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管理人の食卓風景と日常の日記
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昨日までの暴風雪は収まったが、朝からどんより曇り空。
午後からまた雪が降り出して、ますます積もりそうな勢いです。
まだ鼻がグシュグシュしていて、時々咳も出ますけど、もう家にこもってばかりもいられない。
吹雪いてはいたけど、食料や日用品で必要なものがあったので、退院後初めて、いつもの総合スーパーへ行きました。
雑貨、日用品を探して購入し、地下の食料品売り場をじっくり見て、色々と買ってきました。
私が入院する前に来た時には、生サンマやサンマの刺身が大きなスペースを取って売られていたのに、もう今はその姿はどこにもありませんでした。
12月なんですから当たり前なんですけど、冗談めいてその事を奥さんに言うと、もう冬だからと当たり前の返事が返ってきました。
いつも鮮魚売り場を見ると季節が分かります。
そろそろ数の子も並べられ、年末年始用の食材がお目見えし始めてました。
そうそう、鮮魚じゃないですけど、畜産品売り場にはスライスしてないロースハムがドンと置かれ、クリスマス用らしい鶏が丸々1羽、ローストチキン用として売られていました。
売り場中央には、クリスマス用のお菓子、お菓子が詰められたサンタさんの長靴、ノンアルコールのスパークリングワイン風清涼飲料も積み上げられてましたね。
私の中の季節感は、10月中旬で止まっていましたが、食料品売り場を見てようやく季節感が年末年始に向けて追いついてきたような気がします。
奥さんと2人して両手にたくさんの荷物になってしまったので、一旦自宅に戻って荷物を置き、再びドラッグストアーに行きました。
最近絶対に必要なものは、私の処置に使う「トイレに流せるおしりふき」。
最初の頃は上手く行かず、1回に10枚近く使ってしまった事もありましたが、最近は慣れてきて、それでも1回に5枚や6枚は使うので、予備をたくさん置いておかないと心配なんでね。
結構歩いたし、荷物も持って運んだので、途中で傷の縫合部の引きつりが痛みだして、さらに消耗してしまった腹筋がまた筋肉痛になってきましたが、もう甘えてばかりもいられませんので、何とかこらえて帰宅しました。
それでも、先月初めての外出で、無理して買い物や用事を足しに行って歩いた時から見たら、痛みもさほどではなくなってましたから、時間が経ってだいぶ回復したんじゃないかと思っています。
昨日、病院に通院した時、今季初めての雪道を歩いたり、病院内をウロウロしたり、バス停から歩いてきたりしたので、昨夜寝る前あたりから両足のアキレス腱付近からふくらはぎにかけてが痛みだしたので筋肉痛になったらしい。
本当に「ヤワ」になってしまったもんだとショックを受けてた私であった(^^ゞ
こんな事ではイカン!!!
次の手術に耐えられるように、前回手術で消耗しなくなってしまった筋肉を回復させ、体力をもっとつけなくては。

入院中に見た色々な夢の事を書いてきましたけど、次の入院予定も決まりましたし、10月17日から11月26日までの41日間の入院生活、退院後も今日で12日目になり、入院初期の頃に見ていた夢の話ですからだんだん記憶も薄れてあやふやになってきたので、今日の分をもって終わりにします。
⑨手術を受けた自分は、首の大静脈にIVH(高カロリー輸液)を設置され、天井のレールから吊り下げられた金属のフックに点滴のバッグが何袋もぶら下げられ、時にはそのルートに抗生物質製剤の小さなボトルが連結されて、全くの絶食絶飲状態だった。
輸液にはそれなりのブドウ糖が入っているから、空腹感は感じない。
水分もどんどん入っているから喉の渇きもないだろうと思ったら大間違い。
尿として出た分を計量し、自然発汗で蒸発する分の水分も考慮して、1日に何ミリリットル補給すればいいのかを決定する。
この水分の出納(イン-アウト)を重視するのは当然の事として行われ、これを間違うと大変な事になり、多過ぎると血中のイオンバランスが崩れて低ナトリウム血症・低カリウム血症などを起こして、臓器の機能不全や生命維持に必要な機能が低下する事がある。
少くな過ぎると、脱水と言う形で現れ、喉の渇き・発熱・血液凝固・心拍低下などから死に至る。
それでも病院内は異常に乾燥していて、点滴の水分だけでは足りないくらい体表面から水分が蒸発してる事を口を、ドクター達は知る由もないのだろう。
そのため、湿らせるだけと看護師に言って吸い口で水を口に入れてもらい、口の中を水でクチュクチュしてるような顔をして、ゴックンと飲み込んでいた。
飲んだ水は、胃に入れられている管から吸い上げられ、吸収される事はないのだが、その時はそれで満足していた。
術後しばらくは、口に入れられるものはその水だけ。

常にうつらうつらしている状態でも、廊下を押すカートの音は嫌と言うほど聞こえてくるので、食事時間だと言うのは毎回想像ついたんです。
本来水を飲む許可がまだ出てない私の所に看護助手が毎食前に、「水はいかがですか」と聞きに来て、食事を運んでくるカートは金属製で古いのか、キャスターの車輪がガチャガチャゴロゴロガタガタ大きな音をさせるし、配膳も大声でするので嫌がらせかと思った事もありました。
ただ、空腹感は全くなかったので、食事をできる人が羨ましいと思った事はなかったですね。

ある時、ふと香ばしい匂いが漂ってきている事に気付いた。
また食事の時間かと思っていたが、それにしては病室の外で料理しているような、直接的な匂いが漂っているので、これは何かおかしいと思うようになった。
何の匂いだろう・・・。
うつろな記憶の糸を手繰って行くと、これはレーズンパンの匂い!それもトーストしてる匂いだ!
普通、レーズンパンをトーストする事はないはずだが、まあそれも食べる人の好みだからとやかく言う事はないのだが。
私はレーズンパンが特別好きと言う事はないのだが、さすがにこの香ばしい匂いを嗅がされると、思わず生唾を飲み込んでしまいそうになる。
廊下の方を見ると掛っていたはずのカーテンが開けられていて、食事風景が見えた。
まるでジョギングを終えたばかりのようなランニングシャツと短パン姿の、白髪で健康そうな老人男性が数人テーブルの周りに集まって談笑していた。
話を聞いていると、全員患者ではなく、この病院の運営組織のお偉いさん達らしい。
ジョギングじゃないかもしれないが、健康のため体を動かしてきた後とかで、これから夕食会だと。
何故病棟の廊下にテーブルを置いて食事会なのか。
しかもレーズンパンはトースターじゃなく炭火に網を置いてその上で焼いてる。
何考えてるんだこいつら?
テーブルの上にはワイングラスが人数分セットされていて、各自が座って勝手に白ワインを注いで飲んでる。
これは堪らん!
程良く焼けたらしいレーズンパンからの香ばしい匂いを、深呼吸するように体内に取り入れ、思わず喉を鳴らしてしまった。

これもここで終わり。
よく分からないシチュエーションでしたが、恐らく食べたい、食べなければという本能が表に出た夢なんでしょう。
もっとも、食べる許可が出てからと言うもの、毎食毎食が時間の間隔が短く感じられて(午前8時、正午、午後6時だったので、言うほど短時間に配膳されてた訳ではないんですけど)、食事が仕事か義務か修行のように感じられました。

「朝食」
・玉子ロールサンド
・ベーコンエッグデニッシュ
・クラムチャウダー

「昼食」
・生パスタ チキンのポルチーニクリーム(ガーリック風味グリルチキン、エリンギ、ぶなしめじ、ブロッコリー、パセリ)2/3量
・炒麺(イターメン)(もやし、玉ネギ、人参、豚肉そぼろ、キクラゲ、ピーマン他)1/3量

「夕食」
・ごはん
・きゅうりの漬物
・まぐろ納豆
・刺身(ハマチ、サーモン、つぶ、ズワイ、甘エビ、鯛、マグロ、うに、いくら、ホタテ)

