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管理人の食卓風景と日常の日記
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当院看護師のお通夜に、奥さんと連れ立って行ってきました。
奥さんと故人は同僚と言う訳ではないんですが、何度も私の職場内で会っており、会話も交わした事があって、全く面識がない訳ではないんです。
また、故人の姉とは、名前が「かな読み」で同音なのもあって、姉が当院在職中には親しく会話を交わし、正月の夜勤に奥さん手作りの唐揚げなどを持って差し入れに行った事もありました。
さほど深くはありませんが、私を介しての親交が多少なりともあったため、本来は遅出だった今日の勤務を昨日のうちに早出勤務に交代してもらって、一緒に通夜に参列する事にしました。
午後6時半開始でしたが、数日前にも同じ会場でのお通夜に参列していましたので、故人の職場関係や友人関係、ご両親の関係と姉夫妻の関係者を考えると、どう考えても会場には入りきらないだろうと事前に外来スタッフで話し合っていました。
そこで、ちょっと早くてもいいからと準備を整えて家を出て、歩いて10分程度で会場に到着したのは開始の30分程前でした。
その時はまだ空席が半分くらいあったんですが、開始時間が近づくにつれて参列者がどんどん訪れ、後ろの方でパイプ椅子を出す音がしきりに聞こえ出し、会場は立錐の余地もなくなったかのようでした。
それでも参列者が切れる事なく、会葬御礼のはがきも予想を上回る参列者のため数が足りなくなったらしく、受付係の人が帰るまでに用意するので了承して欲しいと大声で叫んでいました。
この受付係をしていたのが、またもや会った!私と旧知の寿司屋の仕出し部門の営業担当者。
15日にわが家の1周忌法要を仕切ってくれたのを始めに、17日の受付事務員の祖母様のお通夜で会い、そして今日。
店で1週間に3回会った事は、独身時代にあしげく通ってた頃には度々ありましたが、まさか葬儀会場や寺で週に3回も出くわすなんて、わが街で仕出しをやってる店は数多くあるのに、偶然とはいえ驚きを隠せませんでした。
今日に関しては、当院院長や詰所、私が会長の親睦会から花輪が出ているので、彼にしてみれば当然私が来る事は予想がついた事でしょう。
それはそうと、通夜開始の挨拶で葬儀社の担当者から、あまりに参列者が多くて入りきらず、隣の会場を第2会場として参列してもらった事に対するお詫びの言葉がありました。
導師役の人が祭壇前に立ち読経を始めましたが、スーツ姿の男性3人が経を読んでる姿にはもの凄く違和感を覚えました。
また、参列者の一部が大声で唱和していることにも驚き、まるで異質な空間に放り込まれた様な気分になってしまいました。
読経そのものは短時間で終わったんですが、参列者全員の焼香が終わるまでの間、導師役の男性達と一部の参列者がずーっとお題目を唱え続けてるんです。
宗教問題に異を唱えると後で大問題になりますから「良い」、「悪い」についての評はしませんが。
この宗派の儀式には始めて参列したので驚く事ばかりでしたが、いくら故人と遺族の意思による「友人葬」といっても、やはりスーツ姿の導師では威厳がないとしか言えませんね。
ハデハデできらびやかな「袈裟」が良いとも思いませんが、少なくとも宗教儀式を取り仕切るにはそれなりの格好と言うのがあって良いんじゃないかと思います。
それにしても、荘厳であるはずの通夜の席で、右も左もお題目の長時間連呼には閉口しました。
もちろん、私の宗派は違いますから、口にこそ出しませんでしたが自分の宗派のお題目を唱えましたし、作法も遠慮がちではありましたが自派のやり方を通させてもらいました。
短い期間ではありましたが、故人とは親しくしてましたし、突然の別れに際して悲しさで一杯ではあったんですが、この会場の異様な雰囲気の中では悲しむ事すらできなく、残念な思いを残して帰宅しました。
明日の葬儀と告別式は、午前10時からとの事。
今日と同じように、混雑を予想して早めに出かける事にします。

