管理人の食卓風景と日常の日記
今日は日記ネタになる様なイベントもなかったので、先日奥さんとの夫婦の会話を書いてみようと思います。
3日前の11日、アメリカでは同時多発テロ発生10年目の追悼式典が、日本では東日本大震災発生6ヶ月目の追悼式が行われたとテレビのニュースで放送していました。
私達は、過去に3度、沖縄を訪れています。
1度目は10年前の11月に沖縄本土へ、2度目は昨年3月に石垣島を中心とした八重山諸島へ、そして3度目は今年3月に宮古島を中心とした宮古諸島です。
3度とも観光で行った訳ですが、ここまで書いてきてピンと来た人は鋭いっ!
1度目と3度目の沖縄方面旅行、ともに大事件が起きてるんです。
10年前は、同時多発テロが起こった年で、自宅でテレビの生中継を見ながら驚愕していました。
そんな中を沖縄へ旅行した訳ですが、あの時は事件発生時にはすでに旅行会社を通して旅客機やホテル、オプションプランの手配もすべて終わった後でした。
今年と同じように旅客機に乗るのが怖いとか、テロが怖いとかで修学旅行も含めて自粛ムードがあったんです。
行くべきか行かざるべきか、多少は悩みましたが結局思いきって行く事にしました。
もう大分前の記憶ですから定かではない部分もありますが、空港は厳戒態勢で警備の警官なんかもあちこちにいた様に記憶しています。
旅客機内は、当時まだ新千歳-那覇の直行便があったのでそれを利用しましたが、客席がガラガラだったと言う事はなかったと記憶しています。
必要に迫られて沖縄へ行く人もいたでしょうし、逆に北海道へ観光に来た沖縄の人が帰るために乗っていたかもしれませんし、私達のように気にせず沖縄本島や離島へ観光に行った人もいるでしょう。
ですから、那覇の有名な国際通りの賑わいは普通だったように思われました。
地元の人も観光客も普通に歩いていましたから、生活に直接な影響はなかった事でしょうけど、観光客相手のお土産物屋さんや企業は大変だったんじゃないでしょうか。
オプションで予約した沖縄本島南部の観光バスツアーは、参加者のキャンセルが相次いで、私達夫婦だけの観光タクシーでのツアーになりました。
もちろんバスがタクシーになっても料金は同じで、事前にそうなるかもしれないと旅行会社の人に言われていたので驚きませんでしたし、ある意味最初はラッキーと思いましたけど、でも、まさか現実になるとは思ってもいませんでした。
修学旅行生達はいるにはいたんですが、それも勇気ある決断をした1校か2校だけだったようで、どこへ行ってもその高校生達と会って、しまいにはお互いに手を振るまでになってしまいました。
それだけ観光地に、観光客がいなかったという事です。
この時は、沖縄を発って長崎のハウステンボス、東京ディズニーランドに寄って帰道しましたが、元々ハウステンボスは倒産寸前と言われていた位ですから来場者が少なくてもそれが普通だったでしょうし、ディズニーランドは平日でもこんなに人が来るのかと驚くほどの混み具合でしたから影響は全くなかったんでしょう。
そして3度目の今年、これはもう3月の日記に書いている通りで、伊良部島から宮古島へ戻る高速船乗船中に大震災が発生したようです。
高速船が宮古島のフェリーターミナルに着き、下船してまた宮古島観光の続きを観光タクシーでしようと乗車した時にタクシーのラジオからアナウンサーの悲壮な絶叫が聞こえて来て、何かとんでもない事が起きてると知りました。
結局帰る予定だった大震災翌日は、乗る予定だった宮古島から那覇への飛行機がキャンセルになって帰られなくなり、すぐにJALに連絡を取ってもう1日あとの便に変えてもらい、なんとか乗り継いで帰道したと言う訳です。
そのポッカリト空いてしまった「空白の1日」、ホテルの部屋掃除の間は行く所もなくする事もなく、ちょっと離れたコンビニへ行ったり、ホテル横のフェリーターミナルのテレビで大震災のニュースを見たりして時間を潰し、部屋に戻ってからもテレビは大震災のニュースだけでしたし、津波警報が出ていたのでホテルの部屋から港を見ていたら海面が盛り上がって海水がいつもとは違う動きをしているのを見ていました。
