管理人の食卓風景と日常の日記
奥さんは夜勤明け、私は昼まで仕事でした。
ホワイトデーのお返しのために今日土曜を出勤にしてたんですけど、昨日のうちにさっさと返し終わってしまったので(今年は12人に、今まだ話題の花畑牧場製の生キャラメルにしました)、今日は仕事らしいものはまるっきりなし。
時間が過ぎるのを耐えながら、ようやく終業時間になり、みんなに見送られて帰宅しました。
自宅に着くと速攻で着替え、準備万端整えていた奥さんと、2泊3日(実質3泊4日)の旅行に出発っ!(今日の最高気温は9℃)
まだ雪の残る北海道から暖かい南九州へ行くので、服装を春にしてみたらやはり寒い。
雪や泥の水たまりに足を取られないよう慎重にJR駅まで行き、今日からIC乗車券KitacaとSuicaの相互利用が始まったので、さっそく手持ちのSuicaにチャージをし、ピッとタッチでまずは札幌へ。
旅行バッグを札幌駅構内のコインロッカーに預け、まずは昼メシです。
その後地下鉄に乗り、父のもとを訪れると、術後3日目の重症患者とは思えない回復ぶりにあきれ返ってしまった。
何たって、この重病人からメシ代にと餞別までもらっちゃったしね;
小1時間ほど話をして病院を後にし、札幌駅に戻ると予定より時間が余ってると言う事で、喫茶店で一休み。
それでも時間をもてあまし、早くても良いかとJRに乗り、新千歳空港に到着しました。
本来のツアー予定は、出発は明日の朝、第1便なんですが、以前にも書いた通り貯まっていたマイルで旅費を補てんしたところ、支払い額が当初の予算の半額近くになったため、ちょっと贅沢して新千歳空港に直結している「ホテルコムズ新千歳空港」に1泊する事にしたんです。
そのためツアー自体は2泊3日ですが、家を出てからと言う事を含めれば今日から3泊4日の旅行になります。
午後6時過ぎにJR新千歳空港に到着後、すぐにホテルにチェックインし、荷物を置いて身軽になったところで夕食のため空港内のレストランに向かいました。
2人ともあまり腹が減った感じはしなかったんですが、済ませるものは済ませておかないと落ち着かないのでとりあえずと言う感じで食べました。
レストランからは滑走路を行き来する離着陸機が見えるんですけど、さすがに暗闇の中では空港の照明だけでは良く見えず、諦めて食後すぐにレストランを出て、空港内のコンビニでおやつや飲み物を購入しホテルの部屋に戻りました。
しばらく休んだのち、ホテル内の自販機でつまみのフライドポテトと夜食の焼きおにぎりも購入。
最近風邪気味で、なお且つ夜勤明けでほとんど寝てなくて体力の低下が著しい奥さんと、最近疲れ気味で昨夜は嬉しくて?良く寝れなかった私のコンビは、もし熱発でもしたら明日からのツアーが楽しくなくなる恐れありと、今夜は風呂(シャワー)をパスしてさっさとベッドに潜り込みました。
そして初日の夜は過ぎてゆく・・・。
「昼食」(天ぷら屋)
・天丼(エビ3尾、ナス、キス、かき揚げ、海苔)
・麩とわかめの赤だし
・茶碗蒸し
・漬物
「時間つぶし」(喫茶店)
・アイスコーヒー
・リンゴとサツマイモのパイ
「夕食」(空港内ファミレス)
◎海鮮丼とざるそばのセット
・海鮮丼(甘エビ、サーモン、ホタテ、イクラ)
・茶碗蒸し
・漬物
・中生1杯
「部屋にて」
・アイスコーヒー
・缶ビール
・フライドポテト
・焼きおにぎり2個
今日のBW:77kg
ホワイトデーのお返しのために今日土曜を出勤にしてたんですけど、昨日のうちにさっさと返し終わってしまったので(今年は12人に、今まだ話題の花畑牧場製の生キャラメルにしました)、今日は仕事らしいものはまるっきりなし。
時間が過ぎるのを耐えながら、ようやく終業時間になり、みんなに見送られて帰宅しました。
自宅に着くと速攻で着替え、準備万端整えていた奥さんと、2泊3日(実質3泊4日)の旅行に出発っ!(今日の最高気温は9℃)
