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管理人の食卓風景と日常の日記
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昨日書けなかった話です。
昨日の朝、疲れを引きずったまま出勤し、それでも仕事は仕事と、切り替える努力をしながらいつもの仕事を開始しました。
朝イチで薬の注文をするため、問屋のコールセンターに電話したところ、受けた女性が不慣れな女性で、1品目毎に「少々お待ちください」と電話の向こうでキーボードを打つ音が聞こえる。
何品目かごとに「もう一度商品名をお願いできますか」とか、「もう一度規格をお願いできますか」と、一向に進まないものだから、私はキレました。
それでなくても、精神的・肉体的に疲れがドッと出ていて、なまら不機嫌だった私です、「私の言葉は聞き取りづらいですか?」と怒りを押さえて聞いてやりました。
そうしたら返事が「いいえ・・・」だったので、ますますブチ切れ、「もういい!(怒)」と怒りを込めて受話器を置きました。
さて、これからどう出てくるかと思っていたら、その問屋から電話があり、コールセンターの別の女性からで「不慣れな者が失礼いたしました。次の商品は・・・」と聞いてきたんです。
全注文取り消しと言って断ろうかとも思いましたが、とりあえず怒りを納めて注文を続けました。
しばらくして、配送の人が商品を搬入し、これなんですがと言って私に見せた薬。
「不慣れな」女性に、ある注射剤を10本と言ったところ、『10本入1箱ですね』と言い返してきたので、それでいいですと、わざわざそういったやり取りをしていたにもかかわらず、『1本入10箱』を持ってきたんです。
私の怒りの炎に油が注がれました。
普段なら1本入でも10本入でもどちらでも良いよと受け取るところですが、さすがの今日の私には『冷静』と言う言葉はありませんでした。
『ダメだ!持って帰れ!!!(怒)』
配送の人に何の落ち度も不手際もなかったんですが、申し訳ないが怒りをぶつけさせてもらいました。
そのやり取りの後も、その問屋の担当者は来ない、連絡の1つもない。
父の葬儀の時には、忙しい中を駆けつけてくれて、寒い中を駐車場係を担当してくれたので感謝で頭が上がらない相手なんですが、それとこれとは別!
もうすぐ昼休みと言う時間になって、ドアをノックする音が。
担当者が申し訳なさそうな顔をしてドアを開けたのは、昼休みに入るわずか2分前。
申し訳ないと、自分の会社の言い訳をするばかり。
この後、昼休み明け直後に消防署員立会での「消火避難訓練」が予定されていましたから、昼休みを早々に切り上げて戻って来なければならないのに、「あーだったから、こーだったから」と言い訳を繰り返すだけ。
「あなた達は、どんどん私の怒りに油を注ぐような事をするんだね」と、午後の訓練の事を言って帰ってもらいました。
昼休みを終えて職場に戻ると、この担当者が廊下に立って待っていました。
みっともないったらありゃしない。
注文通りの注射剤を持って来ましたは良いんですが、この後すぐに支店長がお詫びに来ますのでと。
待てよ!おいっ!
これからすぐ訓練があるって言っただろっ!
『来るなって言えっ!(怒)』
ったく、何考えてんだか、どいつもこいつも。
「わかりました、支店長にはそう言います」と言って、帰って行った担当者でしたが・・・。
訓練開始10分程前に消防署員が消防車で到着し、事務長との最終打ち合わせで当初の予定より10分遅らせて始めることになりましたが、その情報が伝わってきたと同時にちらっと支店長が私を覗き込んでいる姿が見えました。
来やがったなこの野郎っ!
無視して他の職員と手順の確認などをし、開始時間を待っていました。
もう後数分で始まるとなった時、情報管理室のドアが開き、この支店長が入り込んで来たではないですか!
「来ないでくださいとお願いしたはずですけど!」
そういう私の言葉を遮るようにどんどん入り込んで来て、「まだ始らないようなので、待っていましたが、どうしてもお詫びをしたくて参りました」と。
一方的に謝罪を言って、ひたすら頭を下げて、さっさと帰って行きましたけど。
話をするとか、今後の対応を聞くとか、まさにもう訓練が始まると言う段では、何一つ聞く事も出来なければ、こちらから言う事も出来ない状況での謝罪って、あちらさんの自己満足以外の何物でもないと思う。
予定通り10分遅れで始まった訓練を終え、汗を拭きつつ先ほどのシーンを思い出せば出す程、更に怒りが込み上げてきた。
あれって、謝罪の押し売り以外の何物でもないと思うし、来ないでくださいと言うこちらの願いも無視され、周りが訓練と言う緊張に包まれた中で、スーツ姿の病院にはそぐわない恰好で廊下で立って待たれてるって、どう思いますか。
自分が頭を下げればそれですべてが解決すると勘違いしてるんじゃないのか。
大体、『避難訓練があるから来ないで』と言ってるにもかかわらず、その訓練開始直前に来るって、相手の状況など一切お構いなしで、自分さえ良ければいいとしか受け取れないでしょう。
もし本当に謝罪する意思があるなら、訓練と言ったって30分程度で終わるものですから、玄関先に停まっていた消防車がいなくなってから入って来ればまだ可愛い所があるったってね。
昨夜奥さんは夜勤で私一人でしたが、父の事を思い出すどころか、昨日の朝から午後までのこの出来事を思い出してしまって、ムカついて本当に気分が悪かったです。
冗談抜きで、取引停止にしてやろうかっ!(怒)