「おやつ」
・メープルクルーラー
・カフェラテ

今日のBW:61kg
最高 マイナス1.7(24:00)、最低 マイナス5.6(00:09)、積雪量37センチ

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今日も道内は猛吹雪で、全道各地で被害や大きな影響が出たようです。
公共交通機関は、JR、飛行機、高速道路と一部の国道に運休・欠航・通行止めが出て、道内各地の小中学校では朝から休校となっているところも。
今年はどうした訳か、各地で猛吹雪の影響で数千世帯が停電になってるようです。
わが街も昨日に続いて猛吹雪が続き、窓から外を見ても視界がほとんどない時間帯が続きました。
そんな中、午前7時40分頃にタクシーを呼んで、退院後初めての外来受診のため病院へ行ってきました。
車道は、降った雪が踏み固められ、スタッドレスタイヤで磨かれたのと強風の影響でピカピカのアイスバーンになっていて、タクシーもタイヤを何度も空転させながらの走行でした。
しばらく走ったところの大きな交差点で、左から右折してきたワゴン車がタクシーの少し前で思いっきりスピン。
運転手は何事もなかったかのように流れに乗り直して走り去りましたが、タクシー運転手の話では、右折時にアクセルを踏んでタイヤにパワーを掛けてしまったから滑ったんだと。
私も経験がありますが、左折はもちろん、右折の緩やかなカーブでも下手にパワーを掛けると、いとも簡単にケツを振ってしまうんです。
私の車は四駆でしたから、このような状況でパワーを掛け過ぎると、車全体が右折なら左へ、左折なら右へ流されしまいました。
こういう路面状況での運転は、スピードを落としてエンジンブレーキが効きすぎないように、惰性で曲がるのが一番安全なんですが、運転が下手な人に限って前の車に遅れないようにとか、信号が変わるから急がなきゃとアクセルを踏んでしまうんですよ。
まあ、雪道の走行、特にアイスバーン路面での走行は、何度か死ぬ思いをしなけりゃ分からないし上達しないんですよ。
でも、他人様を巻き込んで迷惑を掛けるのだけは止めて欲しいですね。

受付を済ませ、診察が開始されてほどなく私が呼ばれて、まずは採血して血液検査。
血を止めながらレントゲン検査科へ行って、腹部のレントゲン写真を2枚撮った。
検査結果が出てから診察と言われ、待って待って待って、1時間半ほど待たされてようやく診察室に呼ばれました。
入院時の主治医だったドクターの診察日で、診察室に入るとすぐ「お待たせしてすいません」と謝罪され、血液検査は肝機能が相当良くなってると。
そりゃそうです、緊急入院の日以来、一滴も酒を飲んでないんですから、かれこれもう1ヶ月と3週間の禁酒状態なんですから。
もちろん、退院しても本当に1滴も飲んでないから・・・(^^ゞ
腹部に傷を診て、腹部レントゲンでも異常はないと。
服を着直して椅子に座り、来年の手術予定の話になりました。
もうドクターの中ではスケジュールは決まっていたんでしょう、次回は1月11日の金曜日に外来受診の予約をして、その時にできる検査をし、その後の数日間か前日に入院して、16日に手術と言う事で決まりました(と言うか、決めてたんでしょうドクターは)。
「大変な正月になりますけど、もうしばらく我慢してください」と、ドクターから有難いお言葉を頂いて今日の診察は終わり。
外来看護師の言い方では、手術前日の15日に入院と言う事にもう決まってるような感じでしたけど;
まあ、あんまり早く入院しても落ち着かないし、とりあえず元気だから術前は大部屋に入れられると思うので、他の患者に気を使うのは短いほうがいいしね。
前日に入院して、何も考える間もなく、あれよあれよと言う間に手術室に連れていかれて、さっさと終わってさっさと退院ってのが良いのかもね。
会計を終って外に出ると、前が見えないほどの猛吹雪。
タクシーをつかもうとしても、こういう時に限って来ない。
バスが来たからそれに乗ろうと停留所へ急いで走ったら、日帰り温泉の送迎バスだった;
雪だるまになりながらタクシーが来るのを待ったけど、来ないんですよ。
どうしようもないけどタクシーかバスを待ってたら、今度こそバスが来たようなので、どこに停まるかも分からないままに飛び乗った。
いや~、ひどい雪でした。
また風邪がぶり返したら、誰が責任を取ってくれんねん!(怒)

午後5時18分ごろに地震がありましたね。
ソファーに座ってテレビを見ていたら、何か体が揺れるような気がしたので、めまいでもしてるのかと思ったけど、ハッと気づいて照明のヒモを見たら大きく揺れたので地震だと気付きました。
一旦収まったかと思ったら、また揺れ始めて、結構長く揺れてましたねぇ。
収まってからすぐに国営放送にチャンネルを変えたら、宮城県沿岸に津波警報が出ててアナウンサーが絶叫してました。
「東日本大震災を思い出して下さい!高台に逃げてください!命を最優先にしてください!・・・」
わが街は震度2でしたけど、今夜は奥さんが私が退院して以降初めての夜勤のため不在で、私1人でお留守番だったため、揺れてる最中は「どうしよう、どうしよう」とウロウロしてしまいました(^^ゞ
暴風雪の次は地震ですよ。
自然の事なのでどうしようもないけど、嫌ですね~、恐いですね~。
寝てる夜中でなくて良かったと、ちょっと胸を撫で下ろした私でした。

今まで結構長い話を文章にしてきましたが、時には短い夢も見ていました。
短い夢は、エンディングがないと言うか「オチ」がないと言うか、意味不明な夢が更に意味不明のまま終わってる事が多いんです。
⑧なぜか温泉ホテルの1室にいる。
ドアが開くと白衣姿の看護師と医師が入って来て、「さあ行きますよ」と言って、私が寝かされていたストレッチャーを押してどこかへ向かい始めた。
もちろん、両手首は縛られてサイドレールに固定されたままである。
廊下を進んでいくと、温泉ホテルらしく浴衣を着て風呂から上がってきたのかタオルで汗を拭きながら歩いている人とすれ違う。
ここは大広間らしい。
結構な客がいて、日帰りで温泉を楽しんでいるようだ。
すれ違う客は、私を憐れむように見ているのか、好奇の目で見ているのか、とにかく視線が痛い。
エレベーターに乗せられようとしたが、ベッドが丸々入ってなお余裕がある病院の大きなエレベーターと違って、さすがに温泉ホテルの、しかも従業員用の小さめなエレベーターではストレッチャーごと入れるのは難しいようだ。
それでも何とかしようと、強引にストレッチャーを押し込み、点滴をぶら下げたゲートル台までは入らないので、点滴を手に持った小柄で細い看護師がストレッチャーの私に乗り掛るように、エレベーターに乗り込んできた。
どうやら地下に着いたらしい。
ストレッチャーをエレベーターから降ろし、廊下を押し出した。
厨房があり、更に奥へ行くと、廊下横に金属製のドアが見えた。
看護師がそのドアを開けると、そこにはホテルには絶対にないCT検査の器械が置いてあった。
温泉ホテルにCT???
看護師達と医師が、私をストレッチャーからCTの台に移して寝かせた。
窓に向こうには検査技師らしい姿も見える。
ドアが開くと、若い女性とカメラを手に持った私服の男性が入ってきた。
「一体何をするんですか?」と看護師に聞くと、先日の続きの撮影をすると。
先日の?撮影?
そう言えば、かすかな記憶だったが、同じようなシチュエーションで若いモデルの女性と、病院の労働組合の待遇改善を訴えるパンフレットに使う写真を撮影されたような。
入院中の私に、CTの撮影準備中と言う状況でのモデルの依頼があったのを思い出した。
ただ寝てるだけだからと言うので、世話になってる病院スタッフの依頼を受けたのだが、あの時はCTの器械に体をセットする中途半端な格好をさせられて、なぜか横に新車発表会の時のように若い女性モデルが立ってポーズをとると言った写真を撮らていた。
意味が分からなかったが、まあ、そうしてくれないかと懇願されたのだから、別に断る理由もなかったし。
今回も全く同じ状況を作って、女性モデルも同じポーズをとり、撮影は終了した。
「じゃあ戻りましょう」と言って、看護師がストレッチャーを押し始め、また厨房の前を通りかかった時に、中が見えた。
そこでは、ホテル宿泊客用の夕食の膳を並べて料理をセットし始めていた。
別のセクションでは、プラのトレーを並べてプラ容器入れた料理を配膳していて、まるで病院食のセッティングのようだった。
ここって、温泉ホテルと病院の併設なのか?
まあ、療養する患者もいれば、それもありなのかも。
ストレッチャーは、また狭く窮屈なエレベーターに押し込まれ、エレベータを降りると廊下を来た経路とは違う方向へ進み始めた。
今度はどこに連れて行かれるのか・・・。
ある一室に運び込まれ留め置かれたが、そこは普通の部屋のよう。
駐車場が窓から見え、どうやら従業員の休憩室のような雰囲気だった。
撮影に参加した医療スタッフ達が全員そこに集まって、弁当を食べる者がいたりとめいめいくつろぎ始めた。
私はまだ絶食中で、やる事もなく寝てるしかなかった。
うつらうつらしていたら、突然非常ベルがけたたましく鳴り始めた。
何事かとみんなが浮足立ち、いち早く外に飛び出し駐車場へ逃げた者もいた。
誰かが部屋を出て様子を窺いに行き、戻ってくると「避難訓練だって」と。
一同胸を撫で下ろしたが、同時に怒りが込み上げてきたらしく、「訓練するんなら、教えておいてくれよなっ!」と男性スタッフが叫んだ。

