管理人の食卓風景と日常の日記
風邪が治りません。
鼻詰まりも治らなくて、苦しいです。
それも、鼻の左側だけが詰まる。
味覚障害が起きてしまって、味とニオイが分からなくなってしまいました。
家でおとなしくして、風邪薬もまじめに飲んでるのに治らないなんて、やっぱり抵抗力と体力の低下が原因なんでしょうか。
旨いもん(栄養のあるもの)食って、温かくしてるのに、後は寝てれば治るのなら寝てますけど。
重ね着をしていたら暑くてボーっとしてきたので脱いで、パジャマ姿でしばらくいたら、鼻詰まりが軽減されました。
薄着、しかもパジャマ姿でフラフラしているのは良くないと思いながらも、温め過ぎも良くないんだなと認識した次第です。
まだある入院中の話。
意識が行ったり来たりしている時に、色々な夢を見ました。
その夢が現実と交錯して、看護スタッフに対し暴言を吐いたり暴れたりしたようです。
その時に見ていた夢のほとんどが、手を拘束されている事に関連した事ばかりでした。
ただ、最初の頃に見た夢は違いました。
これから思い出すままに見た夢と、現実が交錯して混乱し、奥さんから聞いた話や私の意識がふと戻った瞬間に行っていた言動を書いてみたいと思います。
①私が、怪しげなショップから非合法的で怪しげなニオイが出る装置を買いました。
その装置から出るニオイを嗅いだり吸引すると、その装置に書いてある現象を疑似体験できたり、気持ちが良くなったり元気が出たりするんです。
その装置を買うのは2回目で、そのうち使おうと職場に置いておいたら私が入院してしまい、退院してその装置を見るといつの間にか外来看護主任が作動させてしまっていました。
誰にも言わず私だけが楽しんでいたのに、私が不在の間に職場の職員の多くに知れ渡ってしまい、皆がそのニオイの「とりこ」になっていて、ある女性職員は私に内緒でその装置の販売ショップに連絡をして、職場内で販売の取り次ぎまで始めていました。
非合法的な装置であるのに、「それってヤバいよ」とその職員に言っても、その時は聞いたような態度をしても秘かに商売を続けていました。
一番最初にその装置を買ったのは私ですから、売れ行きが上がってるのをいい事に、ショップの密売人が私に面会を求めてきました。
私はヤバい事には手を染めたくなかったので居留守を使って、勤務しながら入院しているシチュエーションの中で、取り次ぎ販売している女性職員や購入者を集めてセミナーのようなものを職場で開催し始めました。
私としては、それ以上関わりたくなかったので、購入分の支払いを振り込んで済ませようしたんですが、入院しているので銀行には行けずに焦っていました。
奥さんに振り込みを頼もうにも、非合法なものなので言い出せずに更に焦りながら療養していたら、奥さんが来た時にふと嗅いだ事があるニオイが漂ってきたんです。
まさかと思って奥さんを問い詰めると、ニヤッと笑ってスルーされました。
そう、そのニオイこそ、非合法で怪しいニオイそのものだと分かったんです。
1度でも嗅いだ事があれば絶対に忘れる事が出来ない独特のニオイ、病院内を散歩していて出会った別の女性職員は、仕事が終わったから帰ると言いながらその装置を取り出して 吸引し始め、スッキリしたと言って笑いながら帰って行きました。
夢の中で自分が入院している病院と、勤務している病院がゴッチャになっていて、実際には両病院は遠く離れているのに夢の中では廊下でつながっていました。
取り次いでいた女性職員の元に買いに来る人間の中には、医師・看護師など多くの医療スタッフもいて、だんだんその装置の存在が口コミで広まって行き、そのうちスーツ姿の男女2名が院内をうろつくようになったと思ったら、その2名は薬物犯罪担当の刑事で、その姿を察した密売人は消えて来なくなりました。
とまあ、この夢の話はこれで終わり。
辻褄が合わない、おかしな夢でしょ。
でも、今でも覚えているくらいはっきりとした夢だったんです。
②入院生活の中で、ヒマだから本でも読もうと奥さんに、着てきたダウンのポケットに文庫本 を入れて持ってきたはずだから出してくれと頼みました。
奥さんは、「そんなものは持ってきてないよ」と。
いや、確かに持ってきたはずだからもう一回見てくれと言ったんですが、やはり「ない」との返事でした。
そんなはずはないと私は怒りだし、ベッドから降りてダウンのポケットに手を入れると、持ってきたはずの文庫本が入ってなかった。
「おかしいな」と思いつつ、その時はそれで終わった(夢の中で)んです。
またある時に、同じ事を奥さんに頼んだんですが、やはり持ってきてないと返事が返ってきたので、またベッドから降りてダウンのポケットに手を入れると、文庫本が入っていました。
「ほら見ろ!あるじゃないかっ!」と、奥さんを叱責したんです。
次に、喉が渇いたけど、水は飲んではいけないと言われていたので、水の代わりに唾液を出せば少しは渇きを癒せると思い、酸味のあるガム状の清涼食品、タブレットタイプで言ったらミンティアとかフリスクのようなもので平べったいものを、これまたダウンのポケットに入れてあったから出してくれと奥さんに頼みました。
奥さんの返事はまたもや「持ってきてないよ」と。
今度もそんなはずはないと、自分でポケットに手を入れて探しましたが見つからない。
持ってきてなかったかと、奥さんに家に置いてきたから持ってきてと頼んだんですが、返事はなかった。
実際に、奥さんに文庫本を出せと、意識が少し戻った時に言ったらしいです。
「文庫本を出せ」を2回言ったのは、夢の中では時間が経ってからなんですが、実際には続けてその夢を見ていたのかもしれません。
そもそも、救急車で運ばれた入院時にダウンのジャンバーなど着てきたはずもなく、その時はまだブルゾンで十分な気温だったんですから、この時点でも記憶が混乱していましたね。
清涼食品は、ショルダーバッグにグレープフルーツ味のタブレットが入っていたので、なぜかそれを思い出したのかもしれません。
「朝食」
・自家製パンのトースト&バター
・ベーコンエッグ
・クラムチャウダー
「昼食」
・ブイヤベース風シーフードヌードル
・おにぎり(黒毛和牛のうまか煮)
「夕食」
・あんかけ焼きそば(豚肉、玉ネギ、人参、筍、うずらの卵、キクラゲ、椎茸)
「デザート」
・生八つ橋
今日のBW:61kg
最高 マイナス2.1(12:27)、最低 マイナス5.6(20:59)、積雪量28センチ
鼻詰まりも治らなくて、苦しいです。
それも、鼻の左側だけが詰まる。
味覚障害が起きてしまって、味とニオイが分からなくなってしまいました。
家でおとなしくして、風邪薬もまじめに飲んでるのに治らないなんて、やっぱり抵抗力と体力の低下が原因なんでしょうか。
旨いもん(栄養のあるもの)食って、温かくしてるのに、後は寝てれば治るのなら寝てますけど。
重ね着をしていたら暑くてボーっとしてきたので脱いで、パジャマ姿でしばらくいたら、鼻詰まりが軽減されました。
