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管理人の食卓風景と日常の日記
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午後2時から病棟詰所で、会議がありました。
詰所ですから、医薬品や医療用具が雑多に置かれていて、危険な患者の心電図や脈をモニターする機械も置いてありました。
何気なくこのモニターを見ていたら、赤ランプ表示で非常に危険なことを知らせていました。
どの入院患者だろうと名前を見ると、6年位前まで自宅で療養していて、その後容態が変わり入院した高齢女性の患者さんでした。
その自宅療養時代には、私が「訪問薬剤指導管理」と言う名目で、ご自宅を月に2度ほど訪問し、薬に関する指導をしたり相談などを受けていたんです。
その時すでに認知症であり、日に日に会話は成立しなくなっていましたが、私が訪問すると私の手を取って握り締め、涙を流しながら喜んでくれた患者さんでした。
入院後は、同じ建物内にいるのですからいつでも面会できますけど、1度面会に行った時に以前のように喜んでくれたのはいいんですが、「涙を流しながら喜んで・・・」がアダとなり、興奮状態がいつまでも治まらなくなって血圧上昇・不眠状態となってしまったために、その後は面会に行けなくなってしまいました。
そして今日、会議が終わり薬局に戻ろうとした時に、久しぶりに会いに行ってみようかなと思い立ち、病室を訪れました。
実は数週間前には、一度危篤状態に陥っていたんですが、持ち前の生命力で持ち直し、小康状態になっていました。
病室に入ると、毎日何度も見舞い・介助に来ている家族の方(実の娘さん)がベッドサイドにおり、もちろんこの方とも自宅を訪問していた時からの顔なじみですが、昨日はもっと顔が綺麗だったとか、以前訪問していた時の話などをしました。
今から思うと、突然訪室したのも、なぜか昔話になったのも、虫が知らせたということなんでしょう。
その後すぐの、突然の急変に関しての報告は病棟から一切なく、久し振りに外の空気に当たりながら最初で最後の退院をした時も、私には知らされませんでした。
私がその事を知ったのは、私が帰宅する直前でした。
最後のご挨拶はできませんでしたが、「その時」のほんの1時間半前に、まだ天に召される前に会うことができた事に、感謝しています。
合掌。

追記:実際の死亡時間を見たら、私が病室を出てから約50分後に逝去されていました。

「昼食」
・天ぷら月見そば
・ごはん

「夕食」
・ごはん
・キムチ
・豚の角煮、煮卵
・ホッケの開き
・卯のマヨ

「食後」
・缶チューハイ
・ライムサワー

今日のBW:79.5kg

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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
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2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
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