とまあ、ここまで。
夢の中では短い方だと思ったんですが、文章にすると結構長くなるものですね。

「朝食」
・ごはん
・漬物
・納豆
・チキンカツ

「昼食」
・山菜そば
・焼き鯖寿司

「おやつ」
・抹茶大福

「夕食」
・ごはん
・漬物
・煮物(キンカン(鶏の未成熟卵)、大根、結び白滝)

今日のBW:61.5kg
最高 マイナス3.1(00:56)、最低 マイナス6.0(21:54)、積雪量33センチ

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ようやく風邪が下火になってきたようです。
鼻詰まりも解消され、呼吸が楽になりました。
まだ時折咳が出たり、タンが多少絡む事があるので完全ではありませんが、この週末辺りには外出もできるかも知れません。
その前に、明日は退院後初の外来診察日なので、わずかな時間でも外気に当たる事ができそうです。
ただ、色んな患者がいる病院へ行きますので、違ったタイプの風邪を貰って来たり、1週間ぶりに外気に当たる事で風邪がぶり返さなければいいんですが。

では、また夢の話を。
⑦ここは見覚えのある部屋だ。
確か、以前に住んでいて、家具や日用品、雑貨などを買ってきて、自分の好みの部屋にしようとして途中になってたはず。
ロフト式の下へ降りる階段もある。
でもなぜこの部屋に自分は寝ているのか。
起きようとしたが、体が動かない。
見ると、両手首がヒモで縛られて自分が買ってきて組み立て途中にしてあった鉄パイプの棚と、反対側の柱にくくり付けられている。
何だこれは?一体どういう事だ?
テレビがついていて、天気予報をやっていた。
自分が置かれた状況が理解できないままに天気予報を見ていると、そうか、今日の曜日は分かった。
待てよっ!この天気予報の上に出てる数字って、今の事か?間違いじゃないのか?数ヶ月前の日付だろこれって!
人の気配を感じてそのほうを見ると、いつの間にか、どこから入ってきたのか、男が1人立っていた。
「いや~、助かってよかったな」
えっ?何の事だ?
「事件は解決したけど、助かったのは君だけで、あとの人達は残念な事になった」
それよりまずこの手の拘束を解いてくれと訴えると、「残念ながらそれはできない」と言い残してどこかへ行ってしまった。
テレビでは天気予報が終わって、ワイドショーのコーナーで日本酒の宣伝のような事をやってる。
ん~、しばらく飲んでないから、冷たい日本酒をキュッと飲りたい。
それもいいが、助かった?残念な事に?何だそれは?
グルグル回る記憶の細い糸を手繰り寄せていくと、ある事にたどり着いた。
そうだ!あの日、何の前触れもなく急に腹が痛くなって、救急車で入院したんだ。
そして気がつくと、病院のベッドに寝かされて、その時も今と同じように両手をヒモで縛られてベッド柵に固定されていた。
腹部を手術された私は、点滴や管につながれて、ベッドに寝かされていた。
医師や看護師の手厚い治療と看護によって、術後の状態も快方へと向かっていた。
女性看護師の1人(以後看護師Aと書く)が、「早く良くなってね」と頻繁に声をかけてくれ、勤務割上の巡り合わせだろうが毎日のように処置をしに私の病室に来てくれた。
その時はまだ、痛みを感じないように施されていた麻酔剤と麻薬の影響で、常に寝ていて時々目を覚まして会話をする状態が続いていた。
ある時目を覚ますとそこは病室ではなく、昭和の時代のニオイがぷんぷんとする一軒家のようだった。
木で組んだ枠にトタン板を張りつけた流し台、石炭とだるまストーブ、裸電球とちゃぶ台、そして土間の玄関。
今でもこんな家があるのかと驚くほど「昭和」を集めたような家だった。
そんな家の流し台の横に、点滴もバルーンもカテーテルもそのままにベッドに寝かされた私がいるのはなぜだ。
横を向くと奥さんがいたので、ここはどこで何でここにいるのか聞いた。
「テレビの番組で、昭和の移り変わりって言うのを作るから、ここにあなたを置いてくれって」
「俺を?何で?この格好って関係ないし、何で治療中の?だってこれって最新の治療中だぞ」
「あっ、もう放送してるよ」と、奥さんがブラウン管テレビを指差した。
見ると、確かにこの家にある古い「モノ」を1つづつ紹介しながら、その歴史やエピソードをレポーターが老夫婦にインタビューしていた。
寝たまま意識のない私も、ベッドごと映っていて、昭和の雰囲気とは全く関係のない、それはまるで異質なオブジェのようだった。
何だい、この番組は???
番組が終わると、奥さんが玄関からベッドを出して、しばらく行くとそこは元の病室だった。
「あの家って、どこにあったの?」と奥さんに聞くと、あそこは病院の中の一室だと言う。
病院内にあんな古い民家のような部屋が存在すること自体信じられなかったし、巡回に来た看護師Aにその事を話すと、「そんなところ病院内にある訳ないじゃないですか」と、私を憐れむように言って出て行った。
そうだよな、あれは夢かまぼろし、そう思って自分の記憶から消そうと自分を納得させたら、また眠気が襲ってきて意識を失った。
どれだけ寝たのだろう、意識が戻って辺りを見渡すと、様子がおかしい。
ベッドの周りにはリビングセットが置かれ、壁際にはキッチンがあり、サイドボードなどの家具も見えた。
隣の部屋のさらに向こうから、言い争う声が聞こえたり、何かを壊すような音も聞こえてきた。
喉も乾いたのでナースコールを押すと看護師Aがやって来て、両手を縛られて拘束されているので、吸い口で水を飲ませてくれ、傷の処置をして出て行こうとした。
看護師Aを呼び止め、「ここは病室と違うみたいだけど、どこなんですか」と聞いてみた。
すると看護師Aは一瞬ためらったが、「あなたが入ってた個室には、もっと重い患者が入ったので、一時的にここにいてもらう事になったの」との答え。
「ここって、どこかのマンションみたいですが・・・」と聞くと、「ええ、病院に隣接したマンションの一室だけど、病院とは廊下でつながってるから、呼んだらすぐに来れるので心配しないで」と言いながら行ってしまった。
そう言えば、いつの間にか点滴や私にまとわりついていた「管」の類はすべて外されている。
心配するなと言われても、こんな変な所に入院と言う形で留め置かれて、外の方からは常に言い争うような怒鳴り声が聞こえてくるし、カーテンで遮られて出入り口の方はうかがう事も出来ず、奥さんも傍にいないからどんどん不安になってくるじゃないか。
ナースコールを押すと、看護師Aが来たので、状況が分からないからとても不安だと言うと、一旦部屋から出て行き、すぐに戻って来て「気持ちを落ち着ける注射をしますね」と言って、私の腕に針を突き刺した。
看護師Aが出て行ってすぐ意識が朦朧として来て、意識が遠のいたり戻ったりを繰り返すようになった。
ふと、ドアが開く音が聞こえ、誰かが入ってきたようだが、声を掛ける気力はなかった。
「入るぞ」と言う声は、どうも弟の声らしい。
部屋には入ってきたものの、カーテンのこちら側へは来ようとしない。
ガサガサというビニール袋の音がして、ドサッとそれを置く音がした。
「食えるようになったら食ってくれ」と言い残して出て行った。
お見舞いのつもりか、何かの食べ物を持って来たらしいが、顔ぐらい見せればいいのに。
うつらうつらしていると看護師Aがやって来て、この部屋も別の患者が入る事になったので、別の部屋に移動すると言う。
ベッドを押されて部屋から出たが、そこは廊下でつながった建物などではなく、一旦外に出されて別の建物に運ばれて行き、そこもマンションの一室らしいところに留め置かれた。
「ちょっと忙しいので、しばらく来られないと思います」と言って、看護師Aは慌ただしく出て行った。
おいおい、俺はどうなるんだい。
うつろな意識の中で、諦めにも似た気持ちになって、ただボーっとして横たわっていた。
この部屋は外からの声がはっきりと聞こえる。
耳を澄ますと、このマンションの一室で、大企業経営の資産家の家族間で遺産を巡る争いと、経営トップの座を巡る争いから殺人事件が起きたらしい。
創業者の死後、社長に就任した息子が会社を我が物にしようとして、息子の母であり実権を持つ創業者の妻の怒りをかい、暗殺されたんじゃないかとマンション住人らしき数人が話しているのが聞こえた。
先ほどの騒がしさは、警察が現場検証をしていたのと、マスコミがマンション住人とトラブルを起こしていたためだとも分かった。
そんな事はどうでもいいから、こんな変なところからちゃんとした病院の病室へ移してくれ!
カーテンの向こう側から若い女性の声が聞こえてきた。
他にも男女の声が聞こえる。
助けを求めて声を出そうとしたが、ハラの傷が痛んで力が入らず、蚊の鳴くような声しか出なかった。
若い女性は男女に、部屋の間取りや金銭的な話をしているようだった。
もしかしてここって、マンションのモデルルーム?
だとしたら、私が今置かれているリビングらしい部屋も見に来るだろう。
その時が助けを求めるチャンスだ。
解放されるかもしれないという期待と不安で鼓動を高鳴らせながらその時が来るのを待っていたが、客らしい男女が「じゃあ」と言って出て行ってしまったらしい。
えっ!こっちを見に来ないのか?
代わりに入ってきたのは看護師Aで、また部屋を移動すると言う。
何故?どこへ?と聞いても返事をせず、持ってきたストレッチャーに私を移して、上から毛布のような物を頭からすっぽりと被せて運び始めた。
先ほど聞こえた声の若い女性も手伝っているらしい。
ガチャっと何かのドアらしきものが開く金属音が聞こえ、ストレッチャーごとその中に押し込まれたようだ。
エンジン音が聞こえるので、救急車に乗せられたのか。
看護師Aと若い女性も乗り込んだようで、2人の話し声が聞こえるが、その言葉が私には理解できない言語だった。
どのくらい車は走ったのか、車が停まって2人が降りて誰かと話す声が聞こえてきた。
誰かが乗り込んでまた車を走らせ、車のドアが開く音が聞こえたと思ったら私が寝かされているストレッチャーを車外に出して押し始めた。