薄着、しかもパジャマ姿でフラフラしているのは良くないと思いながらも、温め過ぎも良くないんだなと認識した次第です。
まだある入院中の話。
意識が行ったり来たりしている時に、色々な夢を見ました。
その夢が現実と交錯して、看護スタッフに対し暴言を吐いたり暴れたりしたようです。
その時に見ていた夢のほとんどが、手を拘束されている事に関連した事ばかりでした。
ただ、最初の頃に見た夢は違いました。
これから思い出すままに見た夢と、現実が交錯して混乱し、奥さんから聞いた話や私の意識がふと戻った瞬間に行っていた言動を書いてみたいと思います。
①私が、怪しげなショップから非合法的で怪しげなニオイが出る装置を買いました。
その装置から出るニオイを嗅いだり吸引すると、その装置に書いてある現象を疑似体験できたり、気持ちが良くなったり元気が出たりするんです。
その装置を買うのは2回目で、そのうち使おうと職場に置いておいたら私が入院してしまい、退院してその装置を見るといつの間にか外来看護主任が作動させてしまっていました。
誰にも言わず私だけが楽しんでいたのに、私が不在の間に職場の職員の多くに知れ渡ってしまい、皆がそのニオイの「とりこ」になっていて、ある女性職員は私に内緒でその装置の販売ショップに連絡をして、職場内で販売の取り次ぎまで始めていました。
非合法的な装置であるのに、「それってヤバいよ」とその職員に言っても、その時は聞いたような態度をしても秘かに商売を続けていました。
一番最初にその装置を買ったのは私ですから、売れ行きが上がってるのをいい事に、ショップの密売人が私に面会を求めてきました。
私はヤバい事には手を染めたくなかったので居留守を使って、勤務しながら入院しているシチュエーションの中で、取り次ぎ販売している女性職員や購入者を集めてセミナーのようなものを職場で開催し始めました。
私としては、それ以上関わりたくなかったので、購入分の支払いを振り込んで済ませようしたんですが、入院しているので銀行には行けずに焦っていました。
奥さんに振り込みを頼もうにも、非合法なものなので言い出せずに更に焦りながら療養していたら、奥さんが来た時にふと嗅いだ事があるニオイが漂ってきたんです。
まさかと思って奥さんを問い詰めると、ニヤッと笑ってスルーされました。
そう、そのニオイこそ、非合法で怪しいニオイそのものだと分かったんです。
1度でも嗅いだ事があれば絶対に忘れる事が出来ない独特のニオイ、病院内を散歩していて出会った別の女性職員は、仕事が終わったから帰ると言いながらその装置を取り出して 吸引し始め、スッキリしたと言って笑いながら帰って行きました。
夢の中で自分が入院している病院と、勤務している病院がゴッチャになっていて、実際には両病院は遠く離れているのに夢の中では廊下でつながっていました。
取り次いでいた女性職員の元に買いに来る人間の中には、医師・看護師など多くの医療スタッフもいて、だんだんその装置の存在が口コミで広まって行き、そのうちスーツ姿の男女2名が院内をうろつくようになったと思ったら、その2名は薬物犯罪担当の刑事で、その姿を察した密売人は消えて来なくなりました。
とまあ、この夢の話はこれで終わり。
辻褄が合わない、おかしな夢でしょ。
でも、今でも覚えているくらいはっきりとした夢だったんです。
②入院生活の中で、ヒマだから本でも読もうと奥さんに、着てきたダウンのポケットに文庫本 を入れて持ってきたはずだから出してくれと頼みました。
奥さんは、「そんなものは持ってきてないよ」と。
いや、確かに持ってきたはずだからもう一回見てくれと言ったんですが、やはり「ない」との返事でした。
そんなはずはないと私は怒りだし、ベッドから降りてダウンのポケットに手を入れると、持ってきたはずの文庫本が入ってなかった。
「おかしいな」と思いつつ、その時はそれで終わった(夢の中で)んです。
またある時に、同じ事を奥さんに頼んだんですが、やはり持ってきてないと返事が返ってきたので、またベッドから降りてダウンのポケットに手を入れると、文庫本が入っていました。
「ほら見ろ!あるじゃないかっ!」と、奥さんを叱責したんです。
次に、喉が渇いたけど、水は飲んではいけないと言われていたので、水の代わりに唾液を出せば少しは渇きを癒せると思い、酸味のあるガム状の清涼食品、タブレットタイプで言ったらミンティアとかフリスクのようなもので平べったいものを、これまたダウンのポケットに入れてあったから出してくれと奥さんに頼みました。
奥さんの返事はまたもや「持ってきてないよ」と。
今度もそんなはずはないと、自分でポケットに手を入れて探しましたが見つからない。
持ってきてなかったかと、奥さんに家に置いてきたから持ってきてと頼んだんですが、返事はなかった。
実際に、奥さんに文庫本を出せと、意識が少し戻った時に言ったらしいです。
「文庫本を出せ」を2回言ったのは、夢の中では時間が経ってからなんですが、実際には続けてその夢を見ていたのかもしれません。
そもそも、救急車で運ばれた入院時にダウンのジャンバーなど着てきたはずもなく、その時はまだブルゾンで十分な気温だったんですから、この時点でも記憶が混乱していましたね。
清涼食品は、ショルダーバッグにグレープフルーツ味のタブレットが入っていたので、なぜかそれを思い出したのかもしれません。
「朝食」
・自家製パンのトースト&バター
・ベーコンエッグ
・クラムチャウダー
「昼食」
・ブイヤベース風シーフードヌードル
・おにぎり(黒毛和牛のうまか煮)
「夕食」
・あんかけ焼きそば(豚肉、玉ネギ、人参、筍、うずらの卵、キクラゲ、椎茸)
「デザート」
・生八つ橋
今日のBW:61kg
最高 マイナス2.1(12:27)、最低 マイナス5.6(20:59)、積雪量28センチ
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風邪引いちゃいました。
熱はなく、鼻詰まりとくしゃみがメインで、鼻の周りに固まったような風邪です。
2日前頃から、鼻の真下の歯茎がポッコリ腫れて、これが風邪の前兆、「風邪の華」ってやつだったようです。
昨日朝起きた時にはすでに鼻声になっていて、その日1日間は解熱鎮痛消炎剤と抗菌剤を飲んでたんですけど、昨夜寝る前頃から鼻詰まりがひどくなりました。
布団に入ると体が温まって、なお鼻詰まりがひどくなり、呼吸困難になるんじゃないかと思うくらいにまでなってしまった。
夜中にトイレに起きた時もくしゃみの連発で、とうとう我慢できずに眠気を催す抗ヒスタミン薬が入った風邪薬を飲んでしまいました。
すると、あっという間に鼻詰まりは解消され、その後は朝まで爆睡。
今朝7時半頃に目覚めた時には、薬の効果が切れていたらしく、またもや酷い鼻詰まりとくしゃみの連発。
すぐに抗アレルギー剤を飲んだんですけど、これは全く効果なし。
