、メンマ、味玉、長ネギ)

「おやつ」
・プチエクレア
・カフェラテ

「夕食」
・ごはん
・銀聖鮭といくらの漬け
・肉豆腐(焼き豆腐、牛切り落とし、玉ネギ、人参)

今日のBW:61kg
最高0.1(10:01)、最低 マイナス5.4(23:28)、積雪量18センチ

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今日もまた天気が崩れて、午後8時過ぎ、奥さんが出勤してから猛吹雪になりました。
登別・室蘭の停電ですが、いまだに8千戸以上が停電していて、仮復旧するのが明日の午後になると北電から発表されています。
これとて確実な事じゃない訳ですから、作業に携わる人達の懸命な努力に期待するしかないですね。

さて、今日も入院中の話を。
どのくらいICUに置かれていたのか、ある程度容態が安定して、意識もほぼ戻ったとドクターが判断したんでしょう。
ある時に看護師が何人か来て、私をストレッチャータイプのベッドごと個室へ移動させました。
移された部屋の窓から差し込む外の光がとても眩しく感じ、昼間なんだと言うのは理解できたけど、その時が何時なのかまでは分からなかった。
残念ながら、個室に移されてからしばらくの奥さんとの会話はほとんど覚えていない。
いつ来たのか分からないけど、外科ドクター3人が回診に来た時に、その中の1人が私に「点滴が落ちるのを見てたらおかしくなりますよ」と。
「術後のうつ病になる事があるから、できるだけ窓の外を見てた方がいいですよ」と言ってくれたのははっきりと覚えているんです。
でも、その時にはもう手遅れだったと思うし、うつ病どころの状態じゃ済まない状態になってしまったし。
これ以降の文章は、時系列が自分の中でグチャグチャで時間の感覚も全く分からなくなっていったので、思い出すままに書いていくので、順序は時間の経過とは関係ないことをお断りしておきます。
個室に移って以降は、行き来する意識の中で見た夢が現実と交錯し、夢の中で見ていたであろう出来事ははっきり覚えていて、ふと意識が戻った時には被害妄想、錯乱状態になって、幻覚の中に埋もれてしまってたらしいんです。
個室に移されたその夜だったんでしょうか何日か後だったんでしょうか、夢うつつの中の話ですが、奥さんとテレビを見ていて奥さんが帰るというので私はもう少しテレビを見てから寝ると言い、さあ寝ようと思ったら左手の指に何かが付いてくるのを感じたんです。
それを振り払おうと左手を高く挙げたら、鼻と喉の奥に違和感を感じ、何かヌルヌルした長い管のようなものが出てきました。
更に振り払おうとその管を引き抜こうとすると、右首辺りにもっと多くのひものようなものが付いていたので、それを横に除けようとしたようです。
すると、看護師の大声が聞こえ、「何やってるんですか!IVHが抜けたら大変な事になるでしょ!」と、私の手から管を取って手を振り払いながらもの凄い剣幕で怒鳴ってきました。
「ダメだこれ!」とか、「ちょっと誰か来て!」とか、「ったくもう」とか、「チッ!」と舌打ちする音や声が聞こえた。
そして、ストレッチャータイプのベッドを点滴が何本もぶら下がっていたゲートル台ごと、私を個室から出してどこか別の、窓ガラスから白衣の人達が動いているのが見える部屋に運んでいきました。
その運び方も、怒りにまかせてものすごい勢いとスピードで、ベッドとゲートル台がガチャガチャぶつかる音を響かせ、振り落とされるんじゃないか、ゲートル台を倒しそうにもなったので、それ倒したら点滴のチューブが引っ張られてIVHが抜けてもっと大変な事になるぞと言う感じで運ばれました。
「何かあったらナースコールを押す約束でしょっ!」
「何で私の時にこんなことするかなぁ!」
私としては、まだ意識が朦朧としてたし、自分で何をしたのかさえ理解できてなかったのに、頭ごなしに怒鳴られて虐待ともとれるような言動をされた事で、何も言えずただただ大人しく目をつぶってるしかなかったです。
ところで、緊急入院緊急手術をして、麻酔が覚めてもまだ意識が朦朧としている私に、どこの誰が「ナースコールを押す約束」なんかしたんだ?
そんな意識状態の私に看護師の誰かが言ったとしても、私が理解できる状態だと思ったのか?
しばらくしてこの看護師が戻って来て、「はい口開けて!」と怒ったように言うので口を開けると、ピュッと液体を口の中に入れたんです。
口の中に広がった液体を味わうと、ほんのり甘くて後から多少苦い。
ははぁ、これは統合失調症(以前の精神分裂病)に処方される抗精神病薬のあれだなと、この時はなぜか職業意識が目覚めたんですね。
常に寝たり起きたりしてる自分にこんな薬が効く訳ないと思ったら案の定、この後も寝た振りをしながら幻覚と錯乱状態と普通の意識状態が入れ替わり立ち替わり私の中にあらわれていたようです。
また看護師が来て、「あなたが管を抜いちゃったから、また入れますからね!」と、私が世界一の悪者みたいな言い方で鼻から強引に管を入れて固定して、さらに、「もう抜かないように手袋をしてもらいますから!」と、ミトンの手袋を両手にはめてベッドサイドレールに縛りつけてどこかへ行ってしまいました。
この拘束行為が、私の幻覚と錯乱状態を加速させた原因の1つだと思っています。
夜勤帯で人数が少なくなった看護師が、面倒な患者を眠らせて動けなくしてしまえば、自分の仕事が楽になると考えるのは当然かもしれません。
抗精神病薬の投与も、夜勤当番の医師から指示を貰って私に投与したんでしょうが、3人もいる外科の医師団の誰1人として私の状態を見にも来なかったっていう事は、術後に私のような状態になって経管抜去する患者などざらにいるって事かも。
だったら、そんな患者の対応など何度も経験してるだろうし、異常とも思えるほど怒り狂う看護師の方がおかしいと思うけどね。
どのくらい時間が経ったか、寝たような寝てないような時間が過ぎ、気がつくと縛りつけられたひもをほどこうとしてたし、手袋を外そうとしてた。
無駄な抵抗だったんですが、自分の中では必死に続けてましたね。
そのうち看護師が来て、「寝て下さいね」と、それまでよりは若干口調が柔らかくなっていたけど、相変わらず命令するような言い方で言い放って出て行った。
次に来た時にも「眠れますか?」と聞くので、「いいえ」と答えてみたら、「じゃあ、注射しましょう」と言って注射器を持ってきて、私の二の腕に注射して、「これで眠れますから」と言い、窓から見える別室に行ってしまった。
うつらうつら、寝たり起きたり、意識が消えたり戻ったりを繰り返していたら、周りの声がにぎやかになってくる感じがして、聞き覚えのある声に反応して目を開けると、驚いた表情で「どうしたの?」と私の近寄ってくる奥さんの顔が見えた。
状況は日勤の看護師が説明したんでしょう、「移ったはずの個室に行ったら空っぽでいないから、どうしたのかと思った」と、またまた奥さんにいらん心配をかけてしまった事に、意識が清明になってから反省しました。
でもその時は、自分でも何をしてるかわかってなかったので、どうしようもなかったんです。
奥さんが来た事で、またICUから個室に戻されたんでしょうか。
戻っても、手袋とサイドレールへの拘束はしばらく続きました。
そして、拘束された事に関する夢と幻覚と、外そうとしてベッド上で暴れる行為がどんどん酷くなっていったんです。

