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管理人の食卓風景と日常の日記
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今日、七七日、四十九日を迎えました。
もうこんなに経ったのかと言う思いと、色々な事があり過ぎてあっという間だったという感慨が複雑に入り混じっています。
今日は事前に有休を取ってあり、朝はいつもより少し遅くまで寝ていられましたが、やはりいつもと同じ時間頃に目が覚め、ん~まだ寝てていいんだと自分を納得させて眠りに入ろうとするものの、うつらうつらで時計が気になり、まだ1時間寝れる、あと30分寝れると、寝たような寝てない様な。
結局予定通り、午前8時半頃起床し、一応の身支度を整えて朝食。
タクシーを呼んで乗車し、実家到着は午前10時過ぎ。
弟夫婦もやってきて、午前10時半少し前に、父の遺骨、埋葬許可証を持ってお寺に向かいました。
今日は、時折パラッと雨が降りそうで降らない変な天気。
朝からどんより曇っていましたが、気温が数日前から見たら低い22℃程度だったので、遺族の正装である喪服でも何とか凌げましたけど、動くとやはり暑くて私は汗だらけ。
何たって、父1人分の遺骨をずーっと抱えてましたから、腕も重さでプルプル震え出しました。
納骨堂の仏壇を整え、父の遺骨は下段に収納し、母の妹とその娘夫婦も参列して、午前11時僧侶による読経が開始されました。
親戚一同が会しての四十九日法要はすでに初七日法要と合わせて済ませてありましたから、読経も簡単に済まされてしまったような・・・。
ただ、納骨と言う事でか、いつものお経とはちょっと違う内容だったような気がしました。
僧侶が退席した後は、母から順に焼香して終了。
その時私の携帯のバイブが震えだし、こんな時に仕事の電話かと怒りを押さえて着信相手の表示を見ると、それは父の弟からでした。
聞くと、お供物にお菓子を買ったのは良いけど、実家に電話しても出ないから私の職場に直接行って、持って行ってもらおうとしたら受付で今日は法要で有休ですと言われたと。
何考えてんだか、このオッサン!
長男である私が法要に出ないで仕事してると思う方がおかしいでしょ。
って言うか、弟であるあなたも札幌から来てたんだったら参列しなさいって(怒)
遠回しに私が言うと、これからそっち(お寺)へ行くけど、作業服で来ちゃってるから・・・だって。
仕方ない、玄関で待ちかまえて、納骨堂まで連れ込んでやる!
車から降りてこちらへ向かってきたところを、私が腰のベルトの後ろを捕まえて、どんどん納骨堂の方へ押しやったら、本人も諦めたか、先になって納骨堂の方へ歩き出しましたので作戦成功。
いや、まあ、そうしなくても、ここまで来たからには兄である父に手の一つも合わせないで帰るなんて、そんな薄情な人じゃないので、その気になったと言う事でしょう。
私の数珠を貸してあげて、お参りしてもらい、母としばし話をした後、仕事に戻られました。
すでに母の妹と娘夫婦は帰っていましたから、私達5人だけで近所のそば屋へ行って昼食を摂り、弟の運転で母を実家に送って私達も自宅に送らせて、一旦散会。
弟の運転に酔ってしまった奥さんの回復を待って、危険な状態にあった日用品等の買い出しに出かけ、帰宅後にシャワーをして、午後4時頃、再び実家へと向かいました。
私達が到着すると、遺骨がなくなった祭壇は葬儀社に返却され、送られた花や遺影と共に遺品の一部や仏具類が仏壇の周りに置かれていました。
ほどなくして再び弟夫婦も到着し、まずは実家の家具や襖などを現状に復する作業の開始。
大勢の人が弔問に来るからと、居間に置いてあったものはほぼ別の部屋に移動してあったので、元の位置に戻すと部屋が狭くなったようだと母。
神棚の半紙も外し、久々の7週間ぶりに神様の戸を開けて神棚封じを解き、水を奉げました。
今日は最初から家族だけでの法要と決めていたので、午後5時、今回の葬儀中一切の「食」を世話してくれた、私のいつもの行きつけの寿司屋兼仕出し料理屋から出前が届きました。
頼んであったものはすべて間違いなく届きましたが、支払いの段になって、天ぷらは、今は社長と呼ばれている「大将」からのサービスですと言われ、感謝感激雨あられ。
近いうちに菓子折りでも持って、ご挨拶がてらまた客として店に行かねばなるまいと肝に銘じました。
だって、3人前の天ぷら盛り合わせを見ると、タネがですよ、大エビ、タラバガニ、あわび・・・あわびぃ!!!ですよ。
あとはナス・グリーンアスパラ・笹竹・かき揚げなどでしたけど、金額にしたら1人前、ざっと見積もっても3千円やそこらはするでしょって感じ。
握りだって、最初から表示価格の端数はカットですもん。
テーブル2つ分に寿司桶、天盛り、そしてキンキの唐揚げあんかけ3人前を並べ、各自飲み物を準備し、ようやくお疲れさまでしたと。
食べ始めると、皆黙々と飲み食いし、まるでお通夜の席かいってな雰囲気にもなってしまった。
家族全員、一様に気が抜けたと言うか、一連に儀式的なものをすべて滞りなくし終えた安堵感、父の遺骨を納めるべき場所に収め終えた安心感、そして、もう本当に実家には遺骨すらいなくなってしまったと言う寂寥感。
すべてのもろもろの感慨が胸の中に去来して、一種の「ふぬけ」状態になっていたのかもしれません。
今朝までは、横を見ると父の遺骨があり、まだ父と対話していた母が、寂しそうな事を言い出したのが、すべてを物語っていたでしょう。
それじゃあと、仏壇横に置かれた父の遺影を私が居間に連れ戻して、母の定位置の真正面のサイドボード上に安置すると、母にまた活気が戻ってきたような。
これでひとまず安心と、午後8時、タクシーを呼び帰宅しました。