動きが止まると、体が持ち上げられるような感じを覚え、それが止まるとまたストレッチャーが動き始めた。
ガチャンガチャンと、ストレッチャーが動かないようにしているのか、金属音が響いた。
頭からすっぽりと被せられていた毛布の顔の部分だけめくられ、首を動かして周りを見ると、そこは金属のドームのようなところで、私が寝かされているストレッチャーの横には、通勤列車のような横一列のベンチのような物があった。
しばらくすると、両手を後ろ手に縛られた10人ほどの男女が自動小銃のような物を突き付けた男に促されて入って来て、そのベンチに座った。
何故私達がここに集められたのか、この先どこへ連れて行かれようとしているのか、誰一人として口を聞こうとはしなかった。
ドアが閉まって動き出し、また停まって静寂が訪れた後、耳をつんざくような爆音が右、そして左から聞こえてきた。
自動小銃を持った男は監視役らしいが、この爆音の事を知っていたのかヘッドホンで耳を保護していた。
我々は手で耳を塞ぐしかなかったが、全員両手を拘束されていたのでそれすら叶わず身を縮めるしかなかった。
そうか、このドーム型の狭い空間といい、右・左と順番に爆音が聞こえ始めたので、ここは飛行機の中だ。
しかも、エンジンの爆音を遮蔽する内装などないむき出しの金属そのままのボディーと、横一列のベンチは明らかに軍用機だ。
ここは兵士を乗せる空間か。
何時間飛行したのか想像もつかない時間が経ち、ドンッという着陸の衝撃を感じた。
私のストレッチャーが、恐らく荷物用のリフトで降ろされ、大量の荷物とともにワゴン車に積まれてどこかへ走り出した。
車内には、看護師Aと若い女性の姿が見える。
かなりの時間車は走り、どこかの建物の前で停まった。
車から私と荷物が降ろされ、車はどこかへ走り去った。
看護師Aがストレッチャーを押し、建物内のリビングらしき場所に私を留め置いた。
私服から白衣に着替えたのか、看護師Aが寄って来て「大丈夫ですか?」と聞きながら、傷の処置を始めた。
「ここは・・・?」と聞くと、ここは元から入院している病院の別院だと言う。
ナースコールはないが、呼べばすぐ来れるところにいるから大丈夫だとも。
若い女性は、車から降ろした荷物の片づけをしていたが、その格好は南国のワンピースタイプの民族衣装のようだった。
長時間乗り物で運ばれたせいか、寒気がして熱っぽい。
看護師Aを呼んで、体温を測ってもらうと38℃を超えていた。
「氷で冷やしましょうね、ちょっと待っててね」と看護師Aはドアから出て行った。
持ってきたのは、ビニール袋に入れたわずかな氷で、それを私の額の上に置いた。
熱とダルさでそのまま寝てしまった。
気付くと額を冷やしていた氷はとうに溶け、交換してもらおうと看護師Aを呼んだ。
「どうしましたか?」と来た看護師Aに氷の事を言うと、「じゃあ、ちょっと待って下さい」と言ってドアの外へ行った。
ドアの外から何語か分からない言葉で若い女性と話をしているのが聞こえ、話が止むと看護師Aが注射器を持って入ってきた。
「氷もいいけど、熱さましの注射をしますね」と言って私の腕に打とうとしたが、その注射器に入っていた薬は、今まで経験した熱さましの薬とは明らかに違って、十倍くらいの量が入っていた。
「それ何の注射?熱さましじゃないんじゃないのか?」と私が叫ぶと、看護師Aは「残念だけど、あなたが邪魔になったから、これで死んでもらうわ」と。
「何を注射するつもりだ!」
「安定剤よ。これだけ打てば眠るように呼吸が止まって楽になれるから」
「どこからそんな薬を・・・?」
「病院から失敬してきただけよ」と言いながら、身動きが取れない私の腕に針を突き刺して、静かに液を腕の筋肉内に注入した。
クソー、死んでたまるかっ!そんなもので俺を永久に眠らせられると思ってるのかっ!
注射し終えた看護師Aは、勝ち誇ったような顔をして私を見下ろし、ドアの外へ出て行った。
薬の効果には抗しがたく意識が地の底へ引き込まれそうになり、呼吸が苦しくなってきたが、縛りつけられている両手首を力の限り振りほどく仕草をして自分に痛みを感じさせ、かろうじて眠り落ちる手前で堪えていた。
意識が消えかかったり戻ったりを繰り返していたが、私の薬の分解能力が薬の作用を上まったらしく、だんだん意識がはっきりとしてきた。
様子を見に来た看護師Aが、もう呼吸は止まっているだろうと思ったのがまだ生きている事に驚き、ドアの外へ小走りに出て行き、また注射器に薬を詰めて戻ってきた。
「もうこれで終わり」
同じ安定剤なのか、別の薬なのか、また私の腕に針を突き刺した。
今度は眠くもならず、時間が経っても何の変化も感じられなかったので、薬が効いてるような寝たふりをして様子をうかがった。
看護師Aは、とりあえず安心したのか、若い女性が来ている派手な模様の南国のワンピースタイプの民族衣装に着替えてきたらしい。
ドアの外から、香ばしい良い匂いが漂ってきた。
若い女性が何か言いながら運んで来た料理は、ピザとガーリックが良く効いたパスタのようだ。
腹部の術後以降、水を飲んだ以外は何も食べていない事を思い出し、急に空腹感が襲ってきた。
2人が私の横で食べ始めたので、「タヌキ寝入り」を悟られないよう、腹が鳴るのを必死で押し留め、できるだけ生唾も飲み込まないよう努力した。
食べ終わった2人は、バッグに衣類などを詰め始め、どこかへ旅行に行く準備を始めた。
私を置いてどこかへトンずらしようってのか。
私が呼吸をしている事に気付いた看護師Aは、私の手のヒモを片手づつ外し、マジックテープタイプのやはりヒモがついたリストバンドに変えて、金属のピンのような物をカチャッとはめてロックし、またストレッチャーのサイドレールにヒモで縛りつけた。
私が起きている事を知ってか、「このロックはヨーロッパ製で、タイマーで10日間後にならないと解除されないようにセットした」と告げた。
どこからか持ってきた缶ビールのプルを開けて飲み始めた看護師Aは、「あの子は私の娘で私の右腕。これからひと眠りした後、組織の指示に従って別の国へ仕事をしに行くの」と言った。
「残念ながら、あなたをあの注射であの世に送る事は出来なかったけど、このアジトには何ヶ月か何年か、誰も来ないから水も食べ物も貰えないあなたの命運はここで尽きるわ。10日間生き延びて、それからヒモが解ける事を祈るのね」
娘はもう横のソファーで居眠りを始めていて、看護師Aは缶ビールを一気に飲み干すと奥の別室に消えて行った。
「待て!おまえは何者で、何をしてるんだ!」
「私?・・・。」と、何も答えず行ってしまった。
しばらくすると、横のソファーで寝ている娘からは寝息が聞こえ、ぐっすり寝入ってるようだ。
奥の部屋へのドアは閉まっているので窺いようがない。
どうしたらいいのか、何も考えがまとまらないまま時間が過ぎ、壁に掛けられた時計で1時間が過ぎようとした時、カチャッと音が聞こえた。
えっ?と思って両手首を見ると、手首のリストバンドを留めていた金属のピンのロックが外れていた。
もしかして、タイマーのセットを間違えたか。
横の娘を起こさないよう静かにピンを引き抜こうとしたが、両手が不自由な状況ではなかなか難しい。
手首を思いっきり内側に折り曲げて、指先に触るようにしながらゆっくりとピンを押し上げて、ストレッチャーベッドの内側にピンが落ちるように外した。
ヒモは思いのほか緩やかに結ばれていたので、同じように手首を折り曲げて指先の感覚だけで外す事が出来た。
片手が自由になったら、もう片手はいとも簡単。
ようやく両手が自由になったが、焦らず、まずは手首のストレッチをしてから、ベッドを静かに降りた。
建物に運び込まれた時に出入り口は見ていたので、隣の部屋から外に出る事が出来るのは分かっていた。
娘が起きないように様子をうかがいながら、ソロソロと隣の部屋の方へ歩いて行ったが、運悪く足に何かがぶつかって音がし、娘が目を覚ましてしまった。
驚いた娘は、何語か分からない言葉で母親である看護師Aが寝ている部屋に向かって叫び、部屋から飛び出してきた看護師Aとともに私を捕まえようとした。
「何をしてるの!傷口が開くでしょ!」
何言ってやがる、今さら何が傷だ!
私はキッチンだった隣の部屋を抜け、更に奥のドアのロックを解除し、ドアを開けて外に出た。
ここがどこの国か分からないが、どこかに交番ぐらいあるだろうと、無我夢中で道路を走った。
走りながら後ろを振り向くと、あの親子は追って来ていない。
それでも力を抜く事なく全力で走り続けると、向こうから中年の男女、私から見て外国人が歩いてきたので、助けを求めた。
すると、すぐそばの交番らしいところへ連れて行ってくれ、警官に保護された。
警官は私から事情を聴いて本部に連絡したらしく、すぐに巡回中のパトカーが集まって来て私が監禁されていた建物に踏み込み、逃げようとしていた看護師Aの親子を逮捕したそうだ。
こうして私は国へ帰る事が出来たが、腹部に術後の傷があると言う事で、民間旅客機専用のストレッチャーに寝かされたままの空の旅となった。
私を乗せた旅客機は空港に到着し、一般乗客とは別に降ろされ、一旦空港そばの病院に収容される事になった。
旅客機から救急車に乗せ換えられる間には、おびただしい数のマスコミがいて、どうやら私を含む10人ほどが拉致されて国外に連れ去られた事と、逮捕された看護師親子が所属する組織の国内での悪事が表に出て、大きな騒ぎになっていたらしい。
マスコミのレポーターらしき連中が、テレビでよく見るように答えがあろうとなかろうとお構いなしに大声で質問する、あの状況を私に投げつけてきた。
「他の人は全員殺されたんですが、今のお気持ちは?」
「1人だけ生きて帰ってきたんですが、今の感想を聞かせて・・・」
私1人だけ?拉致されて軍用機に一緒に乗っていたあの人達は殺された?
何故?何があって?どうして?
救急車内で私の頭の中にはその疑問がグルグルと渦巻いていて、そのうち意識が遠のいてしまった。