空腹でしたけど、夜中に飲んだのと同じ抗ヒスタミン薬入り風邪薬を飲むと、あっという間に鼻詰まりは解消され、呼吸困難で病院送りにならずに済みました。
ただ、眠気はさほどではなかったものの、鼻の周りを中心とした顔と頭が多少ボーっとしてました。
さすがに、昼食後には強烈な眠気に襲われて、1時間弱ほど寝てしまいましたけど。
退院日を1日目とカウントすると、今日でようやく退院5日目。
この間、全く自宅から出てないんですが、シャワーを浴びた後に傷口とストーマの処置をしてもらうためにしばらく腹を出していたのと、処置の後に弟が訪ねてきて、パジャマ姿のまま玄関で対応して寒い思いをしたのが風邪を引いた原因かもしれません。
日中は、パジャマの上に服を重ね着して、暖かい恰好で過ごしていたんですが、やはり手術の影響で抵抗力も体力も奪われてしまっているんでしょうね。
引きこもり状態でこうですから、まだしばらくは外出は控えようと思います。
今日も入院中の話。
両手を拘束されたまま個室に戻されて、落ち着いたかと思ったらさにあらず。
意識が行ったり来たりで、「まだら」な意識の中で周りに対応していたようです。
奥さんも、横で見ていて大丈夫だと思ってお見舞いに来た外来看護主任と薬局の助手を病室に招き入れたそうですが、私は全く覚えていないし、何を話したかも覚えていないけど、辻褄の合わない事をしゃべっていたと後になって聞かされました。
弟夫婦がお見舞いに来た時も、一瞬だけ弟の顔が見えたという記憶しかない、しゃべった内容など全く覚えていないんです。
意識がなく寝ていた時は、常に夢を見ていたようです。
その夢が、意識が戻った時に現実と入り混じって、自分でも何をしたか何を言ったかも覚えていない。
夢で見た事を喚き散らして、幻覚を見ているような、錯乱状態に陥ってるように周りの人には見えた事でしょう。
特に、常に接していた看護スタッフには、夢で見ていた内容をぶつけて暴言を吐いたり、手の拘束から解き放たれようと暴れて、センサーを外したりして迷惑をかけた事でしょう。
手が付けられなくて奥さんが呼ばれた事もあったそうです。
ただ、この時も私が奥さんを呼べと言ったと言う話になっていますが、混乱している私がそんな事を言うはずがない。
看護スタッフが、錯乱状態になっている私に、何度も「奥さんを呼びますか?」と聞いたらしく、その時に私が呼べと言った事になってるんでしょうね。
奥さんが仕事中に呼ばれて病院に来た時には、私を何人かの看護師が取り巻いていて、ただ遠巻きに見ていただけだったと言っていました。
飛んで来た奥さんの顔を見た私は、動きを止めて奥さんの顔を見たそうですが、その瞬間に看護師が私に注射をして、私を寝かせてしまったと奥さんは言っていました。
錯乱状態になっていたと言っても、凶器を持って暴れてる訳でもない私に、何人もの看護師が手をこまねいて見ているだけで、わざわざ仕事をしている奥さんを呼びだす事もなかったんじゃないかと思う。
錯乱状態の患者を初めて見た訳でもなかろうに、何のための看護師よ!学校で何を勉強してきた!今まで何を経験してきた!
後でこの話を聞いて、改めてここの看護師達はレベルが低いと確信しました。
同じ病棟に認知症気味の患者が何人かいましたが、聞こえてくる看護師の声は常に高圧的で、上手く言いくるめるとか根気良く何度も諭すとかある程度相手が納得するまで話を聞いてやるとかと言う看護技術が全くないなと感じました。
私に言わせれば、認知症患者も錯乱状態の患者も扱い方は同じで、頭ごなしに怒鳴りつけても理解できなくなってる状態なんだし、面倒な手間がかかる患者は寝かせてしまえばいいってものじゃないんだけどな。
幻覚って初めて経験しましたけど、凄いものですねぇ。
天井に設置してあるレールからぶら下げてあった点滴数本が、ある時グニャグニャ動いて変化し始めて、いつの間にか何種類もの乳飲料や清涼飲料の容器の塊になって行ったんです。
ベッド横に掛ってたカーテンの色が変化し始めて、茶色いモヤモヤが出てき始め、それがカーテンを這って天井に届き、天井の照明や火災報知機、張ってある天井の板を覆いつくしてしまいました。
それと同時に、カーテンがそのモヤモヤできれいに洗濯される様な風に見えて、「幻臭」とでも言えばいいんでしょうか、その時の洗剤の臭いが強烈に鼻についていたんです。
そのカーテンは、毎週土曜日に洗濯されるとまで自分の中で思い込んでいた。
恐いという感覚はなく、そのモヤモヤと点滴容器が動いて変化していくのを黙って見ていましたが、病室に来た男性看護師に点滴容器が変化していないか、カーテンは毎週洗濯されているのかと、洗濯の時の洗剤の臭いがすると言った覚えがあります。
もちろん、点滴は普通ですよと答えがありましたし、洗濯は「そうですか?」との答えでスルーされましたが。
意識が普通になってのち、その病室のカーテンは私が退院するまでの少なくとも1ヶ月は交換も洗濯もされませんでした。
天井の板には、小さな波型の穴と小さい丸の穴がまんべんなく施されていましたが、それを見てると徐々に動いて顔になったり風景になったり色が変わったりしていました。
奥さんに「天井のあれってうごいてるか?」と聞いたんですが、当然「動いてないよ」と笑ってあしらわれました。
動いてるし色も変わってると言っても、奥さんは私が幻覚を見てると分かっていたからそう答えたんだと思う。
そう言った状況がしばらく続いた後、改めて天井を見ると、小さな波型の穴の周りを囲むように開けられた小さな丸い穴1つ1つに番号が振ってありました。
恐らくこれも幻覚だったんでしょう、実際にはそんなのはありませんでしたから。
テレビドラマで、覚せい剤常習者が薬が切れた「離脱症状」を再現したシーンを見た事があるかと思います。
冷や汗や脂汗をかいて、壁に虫が這ってるとか誰かが襲ってくるとか言いながら怯えるシーンですけど、私も実際に壁に白い虫がたくさん這ってるのを見ましたよ。
これは1回だけでしたが、なぜかこの時は冷静で、「ああ、あれか」と気にもしませんでしたが、これも明らかに幻覚ですよね。
「朝食」
・参鶏湯風スープ
「空腹凌ぎ」
・野菜チップス
「昼食」
・塩ラーメン(チャーシュー、メンマ、味玉、長ネギ)
「おやつ」
・プチエクレア
・カフェラテ
「夕食」
・ごはん
・銀聖鮭といくらの漬け
・肉豆腐(焼き豆腐、牛切り落とし、玉ネギ、人参)
今日のBW:61kg
最高0.1(10:01)、最低 マイナス5.4(23:28)、積雪量18センチ
熱はなく、鼻詰まりとくしゃみがメインで、鼻の周りに固まったような風邪です。
2日前頃から、鼻の真下の歯茎がポッコリ腫れて、これが風邪の前兆、「風邪の華」ってやつだったようです。
昨日朝起きた時にはすでに鼻声になっていて、その日1日間は解熱鎮痛消炎剤と抗菌剤を飲んでたんですけど、昨夜寝る前頃から鼻詰まりがひどくなりました。
布団に入ると体が温まって、なお鼻詰まりがひどくなり、呼吸困難になるんじゃないかと思うくらいにまでなってしまった。