これで、まだ喪中の身ではありますが、とりあえず忌明けと言う事で、また気分も新たに日常生活を送りたいと思っています。
と言っても、すぐ19日には「月命日」が来ます。
今月は連休にかかりますが、17日の土曜日、私は夜間急病センター出向で、19日当日は連休最終日の翌日からまたみんな通常勤務ですから、なか日の18日に全員実家に集合してお参りと飲み会を開く予定。
それが終わると、来月はすぐ「新盆」です。
13日、仕事が終わってからお寺へ集合し、僧侶に読経をお願いして、その後はまた飲み会でしょう。
19日の木曜日に月命日を迎え、百箇日はそのあとすぐの、8月24日。
お寺さんが実家へお参りに来るかも知れませんが、私達は考えてません。
9月20日からは秋のお彼岸ですので、また全員集合してお寺へお参りに行くでしょう。
それを終えて、しばらくはようやく儀式的なものから遠ざかります。
その後も毎月の月命日には実家へ行きますが、それは生活リズムの1つとしてとらえて取り込んで行かなければならないでしょう。
肉親の死に当たって、色々な事を経験し勉強させてもらいましたが、仏教がここまで深く私達の生活に関わり根ざしている事を知り、新たな発見と驚きに戸惑いながらも、まだまだ続きそうですので、もっと勉強してみようと思っている今日この頃でした。

「朝食」
・チキンフィレサンド
・野菜ジュース

「昼食」(お寺近くのそば屋)
・もりそば大盛り

「夕食」(実家で出前など)
・握り(大とろ・ひらめ・大ぼたん蝦・しゃこ・うに・いくら・あわび・ほっき・ほたて・ずわいがに)
・天ぷら盛り合わせ(タラバガニ・アワビ・大エビ・グリーンアスパラ・笹竹・ナス・かき揚げ(イカ、ホタテ、ホッキ、玉ねぎ、三つ葉))
・キンキの唐揚げあんかけ(ちなみに1人前2,400円です)
・母お手製の笹竹、揚げ、コンニャクの味噌煮
・焼酎のウーロン茶割り

「自宅に戻って」
・焼酎のシークワーサージュース割り

今日のBW:68.5kg

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プロフィール
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管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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