気がつくとそこは、以前自分が住んでいた部屋の中だった。
人の気配を感じてそのほうを見ると、いつの間にか、どこから入ってきたのか、男が1人立っていた。
「いや~、助かってよかったな」
えっ?何の事だ?
「事件は解決したけど、助かったのは君だけで、あとの人達は残念な事になった」
それよりまずこの手の拘束を解いてくれと訴えると、「残念ながらそれはできない」と言い残してどこかへ行ってしまった。
色々な出来事があって、長い日数が経ってたようだが、実際には夢の中の出来事だったかのように、元に戻されたような気がする。

この話はここまで。
看護師Aって本物のモデルがいて、私の世話を懸命にしてくれ、頻繁に声を掛けてくれたちょっと小太りの中年看護師さんだったんです。
しょっちゅう顔を見てたから、夢の中にも出てきたのかもしれません。
それなのに悪役にしてしまって申し訳ないと思ったんですが、夢を見てる最中はそんな事は考えられませんでしたし。
「派手な模様の南国のワンピースタイプの民族衣装」って、私の夢の中でのイメージは、メキシコの中年女性が来ているゆったりとした服の事です。
ハワイの女性もそう言ったタイプの服を着ていますが、夢の中で連れて行かれたところはそう言った暑い土地といったイメージでした。
最終的に最初のシチュエーションに戻るってところは、やはりゲームリセットがされて、また次のストーリーが始まるっていう合図だったのかも。