まだ雪の残る北海道から暖かい南九州へ行くので、服装を春にしてみたらやはり寒い。
雪や泥の水たまりに足を取られないよう慎重にJR駅まで行き、今日からIC乗車券KitacaとSuicaの相互利用が始まったので、さっそく手持ちのSuicaにチャージをし、ピッとタッチでまずは札幌へ。
旅行バッグを札幌駅構内のコインロッカーに預け、まずは昼メシです。
その後地下鉄に乗り、父のもとを訪れると、術後3日目の重症患者とは思えない回復ぶりにあきれ返ってしまった。
何たって、この重病人からメシ代にと餞別までもらっちゃったしね;
小1時間ほど話をして病院を後にし、札幌駅に戻ると予定より時間が余ってると言う事で、喫茶店で一休み。
それでも時間をもてあまし、早くても良いかとJRに乗り、新千歳空港に到着しました。
本来のツアー予定は、出発は明日の朝、第1便なんですが、以前にも書いた通り貯まっていたマイルで旅費を補てんしたところ、支払い額が当初の予算の半額近くになったため、ちょっと贅沢して新千歳空港に直結している「ホテルコムズ新千歳空港」に1泊する事にしたんです。
そのためツアー自体は2泊3日ですが、家を出てからと言う事を含めれば今日から3泊4日の旅行になります。
午後6時過ぎにJR新千歳空港に到着後、すぐにホテルにチェックインし、荷物を置いて身軽になったところで夕食のため空港内のレストランに向かいました。
2人ともあまり腹が減った感じはしなかったんですが、済ませるものは済ませておかないと落ち着かないのでとりあえずと言う感じで食べました。
レストランからは滑走路を行き来する離着陸機が見えるんですけど、さすがに暗闇の中では空港の照明だけでは良く見えず、諦めて食後すぐにレストランを出て、空港内のコンビニでおやつや飲み物を購入しホテルの部屋に戻りました。
しばらく休んだのち、ホテル内の自販機でつまみのフライドポテトと夜食の焼きおにぎりも購入。
最近風邪気味で、なお且つ夜勤明けでほとんど寝てなくて体力の低下が著しい奥さんと、最近疲れ気味で昨夜は嬉しくて?良く寝れなかった私のコンビは、もし熱発でもしたら明日からのツアーが楽しくなくなる恐れありと、今夜は風呂(シャワー)をパスしてさっさとベッドに潜り込みました。
そして初日の夜は過ぎてゆく・・・。
「昼食」(天ぷら屋)
・天丼(エビ3尾、ナス、キス、かき揚げ、海苔)
・麩とわかめの赤だし
・茶碗蒸し
・漬物
「時間つぶし」(喫茶店)
・アイスコーヒー
・リンゴとサツマイモのパイ
「夕食」(空港内ファミレス)
◎海鮮丼とざるそばのセット
・海鮮丼(甘エビ、サーモン、ホタテ、イクラ)
・茶碗蒸し
・漬物
・中生1杯
「部屋にて」
・アイスコーヒー
・缶ビール
・フライドポテト
・焼きおにぎり2個
今日のBW:77kg
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まずは、父の報告から。
夕方、今日も病院に行った母から電話があり、病室に行くと父がいなかったそうです。
どこへ行ったのかと、ふと病室のそばの洗面所を見ると洗髪をしている人の姿が見え、そばに行くとその人はまぎれもなく父だったとか。
汗をかいて痒かったので、看護師(看護助手?)に頭を洗ってもらっていたそうです;;;
病室のベッドに戻り話を聞くと、今朝から食事が出たとか;;;
3分粥だったそうですが、全部食べれたけどいきなりじゃ何だからと3割ほど食べて止めたとか。
そうこうしているうちに昼食の時間になり、父と母の目の前に運ばれてきた食事は、何と!!!普通食だったので驚いたんだそうです。
看護計画をじっくり読みなおしてきた母の話ですが、術後の食事は重湯から初め、それも術後4日目からと記載されていたと。
なのに、術後2日目にはもはや普通食って、いいのかいこれで?