「昼食」
・かき揚げ月見讃岐うどん

「空腹凌ぎ」
・バター&バターロール2個

「夕食」
・鶏のから揚げ
・焼酎のウーロン茶割り
・チーチク1個
・プチシュー

今日のBW:65kg

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話は遡りますが、一昨年の12月、父が食道静脈瘤を破裂させて当院に救急車で搬送され、手の施しようがないからと公立病院へ転送された時、救急車に同乗して公立病院へ状況報告と書類手続きをしてくれた若い看護師がいました。
その後父が他界し、通夜に参列してくれ、最後の焼香の挨拶で私の前に現れた姿を見て、その時の事を思い出してしまって不覚にも涙してしまった私でした。
忌引き休みを終えて出勤して数日後、その看護師が私の所にやって来て、口内炎がなかなか治らないけどどうしたらいいだろうと相談をされました。
見ると、舌の横奥の方に潰瘍にも見えるほどの炎症が起きてるのが見え、取りあえずすぐに歯科を受診して歯が引っ掛かってないか診察してもらいなさいと彼女を行かせたんです。
2週間ほどしてまた私の所にやって来て、歯科医からすぐに総合病院へ行きなさいと紹介状を書いてもらったと報告がありました。
その後は看護師長からの報告ですが、総合病院からすぐに大学病院に送られ、検査の結果舌ガンとの診断で至急手術をする事になったと。
手術は成功しましたが、その後の根治のための放射線治療を拒否したとも報告がありました。
経過は順調だったようですが、術後から主治医からは転移の可能性の事を言われていたそうです。
秋になって、いつの間にか彼女が復職する事になったらしく、白衣を着てマスクでむくんだ顔を隠すようにしながら、仕事を再開していました。
ただ、大学病院への通院もあるため、全く普通にとまではいかず、複数の診療科を受診していたそうで勤務できるのは限られていました。
もちろん私の所にも挨拶にやって来て、舌を切除したから話しづらいとか、唾液を呑み込むのが上手くいかないとか、放射線治療を拒否したのは、もう痛いのも辛いのも嫌だったからと話を懸命にしてくれたんです。
ただ、その場で痛いという言葉は1度も口にしませんでした。
実は、退院時に彼女の母親が持ってきた、処方内容と主治医の言った言葉のメモ書きが、看護師長から私の所にコピーが届いていて、抗がん剤と麻薬を服用している事を知っていました。
もうすぐ雪が降るかと言った昨年の晩秋、休み明けの月曜に出勤すると看護師長が飛んでやって来て、彼女がIDカードで薬局に入り込んで薬を盗もうとしていたのを同僚の看護士が止めさせたと報告がありました。
その日は朝から彼女の挙動が不審だったのを同僚が気にしていて、ふとどこかへ行ったので後をつけたら用もないのに薬局に入って薬を取ろうとしていたんだそうです。
事情を聞くと、手術をしたところが痛いから鎮痛剤を貰おうと思ったと告白したそうですが、後で聞いた話ではその数日前に、どこから聞いたらしい睡眠薬と酒を一緒に飲むと死ねると言うので試したけど死ねなかったということで、大量の睡眠薬を盗んで自殺しようとしたらしいんです。
若い女性が痛い思いをして苦しんで、再発や転移の心配のプレッシャーに押しつぶされそうになるのは仕方がないかもしれません。
常に死と隣り合わせの状況では、自ら命を絶ちたいとの希死念慮に駆られるのもしょうがないのかもしれません。
しかも、彼女は薬局のどこに睡眠薬がしまってあるかを熟知していましたから、同僚が不審に思わなければまんまと目的は達成できた事でしょう。
それを聞いた私は、すぐに睡眠薬類を全く今までしまった事のない場所に移しました。
その事件をきっかけに、実は大学病院の主治医から復職の許可など出てない事、自宅で安静にして療養する様に指示されていた事が分かり、病欠のまま勤務停止を言い渡しました。
昨年12月に入ってすぐ、看護師長からの報告で、自宅療養中に呼吸困難になり大学病院へ搬送されたと。
恐れていた再発と転移が確認され、年内一杯持つかどうかの所まで来てしまったらしいんです。
その後彼女の母親が病院にやって来て、もうダメだから退職させて欲しいとの申し出がありましたが、院長は許可せず、そのまま当院職員の身分で病気療養をするようにとの指示が出ました。
年を越したところで、嚥下ができないため胃に穴を開けて流動食を流し込むPEGを増設し、拒否していた放射線治療も始まったという話があり、そのため容態も安定し少しでも回復に向けて進んでいるとの報告がありました。
その後退院し、自宅療養を続けていたそうですが、今月の6日、突然彼女からのメールが着信しました。
何事かと文章を見ると、メアドを変えましたとの内容でしたので、元気にしているんだなと思って返信したんです。
今朝、看護師長から内線があり、彼女が死んだと・・・。
突然の事で職員全員が混乱しましたが、とりあえず彼女が勤務していた病棟の主任、事務長、看護師長、そして私の4人で自宅に弔問に行き、家族の話を聞くと、自宅療養中もやはり苦しそうだったと、先週13日から容態が悪化して大学病院に再入院していたと、肺にも影があって肺転移も起こしていたそうでした。
そして今日、午前0時半過ぎ、最後まで看護師の職に戻ると言い張って頑張って療養していた希望も虚しく、息を引き取ったそうです。
享年24歳。
人生はこれからだったのに、早過ぎる。
好きだったアイドルグループの曲が流され、そのグループの写真とグッズが周りを取り囲む中、まるでぐっすり眠っているような穏やかな顔で自宅に安置されていました。
彼女が世話をしてくれた私の父の1年と1日後に・・・、偶然とはいえ私には辛過ぎます。
合掌 m(_ _)m