「朝食」
・トースト
・コンソメスープ
・ポテトサラダ

「昼食」
・月見きつねうどん
・焼きおにぎり1個

「夕食」
・松茸釜飯(レンジ用レトルト)
・男の煮物(大根、ナス、結び白滝、揚げ、鶏つくね)
・漬物

「デザート」
・ミルクチョコクリーム生洋菓子
・甘納豆

今日のBW:61.5kg
最高4.8(11:54)、最低 マイナス4.4(23:23)、積雪量10センチ

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よくもまあこんなに何種類もの夢を見たものだと自分でも呆れてしまうんですが、クッキリハッキリ覚えているから仕方がない。
それも、ほとんどが「ふと気がつくと」から始まるんですが、夢の記憶の最初は突然訪れて始まり、それもいきなりどこかにいると言うシチュエーションなので、これまた仕方がないとご容赦いただきたい。
で、また、次の夢の話を。
⑥ここはある病院の病室のようだった。
ベッドに寝かされていて、左手首にヒモを巻きつけられベッド柵に縛り付けられていて、片手だけだが拘束された状態だった。
何故ここにいるのか。
どうやら自分に腹部に傷があって、ケガでもしたのだろうか。
頭の上にモニターのような物が設置されていて、どうもそれはテレビらしく、夕方のニュースショーを放送している。
その番組を見ていると、ゲームの設定画面のような表示になり、それは自分のこの先の数年間の行動パターンの設定画面で、ロールプレイングゲームとシュミレーションゲームを組み合わせたような、これから自分が疑似体験するパターンの設定のようだった。
その項目を見ていると、病気の自分が診察も何もしてもらえず死にそうになってたり、自分が犯罪者になったり、拉致されて外国に連れて行かれ、同時に拉致された数人は殺されたが私だけが生きて戻ってくるとか、新興宗教信者に拉致されて地区の代表者に無理やりさせられるとか、自分の傷を治療するため数か所の病院を転々とし、なぜかそのうちのある病院の看護師達に捕まって手術されそうになるとか、とても受け入れられないような内容の事が設定されていた。
これらは、そのシチュエーションが終わるたびにこの病室に戻され、また同じ状況から次のシチュエーションに移るそうだ。
冗談じゃない!そんなゲームの中の主人公のような事をさせられて、終わったらリセットされる様な役回りなどまっぴらごめんだ。
この設定を変更したい場合は、カーソルを動かして変更しろとの表示が画面に出ているが、コントローラーがどこにあるかも分からず、ベッド横のナースコールのようなボタンを押しても誰も来ない、
そのうちに画面の表示が点滅し始め、設定変更のタイムリミットのカウントダウンが始まった。
目か意志でカーソルを動かせるかと思い立ち、ある項目を見て変更すると念じたら、飲み物がワインに変わった。
なんだそりゃあ???
と思ったら画面が代わり、ニュースショーの天気予報を流し始めた。
どうやら、これからゲームが始まるらしい。
こんな所にはいられないと、左手のヒモを解こうとするが、がっちりと縛られていてビクともしない。
すると、足元の方のドアが開き、白衣を着た医師らしき若い男性が入ってきた。
「どうですか」と聞きながら傷を見て、いつの間にか胃に入れられてたカテーテルから、胃液のような血液のような液体をシリンジで抜き始め、終わると黙って出て行った。
突拍子もない状況に置かれた事が原因なのか、腹部の傷が原因なのか、かなり吐き気がしていたのだが、胃の中の液体を抜かれた事で何事もなかったかのように楽になった。
周りを見渡すと、とても病室とは言えない、まるでホテルの客室のようで、左側にはカーテンが掛っており、カーテンの向こうにもベッドがあって、そこには私と同じように手を拘束されてゲームの中にすでに連れ去られてしまった奥さんが寝ているような気がしたが、声をかけても返事はなかった。
空調が効いてて少し寒いなと思ったが、いつの間にか寝てしまったようだ。
人の気配を感じて目を覚ますと、先ほどの白衣の男性が来ていて、すぐに処置できるように病室に移しますと言いながらベッドを運び始めた。
ここは大学病院の外科病棟で、この病室の隣は外科の医局だと言う。
ずいぶん話声が聞こえるので何かやってるのかと聞くと、昨日亡くなった教授の追悼の会を開いていると。
「本当はあなたにも参加してもらいたいんだが、この状態では無理なので安静にしていてください」と言って出て行った。
私が?参加?
おぼろげな記憶をたどって行くと、そう言えば、昨夜はある外科教授のパーティーに出席させられたんだ。
自分の職場の代表として急きょ行かされる事になったんだが、その時はすでに腹部に大きな傷があり、入院先を探して痛みに耐えていたはず。
それなのに、隣街のホテルまで連れて行かれ、テーブルに座らされて晩さん会が始まるところだった。
脂汗を流しながら痛みに耐えつつ教授の挨拶を聞いていたら、教授が急に倒れて大騒ぎになった。
私も痛みに耐えかねて、とうとう意識を失ってしまった。
とまあ、こんなところだったはず。
と言う事は、さっきまでいた部屋はやはりホテルの部屋か。
でも、ドアから白衣の男性が入って来て、そのドアから移動させられた私は今大学病院の病室にいる。
壁1枚でホテルと大学病院がつながってるのか?あの教授はそのまま亡くなったのか・・・。
そんな事をボーっと考えながらふと左手を見ると、いつの間にか手のヒモが解かれていて自由になっていた。
起き上がってみると、傷の痛みはないが腹部に縫合された跡があって、そこが引きつった感じで前屈みになってしまう。
ベッドから降りてドアの外に出て、病室へ運ばれてきた経路を逆にたどって見る事にした。
隣の医局からは、話し声、笑い声、時折すすり泣く声も聞こえたが、誰も出てくる気配はない。
確かこのドアから出てきたはずだと、ドアを開けて入って見ると、確かにさっきまで私が寝かされていた部屋だった。
テレビは消され、もう1台あると思っていたベッドもなかった。
見回すと、私が寝かされていた頭側にもう1つドアがあり、そこを静かに開けて辺りをうかがってみて驚いた。
そこに見えた光景はまさしくホテルのフロントで、ボストンバッグやキャスター付きのトラベルケースを引いて歩いている人が大勢行き交っていた。
部屋を出て、フロントのフロアーに立ってみたが、行き交う人が私をじろじろ見ている。
自分の姿を見ると、ガウンタイプの病衣姿で、とてもその場には似つかない格好である事に気付いた。
これはマズいと、まるで忍者か逃亡中の犯罪者のように、壁伝いに体を縮めて建物の奥の方へ行き、最初に見つけた階段を上がって行った。
その階には赤絨毯が敷き詰められた廊下があり、廊下を歩いてとある部屋の前で立ち止まって、その部屋のドアノブを触るとドアが開いたので入ってみると、そこは最初に私が寝かされていた部屋と全く同じ造りで、テレビがありカーテンが掛っていて、空きベッド1台があった。
カーテンを開けてみると、そこには何と!奥さんがいて、ベッド上で何かを食べていて声をかけても返事はなく、ただ黙々と食事をしていた。
ドアをノックする音が聞こえ、そちらを振り向くと、私の返事を待つ事もなく黒服のホテル従業員らしい男性が入って来て、私の食事を運んで来たという。
男性は空きベッドにサイドテーブルを設置し、手際良く料理を並べてお辞儀をして出て行った。
料理を見ると、量は少ないがフレンチのフルコースになっているらしく、隣で食べている奥さんの料理と見比べると、全く同じものらしい。
ただ、奥さんが飲んでいたのは、酒が飲めないはずなのにシャンパンがサーブされていて、私のグラスには赤ワインがサーブされて運ばれてきていた。
料理を見た事で空腹感に襲われ、夢中で食べたが味の記憶はない。
2人が食べ終わったのを見計らったかのようにデザートが運ばれてきて、食べ終わって奥さんを見るとすでに寝てしまっていた。
ここから出ようと声を掛けても返事はなく、体を揺すって起こそうとしても反応はなかった。
私は、無理をし過ぎたのか、腹部の傷のあたりに激痛が走り、なんとか空きベッドに横たわってナースコールを押した。
足元の方のドアが開き、「どうしましたか?」と言う声の方を見ると、そこには男性看護師が立っていた。
傷のあたりが痛いと言うと、「まだ傷が塞がっていないのだから安静にしてないとダメです」と言いながら傷を覆っていたガーゼを交換し、ベッドを押し始めた。
どうやらまた病室に運ばれるようだと考えながら、なされるがままにされていたが、ドアを出たところで見えた部屋は大学病院の医局ではなく、看護師達の詰所のようだった。
「ここって、大学病院ですよね?」とベッドを押している男性看護師に聞くと、「えっ?あなたはこの総合病院に入院してるんですよ」と。
「じゃあ、今までいた部屋って?」
「あそこはうちの病院の処置室ですけど、何か?」
私の精神状態が狂っておかしくなってるのか、それとも夢でも見ているのか、全く状況が理解できなくなってしまった。
ベッドを病室に留め置くと、男性看護師は「何かあったらナースコール押してくださいね」と言って出て行った。
この部屋は、さっきまで大学病院と言われていた病室と全く同じ雰囲気だ。
訳が分からないままに、疲れてしばらく眠ったらしい。
一体今は何時なのか、ここは何という病院なのか、やはり私が住んでいる隣街の病院なんだろうか。
状況が分からず不安がつのって来て、せめて自分が住んでいる街の、自分が知っている病院に移して欲しくなった。
ナースコールを押したが、いつまで経っても誰も来ない。
何度押しても詰所から聞こえる、こちらが呼んでる合図の音がすぐに切られてしまうが、誰も来ようとはしないようだ。
幸いな事に今は傷の痛みは治まっているので、見つからないようにこの病院を脱走して、私の住んでる街の病院に助けを求めようと考えて実行する事にした。
ベッドを下りて廊下をうかがうと誰もいないので、とりあえずさっき運ばれてきたドアを戻れば、男性看護師は処置室と言っていたが、どう考えてもホテルの一室としか思えない、さっき食事をした部屋に戻れるはずだ。
体を縮めて廊下を進み、詰所に誰もいない事を確認して、ドアを開けて入り込んだ。
するとそこは、さっきまでとは違って、まさにビジネスホテルの一室になっていて、誰かがチェックインしたのか荷物が置いてあった。
ドアを開ける音が聞こえ、振り返ると、そこには若い女性が驚いた表情で立っていた。
「あっ!部屋を間違えました・・・えっ?」と。
私は返す言葉もなく立ちすくんでいると、女性の後ろから黒服の男性が現れて、「申し訳ございません、予約がバッティングしてしまいまして」と言い、この部屋は私の部屋だと言う。
今日このホテルの予約は満杯なので、系列ホテルの、私が住む街のホテルに変えてもらう事で女性は納得し出て行った。
「おいおい、私の街に移動するなら、私が行くのに」
とにかく、このホテルを出て自分の街に行かなくては。
ドアを開けて廊下に出ると、そこは廊下ではなく、フロントの目の前だった。
もう訳が分からなくても何でもいい!
玄関を見つけて、ドアボーイが掛けてきた声に返事もせず外に出た。
どうやら夜らしく、雪も降っていた。
こんなガウンタイプの病衣のまま、裸足にスリッパ履きのまま歩くのは寒いと思ったが、とにかく人が多く流れている方向へと歩いて行くと、途中で意識が朦朧とし始め、ただただ歩き続けたのか、途中で電車に乗ったのか、混濁する意識のまま時間が過ぎた。
気がつくと、大きな建物の前に立っていて、看板には自分が知っている自分の街の病院の前だと分かった。
遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえ、白衣姿の女性看護師が走り寄ってくるのが見えた。
「大丈夫ですか?心配しましたよ。さあ、戻りましょう」
戻りましょうって、私は今までここの病院に入院してた訳じゃないのに、どう言う事だ?
建物に入り、病室へと連れて行かれる時、さっきホテルで部屋がバッティングしたと言う事で、系列ホテルに移動してもらったはずの若い女性とすれ違った。
予約がバッティングしてた隣街のホテルに空きができたから、そちらに戻ると言う。
「・・・、ここもホテル?それとも病院?」
横には私の腕を抱えた女性看護師がいるし、廊下に赤い絨毯は敷かれていないから、やはり病院なんだろう。
看護師とともに病室へ行き、ベッドに横たわってホッとしていると、白衣姿の医師らしい若い男性が入ってきたようだ。
「もう大丈夫ですよ、安心してください」と言うので、その男性の顔を見ると大学病院の医師だった。
「ここは大学病院ですから、何かあってもすぐに対処できますので、心配しないでくださいね」