まあ、主治医の方針らしく、父の回復具合があまりにも早いから予定を早めてという事なんでしょう。
まだ鎮痛剤の持続は続いているようですが、母や看護師の介助があれば歩いてもいいと許可が出たそうです。
しかも、積極的にどんどん歩けと言われたとか。
さっそく母と二人で売店へ行き、飲み物や雑誌などを買い込んできたと言っていました。
主治医は歩く事の他に、どんどん食べてどんどん何でも飲みなさいとも指示したとか;
家族の私達の方が心配になってくるほどの指示の出し方ですが、その方が回復も早いでしょうし、早くに退院ができるならそれに越したことはありません。
明日またお見舞いに行きますが、明日はどれだけ術後の回復具合が進んでいるのか、見聞きすることが楽しみになってきました。
父の手術も無事成功し、いよいよ私達の旅行の日が近づいてきました。
今回の旅行はJALツアーズ(JAL eトラベルプラザ)で申し込んだので、貯まっていたマイルを旅費に充当できたおかげで予算の半分ほどで済みました。
そこでできた余裕で、今回はちょっと贅沢をすることにしました。
ツアー出発は日曜の朝ですが、自宅から当日出発すると、自家用車を持たない私達は朝早くに公共交通機関で空港まで行かなければなりません。
それも、午前5時台の始発に乗らなければならず、そのためには少なくとも午前4時頃には起きて、飲まず食わずで向かわなければならないんです。
定時に空港に着いても、飛行機のドアクローズまでに時間的な余裕はほとんどなく、荷物を預けたりセキュリティーを通過して搭乗口までは大急ぎでなければなりません。
一服する時間や空弁を買う時間はもとより、トイレに行く時間もないかもしれないスケジュールなんです。
いつもはそれを避けるために、飛行機の始発便は避けて旅行をしていましたが、今回はツアーですのでその融通も利きません。
さもなければ、羽田での乗り換えに間に合わない、鹿児島空港からの観光バスに間に合わないという事態になってしまいます。
そこでちょっと贅沢、新千歳空港直結のホテルに1泊することにしました。
明日も私は午前中仕事、奥さんは今夜夜勤ですので夜勤明けで帰宅。
午後二人が揃ったところで、いざ出発!
まずはJR札幌駅のコインロッカーに荷物を預けて昼食、その後父の病院をお見舞いして話を聞いて、そして新千歳に行きホテルで1泊。
翌日は、朝食付きプランなのでゆっくり朝食を摂り、ゆっくり空港へ(カウンターまで徒歩2分!)行って荷物を預けて出発するつもりです(^^♪
チェックインはもうすでにWebで済ませてますから、今のところ手続きには何の問題もありません。
問題があるとすれば、今夜から全道的に天候が大荒れになる予報で、強風と高い気温による湿った雪の影響が飛行機の離陸に影響しなければ・・・と言うことだけです(これが一番心配なんですけど;)。
と言うことで、しばらく日記の更新はお休みさせて頂きますm(__)m
来週末の連休頃には、珍道中の報告ができると思いますので、それまでお待ちください。
では、行ってきま~すε=ε=ヽ*^∇^)ノ イッテキマース♪
「昼食」
・パエリア弁当
・スパゲティーミートソース
「夕食」
・ひれかつ弁当(ひれかつ3切れ、海老フライ、コロッケ半分、さらしオニオン、レタス、ひじきの煮物、漬物)
・たらこスパ
今日のBW:77.5kg
夕方、今日も病院に行った母から電話があり、病室に行くと父がいなかったそうです。
どこへ行ったのかと、ふと病室のそばの洗面所を見ると洗髪をしている人の姿が見え、そばに行くとその人はまぎれもなく父だったとか。
汗をかいて痒かったので、看護師(看護助手?)に頭を洗ってもらっていたそうです;;;
病室のベッドに戻り話を聞くと、今朝から食事が出たとか;;;
3分粥だったそうですが、全部食べれたけどいきなりじゃ何だからと3割ほど食べて止めたとか。
そうこうしているうちに昼食の時間になり、父と母の目の前に運ばれてきた食事は、何と!!!普通食だったので驚いたんだそうです。
看護計画をじっくり読みなおしてきた母の話ですが、術後の食事は重湯から初め、それも術後4日目からと記載されていたと。
なのに、術後2日目にはもはや普通食って、いいのかいこれで?
まあ、主治医の方針らしく、父の回復具合があまりにも早いから予定を早めてという事なんでしょう。
まだ鎮痛剤の持続は続いているようですが、母や看護師の介助があれば歩いてもいいと許可が出たそうです。
しかも、積極的にどんどん歩けと言われたとか。
さっそく母と二人で売店へ行き、飲み物や雑誌などを買い込んできたと言っていました。
主治医は歩く事の他に、どんどん食べてどんどん何でも飲みなさいとも指示したとか;
家族の私達の方が心配になってくるほどの指示の出し方ですが、その方が回復も早いでしょうし、早くに退院ができるならそれに越したことはありません。
明日またお見舞いに行きますが、明日はどれだけ術後の回復具合が進んでいるのか、見聞きすることが楽しみになってきました。
父の手術も無事成功し、いよいよ私達の旅行の日が近づいてきました。
今回の旅行はJALツアーズ(JAL eトラベルプラザ)で申し込んだので、貯まっていたマイルを旅費に充当できたおかげで予算の半分ほどで済みました。
そこでできた余裕で、今回はちょっと贅沢をすることにしました。
ツアー出発は日曜の朝ですが、自宅から当日出発すると、自家用車を持たない私達は朝早くに公共交通機関で空港まで行かなければなりません。
それも、午前5時台の始発に乗らなければならず、そのためには少なくとも午前4時頃には起きて、飲まず食わずで向かわなければならないんです。
定時に空港に着いても、飛行機のドアクローズまでに時間的な余裕はほとんどなく、荷物を預けたりセキュリティーを通過して搭乗口までは大急ぎでなければなりません。
一服する時間や空弁を買う時間はもとより、トイレに行く時間もないかもしれないスケジュールなんです。
いつもはそれを避けるために、飛行機の始発便は避けて旅行をしていましたが、今回はツアーですのでその融通も利きません。
さもなければ、羽田での乗り換えに間に合わない、鹿児島空港からの観光バスに間に合わないという事態になってしまいます。
そこでちょっと贅沢、新千歳空港直結のホテルに1泊することにしました。
明日も私は午前中仕事、奥さんは今夜夜勤ですので夜勤明けで帰宅。
午後二人が揃ったところで、いざ出発!