「朝食」
・マヨソーセージパン
・野菜ジュース

「昼食」
・ワンタン麺
・ミニ山菜おこわおにぎり

「夕食」
・ごはん
・実家から貰ってきた煮しめ
・サバ味噌煮缶残り
・焼酎のウーロン茶割り

今日のBW:65kg

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今日5月19日は、父の本命日。
1年は本当に早いなと言うのが実感。
仕事が午前中で終わったので、帰宅し昼食後、供えるケーキと仕出し寿司店の営業担当者への謝礼代わりの商品券を買いに。
帰る道すがら、1年前の今日の午後も暑かったよなぁ、と感慨にふけったりして。

もう大分記憶が風化しかかってる部分があるけど、父に関わった部分と怒りに震えた出来事って忘れないものです。
夜中に札幌の病院から実家へ連れ戻った時、地元の葬儀社の人間が待ってもなかなか来ず、しびれを切らした札幌の葬儀業者が狭いエレベーターに無理矢理父を縦にして押しこんで、私も父がずり落ちないようにエレベーターの中で支えた事。
業務開始時間を待って、母と私が父の死を隠して金融機関を回り預金口座から現金を引き出した事。
最終的に死亡届を出すために市役所へ行って、手続きを済ませて外に出た時、暑さと疲れと寝不足にやられて、私の意識が何度も遠のいたこと。
ちょっとでも休もうと実家に戻ってみると、まだ午後の2時やそこらなのに居間には地方からの父方の親戚が大挙して来て占領していて、「疲れたでしょ、休みなさい」なんて白々しく言われても、あんた達がいるせいで休める訳がないだろと怒りが爆発した事。
仮通夜が終わって、お斎を提供したのはいいけど、テレビで野球を見ていていつまでも帰ろうとしない非常識な親戚どもに、帰れっ!と怒鳴りたくなった事。
翌日寺での「湯灌(ゆかん:死装束に着替えさせる儀式)」には、その地方の親戚の誰1人として来なかった事。
葬儀全般が終わって、遺骨とともに実家に戻って、お供えされた花やお菓子や缶詰や果物を、母が母方の親戚に好きなのがあったら持って行っていいよと言ったばかりに、一旦自宅に戻って着替えて実家へ行った私が見ると、目ぼしい物はすべて奪われつくされて、何1つロクなものが残ってなかった事に唖然とした事。
こんな話を、今夜弟夫婦と実家に集まって、酒の肴にしてました。

今夜私達は、夕方5時から5時半頃に集まったんですが、昼間には母方の親戚が集まっていて、僧侶のお勤めとその後の寺での永代経供養にも参列したんだそうです。
実家では母が炊き込みご飯と煮しめを作って昼食としてもてなしたそうですが、その連中と鉢合わせするとロクな事がないから、わざわざ夕方に我ら家族は集まる事にしました。
弟夫婦とうちの奥さんは今日は仕事が休みで、私は昼までの勤務だったにもかかわらずです。
下手に寿司など取ろうものなら、自分達の好みのネタばっかりを食いつくして行くでしょ。
それどころか、我々が食べる分の事など考えずに食べまくって、ちょっとでも余ってると見たら息子夫婦や娘夫婦に持って行くと言ってすべてを持って行ってしまいますから。
案の定、大鍋に作った煮しめも、母が「少し」持って行ってと言っただけで、そのほとんどを誰々にも持って行くからと言って持って行っちゃったんですって;
私も明日の夜の酒のつまみと夕食用に貰って行こうと思っていたのに、ほとんど残ってないんですよ;
そして、食事をしながら母方の親戚は、1年前に父方の親戚が今を占領していて自分達の居場所がなかったと文句を言ってたそうです。
あんたら全員、どっちもどっちだ!

