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管理人の食卓風景と日常の日記
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朝いつもの時間に起きてすぐに実家に電話をすると、やはり状態は昨夜と変わらず歩行困難と母。
札幌の大学病院などとても行ける状態ではないので、私の病院に入院させてほしいと。
ただまだ午前6時半なので、私が出勤してからでもいいかと聞くと、それまでなら何とかと。
電話を切ってすぐに外来看護主任に昨夜からの事と今の状態をメールし、出勤後すぐに院長に受け入れ許可をもらうように依頼しました。
外来看護主任が出勤後すぐに院長自宅に連絡をしてくれましたが、院長が出ない。
そうこうしているうちに実家の母から病院に電話があり、もう限界だから何とかしてくれと。
外来看護主任にその事を告げると再度院長に連絡を取ってくれ、ようやく電話に出た院長からは即搬送しろとの指示が出て、実家へ電話をし救急車を呼べと母に指示しました。
救急車到着まで30分以上かかったでしょうか、私も院長もイライラしながら玄関前で待機していました。
搬送後からすぐに診察と緊急検査、処置が始まりましたが、意識は昨夜同様澄明でしたが全身青ざめたように真っ白。
検査結果はやはり強度の貧血があり、院長の診断ではどこかに出血があるだろうと、まずは輸血のオーダーで日赤に濃厚赤血球の発注をしました。
時折胸苦しさと嘔気を訴え、便意を訴えましたが起きることは不可能状態。
血液が到着するのをもどかしく院長以下全スタッフが待っていましたが、午前中はまず安定した様子で過ぎました。
昼休みになったので、私も自宅に戻り昼食を摂ったらすぐにまた病院に戻るつもりでいましたが、食事中に看護師から血圧が低下して苦しがっているのですぐに来てくださいと携帯に連絡があり、すぐに走って病院に戻りました。
父の様子を見るとその時は落ち着いた様子でしたが、部屋には院長もいて、心電図を見ながらどうも心筋梗塞のような波形が出ていると。
輸液には昇圧剤の2アンプル目を入れる指示を出し、詰所に戻ってややしばらく考え込んでいました。
その間に数回吐血し、呼吸も時折乱れ、排尿もない事からバルーンカテーテルを挿入し、血液が届くのを祈る思いで待ちました。
ここで院長は往診に行かなければならないので、次期院長の若手ドクターに交代し、まずは出血部位を探ろうと胃内視鏡の準備が始まりました。
待望の血液も到着したんですが、吐血の頻度が激しくなり、指先にチアノーゼも出現し始め、全身状態が急激に悪化してきたため、当院での対応は無理だと、ドクターが市立病院への転院を手配してくれました。
救急車が到着するまでの間も、父は苦しそうに「早く楽にしてくれ、まだ救急車は来ないのか」と。
この時点でも意識はしっかりしていたので、まだ望みはありました、私は。
午後2時過ぎ、市立病院に転送され、救急処置室で採血や処置をした後、受け入れた消化器専門のドクターが出てきて簡単に説明をし、すぐに内視鏡室へ搬送して検査と処置をすると告げられました。
1時間ほどかかった検査と処置も終わり、部屋から出てきたドクターから出血部位は治療したと告げられ、次に出てきた麻酔科医からはこの後3日ほどはICUで厳重に管理しますと告げられました。
奥さんがどこから出血していたのかと聞くと、アンパンマンのような顔をした麻酔科医は「胃に近いところの静脈瘤から出血していた」と説明してくれました。
内視鏡室から出てきた父はストレッチャーのままICUに運ばれ、輸血やモニター装着などの処置を終えた後で面会が許されました。
母が声をかけると、「さっきよりは楽になった」と。
さらに、「また死にぞこなった」と冗談を言ったそうです。
24時間厳重な監視の下に置かれるICUに入ってしまった以上、もう我々が何もすることはない、すべてを市立病院スタッフに任せるしかありませんので、午後5時頃母と別れて帰途につきました。
ドクターの話では、市立病院に搬送されてきた時点では非常に危険な状態で、止血に成功したので生命の危機は脱しましたとのこと。
まずは一般病室に移れるようになるよう処置をしますと。
当院にいた時に起きた心筋梗塞のような状態は、大量の出血で一時的に心筋に虚血が起きてダメージを受けたためと。
出血による血圧低下と、胸の苦しさはそこから起きたものでしょう。
一昨日のエレベーターでの意識消失も、実はすでに相当な出血による失血で、脳虚血状態にあったんだろうと、今になってはそう考えると矛盾しません。
食あたりらしいと言う母の言葉に私も含めてみんなが惑わされてしまい、危うく最悪の事態になるところでしたが、頻繁な下痢も実は下血のせいだったでしょうし、嘔気も血は昨日の午後までは口からは出てきませんでしたが、出血によるものだったんでしょう。
まだ静脈瘤も2つあり、ガンについてはそれから大学病院で対処することになるでしょうとの事でした。
ただ、言外に、長くはない、難しいなと、表情にも見え隠れしていたのは見逃しませんでした。
それはもう大学病院の主治医から聞かされた事ですし、もってあと1年か2年とも聞いていますから、覚悟はしています。
ただ今回のように、いきなり突然、最初の原因が食あたりで最期を迎えるなんていうのだけは勘弁してもらいたい気持ちです。

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自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

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