まずはJR札幌駅のコインロッカーに荷物を預けて昼食、その後父の病院をお見舞いして話を聞いて、そして新千歳に行きホテルで1泊。
翌日は、朝食付きプランなのでゆっくり朝食を摂り、ゆっくり空港へ(カウンターまで徒歩2分!)行って荷物を預けて出発するつもりです(^^♪
チェックインはもうすでにWebで済ませてますから、今のところ手続きには何の問題もありません。
問題があるとすれば、今夜から全道的に天候が大荒れになる予報で、強風と高い気温による湿った雪の影響が飛行機の離陸に影響しなければ・・・と言うことだけです(これが一番心配なんですけど;)。
と言うことで、しばらく日記の更新はお休みさせて頂きますm(__)m
来週末の連休頃には、珍道中の報告ができると思いますので、それまでお待ちください。
では、行ってきま~すε=ε=ヽ*^∇^)ノ イッテキマース♪
「昼食」
・パエリア弁当
・スパゲティーミートソース
「夕食」
・ひれかつ弁当(ひれかつ3切れ、海老フライ、コロッケ半分、さらしオニオン、レタス、ひじきの煮物、漬物)
・たらこスパ
今日のBW:77.5kg
今日はいつものように午後半休でしたので、また奥さんを伴って父のお見舞いに行ってきました。
昨日の今日ですから、まだ麻酔から醒めやらぬか、痛みで辛い思いをしているか、いろいろと考えながら病院に向かいました。
途中、先に行って帰途だった母から電話があり、術後すぐは救命措置などできる機器を設置してある回復室のような病室に入っていましたが、母がいた昼前には術前にいた一般病室に移されたとのこと。
しかも、車いすに乗って移され!車いすからベッドへの移乗時は、自力で立って数歩歩いてベッドに移ったそうです。
ちょ、ちょっと待ったぁ!
昨日、約10時間近い大手術を受けて、それが終わってからまだ約12時間程度しか経っていないのに、歩いただとぉ~???
そんなバカなことが!!!
半信半疑のまま病室に向かうと、母の話通り元いた病室のベッドに寝てました;
近寄ると目を開け、ごく普通に会話してくるんですよ!
しかもベッド上で半身を起こして、座ろうかと言う勢いなんです!
さらにですよ、上体を起こしてると看護師に怒られるんだと笑いながら、横の冷蔵庫からミネラルウオーターを出してゴクゴク飲んでるんです!
えっ!だって昨日の手術で、いくら小さくとは言え空腸に穴を開けて縫ってるんですからね。
そんな、水なんか飲んだら漏れてこないのか???