「朝食」
・ごはん
・海苔
・シジミの味噌汁
・サバの味噌煮缶

「昼食」
・割子そば
・太巻きセット(海鮮太巻き、サラダ太巻き、玉子太巻き)

「夕食」(実家で)
・煮しめ(揚げ、がんも、椎茸、コンニャク、里芋、玉子)
・鶏の磯辺揚げ風
・カブときゅうりの漬物
・つぶの刺身
・握り(ホッキ、アワビ、ズワイガニ、ホタテ、ボタンエビ、シャコ)
・焼酎のウーロン茶割り
・抹茶ケーキ

今日のBW:65kg

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眠いです。
昨日通夜から帰宅したのは、午後7時頃。
シャワーを浴びて、飲みつつ野球観戦し、奥さんが夜勤で不在のため1人で夕食。
その後は野球を見ながらゲームをして、気付くともう午後11時。
早く寝なければと思いつつ、奥さんに寝るよメールを送ったにもかかわらずゲームのレベル上げに夢中になって、結局寝たのは午前様になっちゃいました。
今朝は寝不足のせいもあってか、珍しく酒が残っていたような。
よっぽどサボってやろうかと思いましたが、昨日の香典返しと領収書を事務に持って行かなきゃならないし、今日は会議が4件入ってるし、仕事が終わってからは歯医者へ行かなきゃならないし、ん~どう考えても今日はサボれない。
ってな訳で、必死の思いで起き出し、支度をして、でも食べなきゃいかんと、昨日奥さんが買っておいてくれたサンドイッチを食べ、自分でカップスープにお湯を入れて飲み、何とか出勤した次第。
仕事を始めたら、酒なんか一発で抜けちゃう程度でしたけどね。
それにしても眠いですなぁ。
昨日の通夜でも、木魚と鐘の音が消えて読経の声だけになった時、思いっきり落ちそうになっちゃいましたし。
もっともその時は、空腹からの腹の虫が鳴く音を我慢するために寝ずに済みましたが。
今日の会議でも、まぶたがやたら重く感じてね。
油断して目を閉じようものなら、そのまま爆睡してしまいそうでした。
歯の治療中も、口を開けて治療を受けてる時って、ドクターと目を合わせないように閉じてるじゃないですか。
私の場合、初診の時から全く何をされても痛みを感じなかったので、今日はマジでヤバかった;

入院患者の、近所の公園でのお花見ですが、連休明けに予定していたのが花が咲かず中止になり、月末に変更になったはずが、月末は別のレクが入っていて難しいとの事で今日になったそうなんです。
ところが公園の桜はまだ1分か2分咲きで全然咲いてないし、昼前あたりから風も強くなってきて、こりゃ無理だと言う事になりました。
わが街の正午の気温は16.9℃ありましたが、風速9メートルもあったら、おやつを食べるどころじゃないし、肌寒くて患者がみんな風邪をひいちゃいますよ。
昼休みを終えて職場に戻る時、迎い風に出くわしたんですが、あまりに風が強くて前に進めなかったですもん。
せっかく1分でも2分でも咲いてた桜の花びら、あまりの風に耐えきれず吹き飛ばされてしまい、離れた場所にある当院の職員玄関前まで飛んで来てました。
下手すりゃ、満開になる前に咲いた順に花びらが吹き飛ばされて、花見どころか葉桜鑑賞になっちゃったりして;
私が見たところ、週末あたりが見ごろになる様な気がしますが、さすがに週末には職員数も少ないので今年のお花見は中止でしょうね。
年に1回でも外の空気を吸ってもらいたかったんですけど、体の事を考えたら、いた仕方ありませんね。
と、外来スタッフや受付事務員の誰もが考えていたところ、今日しか日がないからと午後2時頃お花見を強行したんです。
おやつや飲み物を用意する管理栄養士達は、渋い表情で車いすを押すのを手伝っていましたけど。
頭からすっぽりとタオルや毛布をかぶった車いすの入院患者軍団が、横断歩道を渡って公園まで疾走していく姿を、ドライバーの人達は見てどう思った事でしょう。
時間にして30分も公園にいなかったようですけど、そこまでしてやるかと、半ば呆れて見てた私でした。