この夢はここで終わり。
まるで作家が書くショートショートみたいな内容ですけど、記憶を辿っていって、夢で見た状況を細かく書くと小説のようになってしまいました。
あやふやな記憶の所は、多少脚色をしたかなと思うところもありますが、でもほとんど記憶のままに文章にしたつもりです。
まあ、夢の中の話ですから、ドラマの脚本や小説のようになるのは致し方ないですね。
自分がゲームの中の主人公にされてしまうくだりは、この後も続きます。

「朝食」
・ごはん
・油揚げとわかめの味噌汁
・鶏塩缶
・ちりめん山椒

「昼食」
・たぬきそば(天かす、長ネギ)
・焼きおにぎり1個

「おやつ」
・五勝手屋羊羹
・コーヒー

「夕食」
・ごはん
・かぶときゅうりの漬物
・ひと口チキンカツ、千切りキャベツ添え
・ポテトサラダ(ジャガイモ、キュウリ、玉ネギ、ハム)

「デザート」
・カスタード生洋菓子

今日のBW:61.5kg
最高2.5(00:02)、最低 マイナス2.5(20:21)、積雪量9センチ

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昨夜から天気が荒れて、夜中には窓がガタガタ揺れるくらい風が強かったですね。
予報では雨から雪になるらしいですが、午前中には道内各地に竜巻注意報まで出ていました。
私の風邪は、7割がた治ってきたようです。
いや~、こんなに長引いた風邪に掛ったのは何年振りの事でしょうか。
味覚と嗅覚も、7割程度は戻ってきましたかね。
それと、一昨日午後から通じが止まってしまい、出るのは腸からの空気ばかり。
始末の手間は楽でしたが、出なけりゃ出ないで心配になってくるものです。
その分、パウチが頻繁に空気で膨らんで、昨日は2時間おきに空気抜きをしないとパウチが破裂してしまうんじゃないかと心配になるほどでした。
まあでも、空気が出てるって事は腸はちゃんと動いてるって事で自分を安心させてましたけど。
昨日の夜あたりから少し通じがついて、今朝1回、昼に1回と、ちゃんと通じがついてきたので、一安心しました。
健康な時はあまり意識しませんでしたが、食べ物の影響って通じにとって本当に大きなものなんだと、改めて認識しました。