上体を動かして痛くないのかと聞いたら、痛くないと父は言うんです。
よく見ると、上腕留置針からリザーバー状のポンプで、恐らく24時間持続の鎮痛剤(麻薬系でしょう)が注入されているようなので、それで痛みは全く感じていないようなんです。
その影響で、歩いた時に足に感覚がなくてふらついたとか、横になっていると常に眠くなると言っていましたけど・・・。
昨日の今日で、ここまで元気な患者は見たことがないと、看護師は驚いていたとか。
まあ、ガスター入り輸液2本にアルブミン2本が鎖骨下静脈から(IVH:高カロリー輸液ですね)、腹腔からはドレーンで腹水を、尿はバルーンでウロバッグにと、知らずに見ると管だらけの重症患者ですけど、本人はいたって元気。
まあ、あまり長くいると父もさすがに疲れるでしょうから、10分程度で今日のところは帰ってきました。
それにしても、父は20年以上前にも手術をしてますが、その時は痛んで痛んでのたうち回って、術後3日くらいは麻酔の影響で何をしゃべったか記憶がないと後日言っていました。
もちろん2週間くらいはベッド上で絶対安静、痛みとストレスで十二指腸潰瘍にまでなってしまい、退院まで2ヶ月以上かかったと記憶していますが。
今の医学の常識では、術後すぐに動かすんですもんね;
麻薬を含む鎮痛剤の使い方も大幅に変わってますし、考え方も変わってます。
昔は、治りが遅くなるから痛み止めは極力使わず、患者には極限まで我慢してもらい、最終的に我慢できなくなった時だけ鎮痛剤を使う、しかも非常に鎮痛作用の弱いものをと言うのが常識でした。
今は違いまして、痛みは極力除去してストレスによる治癒遅延と精神的悪影響をなくするのが常識です。
かと言って、生涯この鎮痛剤を使っておく訳にはいきませんから、頃合いを見て鎮痛剤の使用を止める事でしょう。
さあ、問題はその後です。
今は痛みがないと思っていてもそれは薬のおかげですから、どれだけの痛みが出現するか、私はちょっと心配です。
「昼食」(ラーメン屋)
・特製味噌ラーメン(味玉、白髪ネギ、メンマ、チャーシュー、キクラゲ、モヤシ)
「夕食」(本日より弁当生活)
・あさり炊き込み弁当(銀ダラ、煮物(人参、ごぼう)、大根の千切り漬物
・なすミートスパゲティー
「デザート」
・生キャラメル(花畑牧場)
・ポテトチップチョコ フロマージュ(ロイズ)
今日のBW:78kg
昨日の今日ですから、まだ麻酔から醒めやらぬか、痛みで辛い思いをしているか、いろいろと考えながら病院に向かいました。
途中、先に行って帰途だった母から電話があり、術後すぐは救命措置などできる機器を設置してある回復室のような病室に入っていましたが、母がいた昼前には術前にいた一般病室に移されたとのこと。
しかも、車いすに乗って移され!車いすからベッドへの移乗時は、自力で立って数歩歩いてベッドに移ったそうです。
ちょ、ちょっと待ったぁ!
昨日、約10時間近い大手術を受けて、それが終わってからまだ約12時間程度しか経っていないのに、歩いただとぉ~???
そんなバカなことが!!!
半信半疑のまま病室に向かうと、母の話通り元いた病室のベッドに寝てました;
近寄ると目を開け、ごく普通に会話してくるんですよ!
しかもベッド上で半身を起こして、座ろうかと言う勢いなんです!
さらにですよ、上体を起こしてると看護師に怒られるんだと笑いながら、横の冷蔵庫からミネラルウオーターを出してゴクゴク飲んでるんです!
えっ!だって昨日の手術で、いくら小さくとは言え空腸に穴を開けて縫ってるんですからね。
そんな、水なんか飲んだら漏れてこないのか???
上体を動かして痛くないのかと聞いたら、痛くないと父は言うんです。
よく見ると、上腕留置針からリザーバー状のポンプで、恐らく24時間持続の鎮痛剤(麻薬系でしょう)が注入されているようなので、それで痛みは全く感じていないようなんです。
その影響で、歩いた時に足に感覚がなくてふらついたとか、横になっていると常に眠くなると言っていましたけど・・・。
昨日の今日で、ここまで元気な患者は見たことがないと、看護師は驚いていたとか。
まあ、ガスター入り輸液2本にアルブミン2本が鎖骨下静脈から(IVH:高カロリー輸液ですね)、腹腔からはドレーンで腹水を、尿はバルーンでウロバッグにと、知らずに見ると管だらけの重症患者ですけど、本人はいたって元気。
まあ、あまり長くいると父もさすがに疲れるでしょうから、10分程度で今日のところは帰ってきました。
それにしても、父は20年以上前にも手術をしてますが、その時は痛んで痛んでのたうち回って、術後3日くらいは麻酔の影響で何をしゃべったか記憶がないと後日言っていました。
もちろん2週間くらいはベッド上で絶対安静、痛みとストレスで十二指腸潰瘍にまでなってしまい、退院まで2ヶ月以上かかったと記憶していますが。
今の医学の常識では、術後すぐに動かすんですもんね;
麻薬を含む鎮痛剤の使い方も大幅に変わってますし、考え方も変わってます。
昔は、治りが遅くなるから痛み止めは極力使わず、患者には極限まで我慢してもらい、最終的に我慢できなくなった時だけ鎮痛剤を使う、しかも非常に鎮痛作用の弱いものをと言うのが常識でした。
今は違いまして、痛みは極力除去してストレスによる治癒遅延と精神的悪影響をなくするのが常識です。