「朝食」
・おにぎり(筋子、明太子)
・漬物
・シジミの味噌汁

「昼食」
・冷やしぶっかけ山菜そば

「夕食」
・和風山菜パスタ、バター正油
・ザンギ
・ソーセージソテー
・焼酎のウーロン茶割り

「デザート」
・供物に上がったスイカ

今日のBW:70kg

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今日から職場復帰です。
昨日は実家から戻ってから爆睡、夜も起きていられず午後10時には爆睡。
そして今朝は・・・起きたくなかった;
仕事に行きたくないんじゃなく、ただただそのまま寝ていたかった。
仕事は月曜日に、忌引き扱いのまま出てきて、すべてを処理してあったので、今日の仕事はほとんどないのは知っていましたから。
朝の朝礼で、皆の前でご挨拶と思っていましたが、企業の健康診断が入っていたため中止になり、機会を逃してしまいました。

それにしても肝臓ガンが発見されてからのこの3年と3ヶ月程、よくぞここまで頑張ってくれたものです。
まあ、初発の数十年前から肝硬変と言う爆弾を抱えたような生活でしたが、苦しい検査にも治療にも耐え、「また死にぞこなった」と笑顔で何度も生還を果たし、今回もまたゴールデンウィーク明けには退院して、体力の回復に努めようと話していたのに。
覚悟はしていました、できていました。
良くなったり悪くなったりを繰り返して徐々に徐々に悪化していき、最後のICUに入ってからも「いきなり突然」とならず、粘りに粘って生き続けてくれた父。
母には1人暮らしの方法を教え、私達には最後の最後の時までも一旦帰ってゆっくりして来いとでも言わんばかりに、医師から今日1日は持たないと言われていたのに夕方には血圧まで上げて私達を帰宅させてくれた父。
今となっては、そんな気配りをしてくれた父に感謝したい。
あれだけ寂しがり屋だった父が、私達に帰っていいぞなんて、1人で旅立つなんて考えもしなかった。
でも、それが家長の務めと我慢してくれたんでしょう。
また四十九日以降は納骨して一人にさせてしまうけど、そばには阿弥陀様もいるし、私達もすぐそばにいるから。
1人じゃないよ、俺達はすぐそばにいるよ。

