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管理人の食卓風景と日常の日記
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昨夜から天気が荒れて、夜中には窓がガタガタ揺れるくらい風が強かったですね。
予報では雨から雪になるらしいですが、午前中には道内各地に竜巻注意報まで出ていました。
私の風邪は、7割がた治ってきたようです。
いや~、こんなに長引いた風邪に掛ったのは何年振りの事でしょうか。
味覚と嗅覚も、7割程度は戻ってきましたかね。
それと、一昨日午後から通じが止まってしまい、出るのは腸からの空気ばかり。
始末の手間は楽でしたが、出なけりゃ出ないで心配になってくるものです。
その分、パウチが頻繁に空気で膨らんで、昨日は2時間おきに空気抜きをしないとパウチが破裂してしまうんじゃないかと心配になるほどでした。
まあでも、空気が出てるって事は腸はちゃんと動いてるって事で自分を安心させてましたけど。
昨日の夜あたりから少し通じがついて、今朝1回、昼に1回と、ちゃんと通じがついてきたので、一安心しました。
健康な時はあまり意識しませんでしたが、食べ物の影響って通じにとって本当に大きなものなんだと、改めて認識しました。

今日も、入院中に見た夢を、記憶をたどりながら
⑤そこはとある山の上の村のようだった。
奥さんと2人で暮していたが、なぜか私がそこの村長をする事になったらしい。
村に若い人がもっと住んで欲しいと村の長老達が期待を込めて私を村長にしたようだが、突然そんな事を言われてもと戸惑った。
この村は以前から、料理を目玉に村おこしのような事をしていた。
その月替わりのメニューを考えるのが、村長の役目だった。
仕方なく役場代わりに使っていた事務所のようなところへ行き、そこに古くからいるが見た目は若いメガネをかけたやり手の女性事務員に、過去に作ったメニューと村の年間予算、料理にかけられる予算を聞いた。
女性事務員はてきぱきと私の質問の答え、料理は同じものを作らない事、作るのは村の中年以上の女性達、提供するのは平日の昼時だけとの事で、実際には宣伝にかける予算もないので、他所からの客は車で通りすがった人がたまにいるだけで、ほとんどが村の老人達の昼食として食べられているとの事だった。
そのため、ほとんどが柔らかい煮物などの和食で、たまたま立ち寄った若い客はメニューを見てすぐに立ち去ってしまうそうだ。
これで村おこしなどできる訳がない。
まずは、村の老人達には申し訳ないがとにかく発想を変えて、若者が注文してくれるメニューに、村長権限でやって行くことにした。
さしあたって来月のメニューを、老人でも食べた記憶くらいはあるであろう「スパゲッティーナポリタン」とした。
村では、細々とだったが農業と酪農をやってる人が住んでいたので、食材は安く入手できた。
足りないものは、泊りがけで山を下りて町まで買いにいかなけれならないが、それは仕方のない事だ。
まずは、調理担当の村の女性達に調理法を教えなければならない。
小麦粉を練ってパスタを作り、村のトマトを使ってソースを作り、酪農家から入手した豚肉でウインナーを作り、野菜を炒めてゆで卵をカットしてあしらいに使い、昔ながらの喫茶店で提供するような懐かしい味のスパゲッティーを作って見せた。
作り方に難しい事はないし、パスタやソースやウインナーは、そのまま村の特産品にもできるので、一石二鳥だと私は悦に入ってたんだが、ただ1人、女性事務員だけは冷たい視線で私を見ていた。
女性事務員は私に、「村のお年寄りは誰も食べないと思いますし、たくさんのお客さんに来て食べてもらわないとすぐに予算がつきますし、そんなに一体誰が来るんですか」と冷たく言い放ってその場を離れた。
言葉は丁寧だが、突き刺さるような物の言い方で、どうも合わないなと考えながら後ろ姿を見送った。
どうせ、前村長を含む村の長老達に逐一私の行動を告げているんだろう。
試食の段階では、自分が考えていた通りの味になっていたが、果たして食べてもらえるだろうか。
それだけでは人は呼べないと考え、何かネタはないかと村を見て回った。
山の上にある村で、何の産業もこれといった観光地もないここで、どうやったら人に来てもらえるか。
考えながら歩いていると、村のはずれの所にまだ新しいが空き家らしい2階建ての小さな一軒家を見つけた。
カギは掛かってなかったので入って見ると、本当に1人が住むだけでギリギリの大きさの家だった。
事務所に戻って女性事務員にその家の事を聞くと、他所から来た人が住み付くつもりで勝手に建てたが、あまりにも不便すぎて逃げ出したので、誰の所有物でもなく村の財産でもないと言う。
それなら、何かに有効に使えそうだと思ったが、その時は何も思いつかなかった。
次の日もその次の日も、人を呼ぶための何かいい方法はないかと村をグルグル歩き回ってみたが、何もない村には何もないと言う事が分かっただけだった。
そう言えばしばらく事務所にも行ってなかったし、月が変わった今月のメニューの売れ具合も聞いてなかったと、急いで事務所に向かった。
事務所に入ると、女性事務員が怒ったような視線を私に向け、「村長は毎日来て、書類の決裁などの仕事もしてもらわないと困ります」と。
ところで今月のメニューの出具合はと聞くと、1枚の書類を私の目の前に突き出した。
見ると、それは毎日の「スパゲッティーナポリタン」の売れ具合を表にしたもので、初日こそ先月末と同じ人数が食べてくれたようだが、それ以降は加速度的に数が少なくなり、今日はもう昼を過ぎているのにまだ誰からも注文が来ていないと。
