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管理人の食卓風景と日常の日記
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風邪にピークは過ぎたようです。
鼻詰まりはまだあるものの、昨日までの常に詰まって呼吸困難になりそうなほど酷くはなくなりました。
時折くしゃみが連発して鼻タレにはなりますが、抗ヒスタミン剤を服用しなくても耐えられるまでに回復してきたようです。
この鼻水・鼻詰まりを改善する抗ヒスタミン剤、もの凄く効果があるんですが、何たって眠気が強く出て、起きている時でも頭がぼーっとして思考能力が低下し、倦怠感が強くて何もやる気が起きなくなっちゃうんです。
昨日寝る前に飲んで以降は、さすがに今朝は服用を止め、昨夕からは眠気が出ない小青竜湯で対処しています。
味覚も、塩味が多少分かるようになったので、あと2、3日ほどで回復するんじゃないかと期待しています。

昨夜は当院の忘年会。
何事もなければ私も当然参加していたはずなんですが、この体では欠席もいた仕方なし。
予報通り、夜は猛吹雪でしたので、2次会や3次会への移動も大変だったでしょう。
まあでも、当院の職員はみんな元気ですから、雪くらいで怖気づくはずもなく、楽しく飲んで大騒ぎしたんじゃないでしょうか。
まあ、来年は、いつものように私も参加したいと思います。