昨日の初七日を無事滞りなく終えて、疲れがドッと出ました。
先週火曜日に呼び出されてから昨日まで、何が何だか分からないうちに周りが動き出し、流れに乗っているうちに終わったと言う感じです。
亡くなったその日から、僧侶、葬儀社や仕出し料理屋との打ち合わせ。
長男として決めなければならない事も多数あり、葬儀会場でも「お兄さ~ん」と葬儀社の担当者にたびたび呼び出され、あれは決めたここに連絡はしたと、チェックリストでも欲しい毎日でした。
悲しみに暮れて泣いているヒマもなく、まともに食べたのかどうかも分からない状態で変な時間に異常な空腹感を感じたり、酒の力を借りて無理矢理寝たは良いけど、寝たような寝てない様な。
あっちへ行ってもこっちへ行っても、ひたすら「米つきバッタ」のように頭を下げまくって、醜態を曝さないようひたすら同じ姿勢で我慢し続け。
自家用車を持っていないので、どこへ行くにもタクシーに乗り、10年分くらいタクシーに乗ったような気がします。
そのたびに奥さんは乗り物酔いしかけ、私も次第に気分が悪くなったり。
「大変でしたね」と声をかけてくれるのは嬉しいけど、本音の部分では周りの人達の協力ですべてが進んでるとしか実感できなかったので、言う程でもなかった。
ただ、非日常の中心に置かれた事で、自分のリズムが全くなくなると思考能力も欠如し、言われるがままになってしまう怖さは実感できました。
担当者から「これとこれ、どっちにします?」と聞かれても、それ以上の案は思い浮かばないし、その提案自体が正しいのかどうかも判別できない。
担当者を信じて選択するしか、その場で取れる方策はないんですね。

まあ、私だけが大変だった訳じゃない、誰しもが避けて通れない道であり、生きている者誰もが必ず1度や2度は経験することであって、皆がその時は大変な思いをする事です。
経験談を話す事はしても、大変だったとか疲れたとか、同情を買う様な事を言い続けていては、近いうちに皆からバカにされてしまう。
何故なら、誰もが皆経験する事だから。
こんな経験はしたくないと言うのが本音であっても、いつかはきっと来る、経験する時が来て、最後には自分が経験させる側に回る。
これが人の世の習いであり、これが人の一生なんでしょう。

「朝食」
・ハムチーズたまごサンド
・野菜ジュース
・ドリンク剤1本

「昼食」
・冷たい正油ラーメン
・おにぎり(わかめ)

「夕食」
・かき揚げ天ぷらそば
・鮭弁当(ほぐし鮭、コロッケ半分、鶏唐揚、紅ショウガ入りかき揚げ、玉子焼き、きんぴら、漬物)

今日のBW:69.5kg

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この日記は初七日の法要を終えて、ひと段落ついてから書いています。

いよいよ、父のための儀式の間近での最期、初七日法要の日です。
儀式はこの先も、四十九日、1周忌、3回忌と続きますが、さし当たっては今日の初七日を終えればしばらくは一息つけます。
朝7時前に起床し、身支度を整えて、午前8時半頃実家に向かいました。
今日の天気は最悪、昨日からの強い風と時折強く降る雨模様。
ん~、父の涙雨とは思いたくないけど・・・。
午前9時半頃弟も到着。
弟の嫁は仕事の都合で、ローテーションの変更がきかない職場のため、やむなく欠席。
午前10時頃、ようやく小降りになった雨模様の中、父の遺骨や遺影を濡らさないよう走って弟の車に乗り込み、会場として貸し切った仕出し料理屋の宴会場に到着し安置。
仕出し料理屋の担当者が祭壇をしつらえてあり、献花や供物も用意され、参列の親戚の到着を待ちました。
総勢17人が揃い、予定より多少早い午前11時前、僧侶が着席して法要の開始。
この初七日法要は、四十九日法要も引っ張って一緒に行う事とし、四十九日には納骨堂への納骨と読経だけを行って、それは母と私達夫婦、仕事の都合が合えば弟夫婦のみで行う事にしました。
市内在住の親戚も、来てもらえるなら参列してもらいますが、料理やお酒で接待するお斎(おとき)は準備しない事としました。
読経が終わり、僧侶の法話を聞き、会食会場へ移動。
料理が一通り出たところで、まず僧侶が腰を上げ、ついで順に親戚達は帰って行きました。
また強く降りだした雨の中、弟の車で実家へ戻り、祭壇に安置し直してすべての儀式が終了。
弟と母が、父の遺品の何かを探し始めたので、どっと疲れが出てきた私達は実家を後にしました。
今度母と会うのは、今週金曜の夜、私達と弟夫婦の5人で焼肉を食べに行く約束をしています。

