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管理人の食卓風景と日常の日記
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今日の起床は、午前9時40分でした。
昨夜布団に入ったのは、日付が変わった午前0時20分。
眠くなるまで本を読んでいたのでこんな時間になりましたが、なかなか眠気が来ないし座っているのに疲れたので休む事にしたんです。
それから1時間くらいして、途中記憶がないところがあるような気がしました。
午前2時、3時と時計を見た記憶があるけど、記憶がない部分もある。
どうも、15分か30分単位で寝ては記憶が戻り、寝返りをうつといつのまにかまた記憶がない部分ができたと、行ったり来たりの睡眠状態が出現していた感じです。
午前5時頃トイレに起きたんですが、今朝は昨日までほど寝汗もかいていなかった。
午前6時前、今日は早出勤務の奥さんが起床した時も、アラームの音は聞こえなかったから爆睡してたのかもしれません。
それでも、奥さんの動きの雰囲気を感じて目が覚め、2言3言奥さんと言葉を交わし、「私が気づいたらいびきの音が聞こえたから寝てたんでしょ」と証言してくれました。
その後すぐまた寝入って、奥さんが出勤する午前6時45分頃、「行ってくるよ」との言葉でまた目が覚め、ベッドの中から「行ってらっしゃい」と返事をしました。
ん~、平日なら起きる時間なんだけど、今日はせっかくの休みだからどうしようかと悩んだ結果、もうちょっとこのまま寝ている事に決めました。
午前7時過ぎ、8時と途切れながらの眠りにつき、午前9時に目が覚めて「さて、そろそろ起きようかな」といったん体を起こしたんですけど、「もうちょっと眠れるだろうかと」また掛布団引っ張って掛けて横になったらうとうとしたらしく、何気なく時計を見たら9時半を過ぎていた。
さすがにこれ以上布団にしがみついていてはまた今夜も眠れなくなりそうだと、意を決して布団を跳ね上げてベッドから脱出しました。
結局、途切れ途切れが午前1時半くらいから続いたとして、トータル8時間の睡眠になったって事ですね。
これは本来の睡眠じゃないんですけど、まあ、眠れたって事で良しとしましょう。

断酒して1週間過ぎました。
前回2年前の発症の2018年5月9日の時もそうでしたが、この時は約3ヶ月で完解しました、酒を飲まないと決めたら一切飲みません。
じゃあ、どうして普段からそのように自制しながら飲めなかったのか?
ん~、そこが私の弱いところと言うか、やっぱり病気なんですね。
「アルコール依存症」と診断されましたが、私の場合、朝から飲んでた訳でもない、もし酒への欲望が意思を上わまっているんなら、数日前にも薬の服用の事で書いたように、奥さんが寝入ってしまってからこっそり台所に置いてある料理酒や私の部屋に置いてある数本の酒類をがぶ飲みして、今頃とっくに私の家から酒と名の付くもの無くなってると思います。
もちろん、その時は強制入院になってるでしょうけど。
前回は治療開始2ヶ月で、検査データは改善し睡眠状況も普通になっていたので自己判断で酒に手を出しましたが(2018年7月14日)、それまでは、もちろん今も酒を飲みたいと思わないんです。
この時は、奥さんとの約束を破って、どんどん飲む日が多くなって、酒量もどんどん増えちゃいましたが、ただただ「普通に」眠れるなら、酒を飲まない方が体が楽なのは分かっているのでそうしたかった。
仕事のストレス解消法として飲酒に逃避していたのが、それを口実に毎日の大量飲酒、追加の薬服用が習慣にまでなってしまった。
本当にここ1年は、夕方の決まった時間になったら何をさておいてもとにかく「まずは酒」の準備が当たり前になっていました。
翌日仕事で休めないとわかっていても、「惰性」で飲まずにいられない状態でしたから、やっぱり「依存症」と言うのが正解でしょう。
私が最悪の状態になる数日前、いつものように酒と薬で泥酔していた私に、奥さんが「お願いだから、タバコを止めるくらいなら酒を止めて!」って言う悲痛な叫びをぶつけてきたのが今でも私の心に残っています。
その時、どうしてその言葉を真剣に受け止められなかったのか、今でも悔やまれます。
これからは奥さん孝行をして、今まで、今まさに迷惑をかけているお返しを・・・、なんて殊勝な事は「お前が言うな!」と言われそうなので言えませんが、まずは病気を治して正常な人間になる事が奥さんの希望に沿う事になると考えています。
もう今回は、前回のように心療内科医師が「良くなって良かったですね」って言う言葉はかけてくれないと思いますが・・・。

昨日は朝から母に関する提出書類の事で私も奥さんも振り回されて、大変な目にあいました。
そのため何度も面会禁止の病室に顔を出していたので、帰りはどうしようかと悩んだんです。
でも、転院してきて初めての土日を迎えるし私は連休なので、取りあえず顔だけ出しておこうと病室へ行きました。
すると、ちょっと早すぎる夕食を食べ終えたばかりのところで(午後5時15分頃)、デザートのゼリーを食べるから蓋を開けてとか、便が柔らかいから今日は下剤を飲まないとか、冷蔵庫からお茶を出しておいてとか、いろいろ命令されてやってきました。
ちゃんと介護職員がいるのでそっちに言えばいいのに、頭から私が来るものだと待っていた節がある。
食後の薬を目の前で飲んでねって介護職員が促すのに、「いや、今ゼリーを食べるから!」って指示に従わないし。
仕方がないので、私が介護職員に謝って、ゼリーを食べ終えた瞬間に薬を手渡して服用させました。
もちろん、残った薬の空袋(分包紙)は、介護職員に返しました。
そうしなければ介護職員が、「いや~、飲んでくれないと私が始末書を書かなきゃならなくなる~」って静かに叫んでいましたから、私の責任で始末をつけました。
で、帰ろうとして母に言うと「明日か明後日も来るんでしょ?」と言ってきました。
今日の会議でも出たんですが、面会禁止は来週の中旬から段階を踏んで徐々に解除して行く事に決まり、出勤職員が少ない事から、土日と祝日は面会は不可とするって決まったばかりだったんです。
それなのに、休日に私がいくら白衣に着替えたとしても、病棟をチョロチョロするのは反則でしょう。
そう母に言ったんですが最初は納得せず、「1回くらい来ないの?」と言う言葉に対して「来ない!月曜の朝来るから」と言って振り切って帰ってきました。
何度も言うように、私だけ特別扱いとの黙認をよく思わない職員が出ないようにしないと、もう行けなくなるんだって事を分かって欲しいんだけどなぁ。
週明けの月曜は心療内科の受診にも行かなきゃならないので、朝礼の後こっそり抜け出すから、朝から病室へ行ったりと忙しいな。
こういったプレッシャー、「いついつ~~~をしなければならない」が私の精神的負担、ストレスになってるんですけどね。

「昼食」
・包みピザ(ダブルウインナー&トマトソース)
・カフェラテ

「おやつ代わり」
・グリーンスムージー

「夕食」
・五目あんかけ焼きそば

「デザート」
・ミニワッフル

今日のBW:61.5kg
最高29.5(13:00)、最低16.3(04:10)

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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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