今日も、入院中に見た夢を、記憶をたどりながら
⑤そこはとある山の上の村のようだった。
奥さんと2人で暮していたが、なぜか私がそこの村長をする事になったらしい。
村に若い人がもっと住んで欲しいと村の長老達が期待を込めて私を村長にしたようだが、突然そんな事を言われてもと戸惑った。
この村は以前から、料理を目玉に村おこしのような事をしていた。
その月替わりのメニューを考えるのが、村長の役目だった。
仕方なく役場代わりに使っていた事務所のようなところへ行き、そこに古くからいるが見た目は若いメガネをかけたやり手の女性事務員に、過去に作ったメニューと村の年間予算、料理にかけられる予算を聞いた。
女性事務員はてきぱきと私の質問の答え、料理は同じものを作らない事、作るのは村の中年以上の女性達、提供するのは平日の昼時だけとの事で、実際には宣伝にかける予算もないので、他所からの客は車で通りすがった人がたまにいるだけで、ほとんどが村の老人達の昼食として食べられているとの事だった。
そのため、ほとんどが柔らかい煮物などの和食で、たまたま立ち寄った若い客はメニューを見てすぐに立ち去ってしまうそうだ。
これで村おこしなどできる訳がない。
まずは、村の老人達には申し訳ないがとにかく発想を変えて、若者が注文してくれるメニューに、村長権限でやって行くことにした。
さしあたって来月のメニューを、老人でも食べた記憶くらいはあるであろう「スパゲッティーナポリタン」とした。
村では、細々とだったが農業と酪農をやってる人が住んでいたので、食材は安く入手できた。
足りないものは、泊りがけで山を下りて町まで買いにいかなけれならないが、それは仕方のない事だ。
まずは、調理担当の村の女性達に調理法を教えなければならない。
小麦粉を練ってパスタを作り、村のトマトを使ってソースを作り、酪農家から入手した豚肉でウインナーを作り、野菜を炒めてゆで卵をカットしてあしらいに使い、昔ながらの喫茶店で提供するような懐かしい味のスパゲッティーを作って見せた。
作り方に難しい事はないし、パスタやソースやウインナーは、そのまま村の特産品にもできるので、一石二鳥だと私は悦に入ってたんだが、ただ1人、女性事務員だけは冷たい視線で私を見ていた。
女性事務員は私に、「村のお年寄りは誰も食べないと思いますし、たくさんのお客さんに来て食べてもらわないとすぐに予算がつきますし、そんなに一体誰が来るんですか」と冷たく言い放ってその場を離れた。
言葉は丁寧だが、突き刺さるような物の言い方で、どうも合わないなと考えながら後ろ姿を見送った。
どうせ、前村長を含む村の長老達に逐一私の行動を告げているんだろう。
試食の段階では、自分が考えていた通りの味になっていたが、果たして食べてもらえるだろうか。
それだけでは人は呼べないと考え、何かネタはないかと村を見て回った。
山の上にある村で、何の産業もこれといった観光地もないここで、どうやったら人に来てもらえるか。
考えながら歩いていると、村のはずれの所にまだ新しいが空き家らしい2階建ての小さな一軒家を見つけた。
カギは掛かってなかったので入って見ると、本当に1人が住むだけでギリギリの大きさの家だった。
事務所に戻って女性事務員にその家の事を聞くと、他所から来た人が住み付くつもりで勝手に建てたが、あまりにも不便すぎて逃げ出したので、誰の所有物でもなく村の財産でもないと言う。
それなら、何かに有効に使えそうだと思ったが、その時は何も思いつかなかった。
次の日もその次の日も、人を呼ぶための何かいい方法はないかと村をグルグル歩き回ってみたが、何もない村には何もないと言う事が分かっただけだった。
そう言えばしばらく事務所にも行ってなかったし、月が変わった今月のメニューの売れ具合も聞いてなかったと、急いで事務所に向かった。
事務所に入ると、女性事務員が怒ったような視線を私に向け、「村長は毎日来て、書類の決裁などの仕事もしてもらわないと困ります」と。
ところで今月のメニューの出具合はと聞くと、1枚の書類を私の目の前に突き出した。
見ると、それは毎日の「スパゲッティーナポリタン」の売れ具合を表にしたもので、初日こそ先月末と同じ人数が食べてくれたようだが、それ以降は加速度的に数が少なくなり、今日はもう昼を過ぎているのにまだ誰からも注文が来ていないと。
売り上げはそこそこ上がっていたので、それは何故かと聞くと、調理担当の女性達が老人達の要望を受けて、まあ、見るに見かねてと言うところなのか、老人達の口に合う和食を別に作って提供していたと。
「私が言ったとおりでしたね、村長」
この女性事務員、憎たらしいったらありゃしない。
でも、事実を突き付けられた私はうつむいて唇をかみしめるしかなかった。
すると、事務所に隣接した食堂の前に車が止まる音がして、人が入ってくる雰囲気を感じた。
厨房へ移動して様子をうかがうと、若い男女がテーブルに座り「スパゲッティーナポリタン」を注文する声が聞こえた。
自分に突き付けられた現実から逃避するように、エプロンを締めて私自ら「スパゲッティーナポリタン」を作り、女性従業員に運ばせた。
若い男女は特に何も言わず食べていたので、美味しいと思って食べているのか不味いと感じているのかも判断できなかった。
2人とも手を止めたので、思わず2人の前に出て行って、「私がシェフの~です」と名乗り、「いかがでしたか」と聞くと、美味しかったと答えてくれた。
まあ、社交辞令だったのかもしれないが、とにかくその言葉に勇気づけられて、また女性事務員と向かい合った。
「なぜ村の人には人気がないのか思いつく事がありますか」と聞くと、高齢者だって「スパゲッティーナポリタン」を食べない事はないが、若者向けに作ったこってりした料理は1度食べたらその後数年は食べなくてもいいと感じるんでしょうと。
加齢による味覚の変化と、体が求める物の変化。
これに気付かず、押し付けようとした私の敗北で、「スパゲッティーナポリタン」の提供は今日をもって中止する事とし、調理担当の女性達が私に内緒で作っていた和食をメインとして出す指示をした。
打ちのめされた私は何も考えられず、また村をぶらぶら歩いていたが、村はずれの空き家に来た時に、1台の車が停まっていて人が家に入っているのを見つけた。
私もその空き家へ入ると、若い男性が家の中を見回し、台所を入念に調べていた。
「どうかしましたか?」と声をかけると、驚いたように男性は私を見て、実は車を走らせていたらここにたどり着いて、家があったから道を聞こうと訪ねたら空き家だったので、つい入ってしまったそうだ。
自分はパン職人で、勤め先を退職して独立しようと思ったが、なかなか手頃な物件がなくて探して車を走らせていたと。
ピンと来た私は、この建物はどうかと聞いてみた。
この狭さでは、自分が考えるパンを作れるのは限定で10人か20人分が限度だが、魅力的な物件と環境だと言う。
そこで私がした提案、毎日限定で10人分のパンを作り、しかも毎日違うパンを作ると言うもの。
2階は作業場として使い、作業と営業は電気が通ってない家なので日の出から日没までで、もちろん売り切れ御免とする。
ガスも器具も食材もすべて自前で、水だけは村民が使っている湧水をタダでどうぞ。
平日のみの営業で、毎日麓(ふもと)の町から通ってきて、町に戻ったら手作りのチラシなどを配って自分で宣伝する事。
そして、私と私の奥さんの分は別に味見用として提供する事。
2人のゴーサインが出なければ、そのパンの販売は中止する。
この条件でいいなら、この物件をタダで貸して、売り上げの上納も求めないと言ったものだった。
若い男性パン職人は、笑顔を見せて「頑張ります」と言ってまた家の中を見て回った。
数日後、来月用のメニューを悩みながらも考えつき、食材など必要な物のリストを女性事務員に手渡し、手配するように指示した。
高齢者が毎日、いや、週に何回か食べても食べ飽きない、食傷しない、若者も好んで食べて満足できる料理、それは「・・・・・」だと思いついたんです。
事務所を出て、今はパン工房となった村はずれの一軒家に向かい、明日販売用のパンの試食をした。
最初は試行錯誤で苦労していたパン職人も、今では自分のペースを作り上げ、翌日販売用のパンの試作と仕込みを前日にするようなったのだ。
その分、限定販売数も増やす事が出来るようになり、また、チラシの効果と、口コミと限定販売と言う言葉に対する日本人の異常なまでの執着、山の上のパン屋さんと言う物珍しさも手伝って、朝早くから車がたくさんやってきて、店の前には焼き上がるパンを待って毎日長い行列ができるようになった。
人が来るようになって、それを狙ったレストランや物産販売店と工場などの建築許可申請が出されているので、パン屋との相乗効果で村に移住してくれる人も増えてくると思う。

とまあ、こんな感じの、珍しくハッピーな夢も見てたんです。
奥さんから聞いた話ですが、幻覚を見てか夢のままに「私がシェフの~です」と現実の世界で言ってたそうです。
この事は、私は一切覚えてません。
よくもまあ、そんな「こっ恥ずかしい事」が言えたもんだと、奥さんから聞いて赤面してしまった私でした;

「朝食」
・残りのシチュー

「昼食」
・焼きおにぎり1個
・昨夜の残りの炒飯少々
・ミニカップワンタンメン
・残ってたおかず少々

「夕食」
・親子丼
・漬物
・エノキとわかめとネギの味噌汁

「何となく」
・シュガーラスク

今日のBW:61.5kg
最高9.6(10:52)、最低2.2(23:44)、積雪量17センチ

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管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
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