「朝食」
・奥さんお手製にゅう麺(椎茸、舞茸、長ネギ、玉子)

「昼食」(仕出し料理店で法要料理)
・お造り(マグロ、ヒラメ、甘海老、ホッキ)
・うに
・天ぷら(笹竹、レンコンのはさみ揚げ、海老など)
・茶碗蒸し
・煮物
・寿司6貫(私は食べませんでした)
・お吸い物
・ウーロン茶

「夕食」
・法要料理についた持ち帰り用仕出し料理
・焼酎のウーロン茶割り

今日のBW:70kg

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この日記は初七日の法要を終えて、ひと段落ついてから書いています。

朝、いつもの時間に職場に行くと、会う人会う人、第1声は全員これでした。
まずは外来看護主任に挨拶と礼をし、ついで院長に、そして看護師長にと、あちこちに挨拶回り。
その間事務員が飛んで来て、今日は休まないのかと聞くので、休み扱いのまま仕事を片付けると言いました。
一度忌引きを切ってしまうと、もうその後からは忌引き扱いにできないのでと言うので、今日も忌引き休みのままにしておいてくれと頼む。
それじゃあ幽霊が仕事してるんだねと事務員の返事。
それって、今の私にはシャレにもならないんですけど。
書類などの整理を始めること2時間半、ようやくすべてを片付け終わり、ホッと一息ついている所にまた事務員が来て、何やら私に差し出しました。
見るまでもなくすぐ気が付いた私。
事務員が持ってきたのは、親睦会から出した香典の香典返しと会葬御礼のはがきでした。
そう!私は親睦会の会長です。
支出の許可は私が出し、返礼で来たものはとりあえず私の所に持ってくるルールになっています。
事務員が笑いながら持ってきたので、こちらも笑って「差し上げます」と返答した次第。
自分が出した香典をもらって、自分が返した香典返しを貰うって、おかしな話。
ところで、今回私の父の葬儀に際して、会長としての私の許可なく会計担当の事務員が香典と花輪の支出をしたって事になるけど・・・、まっ、いっかぁ~(^^ゞ
そうそう、今朝事務から給与明細をもらって気が付いたけど、今日って給料日ジャン!
日にちの感覚がなくなってしまっている;
昼、自宅に戻って昼食をかき込み、急いで銀行へ行き、生活費などをおろしてきましたけど。
午後、まだまだ仕事。
今日注文した分の伝票を処理し、明日も休むので明後日の分の発注をかける準備などをしていました。
慌ただしく仕事をしていたら、来るわ来るわ、問屋とメーカーの担当者が次々とお悔やみを言いに。
実際は明日まで休みですから、今日は出勤していないだろうと思っていた彼らが、薬局の照明が点いているのでもしかしたらと思って入ってきたと。
通夜に参列してくれたり、弔電をくれたメーカーと問屋の担当者でしたから、「今日は幽霊だから来ないで」とも言えず、またひとしきり状況説明と御礼の挨拶続き。
『仕事をしに来たんだから邪魔しないでくれっ!』とも言えず、空気読めよ!と心の中で思っていた私でした。
一通り処理し終わって、休み中の気安さ、午後4時頃、外来看護主任に帰るからと言い残して帰宅しました。
このまま終業までいる義務もないし、またメーカー担当者でも来たらそれこそ話すのも面倒なので。
帰宅して一息ついて、午後4時半過ぎ、今夜も実家へ顔を出すと言ってあったので、バスに乗りまずは奥さんの職場まで行きました。
外で待っていたら、不穏な強風が吹き荒れていて、目にゴミは入るし、髪はぶっ飛んでグチャグチャになるし、わやだ!
奥さんにメールしてあったのに、仕事が終わる時間になっても出てこない。
イライラしながら待っていたら、メールを見ていなかっただって(-_-;)
タクシーで実家に行くと先に弟が来ており、明日の打ち合わせをして、そばを食べて帰って来ました。
今日もまた母は、泊って行って欲しいような素振りでしたが、私達がいると何もしなくなるからダメ!