夜中にトイレに起きた時もくしゃみの連発で、とうとう我慢できずに眠気を催す抗ヒスタミン薬が入った風邪薬を飲んでしまいました。
すると、あっという間に鼻詰まりは解消され、その後は朝まで爆睡。
今朝7時半頃に目覚めた時には、薬の効果が切れていたらしく、またもや酷い鼻詰まりとくしゃみの連発。
すぐに抗アレルギー剤を飲んだんですけど、これは全く効果なし。
空腹でしたけど、夜中に飲んだのと同じ抗ヒスタミン薬入り風邪薬を飲むと、あっという間に鼻詰まりは解消され、呼吸困難で病院送りにならずに済みました。
ただ、眠気はさほどではなかったものの、鼻の周りを中心とした顔と頭が多少ボーっとしてました。
さすがに、昼食後には強烈な眠気に襲われて、1時間弱ほど寝てしまいましたけど。
退院日を1日目とカウントすると、今日でようやく退院5日目。
この間、全く自宅から出てないんですが、シャワーを浴びた後に傷口とストーマの処置をしてもらうためにしばらく腹を出していたのと、処置の後に弟が訪ねてきて、パジャマ姿のまま玄関で対応して寒い思いをしたのが風邪を引いた原因かもしれません。
日中は、パジャマの上に服を重ね着して、暖かい恰好で過ごしていたんですが、やはり手術の影響で抵抗力も体力も奪われてしまっているんでしょうね。
引きこもり状態でこうですから、まだしばらくは外出は控えようと思います。
今日も入院中の話。
両手を拘束されたまま個室に戻されて、落ち着いたかと思ったらさにあらず。
意識が行ったり来たりで、「まだら」な意識の中で周りに対応していたようです。
奥さんも、横で見ていて大丈夫だと思ってお見舞いに来た外来看護主任と薬局の助手を病室に招き入れたそうですが、私は全く覚えていないし、何を話したかも覚えていないけど、辻褄の合わない事をしゃべっていたと後になって聞かされました。
弟夫婦がお見舞いに来た時も、一瞬だけ弟の顔が見えたという記憶しかない、しゃべった内容など全く覚えていないんです。
意識がなく寝ていた時は、常に夢を見ていたようです。
その夢が、意識が戻った時に現実と入り混じって、自分でも何をしたか何を言ったかも覚えていない。
夢で見た事を喚き散らして、幻覚を見ているような、錯乱状態に陥ってるように周りの人には見えた事でしょう。
特に、常に接していた看護スタッフには、夢で見ていた内容をぶつけて暴言を吐いたり、手の拘束から解き放たれようと暴れて、センサーを外したりして迷惑をかけた事でしょう。
手が付けられなくて奥さんが呼ばれた事もあったそうです。
ただ、この時も私が奥さんを呼べと言ったと言う話になっていますが、混乱している私がそんな事を言うはずがない。
看護スタッフが、錯乱状態になっている私に、何度も「奥さんを呼びますか?」と聞いたらしく、その時に私が呼べと言った事になってるんでしょうね。
奥さんが仕事中に呼ばれて病院に来た時には、私を何人かの看護師が取り巻いていて、ただ遠巻きに見ていただけだったと言っていました。
飛んで来た奥さんの顔を見た私は、動きを止めて奥さんの顔を見たそうですが、その瞬間に看護師が私に注射をして、私を寝かせてしまったと奥さんは言っていました。
錯乱状態になっていたと言っても、凶器を持って暴れてる訳でもない私に、何人もの看護師が手をこまねいて見ているだけで、わざわざ仕事をしている奥さんを呼びだす事もなかったんじゃないかと思う。
錯乱状態の患者を初めて見た訳でもなかろうに、何のための看護師よ!学校で何を勉強してきた!今まで何を経験してきた!
後でこの話を聞いて、改めてここの看護師達はレベルが低いと確信しました。
同じ病棟に認知症気味の患者が何人かいましたが、聞こえてくる看護師の声は常に高圧的で、上手く言いくるめるとか根気良く何度も諭すとかある程度相手が納得するまで話を聞いてやるとかと言う看護技術が全くないなと感じました。
私に言わせれば、認知症患者も錯乱状態の患者も扱い方は同じで、頭ごなしに怒鳴りつけても理解できなくなってる状態なんだし、面倒な手間がかかる患者は寝かせてしまえばいいってものじゃないんだけどな。
幻覚って初めて経験しましたけど、凄いものですねぇ。
天井に設置してあるレールからぶら下げてあった点滴数本が、ある時グニャグニャ動いて変化し始めて、いつの間にか何種類もの乳飲料や清涼飲料の容器の塊になって行ったんです。
ベッド横に掛ってたカーテンの色が変化し始めて、茶色いモヤモヤが出てき始め、それがカーテンを這って天井に届き、天井の照明や火災報知機、張ってある天井の板を覆いつくしてしまいました。
それと同時に、カーテンがそのモヤモヤできれいに洗濯される様な風に見えて、「幻臭」とでも言えばいいんでしょうか、その時の洗剤の臭いが強烈に鼻についていたんです。
そのカーテンは、毎週土曜日に洗濯されるとまで自分の中で思い込んでいた。
恐いという感覚はなく、そのモヤモヤと点滴容器が動いて変化していくのを黙って見ていましたが、病室に来た男性看護師に点滴容器が変化していないか、カーテンは毎週洗濯されているのかと、洗濯の時の洗剤の臭いがすると言った覚えがあります。
もちろん、点滴は普通ですよと答えがありましたし、洗濯は「そうですか?」との答えでスルーされましたが。
意識が普通になってのち、その病室のカーテンは私が退院するまでの少なくとも1ヶ月は交換も洗濯もされませんでした。
天井の板には、小さな波型の穴と小さい丸の穴がまんべんなく施されていましたが、それを見てると徐々に動いて顔になったり風景になったり色が変わったりしていました。
奥さんに「天井のあれってうごいてるか?」と聞いたんですが、当然「動いてないよ」と笑ってあしらわれました。
動いてるし色も変わってると言っても、奥さんは私が幻覚を見てると分かっていたからそう答えたんだと思う。
そう言った状況がしばらく続いた後、改めて天井を見ると、小さな波型の穴の周りを囲むように開けられた小さな丸い穴1つ1つに番号が振ってありました。
恐らくこれも幻覚だったんでしょう、実際にはそんなのはありませんでしたから。
テレビドラマで、覚せい剤常習者が薬が切れた「離脱症状」を再現したシーンを見た事があるかと思います。
冷や汗や脂汗をかいて、壁に虫が這ってるとか誰かが襲ってくるとか言いながら怯えるシーンですけど、私も実際に壁に白い虫がたくさん這ってるのを見ましたよ。
これは1回だけでしたが、なぜかこの時は冷静で、「ああ、あれか」と気にもしませんでしたが、これも明らかに幻覚ですよね。
「朝食」
・参鶏湯風スープ
「空腹凌ぎ」
・野菜チップス
「昼食」
・塩ラーメン(チャーシュー、メンマ、味玉、長ネギ)
「おやつ」
・プチエクレア
・カフェラテ
「夕食」
・ごはん
・銀聖鮭といくらの漬け
・肉豆腐(焼き豆腐、牛切り落とし、玉ネギ、人参)
今日のBW:61kg
最高0.1(10:01)、最低 マイナス5.4(23:28)、積雪量18センチ