さて、今日も入院中の夢で見た話を。
③眠りから覚めて気がつくと、そこはとある民家だった。
ボーっとした意識の中で周りを見渡すと、お膳があってタンスがあって、昔ごく普通に見ていた昭和の雰囲気がする一軒家。
起き上がろうとすると、身動きが取れない。
見ると、両手首が太いヒモで縛られて、片手づつどこかに縛り付けられていた。
顔だけを動かして横を見ると、奥さんも同じように縛り付けられたまま寝ているようだ。
懸命にヒモをほどこうとするが両手首ともきつく縛られているので、口を使ってほどこうとしてもビクともしなかった。
しばらく格闘していると、見知らぬ男性が家の中に入って来て、「ムダだよ」と。
話を聞くと、私達はもうこの島の人間で、島から逃げ出さないという誓いを示すために毎日夕食後に手首を縛りつけて朝まで寝るんだと。
家族がいる家庭は誰かが家族を縛りつけて、残った1人は島の神がその忠誠を認めた代表者が縛って歩くんだそうだ。
その代表者は複数いて、その人達は逃げ出す事がないと島民全員から認められているので、縛られる事はないと。
朝になると、その代表者が島民のヒモをほどいて、各自準備をして朝食を摂り、与えられた仕事に従事するんだという事らしい。
翌朝、外に出て見ると、町並みは寂れて貧しい漁村といった風情で、人口も少なく、平均年齢も相当高そうな感じがした。
商店らしき店舗が1、2軒あるが、「何屋」というのではなく、わずかだが何でも扱う「よろずや」といった感じだ。
あちこちの少ない家屋から人が出てきて、仕事に向かうらしい。
ロープの束を肩から提げて歩いている男性に声をかけると、これから漁に出るという。
漁と言っても、古いボートのようなもので、エンジンは付いているが燃料がないので手漕ぎで行くため、近場で小魚などを獲ってると言いながら去って行った。
後方から私を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると中年女性がこちらの方へやってくる。
さあ行きましょうと私を連れてどこかへ向かい、連れて行かれたのは私が縛り付けられていた民家とは窓ガラス1枚でつながっていた建物だった。
ガラス越しに私達の行動は監視されていたらしい。
その別棟と言うか別室の方には、やや若い女性から中年女性までの複数がいて、何か忙しそうに作業していた。
私を連れてきた中年女性は私に、「ここに寝てください」とベッドを指差した。
指示通りにベッドに横たわると、女性は私の服をまくって腹部をむき出しにし、持ってきた道具などを使って私の腹部に何かをし始めた。
首を起こして何をしているのか見ると、何かの液を塗って、その上にガーゼらしい白い布切れを腹部に置き、絆創膏のようなテープで固定したようだ。
何をしているのか聞くと、私はどうやら腹部に傷を負っていて、その処置をしていると。
傷があるので仕事は免除されているので、安静にしているようにと、そして毎日処置を受けにここへ来なさいとも言われた。
私が連れて来られた建物、窓ガラス1枚向こうは自分の家とされた民家のようだが、そこはこの島唯一の病院機能を持った建物で、そこにいた女性達は粗末な衣服を着て白衣姿ではなかったが全員看護師らしいと分かった。
処置が終わって自宅に戻り、奥さんと誰にも聞こえないように話をしました。
もちろん、こんな訳のわからないところにいつまでも束縛されてるつもりはないので、どうやって島から脱出しようかという内容だった。
だが、知り合いがいる訳でもなく、地理的状況も分からず、住民が相互に監視し合っているような中での脱出は、非常に困難を伴う事が予想された。
「働かざる者は食うべからず」が掟らしいこの島で、仕事を免除されている私達には、島民の誰かしらが食材を差し入れてくれて、質素ながらも奥さんが料理を作って空腹を満たしていた。
夜には手を縛られて拘束され、朝には拘束を解かれて多少なりとも自由が与えられる。
脱出方法を考えながらも、何日か何週間かが過ぎ、島民とも親しくなって、本音の話も語り合える人も出てきた。
この島は、島民誰一人として見た事がない神とされるものを奉る看護師達によって支配されていて、島に来た人間のすべてを奪い取って拘束し、島から逃げ出せないようにして島の存在を維持していると。
そのために、住民相互で監視をさせ、目の届かない夜間帯は相互に手を縛りつけて監禁状態にし、逃げ出す意欲を奪う事によって住民を減らさない方策としているそうだ。
看護師は全員この島で生まれ育った人間で、自分達の故郷を消滅させない事が最大にして唯一の使命だそうだ。
住民の半分は、漂流してきたり、探索のためこの島を訪れた人達で、逃げ出す事に失敗して戻された人は、病院施設に連れて行かれ、安定剤・催眠剤・精神神経用剤などを多量に投与されて思考回路を洗脳され、逃亡する意欲を失わせるという事をやっていると。
この話をしてくれたのは、島の調査に来て拘束された中年男性で、脱出を試みたものの失敗し、病院施設で洗脳されそうになったが、幸い薬の効果がなく正常な精神状態のまま解放されたが、疑われないように他の島民と同じ状態を装って脱出できる機会をうかがっているそうだ。
島には産業などなく、わずかな農作物とわずかな漁獲だけでは住民の生活を維持できないため、不定期に看護師1名と忠誠を誓って逃亡の心配がない住民男性数名が、島の女性達が作った手工芸品を持って船で本土へ渡り、それを売った金で必要な食料や物品を購入して島へ戻ってくるらしい。
と言う事は、船を動かすエンジン用の燃料があるはず。
この島で一番最初に会った漁師の船にはエンジンがついてると言っていたから、その燃料を入手できれば、追手に捕まる事なくこの島から脱出できるかもと考えた。
ある夜、いつものように両手首を縛られて拘束されながら寝ていたが、ふと夜中に目覚めると、いつもはきつく縛られているヒモが片手だけ緩んでいる事に気がついた。
もしかするとと、手首を折り曲げて指が届くようにしてヒモをこすりながら、更にヒモが緩むように手首をひねったり振ったりしているうちに、だんだん結び目が解けていき、とうとう片手のヒモが外れて自由になった。
もう片手のヒモも解いて、奥さんの拘束も解き放ち、さあ逃げようと2人で海岸へ向かい、暗闇の中を漁師のボートを探し当て、エンジンは掛からないがオールがあったので手漕ぎで海原へ漕ぎだした。
その後どうなったか、気がつくと見た事がある風景、見覚えのある女性が私の顔を覗き込んでいた。
私はベッドに寝かされ、両手首はヒモで縛られ、左右それぞれがベッドサイドのレールに縛り付けられ拘束されていた。
「傷があるんですから、あんな事はしないでください」と言いながら、女性は私の腹部の傷の手当てをし、何も言わず腕に注射をしてどこかへ行ってしまった。
注射されると急に意識が遠のき始め、薄れ行く意識の中であたりを見回したが、奥さんの姿を見つける事は出来なかった。
次に気がついた時には、病院施設隣の自宅で、いつものように両手首を縛られ拘束された状態で寝ていた。
またヒモが外れないかと手を振ったりしていると、住民の代表者が入って来て、ヒモがちゃんと締まっている事を確認して出て行った。
翌朝にはいつものように拘束は解かれ、病院施設へ行って処置を受けた後、散歩がてらボートを勝手に拝借した事を謝罪するつもりで漁師の所へ行った。
漁師に会うと、私が言葉を発する前に私を道具小屋の方へ手招きし、私にある物を見せた。
小屋の中は、漁師の小屋らしく魚の生臭さが漂っていたが、「ある物」が入った容器のふたを開けると尚一層生臭さが鼻を突いた。
見ると、ドロッとした茶色い液体が入っていた。
「これが燃料だ」
私の目をじっと見つめながら漁師はそうつぶやいた。
この島の船のエンジンの燃料は、この漁師が獲ってきた魚を絞って取った「魚油」だった。
ふと背中に人の気配を感じ、身構えると同時にそちらを見ると、本音の話をしてくれた、島の調査に来て拘束された中年男性だった。
「やるか」と、その中年男性は言った。
そのためには、要注意人物としてマークされている2人が従順に言う事を聞いて、住民として代表者クラスにまで信頼されることが条件だという事で一致した。
その後どのくらいの年月が経ったか。
腹部の傷などとうに癒えて、漁師の手伝いなどの仕事をしながら暮らし、積極的に住民の先頭になって祭りやイベントなどに参加し、住民から相談を受けるなど顔役としての地位を確立した頃、夜のヒモを縛って拘束する代表者からも信頼されるようになり、日に日にヒモの縛り方が緩くなってきているのを感じた。
お互いに助け合いながら生活していると、人情と言う物が出てくる。
脱出の約束をした中年男性も同じで、ある日、これ以上緩められないというヒモの縛り方での夜間の拘束がお互いに続いた頃、目配せして、その夜の実行が決まった。
夕食後、いつものように代表者がやって来て、ヒモで両手首を縛り、片手づつどこかに縛りつけて拘束し、二言三言、言葉を交わして出て行った。
縛り方はやはり緩く、代表者が出て行ってすぐヒモを外す事は出来たが、誰が来るかわからないので、自分でヒモを手首に巻きつけて、時間が経つのを待った。
そろそろかと思ってヒモを解き、事前に知らせてあった奥さんに言葉を発しないように付いてくるよう目で合図しながらヒモを解き、玄関を開けて辺りをうかがい、誰もいない事を確認して漁師の小屋へ向かった。
相棒となった中年男性もほぼ同時に来て、2人で燃料の「魚油」が入った容器を持ち、誰にも見られていない事を確認しながら海岸へ急ぎ、漁師のボートを見つけるとエンジンに燃料を入れ、岸から海へ船を押し出してからエンジンをスタートさせた。
奥さんを乗せ、私と相棒の中年男性が乗って、エンジンの回転を上げて沖に向かって走り出そうとしたところへ、浜の方から大声をあげて迫ってくる声が聞こえてきた。
その声の主は、動き出した船の縁につかまって乗り込み、エンジンを止めようとした。
中年男性が声の主と格闘し、抑え込んだので私がエンジンを操作し、船は浜から遠くへと走って行った。
しばらく海を走ると声の主が大人しくなったので、中年男性と顔を見ると、私の傷の処置をしていた看護師の1人だった。
もうここまで来ては連れ戻す事は無理だと悟ったのか、抵抗する事もなく黙って座っていた。
どのくらい船を走らせたか、方向も何も分からないままに走らせていたので不安ではあったが、遠くにちらっと見えた光を頼りにその方角に向かって船を走らせ続けていた。
光がだんだん大きくなっていき、それが本土か別のどこかの島か分からないが、とにかくそこに乗りつけることにした。
船を岸に乗り上げるように泊め、船から降りて近所の家に助けを求めて走った。
ようやくこれで拘束生活から解放されたと、一緒に乗って来てしまった看護師の女性にもその事を告げ、自由の身になったんだからどこへ行ってもいいと勧めた。
しばらく黙っていた看護師の女性だったが、自分はあの島で生まれ育ち、あの島を守る事が自分の使命だから戻りますと、きっぱりと言い放って島へ戻って行った。