「朝食」
・ミックスサンド(卵サラダ、玉ねぎ入りツナサラダ、玉ねぎ入りハムマヨサラダ)
・クリームオニオンポタージュ

「昼食」
・山わさび冷やしラーメン(錦糸卵、みょうが、ネギ、細切れチャーシュー、切り海苔、山わさびペースト)

「夕食」
・ごはん
・漬物
・シジミの味噌汁
・ふりかけ
・いろいろ残り物

「デザート」
・メロン
・饅頭1個

今日のBW:65kg

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今日夕方、受付事務員の御祖母様の通夜に行ってきました。
終業の10分前に着替えて自宅に戻り、喪服に着替えて徒歩でおよそ10分の所にある葬儀会場へと急ぎました。
会場に到着したのは通夜開始の15分程前。
受付で香典を渡し、病院親睦会からの分の、北海道独特の習慣である領収書と香典返しを受け取って席につくと、時間はすでに開始間近になっていました。
結構急いだんですけど、ギリに近かったですね。
遺族である受付事務員から聞いてましたが、仕出しは私が懇意にしている寿司屋で、わが家の葬儀全般と先日の1周忌にも仕出しをお願いした店だと。
遺族の中に、その寿司屋で働いている人がいるらしく、その関係でお願いしたんだそうです。
その人は厨房にいる様で、客席には出てこないそうですが、顔を見れば分かるかもね。
ってな訳で、会場の受付テーブルには先日父の1周忌を取り仕切って、司会までさせちゃった寿司屋の営業担当者が座っていました。
私の姿を見た瞬間、驚いた顔をしてましたが、そりゃ当然ですわね。
まず先日の礼を言い、領収書を書いてもらってる最中に故人とどういった関係ですかとその営業担当者が聞くので、こうこうこうで当院の受付事務員の孫なんで、親睦会から香典が出るため私が持って参列しに来たと。
「わざわざ先生がですか?」と言うので、私は親睦会の会長だからと答えると、更に驚いた表情になりましたな、あの担当者。
言うに事欠いて、会で何かのイベントがあったら自分の寿司屋を使ってくださいだって;
残念ながら貧乏な会なんで無理と、丁寧にお断りして席に着いたんですが、そんな事やってるから通夜開始直前になっちゃったのもあるんです。
予定の2分前に僧侶が2名会場入りし、何事か祭壇で始めたようですがこちらからは見えない。
そのうちに、水なのかお酒なのかよく分からない謎の液体を、3方に向かって何か筆の様なものでまき散らしました。
これは一体何宗の儀式なんだろうか?
私はそう頻繁に通夜の席に出る事はありませんので、祭壇や儀式を見ただけで宗派が分かる訳がない。
木魚をポクポク、鐘をゴーン、お経の文句は抑揚がなく平坦な読み方。
うちの宗派とは大違いな進行で、最後の僧侶の言葉の時になって初めて僧侶の口から宗派が告げられて、いろんな意味でへぇ~と感心してしまった。
ここに書いた文章を読んだだけで宗派が分かってしまう人もいるでしょうけど、私にはさっぱり;
葬儀委員長の挨拶になり、喪主と並んで前に立った老齢男性。
新聞の「おくやみ欄」でよく見る名前の人で、葬儀委員長のプロみたいな人。
立ち居振る舞いからしゃべり方から間の取り方から、まるで自分に酔ってる俳優がセリフを言ってるように思えて、だんだん腹が立って来るのと笑えてくるのが同時に襲ってきて、あきれけぇってしまった。
涙を誘うような語り口でツボを心得ているのはいいんだけど、かえってそれが鼻についてね。
最後の焼香を終え、喪主と受付事務員にお悔やみの言葉を言って玄関に向かうと、例の寿司屋の営業担当者が立って待っていて、19日に出前の寿司を持って実家へ行きますからと挨拶を交わして帰途につきました。
日曜日の1周忌に来た喪服、洗濯にでも出そうかと思っていたんですが、また今日も線香と抹香の洗礼を浴びて、自分自身がアロマテラピーでも受けてるかのようになってしまいました。

「朝食」
・ごはん
・漬物
・シジミの味噌汁
・法事に付いた折詰の残り(ホタテベーコン巻、タラ粕漬け焼)

「昼食」
・広東麺

「夕食」
・半炒飯&半ソース焼きそば
・焼酎のウーロン茶割り

今日のBW:65kg

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HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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