今日もまた天気が崩れて、午後8時過ぎ、奥さんが出勤してから猛吹雪になりました。
登別・室蘭の停電ですが、いまだに8千戸以上が停電していて、仮復旧するのが明日の午後になると北電から発表されています。
これとて確実な事じゃない訳ですから、作業に携わる人達の懸命な努力に期待するしかないですね。
さて、今日も入院中の話を。
どのくらいICUに置かれていたのか、ある程度容態が安定して、意識もほぼ戻ったとドクターが判断したんでしょう。
ある時に看護師が何人か来て、私をストレッチャータイプのベッドごと個室へ移動させました。
移された部屋の窓から差し込む外の光がとても眩しく感じ、昼間なんだと言うのは理解できたけど、その時が何時なのかまでは分からなかった。
残念ながら、個室に移されてからしばらくの奥さんとの会話はほとんど覚えていない。
いつ来たのか分からないけど、外科ドクター3人が回診に来た時に、その中の1人が私に「点滴が落ちるのを見てたらおかしくなりますよ」と。
「術後のうつ病になる事があるから、できるだけ窓の外を見てた方がいいですよ」と言ってくれたのははっきりと覚えているんです。
でも、その時にはもう手遅れだったと思うし、うつ病どころの状態じゃ済まない状態になってしまったし。
これ以降の文章は、時系列が自分の中でグチャグチャで時間の感覚も全く分からなくなっていったので、思い出すままに書いていくので、順序は時間の経過とは関係ないことをお断りしておきます。
個室に移って以降は、行き来する意識の中で見た夢が現実と交錯し、夢の中で見ていたであろう出来事ははっきり覚えていて、ふと意識が戻った時には被害妄想、錯乱状態になって、幻覚の中に埋もれてしまってたらしいんです。
個室に移されたその夜だったんでしょうか何日か後だったんでしょうか、夢うつつの中の話ですが、奥さんとテレビを見ていて奥さんが帰るというので私はもう少しテレビを見てから寝ると言い、さあ寝ようと思ったら左手の指に何かが付いてくるのを感じたんです。
それを振り払おうと左手を高く挙げたら、鼻と喉の奥に違和感を感じ、何かヌルヌルした長い管のようなものが出てきました。
更に振り払おうとその管を引き抜こうとすると、右首辺りにもっと多くのひものようなものが付いていたので、それを横に除けようとしたようです。
すると、看護師の大声が聞こえ、「何やってるんですか!IVHが抜けたら大変な事になるでしょ!」と、私の手から管を取って手を振り払いながらもの凄い剣幕で怒鳴ってきました。
「ダメだこれ!」とか、「ちょっと誰か来て!」とか、「ったくもう」とか、「チッ!」と舌打ちする音や声が聞こえた。
そして、ストレッチャータイプのベッドを点滴が何本もぶら下がっていたゲートル台ごと、私を個室から出してどこか別の、窓ガラスから白衣の人達が動いているのが見える部屋に運んでいきました。
その運び方も、怒りにまかせてものすごい勢いとスピードで、ベッドとゲートル台がガチャガチャぶつかる音を響かせ、振り落とされるんじゃないか、ゲートル台を倒しそうにもなったので、それ倒したら点滴のチューブが引っ張られてIVHが抜けてもっと大変な事になるぞと言う感じで運ばれました。
「何かあったらナースコールを押す約束でしょっ!」
「何で私の時にこんなことするかなぁ!」
私としては、まだ意識が朦朧としてたし、自分で何をしたのかさえ理解できてなかったのに、頭ごなしに怒鳴られて虐待ともとれるような言動をされた事で、何も言えずただただ大人しく目をつぶってるしかなかったです。
ところで、緊急入院緊急手術をして、麻酔が覚めてもまだ意識が朦朧としている私に、どこの誰が「ナースコールを押す約束」なんかしたんだ?
そんな意識状態の私に看護師の誰かが言ったとしても、私が理解できる状態だと思ったのか?
しばらくしてこの看護師が戻って来て、「はい口開けて!」と怒ったように言うので口を開けると、ピュッと液体を口の中に入れたんです。
口の中に広がった液体を味わうと、ほんのり甘くて後から多少苦い。
ははぁ、これは統合失調症(以前の精神分裂病)に処方される抗精神病薬のあれだなと、この時はなぜか職業意識が目覚めたんですね。
常に寝たり起きたりしてる自分にこんな薬が効く訳ないと思ったら案の定、この後も寝た振りをしながら幻覚と錯乱状態と普通の意識状態が入れ替わり立ち替わり私の中にあらわれていたようです。
また看護師が来て、「あなたが管を抜いちゃったから、また入れますからね!」と、私が世界一の悪者みたいな言い方で鼻から強引に管を入れて固定して、さらに、「もう抜かないように手袋をしてもらいますから!」と、ミトンの手袋を両手にはめてベッドサイドレールに縛りつけてどこかへ行ってしまいました。
この拘束行為が、私の幻覚と錯乱状態を加速させた原因の1つだと思っています。
夜勤帯で人数が少なくなった看護師が、面倒な患者を眠らせて動けなくしてしまえば、自分の仕事が楽になると考えるのは当然かもしれません。
抗精神病薬の投与も、夜勤当番の医師から指示を貰って私に投与したんでしょうが、3人もいる外科の医師団の誰1人として私の状態を見にも来なかったっていう事は、術後に私のような状態になって経管抜去する患者などざらにいるって事かも。
だったら、そんな患者の対応など何度も経験してるだろうし、異常とも思えるほど怒り狂う看護師の方がおかしいと思うけどね。
どのくらい時間が経ったか、寝たような寝てないような時間が過ぎ、気がつくと縛りつけられたひもをほどこうとしてたし、手袋を外そうとしてた。
無駄な抵抗だったんですが、自分の中では必死に続けてましたね。
そのうち看護師が来て、「寝て下さいね」と、それまでよりは若干口調が柔らかくなっていたけど、相変わらず命令するような言い方で言い放って出て行った。
次に来た時にも「眠れますか?」と聞くので、「いいえ」と答えてみたら、「じゃあ、注射しましょう」と言って注射器を持ってきて、私の二の腕に注射して、「これで眠れますから」と言い、窓から見える別室に行ってしまった。
うつらうつら、寝たり起きたり、意識が消えたり戻ったりを繰り返していたら、周りの声がにぎやかになってくる感じがして、聞き覚えのある声に反応して目を開けると、驚いた表情で「どうしたの?」と私の近寄ってくる奥さんの顔が見えた。
状況は日勤の看護師が説明したんでしょう、「移ったはずの個室に行ったら空っぽでいないから、どうしたのかと思った」と、またまた奥さんにいらん心配をかけてしまった事に、意識が清明になってから反省しました。
でもその時は、自分でも何をしてるかわかってなかったので、どうしようもなかったんです。
奥さんが来た事で、またICUから個室に戻されたんでしょうか。
戻っても、手袋とサイドレールへの拘束はしばらく続きました。
そして、拘束された事に関する夢と幻覚と、外そうとしてベッド上で暴れる行為がどんどん酷くなっていったんです。