当然近くの離島とのフェリーはすべて運休で、フェリーターミナルの窓口はすべて閉鎖され、桟橋横の駐車場にはいつ戻って来られるか分からない主を待っている自家用車が多数停まっていました。
翌日、航空会社はできる限りの便を通常の時間通りに運航していましたので、何とか夜遅くに新千歳に戻って来れましたが、羽田から新千歳に向かう便はさすがにいつもの航路じゃなく、福島県上空を外れて山形県に近い磐梯山の日本海側を飛行したようです。
羽田で搭乗を待っている時に目にしたのは、山形行きの便が2時間遅れと表示していたのが印象的でした。
このように、3度の沖縄旅行の2度までもが大事件や大震災に絡んでしまっていると言うのは、一体どういう訳なんでしょうか。
「2度ある事は3度ある」、「3度目の正直」。
当初の予定では、来春3月は一番遠い離島の「与那国島」と、人が住んでいる日本最南端の「波照間島」を制覇しようと考えていましたが、予定を変更した方がいいのかもと悩んでいます。
ただ、1度目と3度目に良くない事がありましたけど、2度目は何もなかったので4度目の次回は大丈夫かなとも考えちゃいます。
奥さんは、「うちらが沖縄へ行くと、何か起こるよね」と言ってましたが。
最近は北海道でも震度3震度4レベルの地震が多発していますから、来春はあまり無理して遠出しない方がいいのかもしれませんね。
「朝食」
・ごはん
・漬物
・スパムエッグ
「昼食」
・和風醤油焼そば大盛り
・ハムたまごチーズサンド1切れ
「夕食」
・チキンクリームパスタ
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:64.5kg
最高22.2(14:05)、最低14.0(03:42)
3日前の11日、アメリカでは同時多発テロ発生10年目の追悼式典が、日本では東日本大震災発生6ヶ月目の追悼式が行われたとテレビのニュースで放送していました。
私達は、過去に3度、沖縄を訪れています。
1度目は10年前の11月に沖縄本土へ、2度目は昨年3月に石垣島を中心とした八重山諸島へ、そして3度目は今年3月に宮古島を中心とした宮古諸島です。
3度とも観光で行った訳ですが、ここまで書いてきてピンと来た人は鋭いっ!
1度目と3度目の沖縄方面旅行、ともに大事件が起きてるんです。
10年前は、同時多発テロが起こった年で、自宅でテレビの生中継を見ながら驚愕していました。
そんな中を沖縄へ旅行した訳ですが、あの時は事件発生時にはすでに旅行会社を通して旅客機やホテル、オプションプランの手配もすべて終わった後でした。
今年と同じように旅客機に乗るのが怖いとか、テロが怖いとかで修学旅行も含めて自粛ムードがあったんです。
行くべきか行かざるべきか、多少は悩みましたが結局思いきって行く事にしました。
もう大分前の記憶ですから定かではない部分もありますが、空港は厳戒態勢で警備の警官なんかもあちこちにいた様に記憶しています。
旅客機内は、当時まだ新千歳-那覇の直行便があったのでそれを利用しましたが、客席がガラガラだったと言う事はなかったと記憶しています。
必要に迫られて沖縄へ行く人もいたでしょうし、逆に北海道へ観光に来た沖縄の人が帰るために乗っていたかもしれませんし、私達のように気にせず沖縄本島や離島へ観光に行った人もいるでしょう。
ですから、那覇の有名な国際通りの賑わいは普通だったように思われました。
地元の人も観光客も普通に歩いていましたから、生活に直接な影響はなかった事でしょうけど、観光客相手のお土産物屋さんや企業は大変だったんじゃないでしょうか。
オプションで予約した沖縄本島南部の観光バスツアーは、参加者のキャンセルが相次いで、私達夫婦だけの観光タクシーでのツアーになりました。
