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管理人の食卓風景と日常の日記
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今日は、とんでもない天気でしたね。
夜中に何度も警報のメールが届き、午前8時半に起きた時には外は猛吹雪で、窓から先が見えない状況でした。
時間とともに雪と風がひどくなってきて、もの凄い雷まで鳴っていた。
テレビのL字情報で常に道内の状況を流していたけど、わが街には「暴風雪警報」が出ていました。
交通機関も大きく乱れていたようですし、道内の所によっては電線への着雪で停電になってる地域もあったようです。
真冬並みの寒気が上空に入ってると言ってましたが、今って冬じゃないんですか???

さて、今回入院して緊急手術になってしまった理由ですが、結論から言うと「S字結腸穿孔」と言う病名が理由でした。
先月17日の水曜日、いつものように出勤して、朝礼を終えてマイデスクに戻り、問屋に注文の電話をしていた最中に、「ズンッ」と腹部に衝撃が走り、激痛に襲われました。
その感じは以前にも経験がした事があるような気がしたんです。
年に数回起こる、結石が腎臓から降りてきて尿管内に留まってしまった時の衝撃と似てたんです。
だからその時もまたそうだろうと、それなら痛みはしばらくすれば治まるだろうと耐えていました。
助手はいつものように調剤の準備をして待っていてくれましたが、マイデスクの椅子に座ったまま動けなくて、こりゃだめだと外来処置室のベッドに寝かせてもらいました。
痛いんだから鎮痛剤と、尿管結石の時はそれが当然の処置なため、鎮痛剤の座薬を挿して横になっていたら、多少痛みが和らいできたんです。
そのうち若手のドクターが外来診療の合間を縫ってエコー検査をしてくれるように外来看護主任が用意をしてくれ、エコーで診てもらったんですが専門外の結石は見つけられず、関係のない肝臓を見て「脂肪肝ですね」って事で終わり。
この時、エコーの機械でもう少し下腹部を見ていたら危険な異常を発見できたかもしれないと、のちにこの若手ドクターは私に謝罪してくれました。
私が結石だと言ったものだから、皆の頭の中は結石の激痛としかインプットされてなく、それなら時間が解決するだろうと安心していたようです。
私も、自宅に戻って水分を一杯取って安静にしてると帰ろうとすると、看護師の誰かが「奥さんに来てもらうかい?」と聞いてきたんです。
私は大丈夫と言ったんですが、この時の私はすでに痛みに耐え過ぎて意識が朦朧(もうろう)としてたので、そんな事にはお構いなしで助手に片付けを指示し、着替えて帰り始めていました。
奥さんが職場から飛んできてくれたのは、職員玄関を出てすぐ。
私は、痛みのため前屈みでゆっくりしか歩けない状態だったのに、それでも1人で帰ろうとしていた。
自宅に戻っても激し痛みは治まらず、奥さんが大丈夫とか病院へ行こうかとか言ってくれてたのを、結石だからそのうち治まると思い込んでいたので、逆ギレして怒鳴ってしまったらしいが、意識が朦朧としていたので覚えてないんです。
実は結石じゃなかったので、自宅でも座薬を挿したんですが効く訳がない。
ただひたすらバカみたいに痛みに耐えていて、とうとう我慢できなくなった午後4時頃、奥さんに頼んで職場の若手ドクターに指示をもらっけてくれと頼みました。
この時はもう、どこかの病院へ運んでくれと思っていた。
多少の時間の後、職場から電話がかかって来て、総合病院の泌尿器科から受け入れると返事が来て、紹介状も書いたからそれを持って行きなさいと指示がありました。
職場に紹介状を取りに行って戻ってきた奥さん、タクシーを呼ぼうと電話をしたんですが、私はもうダメだと思って救急車を呼んでもらいました。
マンション玄関まで救急隊を迎えに行くと出て行った奥さん、うちの玄関のカギは掛けないで行くからと私に言って出て行ったんですが、奥さんも慌てていたんでしょう、救急隊を連れてきた時にカギを入れて回してしまい、カギをかけた状態にしてしまった。
こんなしょうもない事を覚えているってことは、この時はもうすぐ助かると意識が正気に戻っていたって事ですね(^^ゞ
と言っても、私は前屈みの座位のまま、痛い痛いとうめきながら脂汗を流していたんです。
救急隊のストレッチャーに乗せられても、ちょっとした衝撃で激痛が走り、そのたびに痛いっ!と叫んでいました。
救急車が動き始めても、道路の段差などのほんのちょっとした衝撃でも激痛。
救急救命士が、血圧が低いと言っていたのは聞こえました。
病院に到着したのは覚えています。
ストレッチャーのままレントゲン撮影、その後CT撮影したでしょうか。
しばらくしてどこかの部屋に運び込まれてしばらく放置状態。
何人ものドクターや看護師が入れ替わり立ち替わり私の元に来て、「大丈夫ですよ」と声をかけてくれたんですが、早く痛みを取ってくれとそれしか私の頭にはなかった。