とまあ、ここでこの夢は終わりました。
文章にするとかなり長いけど、実際にはどのくらいの時間をかけてこの夢を見てたんでしょうかね。
夢の時間など計りようもないけど、興味はありますね。
それにしてもところどころリアルで、「両手首をヒモで縛られ」は、ミトンの手袋をはめられていて、手首はマジックテープとヒモでまさしくその通りにされていたし、「どこかに縛り付けられていた」と言うのもベッドサイドの柵に結ばれていたんです。
窓ガラスを挟んで病院施設と自分の家って言うのは、外科病棟のICUで治療されていた時の風景そのものでした。
「安定剤・催眠剤・精神神経用剤などを多量に投与されて思考回路を洗脳され」と言うのは、私自身、管を抜去してしまった時に同じような処置をされ、それが幻覚を見て錯乱状態になった原因の1つだと思っていますし、脱出に失敗した後に注射されたくだりは、やはり幻覚と錯乱状態の時にされた処置そのものの事だったようです。

「朝食」
・にゅう麺

「昼食」
・月見そば(天かす入り)
・焼きおにぎり1個

「夕食」
・ごはん
・チキンクリームシチュー(鶏肉、ジャガイモ、玉ネギ、人参、ブロッコリー)

「デザート」
・プチエクレア
・カフェラテエスプレッソ

今日のBW:61kg
最高0.2(12:57)、最低 マイナス5.1(03:47)、積雪量32センチ

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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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