かと言って、生涯この鎮痛剤を使っておく訳にはいきませんから、頃合いを見て鎮痛剤の使用を止める事でしょう。
さあ、問題はその後です。
今は痛みがないと思っていてもそれは薬のおかげですから、どれだけの痛みが出現するか、私はちょっと心配です。
「昼食」(ラーメン屋)
・特製味噌ラーメン(味玉、白髪ネギ、メンマ、チャーシュー、キクラゲ、モヤシ)
「夕食」(本日より弁当生活)
・あさり炊き込み弁当(銀ダラ、煮物(人参、ごぼう)、大根の千切り漬物
・なすミートスパゲティー
「デザート」
・生キャラメル(花畑牧場)
・ポテトチップチョコ フロマージュ(ロイズ)
今日のBW:78kg
今日、有休を取って仕事を休み、父の手術のため大学病院に詰めていました。
手術に立ち会えるわけでもなかったんですが、家族として何らかの事態のためにいたと言う事です。
朝5時に起きて、猛吹雪でマイナス4℃の中を病院に到着したのは午前7時前。
早くに行ったおかげで1時間ほど父とゆっくり話をすることもできました。
私の予想に反して、安定剤などの処置は病室にいる時はなく、手術室へ向う直前の午前8時頃になって軽く身支度しただけで、一緒に手術室の前まで歩いて行き、「じゃあ、行って来る」との言葉を残して手術室に入って行きました。
あとを見送ってからは、ひたすら病棟のディルームで読書をしながら過ごし、午前11時頃母が、午後2時頃うちの奥さんが到着して合流。
またひたすら待っていると、外科主治医が手術を抜け出してきて、もしかすると腎臓も摘出することになるかもしれないので・・・と。
任せた以上は誰にも異論をはさむ余地なしで、またひたすら待つ。
午後4時半過ぎ、手術開始からおよそ7時間半を経過したところでまた外科主治医がやってきて、予定通りほぼ問題なく終了し、腎臓も無事に残すことができたと報告あり。
あろうことかこの時点でこの主治医は手術を終了し、あとは内科医が肝臓内の小さいガンを焼き殺しておなかを閉じるだけなので、自分は学会へ行きますだって;;;
学会って、あ~た、そりゃ単なる市内での講演会(プラス懇親会プラス飲み会)でしょ!
こんな時間から始まる学会なんて聞いたこともないわ!
ま、とりあえず自信満々に主治医がそう言うのだから、無事に戻ってくるんだろうと言うことで、私も学会へ(* ̄m ̄)ノ彡☆ピシッ
そう、今夜の私は接待ですもん。
朝7時から夕方5時までの10時間病院に詰めていた任を母に代ってもらい、奥さんと二人で帰途につきました。
接待中に母から連絡があり、手術室から出てきたのは午後6時半頃、呼べばちゃんと返事もするし大手術を受けた身でありながら母の事を気遣って帰れと言ったとか。
私の事は・・・ないでしょうね;
生きて無事帰還したのを見て、母ももうやることもなく、あとの事を看護師と当直の医師に任せて午後7時5分前、玄関が施錠される寸前に帰途についたそうです。
今後の事はその時のこととして、とりあえず今日のところは、まだ生きていられることになり本当に良かったです。
「朝食」(スターバックス:解説はスタバのホームページより)
・チキンサラダサンドイッチ(ローストチキンに、クリームチーズのなめらかなコク、枝豆の食感と彩り、鮮やかなグリーンのジェノベーゼソースの香り高い風味を合わせてサラダにしています。
トマトの酸味をプラスした爽やかな味わいのサンドイッチと、ゆで卵のしっかりとしたコクで食べ応えのあるサンドイッチの組み合わせ。 9種の穀物を練りこんだマルチグレインブレッドを使用)
・フィローネハム&マリボーチーズ(オーストラリア産デボラ塩を使ったショルダーハムと、デンマーク産マリボーチーズ)
・コーヒー
「夕食」(寿司屋で接待)
・たこまんま
・お造り(超巨大数の子(自家処理)、アジ、タラバガニ、ヤリイカ1杯、マグロ赤身、マグロ中トロ)
・うに鍋(うに、ネギ、筍、三つ葉、卵)
・タチの天ぷら
・タコ頭とネギのヌタ
・カワハギのから揚げ
・握り(海水うに②、アジ、サビ巻き)
・鮭児のアラ汁
今日のBW:77.5kg
手術に立ち会えるわけでもなかったんですが、家族として何らかの事態のためにいたと言う事です。
朝5時に起きて、猛吹雪でマイナス4℃の中を病院に到着したのは午前7時前。
早くに行ったおかげで1時間ほど父とゆっくり話をすることもできました。
私の予想に反して、安定剤などの処置は病室にいる時はなく、手術室へ向う直前の午前8時頃になって軽く身支度しただけで、一緒に手術室の前まで歩いて行き、「じゃあ、行って来る」との言葉を残して手術室に入って行きました。
あとを見送ってからは、ひたすら病棟のディルームで読書をしながら過ごし、午前11時頃母が、午後2時頃うちの奥さんが到着して合流。
またひたすら待っていると、外科主治医が手術を抜け出してきて、もしかすると腎臓も摘出することになるかもしれないので・・・と。
任せた以上は誰にも異論をはさむ余地なしで、またひたすら待つ。
午後4時半過ぎ、手術開始からおよそ7時間半を経過したところでまた外科主治医がやってきて、予定通りほぼ問題なく終了し、腎臓も無事に残すことができたと報告あり。
あろうことかこの時点でこの主治医は手術を終了し、あとは内科医が肝臓内の小さいガンを焼き殺しておなかを閉じるだけなので、自分は学会へ行きますだって;;;
学会って、あ~た、そりゃ単なる市内での講演会(プラス懇親会プラス飲み会)でしょ!