そのうちあるドクターが来て、「あなたの状態は、結石じゃなくてちょっと大変な事になってるので緊急手術します」というのが朦朧とした意識の中で聞こえました。
そして、「ちょっと腸を外に出す事になるかもしれませんが、命を助ける事が優先ですから・・・」とうっすらと聞こえていました。
もうそんな状況では、蚊の泣くような声で「お願いします」と言うしかないですもんね。
別の医師らしき人が来て、「今、麻酔科の先生が来ますから、もうちょっと我慢してくださいね」と、何回か言われたような気がする。
すぐに私の周りに人がいなくなるので、奥さんを呼んでとも言えず、1人で耐えていた私だった。
どのくらい経ったか、行きますとゾロゾロと看護師連中が私の寝ていたストレッチャーを押し始め、エレベーターにのせて運び始めた。
段差の衝撃が痛くて、叫び続けていた私。
手術室に入りますと言う声が聞こえたような気がしたけど、奥さんの姿は見えず、その代わり弟の声が「おにい・・・」と聞こえたのは覚えている。
ひんやりした手術室で服を脱がされて、ストレッチャーから手術台にうつされた時がまた地獄の激痛。
女性麻酔科医が周りのスタッフに指示して私を横向きにし、「背中にちょっと痛みがありますよ」と言って腰椎麻酔の針を刺して管を入れたんですが、それより動かされた時の痛みの方が激しくて。
だんだん麻酔を入れられていったらしく、「・・・ミリ入りました」みたいな声がおぼろげに聞こえ、それから上半身を抱えられて押さえつけられ、「外れるような歯はありませんか?」と何度も聞かれたんですが、入れ歯じゃないからとそのたびに答えた。
「金属は身につけてませんか?」と看護師らしき人に聞かれ、かろうじて思い立ったのが指輪。
外れるかしらと言う声が聞こえたので、緩いからすぐ外れると答えたと思う。
指輪を外されたら、口を思いっきり開けられて、口から金属の器具を無理やり押し込んでいったんです。
気管内挿管の器具だったようですが、まだ意識があるのに思いっきり突っ込まれたので、苦しさと吐き気で体をよじって暴れようとしたけど、何人にも押さえつけられて動く事は出来ず、そのうち意識がなくなってしまったらしい。
とまあ、その日の事はここまで覚えています。
尿路結石だと思い込んでいたのが、実はS字結腸に穴が開いてそこから腸内容物(早い話がウンチ)が腹腔内にまき散らされていた事で、激痛に襲われていたようなんです。
最初の痛み止めの座薬が効いたのは、恐らくまだ大腸まで入って行けて、それが吸収されて多少痛みが和らいだんだと思います。
2回目の座薬は、もう腸の内容物がどんどん腹腔内に流れ出ていて、座薬自体も吸収されずに腹腔内に出てしまったんじゃないかと考えます。
病院に搬入されて、しばらく放置されていたのは、今から思えば外科病棟の処置室だったかも。
一緒に来ていた奥さんは、そこには入れてもらえず、遠く離れた談話室で待機していて下さいと看護師に言われてそこにいたと。
いつまで経っても呼ばれないし、私に合わせてもくれず、手術室に移された時でさえ何の報告もなくて会う事が出来なかったんだそうです。
弟は、談話室には行かずに手術室横の患者家族待機場所へ行った時に、私が目の前を運ばれて行ったそう。
だから弟だけが、手術室に入る直前の私に声をかけられたんだと思う。
いい加減な病院スタッフですよね。
入院中もそう思う事がたくさんありました・・・。
だいたい午後7時頃から手術が始まって、終わったのは4時間後くらいだったと。
いつ手術室から出てくるかも分からないので母を先に帰らせて、奥さんだけが待機していたそうですが、手術を終えた主治医が奥さんの目の前に現れて、見せたのが私から切り取った約1キログラムの腸で、「今夜がヤマです」と言ったそうです。
その前に、術前には「あと1時間遅かったら危なかった」、つまり、あと1時間病院に到着が遅れて診断が遅かったら、命の保証はできなかったという事だったらしいです。
そんなになるまでバカみたいに耐えてた私って、本当にバカですよね(^^ゞ
術後、外科病棟のICUに移された私に、しばらく付き添っていてくれた奥さん、こんなおバカな私で本当に申し訳なかったと、謝罪と感謝の言葉もありませんm(_ _)m

「朝食」
・ごはん
・具沢山味噌汁(キャベツ、椎茸、玉ネギ、揚げ、玉子)
・残り物

「昼食」
・にゅう麺(かき玉、椎茸、人参、長ネギ、小松菜)

「おやつ」
・シュークリーム
・野菜チップス

「夕食」
・鍋焼きうどん(卵、鶏つくね、椎茸、シメジ、舞茸、長ネギ)
・弟が退院祝い代わりに持ってきたパック寿司(つぶ、サーモン、サーモンいくら軍艦、とびっ子)

今日のBW:59.5kg
最高3.7(08:08)、最低 マイナス2.9(22:32)、積雪量5センチ

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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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