売り上げはそこそこ上がっていたので、それは何故かと聞くと、調理担当の女性達が老人達の要望を受けて、まあ、見るに見かねてと言うところなのか、老人達の口に合う和食を別に作って提供していたと。
「私が言ったとおりでしたね、村長」
この女性事務員、憎たらしいったらありゃしない。
でも、事実を突き付けられた私はうつむいて唇をかみしめるしかなかった。
すると、事務所に隣接した食堂の前に車が止まる音がして、人が入ってくる雰囲気を感じた。
厨房へ移動して様子をうかがうと、若い男女がテーブルに座り「スパゲッティーナポリタン」を注文する声が聞こえた。
自分に突き付けられた現実から逃避するように、エプロンを締めて私自ら「スパゲッティーナポリタン」を作り、女性従業員に運ばせた。
若い男女は特に何も言わず食べていたので、美味しいと思って食べているのか不味いと感じているのかも判断できなかった。
2人とも手を止めたので、思わず2人の前に出て行って、「私がシェフの~です」と名乗り、「いかがでしたか」と聞くと、美味しかったと答えてくれた。
まあ、社交辞令だったのかもしれないが、とにかくその言葉に勇気づけられて、また女性事務員と向かい合った。
「なぜ村の人には人気がないのか思いつく事がありますか」と聞くと、高齢者だって「スパゲッティーナポリタン」を食べない事はないが、若者向けに作ったこってりした料理は1度食べたらその後数年は食べなくてもいいと感じるんでしょうと。
加齢による味覚の変化と、体が求める物の変化。
これに気付かず、押し付けようとした私の敗北で、「スパゲッティーナポリタン」の提供は今日をもって中止する事とし、調理担当の女性達が私に内緒で作っていた和食をメインとして出す指示をした。
打ちのめされた私は何も考えられず、また村をぶらぶら歩いていたが、村はずれの空き家に来た時に、1台の車が停まっていて人が家に入っているのを見つけた。
私もその空き家へ入ると、若い男性が家の中を見回し、台所を入念に調べていた。
「どうかしましたか?」と声をかけると、驚いたように男性は私を見て、実は車を走らせていたらここにたどり着いて、家があったから道を聞こうと訪ねたら空き家だったので、つい入ってしまったそうだ。
自分はパン職人で、勤め先を退職して独立しようと思ったが、なかなか手頃な物件がなくて探して車を走らせていたと。
ピンと来た私は、この建物はどうかと聞いてみた。
この狭さでは、自分が考えるパンを作れるのは限定で10人か20人分が限度だが、魅力的な物件と環境だと言う。
そこで私がした提案、毎日限定で10人分のパンを作り、しかも毎日違うパンを作ると言うもの。
2階は作業場として使い、作業と営業は電気が通ってない家なので日の出から日没までで、もちろん売り切れ御免とする。
ガスも器具も食材もすべて自前で、水だけは村民が使っている湧水をタダでどうぞ。
平日のみの営業で、毎日麓(ふもと)の町から通ってきて、町に戻ったら手作りのチラシなどを配って自分で宣伝する事。
そして、私と私の奥さんの分は別に味見用として提供する事。
2人のゴーサインが出なければ、そのパンの販売は中止する。
この条件でいいなら、この物件をタダで貸して、売り上げの上納も求めないと言ったものだった。
若い男性パン職人は、笑顔を見せて「頑張ります」と言ってまた家の中を見て回った。
数日後、来月用のメニューを悩みながらも考えつき、食材など必要な物のリストを女性事務員に手渡し、手配するように指示した。
高齢者が毎日、いや、週に何回か食べても食べ飽きない、食傷しない、若者も好んで食べて満足できる料理、それは「・・・・・」だと思いついたんです。
事務所を出て、今はパン工房となった村はずれの一軒家に向かい、明日販売用のパンの試食をした。
最初は試行錯誤で苦労していたパン職人も、今では自分のペースを作り上げ、翌日販売用のパンの試作と仕込みを前日にするようなったのだ。
その分、限定販売数も増やす事が出来るようになり、また、チラシの効果と、口コミと限定販売と言う言葉に対する日本人の異常なまでの執着、山の上のパン屋さんと言う物珍しさも手伝って、朝早くから車がたくさんやってきて、店の前には焼き上がるパンを待って毎日長い行列ができるようになった。
人が来るようになって、それを狙ったレストランや物産販売店と工場などの建築許可申請が出されているので、パン屋との相乗効果で村に移住してくれる人も増えてくると思う。

とまあ、こんな感じの、珍しくハッピーな夢も見てたんです。
奥さんから聞いた話ですが、幻覚を見てか夢のままに「私がシェフの~です」と現実の世界で言ってたそうです。
この事は、私は一切覚えてません。
よくもまあ、そんな「こっ恥ずかしい事」が言えたもんだと、奥さんから聞いて赤面してしまった私でした;

「朝食」
・残りのシチュー

「昼食」
・焼きおにぎり1個
・昨夜の残りの炒飯少々
・ミニカップワンタンメン
・残ってたおかず少々

「夕食」
・親子丼
・漬物
・エノキとわかめとネギの味噌汁

「何となく」
・シュガーラスク

今日のBW:61.5kg
最高9.6(10:52)、最低2.2(23:44)、積雪量17センチ

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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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