こんな時間から始まる学会なんて聞いたこともないわ!
ま、とりあえず自信満々に主治医がそう言うのだから、無事に戻ってくるんだろうと言うことで、私も学会へ(* ̄m ̄)ノ彡☆ピシッ
そう、今夜の私は接待ですもん。
朝7時から夕方5時までの10時間病院に詰めていた任を母に代ってもらい、奥さんと二人で帰途につきました。
接待中に母から連絡があり、手術室から出てきたのは午後6時半頃、呼べばちゃんと返事もするし大手術を受けた身でありながら母の事を気遣って帰れと言ったとか。
私の事は・・・ないでしょうね;
生きて無事帰還したのを見て、母ももうやることもなく、あとの事を看護師と当直の医師に任せて午後7時5分前、玄関が施錠される寸前に帰途についたそうです。
今後の事はその時のこととして、とりあえず今日のところは、まだ生きていられることになり本当に良かったです。
「朝食」(スターバックス:解説はスタバのホームページより)
・チキンサラダサンドイッチ(ローストチキンに、クリームチーズのなめらかなコク、枝豆の食感と彩り、鮮やかなグリーンのジェノベーゼソースの香り高い風味を合わせてサラダにしています。
トマトの酸味をプラスした爽やかな味わいのサンドイッチと、ゆで卵のしっかりとしたコクで食べ応えのあるサンドイッチの組み合わせ。 9種の穀物を練りこんだマルチグレインブレッドを使用)
・フィローネハム&マリボーチーズ(オーストラリア産デボラ塩を使ったショルダーハムと、デンマーク産マリボーチーズ)
・コーヒー
「夕食」(寿司屋で接待)
・たこまんま
・お造り(超巨大数の子(自家処理)、アジ、タラバガニ、ヤリイカ1杯、マグロ赤身、マグロ中トロ)
・うに鍋(うに、ネギ、筍、三つ葉、卵)
・タチの天ぷら
・タコ頭とネギのヌタ
・カワハギのから揚げ
・握り(海水うに②、アジ、サビ巻き)
・鮭児のアラ汁
今日のBW:77.5kg
うちの病院には珍しく、ここ数日で3人のターミナル患者が入院しました。
以前は提携病院にお願いしていましたが、今はその病院とは手を切ったのでお願いできず、仕方なく受け入れたんですけど。
もともとうちの病院はターミナルケアに近いとは言え、本来のターミナルはやってませんから、看護介護は対応できても治療と言った面に関しては設備も材料もありません。
ターミナルですから積極的治療はしませんが、安楽のための鎮痛剤などは必要ですけど、それすらほとんど置いてませんし。
ドクターも、家族が積極的治療は望まないと言っていても、どこまでが積極的治療でどこからが消極的治療なのか、何もせず放っておいていいのかどうかの判断がつかないようで、やはりいつものように治療しようとしてしまうんです。
今日入院した3人目の患者は前立腺ガンがすでに骨転移していて、泌尿器科医から一度総合病院への入院を勧められ、手筈も整えてもらったのにもかかわらず、まだ元気だった本人が断ってしまったそうです。
その後自宅療養している間に、悪い事に脳梗塞発作に襲われ、脳神経外科に運ばれて治療を受けました。
脳外の方ではやるべき治療はすべて終え、これ以上の回復は望めないと判断された段階で、退院を勧告されたそうです。
かと言って、いまさらメンツをつぶしてしまった泌尿器科医のところへ入院させてとも言えず、結局昔からのかかりつけ医だった一般内科の当院に運び込まれたという次第。
今日病院に来た時点で既に意識は朦朧としており、骨転移をしているから痛みは相当なはずなんですけど、こちらにとっては幸いなことに、痛みを訴える事もない状態でした。
もちろん、泌尿器科医から投薬されていた抗がん剤等飲める状態でもないですし、血液検査の結果ももうこれ以上は望めないだろうというものでした(悪い)。
看護スタッフも家族の希望通り、このまま安らかに送り出すものと思って対処していたんですが、回診に来て検査データを見たドクターが輸血の指示を出したんです。
えっ!何で???