私が抜いてしまった管は、胃の中の液体を体外に排出するために入れた管で、その管を入れる前に3度嘔吐していました。
吐物は茶褐色で黒っぽい液体で、どう見ても消化管からの出血が混じっているようにしか見えなかったんですが、その時に来た看護師に聞くと血液じゃないという。
本当かよと思いながらも、管を入れて吸い出したら楽になるというので入れてもらったんですが、その管を入れて固定したのが若い看護師で、鼻から出た管は顔に触れるくらいの位置で固定しなければならないのに、管の中を通る液体が私から見えるくらい顔から離れて固定しちゃったんです。
意識がはっきりしている時は管を流れる液体を見て楽しんでいましたが、朦朧状態では無意識のうちに顔に手を近付けたら、その顔から離れて走る管を引っ掛けてしまう恐れは十分に予想された事でしょう。
これって、明らかに看護師による医療ミスだと思うし、夜勤の看護師の虐待にも似た行為と暴言を文章にして院長宛てや病院本部宛て、マスコミなんかに送付したら・・・、目も当てられない事態になるかもね。
「朝食」
・納豆卵かけごはん
・漬物
・残り物
「昼食」
・鶏南蛮そば
「空腹凌ぎ」
・バナナチップス
「夕食」
・豚汁うどん
「夜食」
・肉まん
今日のBW:61kg
最高5.8(05:15)、最低 マイナス1.4(23:24)、積雪量1センチ
登別・室蘭の停電ですが、いまだに8千戸以上が停電していて、仮復旧するのが明日の午後になると北電から発表されています。
これとて確実な事じゃない訳ですから、作業に携わる人達の懸命な努力に期待するしかないですね。
さて、今日も入院中の話を。
どのくらいICUに置かれていたのか、ある程度容態が安定して、意識もほぼ戻ったとドクターが判断したんでしょう。
ある時に看護師が何人か来て、私をストレッチャータイプのベッドごと個室へ移動させました。
移された部屋の窓から差し込む外の光がとても眩しく感じ、昼間なんだと言うのは理解できたけど、その時が何時なのかまでは分からなかった。
残念ながら、個室に移されてからしばらくの奥さんとの会話はほとんど覚えていない。
いつ来たのか分からないけど、外科ドクター3人が回診に来た時に、その中の1人が私に「点滴が落ちるのを見てたらおかしくなりますよ」と。
「術後のうつ病になる事があるから、できるだけ窓の外を見てた方がいいですよ」と言ってくれたのははっきりと覚えているんです。
でも、その時にはもう手遅れだったと思うし、うつ病どころの状態じゃ済まない状態になってしまったし。
これ以降の文章は、時系列が自分の中でグチャグチャで時間の感覚も全く分からなくなっていったので、思い出すままに書いていくので、順序は時間の経過とは関係ないことをお断りしておきます。
個室に移って以降は、行き来する意識の中で見た夢が現実と交錯し、夢の中で見ていたであろう出来事ははっきり覚えていて、ふと意識が戻った時には被害妄想、錯乱状態になって、幻覚の中に埋もれてしまってたらしいんです。
個室に移されたその夜だったんでしょうか何日か後だったんでしょうか、夢うつつの中の話ですが、奥さんとテレビを見ていて奥さんが帰るというので私はもう少しテレビを見てから寝ると言い、さあ寝ようと思ったら左手の指に何かが付いてくるのを感じたんです。
それを振り払おうと左手を高く挙げたら、鼻と喉の奥に違和感を感じ、何かヌルヌルした長い管のようなものが出てきました。
更に振り払おうとその管を引き抜こうとすると、右首辺りにもっと多くのひものようなものが付いていたので、それを横に除けようとしたようです。
すると、看護師の大声が聞こえ、「何やってるんですか!IVHが抜けたら大変な事になるでしょ!」と、私の手から管を取って手を振り払いながらもの凄い剣幕で怒鳴ってきました。
「ダメだこれ!」とか、「ちょっと誰か来て!」とか、「ったくもう」とか、「チッ!」と舌打ちする音や声が聞こえた。
そして、ストレッチャータイプのベッドを点滴が何本もぶら下がっていたゲートル台ごと、私を個室から出してどこか別の、窓ガラスから白衣の人達が動いているのが見える部屋に運んでいきました。
その運び方も、怒りにまかせてものすごい勢いとスピードで、ベッドとゲートル台がガチャガチャぶつかる音を響かせ、振り落とされるんじゃないか、ゲートル台を倒しそうにもなったので、それ倒したら点滴のチューブが引っ張られてIVHが抜けてもっと大変な事になるぞと言う感じで運ばれました。
「何かあったらナースコールを押す約束でしょっ!」
「何で私の時にこんなことするかなぁ!」
私としては、まだ意識が朦朧としてたし、自分で何をしたのかさえ理解できてなかったのに、頭ごなしに怒鳴られて虐待ともとれるような言動をされた事で、何も言えずただただ大人しく目をつぶってるしかなかったです。
ところで、緊急入院緊急手術をして、麻酔が覚めてもまだ意識が朦朧としている私に、どこの誰が「ナースコールを押す約束」なんかしたんだ?
そんな意識状態の私に看護師の誰かが言ったとしても、私が理解できる状態だと思ったのか?
しばらくしてこの看護師が戻って来て、「はい口開けて!」と怒ったように言うので口を開けると、ピュッと液体を口の中に入れたんです。
口の中に広がった液体を味わうと、ほんのり甘くて後から多少苦い。
ははぁ、これは統合失調症(以前の精神分裂病)に処方される抗精神病薬のあれだなと、この時はなぜか職業意識が目覚めたんですね。
常に寝たり起きたりしてる自分にこんな薬が効く訳ないと思ったら案の定、この後も寝た振りをしながら幻覚と錯乱状態と普通の意識状態が入れ替わり立ち替わり私の中にあらわれていたようです。
また看護師が来て、「あなたが管を抜いちゃったから、また入れますからね!」と、私が世界一の悪者みたいな言い方で鼻から強引に管を入れて固定して、さらに、「もう抜かないように手袋をしてもらいますから!」と、ミトンの手袋を両手にはめてベッドサイドレールに縛りつけてどこかへ行ってしまいました。
この拘束行為が、私の幻覚と錯乱状態を加速させた原因の1つだと思っています。
夜勤帯で人数が少なくなった看護師が、面倒な患者を眠らせて動けなくしてしまえば、自分の仕事が楽になると考えるのは当然かもしれません。
抗精神病薬の投与も、夜勤当番の医師から指示を貰って私に投与したんでしょうが、3人もいる外科の医師団の誰1人として私の状態を見にも来なかったっていう事は、術後に私のような状態になって経管抜去する患者などざらにいるって事かも。
だったら、そんな患者の対応など何度も経験してるだろうし、異常とも思えるほど怒り狂う看護師の方がおかしいと思うけどね。
どのくらい時間が経ったか、寝たような寝てないような時間が過ぎ、気がつくと縛りつけられたひもをほどこうとしてたし、手袋を外そうとしてた。
無駄な抵抗だったんですが、自分の中では必死に続けてましたね。