「昼食」
・カップちゃんぽん麺
・おにぎり(鮭)

「夕食」(実家で)
・とろろそば
・まだある仕出しの残り

「自宅でくつろいで」
・焼酎のウーロン茶割り

今日のBW:70kg

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この日記は初七日の法要を終えて、ひと段落ついてから書いています。

今日は僧侶の都合で、朝早くには来れず、午前中には来ますと言われていました。
朝食後テレビを眺めつつ待っていると、午前10時半頃、僧侶がやってきて読経開始。
終了後、今後の予定の確認と、仏壇を用意する際の注意などを僧侶から聞きました。
私達もそろそろ自宅に戻りたいのと、母も美容室へ行くと言うので昼前にタクシーを呼んで外出。
母はまだ私達に泊っていて欲しいような言動を繰り返していましたが、気持ちは分かるしそうしてあげたいのは山々なんですけど、もう勘弁してと言うのが私の本音。
いくら私も長年暮らした実家とはいえ、ここを出てからすでにかなりの年月が経っていますし、私の部屋はもう父の仕事場のようになっていて、私がくつろげるスペースはないと言っても過言ではありません。
何をするにしても実家はもう母の自宅、普段自宅で座イスに寄りかかって暮らしている私達にとって、実家のどこにももたれてくつろげる場所などありませんしね。
唯一、ソファーに寄りかかれますが、そこは母の定位置。
すでに5日も自分の布団から遠ざかっていますし、ここでそろそろ自分の布団が恋しくて。
こんな事口には出してませんけど、母にも1人の夜に慣れてもらわないと。
生前父が入院中にも、母は1人で夜を過ごしていましたから、状況は違うと言っても大丈夫でしょう。
奥さんは洗濯もしなければならない。
そんなこんなで、もっといてくれとの言外の頼みを振り切って、昼前に自宅に戻って来ました。
奥さんが洗濯している間、私はパソコンを開いてメールのチェック。
さすがに5日分、約300通程のメールが届いていて、ほとんどが宣伝やメルマガでしたが、関係なさそうなのは読みもせずすべて削除。
ついで、ここ数日間の決算をし、家計簿ソフトに記入。
そうこうするうちにだんだん眠くなり、洗濯終了と同時に奥さんと2人揃って布団に飛び込みました。
3時間程して目が覚め、そろそろ不在伝票が入っていた宅配便が来るころだろうと起き出し、間もなくインターホンが鳴り荷物が到着。
さて今夜は何を食べるか。
奥さんだって料理する元気もなし。
と言う訳で、まずは風呂に入ってさっぱりし、それじゃあと言う事で宅配ピザに決定。
明日奥さんは仕事ですから、挨拶がてらの出勤。
私は明日も忌引き休みですが、明日は何も行事がないため、朝いつもの時間に職場へ行って、挨拶がてらのお菓子を配り、多分山のようになっているであろう書類や伝票を処理してくる予定です。

「朝食」
・ごはん
・漬物
・残り物
・納豆

「夕食」(ケータリング:自宅にて)
・ピザ マルゲリータ
・スパゲティミートソース
・ウインナー
・焼酎のウーロン茶割り

「夜食」
・味噌シジミ煮込みそば

今日昼のBW:70.5kg

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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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