本音[いくらヘモグロビンが少ないからって、今輸血したところで回復するとは思えないけど・・・]
医者は、「これだけ手を尽くしてもダメだったんだから・・・」と言う、ある種の型を作ろうとする傾向があります。
それは、その後の言い訳にもできますし、積極的治療をしないで欲しいと言った家族にとっては医者の自己満足とも思えるような処置をしようとすることがあります。
家族の経済的負担など一切無視して。
それが自分に課された使命だと思い込み、手を尽くすことが医者の本分だと叩きこまれた、旧態依然とした日本の医学の弊害だとは気付かずに。
輸液だけではなく、輸血と言う治療を施したことで、ターミナルとは言えなくなってしまったと思います。
それが、苦痛なく意識鮮明のままの安楽と言う、ターミナルの目的とは違うと私は思うんです。
医者の間では、ターミナル、つまり緩和医療に手を付けるということは医学の負けを意味するという風潮がいまだに残っています。
それは違う!そうじゃないんだ!という患者の声もむなしく、また無駄な医療費が全国で使われて、旅立つ人間の尊厳など医者の自己満足の前では何の意味も持たないという、まことに愚かな行為が繰り広げられていくんです。
明日私は休みですから、あの薬を使う、この薬はないかと医者が騒いでも、私の関知するところではありません。
どうしてもそれを使いたかったら、自分で注文して入手し、自分の責任において施行すればいいでしょう。
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以前は提携病院にお願いしていましたが、今はその病院とは手を切ったのでお願いできず、仕方なく受け入れたんですけど。
もともとうちの病院はターミナルケアに近いとは言え、本来のターミナルはやってませんから、看護介護は対応できても治療と言った面に関しては設備も材料もありません。
ターミナルですから積極的治療はしませんが、安楽のための鎮痛剤などは必要ですけど、それすらほとんど置いてませんし。
ドクターも、家族が積極的治療は望まないと言っていても、どこまでが積極的治療でどこからが消極的治療なのか、何もせず放っておいていいのかどうかの判断がつかないようで、やはりいつものように治療しようとしてしまうんです。
今日入院した3人目の患者は前立腺ガンがすでに骨転移していて、泌尿器科医から一度総合病院への入院を勧められ、手筈も整えてもらったのにもかかわらず、まだ元気だった本人が断ってしまったそうです。
その後自宅療養している間に、悪い事に脳梗塞発作に襲われ、脳神経外科に運ばれて治療を受けました。
脳外の方ではやるべき治療はすべて終え、これ以上の回復は望めないと判断された段階で、退院を勧告されたそうです。
かと言って、いまさらメンツをつぶしてしまった泌尿器科医のところへ入院させてとも言えず、結局昔からのかかりつけ医だった一般内科の当院に運び込まれたという次第。
今日病院に来た時点で既に意識は朦朧としており、骨転移をしているから痛みは相当なはずなんですけど、こちらにとっては幸いなことに、痛みを訴える事もない状態でした。
もちろん、泌尿器科医から投薬されていた抗がん剤等飲める状態でもないですし、血液検査の結果ももうこれ以上は望めないだろうというものでした(悪い)。
看護スタッフも家族の希望通り、このまま安らかに送り出すものと思って対処していたんですが、回診に来て検査データを見たドクターが輸血の指示を出したんです。
えっ!何で???
本音[いくらヘモグロビンが少ないからって、今輸血したところで回復するとは思えないけど・・・]
医者は、「これだけ手を尽くしてもダメだったんだから・・・」と言う、ある種の型を作ろうとする傾向があります。
それは、その後の言い訳にもできますし、積極的治療をしないで欲しいと言った家族にとっては医者の自己満足とも思えるような処置をしようとすることがあります。
家族の経済的負担など一切無視して。
それが自分に課された使命だと思い込み、手を尽くすことが医者の本分だと叩きこまれた、旧態依然とした日本の医学の弊害だとは気付かずに。
輸液だけではなく、輸血と言う治療を施したことで、ターミナルとは言えなくなってしまったと思います。
それが、苦痛なく意識鮮明のままの安楽と言う、ターミナルの目的とは違うと私は思うんです。
医者の間では、ターミナル、つまり緩和医療に手を付けるということは医学の負けを意味するという風潮がいまだに残っています。
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自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
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