そのうち看護師が来て、「寝て下さいね」と、それまでよりは若干口調が柔らかくなっていたけど、相変わらず命令するような言い方で言い放って出て行った。
次に来た時にも「眠れますか?」と聞くので、「いいえ」と答えてみたら、「じゃあ、注射しましょう」と言って注射器を持ってきて、私の二の腕に注射して、「これで眠れますから」と言い、窓から見える別室に行ってしまった。
うつらうつら、寝たり起きたり、意識が消えたり戻ったりを繰り返していたら、周りの声がにぎやかになってくる感じがして、聞き覚えのある声に反応して目を開けると、驚いた表情で「どうしたの?」と私の近寄ってくる奥さんの顔が見えた。
状況は日勤の看護師が説明したんでしょう、「移ったはずの個室に行ったら空っぽでいないから、どうしたのかと思った」と、またまた奥さんにいらん心配をかけてしまった事に、意識が清明になってから反省しました。
でもその時は、自分でも何をしてるかわかってなかったので、どうしようもなかったんです。
奥さんが来た事で、またICUから個室に戻されたんでしょうか。
戻っても、手袋とサイドレールへの拘束はしばらく続きました。
そして、拘束された事に関する夢と幻覚と、外そうとしてベッド上で暴れる行為がどんどん酷くなっていったんです。
私が抜いてしまった管は、胃の中の液体を体外に排出するために入れた管で、その管を入れる前に3度嘔吐していました。
吐物は茶褐色で黒っぽい液体で、どう見ても消化管からの出血が混じっているようにしか見えなかったんですが、その時に来た看護師に聞くと血液じゃないという。
本当かよと思いながらも、管を入れて吸い出したら楽になるというので入れてもらったんですが、その管を入れて固定したのが若い看護師で、鼻から出た管は顔に触れるくらいの位置で固定しなければならないのに、管の中を通る液体が私から見えるくらい顔から離れて固定しちゃったんです。
意識がはっきりしている時は管を流れる液体を見て楽しんでいましたが、朦朧状態では無意識のうちに顔に手を近付けたら、その顔から離れて走る管を引っ掛けてしまう恐れは十分に予想された事でしょう。
これって、明らかに看護師による医療ミスだと思うし、夜勤の看護師の虐待にも似た行為と暴言を文章にして院長宛てや病院本部宛て、マスコミなんかに送付したら・・・、目も当てられない事態になるかもね。
「朝食」
・納豆卵かけごはん
・漬物
・残り物
「昼食」
・鶏南蛮そば
「空腹凌ぎ」
・バナナチップス
「夕食」
・豚汁うどん
「夜食」
・肉まん
今日のBW:61kg
最高5.8(05:15)、最低 マイナス1.4(23:24)、積雪量1センチ
今日は、昨日とはうって変わって晴天の1日でした。
ただ、昨日の爆弾低気圧の爪痕が残っていて、室蘭・登別方面ではまだ停電が続き、市民生活や商売に多大な影響と被害を出し続けているようです。
何といっても、季節は冬ですから暖房器具が生きていくうえで必需品なのに、今の時代の暖房器具のほとんどが電気で点火し、電力でファンを回してストーブの熱を送風する機構になっているので、停電になったらストーブは何の役にも立たない。
昔ながらの、乾電池など電力を使わずに点火できる灯油ポット式ストーブもありますが、昨年の大震災以来見直されていたとはいえ、火力が弱く、送風できないので室内全体を暖められないのでほとんどの家庭にはないのが実情です。
ホームセンターや大型スーパーへ買いに走った人もいたようですが、何万戸分もの在庫をしているはずもなく、寒い中を自宅や様々な施設で、避難所で、毛布にくるまったり何重にも重ね着をして夜の寒さを凌いだそうです。
室蘭市内の病院も停電のため臨時休診を余儀なくされ、自家発電分は重症入院患者の生命維持のためにしか使えないとか。
予定されていた手術も中止せざるを得ず、また、診察予約を入れていた外来患者は、通院してきたけど受診できなかったとか。
停電でテレビからの情報も入手できなくなったお年寄りに、臨時休診の情報が伝わらなく、こういった状況になってしまったようです。
重く湿った雪と台風並みの猛烈な突風で送電線が切れ、送電線を保持する鉄塔が倒れてしまったのが停電の原因だそうで、北電が昨日から懸命に復旧作業をしているそうですが、昨日はまだ風が強すぎて作業がはかどらず停電が復旧していないようですし、完全復旧のめども立っていないとか。
一刻も早い復旧が望まれますね。
私の術後の話を書いていきます。
取りあえず手術は成功し一命取り留めた私は病棟のICUに移され、奥さんが帰宅してからは看護師と当直医師の厳重な監視下にいたんでしょう。
何時間経ったのか、何日経ったのか、麻酔が覚めて奥さんの声が聞こえた時には、ふと意識が戻って奥さんの顔が見えた事で安心してまた眠りについたようです。
その後もスタッフが色々と声をかけてくれてたようですが、意識が朦朧としていてはっきりとは覚えていません。
意識が戻ったり眠りについたりを繰り返し、目の前の壁にかかってた時計を見ても、それがいったい何日の何時を示しているのか理解できなかった。
ICUは、外界と遮断するように窓からの明かりは遮られていたので、意識が戻って時計を見た時に3時を示していても、それが夜中の3時なのか午後3時なのかが分からず、思考能力も低下していたのでただただ眠るしかなかったんです。
ICUにいる間の主治医からの説明で、「救命を優先してやったので、今とりあえず腸を外に出して・・・」という言葉が、かすかな意識の中でも突き刺さるように聞こえた。
『そうか、ストーマか・・・』
医療従事者である私にはその言葉の意味がすぐに飲み込めたし、ストーマ増設に対して承諾も拒否も、もうそうなってしまってるんだからと受け入れるしかなかったですね。
『ストーマ(ストマとも言う:stoma:私の場合は人工肛門)』
主治医はこの時、「ただ、機能は残してあるので、この後つないで元に戻す事を考えています」とも言っていたはず。
詳しい説明と、安心させてくれるような事を言ってくれたのはありがたいけど、まだはっきりしない意識の私に言葉のすべてを覚えておけと言う方が無理でしょ。
意識の浮沈を繰り返していて、ある瞬間に人の声が聞こえて目を覚ますと、目の前にマスクをした私の職場の院長の顔が見え、「大丈夫か?」と声をかけられたような、それに答えて自分の病状を説明しようとして院長に制止された自分がいたのは記憶にある。
朦朧とした意識の中で懸命に礼と謝罪の言葉を口にしようとしてたんですが、果たしてそれがちゃんと言葉になって伝わったのかも不明。
院長の次には外来看護主任の顔が、次に入ってきたのが事務長と看護師長だったのも覚えている。
不思議なんですが、この後色々な症状が出て騒がしてしまったんですが、それらが完全に落ち着いていつもの自分に戻るまで、母の声と言葉って全く記憶にないんですよ(^^ゞ
何度も心配して見舞いに来てくれたんでしょうし、何度も声掛けしてくれたんでしょうけど、全く覚えてないってどういう事なんだろうか?