私が抜いてしまった管は、胃の中の液体を体外に排出するために入れた管で、その管を入れる前に3度嘔吐していました。
吐物は茶褐色で黒っぽい液体で、どう見ても消化管からの出血が混じっているようにしか見えなかったんですが、その時に来た看護師に聞くと血液じゃないという。
本当かよと思いながらも、管を入れて吸い出したら楽になるというので入れてもらったんですが、その管を入れて固定したのが若い看護師で、鼻から出た管は顔に触れるくらいの位置で固定しなければならないのに、管の中を通る液体が私から見えるくらい顔から離れて固定しちゃったんです。
意識がはっきりしている時は管を流れる液体を見て楽しんでいましたが、朦朧状態では無意識のうちに顔に手を近付けたら、その顔から離れて走る管を引っ掛けてしまう恐れは十分に予想された事でしょう。
これって、明らかに看護師による医療ミスだと思うし、夜勤の看護師の虐待にも似た行為と暴言を文章にして院長宛てや病院本部宛て、マスコミなんかに送付したら・・・、目も当てられない事態になるかもね。

「朝食」
・納豆卵かけごはん
・漬物
・残り物

「昼食」
・鶏南蛮そば

「空腹凌ぎ」
・バナナチップス

「夕食」
・豚汁うどん

「夜食」
・肉まん

今日のBW:61kg
最高5.8(05:15)、最低 マイナス1.4(23:24)、積雪量1センチ

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HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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