もちろんバスがタクシーになっても料金は同じで、事前にそうなるかもしれないと旅行会社の人に言われていたので驚きませんでしたし、ある意味最初はラッキーと思いましたけど、でも、まさか現実になるとは思ってもいませんでした。
修学旅行生達はいるにはいたんですが、それも勇気ある決断をした1校か2校だけだったようで、どこへ行ってもその高校生達と会って、しまいにはお互いに手を振るまでになってしまいました。
それだけ観光地に、観光客がいなかったという事です。
この時は、沖縄を発って長崎のハウステンボス、東京ディズニーランドに寄って帰道しましたが、元々ハウステンボスは倒産寸前と言われていた位ですから来場者が少なくてもそれが普通だったでしょうし、ディズニーランドは平日でもこんなに人が来るのかと驚くほどの混み具合でしたから影響は全くなかったんでしょう。
そして3度目の今年、これはもう3月の日記に書いている通りで、伊良部島から宮古島へ戻る高速船乗船中に大震災が発生したようです。
高速船が宮古島のフェリーターミナルに着き、下船してまた宮古島観光の続きを観光タクシーでしようと乗車した時にタクシーのラジオからアナウンサーの悲壮な絶叫が聞こえて来て、何かとんでもない事が起きてると知りました。
結局帰る予定だった大震災翌日は、乗る予定だった宮古島から那覇への飛行機がキャンセルになって帰られなくなり、すぐにJALに連絡を取ってもう1日あとの便に変えてもらい、なんとか乗り継いで帰道したと言う訳です。
そのポッカリト空いてしまった「空白の1日」、ホテルの部屋掃除の間は行く所もなくする事もなく、ちょっと離れたコンビニへ行ったり、ホテル横のフェリーターミナルのテレビで大震災のニュースを見たりして時間を潰し、部屋に戻ってからもテレビは大震災のニュースだけでしたし、津波警報が出ていたのでホテルの部屋から港を見ていたら海面が盛り上がって海水がいつもとは違う動きをしているのを見ていました。
当然近くの離島とのフェリーはすべて運休で、フェリーターミナルの窓口はすべて閉鎖され、桟橋横の駐車場にはいつ戻って来られるか分からない主を待っている自家用車が多数停まっていました。
翌日、航空会社はできる限りの便を通常の時間通りに運航していましたので、何とか夜遅くに新千歳に戻って来れましたが、羽田から新千歳に向かう便はさすがにいつもの航路じゃなく、福島県上空を外れて山形県に近い磐梯山の日本海側を飛行したようです。
羽田で搭乗を待っている時に目にしたのは、山形行きの便が2時間遅れと表示していたのが印象的でした。
このように、3度の沖縄旅行の2度までもが大事件や大震災に絡んでしまっていると言うのは、一体どういう訳なんでしょうか。
「2度ある事は3度ある」、「3度目の正直」。
当初の予定では、来春3月は一番遠い離島の「与那国島」と、人が住んでいる日本最南端の「波照間島」を制覇しようと考えていましたが、予定を変更した方がいいのかもと悩んでいます。
ただ、1度目と3度目に良くない事がありましたけど、2度目は何もなかったので4度目の次回は大丈夫かなとも考えちゃいます。
奥さんは、「うちらが沖縄へ行くと、何か起こるよね」と言ってましたが。
最近は北海道でも震度3震度4レベルの地震が多発していますから、来春はあまり無理して遠出しない方がいいのかもしれませんね。
「朝食」
・ごはん
・漬物
・スパムエッグ
「昼食」
・和風醤油焼そば大盛り
・ハムたまごチーズサンド1切れ
「夕食」
・チキンクリームパスタ
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:64.5kg
最高22.2(14:05)、最低14.0(03:42)
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お客さま数
プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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