話はちょっとそれますが、術後から病室に移されて、IVH(点滴です)、胃管カテーテル、腹部に入っていた体液の排液用ドレーン3本?、バルーンカテーテル、背中に入れてあったカテーテルなど、すべての「管」が全部取れるまで、痛みと言うのは一切感じませんでした。
後で知った事なんですが、手術直前に背中から入れられた腰椎麻酔のカテーテルから、術後も麻酔薬と麻薬が持続的に注入されていたんですね。
大きな手術の後は、病室で「痛い、痛い」と呻き続けるって言う昔のイメージがあったんですけど、今の時代はそんな辛い思いはしないさせないようでした。
ただ、その処置がこの後の私にとんでもない事態を引き起こす事になった、恐らくそれが原因の1つだったんだろうと思います。
「朝食」
・自家製パン
・きのこのポタージュスープ
・ハムエッグ
「昼食」
・かき揚げ天ぷらそば
「おやつ」
・野菜チップス(さつまいも、じゃがいも、かぼちゃ、人参、いんげん、バナナ)
「夕食」
・ごはん
・大根のなた割漬
・豚汁(豚肉、突きコン、玉ネギ、ごぼう、豆腐、長ネギ、人参、大根)
・ナス卵ベーコンの炒め物
「デザート」
・シュークリーム
今日のBW:60kg
最高6.4(22:39)、最低 マイナス2.9(00:49)、積雪量ゼロ
ただ、昨日の爆弾低気圧の爪痕が残っていて、室蘭・登別方面ではまだ停電が続き、市民生活や商売に多大な影響と被害を出し続けているようです。
何といっても、季節は冬ですから暖房器具が生きていくうえで必需品なのに、今の時代の暖房器具のほとんどが電気で点火し、電力でファンを回してストーブの熱を送風する機構になっているので、停電になったらストーブは何の役にも立たない。
昔ながらの、乾電池など電力を使わずに点火できる灯油ポット式ストーブもありますが、昨年の大震災以来見直されていたとはいえ、火力が弱く、送風できないので室内全体を暖められないのでほとんどの家庭にはないのが実情です。
ホームセンターや大型スーパーへ買いに走った人もいたようですが、何万戸分もの在庫をしているはずもなく、寒い中を自宅や様々な施設で、避難所で、毛布にくるまったり何重にも重ね着をして夜の寒さを凌いだそうです。
室蘭市内の病院も停電のため臨時休診を余儀なくされ、自家発電分は重症入院患者の生命維持のためにしか使えないとか。
予定されていた手術も中止せざるを得ず、また、診察予約を入れていた外来患者は、通院してきたけど受診できなかったとか。
停電でテレビからの情報も入手できなくなったお年寄りに、臨時休診の情報が伝わらなく、こういった状況になってしまったようです。
重く湿った雪と台風並みの猛烈な突風で送電線が切れ、送電線を保持する鉄塔が倒れてしまったのが停電の原因だそうで、北電が昨日から懸命に復旧作業をしているそうですが、昨日はまだ風が強すぎて作業がはかどらず停電が復旧していないようですし、完全復旧のめども立っていないとか。
一刻も早い復旧が望まれますね。
私の術後の話を書いていきます。
取りあえず手術は成功し一命取り留めた私は病棟のICUに移され、奥さんが帰宅してからは看護師と当直医師の厳重な監視下にいたんでしょう。
何時間経ったのか、何日経ったのか、麻酔が覚めて奥さんの声が聞こえた時には、ふと意識が戻って奥さんの顔が見えた事で安心してまた眠りについたようです。
その後もスタッフが色々と声をかけてくれてたようですが、意識が朦朧としていてはっきりとは覚えていません。
意識が戻ったり眠りについたりを繰り返し、目の前の壁にかかってた時計を見ても、それがいったい何日の何時を示しているのか理解できなかった。
ICUは、外界と遮断するように窓からの明かりは遮られていたので、意識が戻って時計を見た時に3時を示していても、それが夜中の3時なのか午後3時なのかが分からず、思考能力も低下していたのでただただ眠るしかなかったんです。
ICUにいる間の主治医からの説明で、「救命を優先してやったので、今とりあえず腸を外に出して・・・」という言葉が、かすかな意識の中でも突き刺さるように聞こえた。
『そうか、ストーマか・・・』
医療従事者である私にはその言葉の意味がすぐに飲み込めたし、ストーマ増設に対して承諾も拒否も、もうそうなってしまってるんだからと受け入れるしかなかったですね。
『ストーマ(ストマとも言う:stoma:私の場合は人工肛門)』
主治医はこの時、「ただ、機能は残してあるので、この後つないで元に戻す事を考えています」とも言っていたはず。
詳しい説明と、安心させてくれるような事を言ってくれたのはありがたいけど、まだはっきりしない意識の私に言葉のすべてを覚えておけと言う方が無理でしょ。
意識の浮沈を繰り返していて、ある瞬間に人の声が聞こえて目を覚ますと、目の前にマスクをした私の職場の院長の顔が見え、「大丈夫か?」と声をかけられたような、それに答えて自分の病状を説明しようとして院長に制止された自分がいたのは記憶にある。
朦朧とした意識の中で懸命に礼と謝罪の言葉を口にしようとしてたんですが、果たしてそれがちゃんと言葉になって伝わったのかも不明。
院長の次には外来看護主任の顔が、次に入ってきたのが事務長と看護師長だったのも覚えている。
不思議なんですが、この後色々な症状が出て騒がしてしまったんですが、それらが完全に落ち着いていつもの自分に戻るまで、母の声と言葉って全く記憶にないんですよ(^^ゞ
何度も心配して見舞いに来てくれたんでしょうし、何度も声掛けしてくれたんでしょうけど、全く覚えてないってどういう事なんだろうか?
話はちょっとそれますが、術後から病室に移されて、IVH(点滴です)、胃管カテーテル、腹部に入っていた体液の排液用ドレーン3本?、バルーンカテーテル、背中に入れてあったカテーテルなど、すべての「管」が全部取れるまで、痛みと言うのは一切感じませんでした。
後で知った事なんですが、手術直前に背中から入れられた腰椎麻酔のカテーテルから、術後も麻酔薬と麻薬が持続的に注入されていたんですね。
大きな手術の後は、病室で「痛い、痛い」と呻き続けるって言う昔のイメージがあったんですけど、今の時代はそんな辛い思いはしないさせないようでした。
ただ、その処置がこの後の私にとんでもない事態を引き起こす事になった、恐らくそれが原因の1つだったんだろうと思います。
「朝食」
・自家製パン
・きのこのポタージュスープ
・ハムエッグ
「昼食」
・かき揚げ天ぷらそば
「おやつ」
・野菜チップス(さつまいも、じゃがいも、かぼちゃ、人参、いんげん、バナナ)
「夕食」
・ごはん
・大根のなた割漬
・豚汁(豚肉、突きコン、玉ネギ、ごぼう、豆腐、長ネギ、人参、大根)
・ナス卵ベーコンの炒め物
「デザート」
・シュークリーム
今日のBW:60kg
最高6.4(22:39)、最低 マイナス2.9(00:49)、積雪量ゼロ
今日は、とんでもない天気でしたね。
夜中に何度も警報のメールが届き、午前8時半に起きた時には外は猛吹雪で、窓から先が見えない状況でした。
時間とともに雪と風がひどくなってきて、もの凄い雷まで鳴っていた。
テレビのL字情報で常に道内の状況を流していたけど、わが街には「暴風雪警報」が出ていました。
交通機関も大きく乱れていたようですし、道内の所によっては電線への着雪で停電になってる地域もあったようです。
真冬並みの寒気が上空に入ってると言ってましたが、今って冬じゃないんですか???
さて、今回入院して緊急手術になってしまった理由ですが、結論から言うと「S字結腸穿孔」と言う病名が理由でした。
先月17日の水曜日、いつものように出勤して、朝礼を終えてマイデスクに戻り、問屋に注文の電話をしていた最中に、「ズンッ」と腹部に衝撃が走り、激痛に襲われました。
その感じは以前にも経験がした事があるような気がしたんです。
年に数回起こる、結石が腎臓から降りてきて尿管内に留まってしまった時の衝撃と似てたんです。
だからその時もまたそうだろうと、それなら痛みはしばらくすれば治まるだろうと耐えていました。
助手はいつものように調剤の準備をして待っていてくれましたが、マイデスクの椅子に座ったまま動けなくて、こりゃだめだと外来処置室のベッドに寝かせてもらいました。
痛いんだから鎮痛剤と、尿管結石の時はそれが当然の処置なため、鎮痛剤の座薬を挿して横になっていたら、多少痛みが和らいできたんです。
そのうち若手のドクターが外来診療の合間を縫ってエコー検査をしてくれるように外来看護主任が用意をしてくれ、エコーで診てもらったんですが専門外の結石は見つけられず、関係のない肝臓を見て「脂肪肝ですね」って事で終わり。
この時、エコーの機械でもう少し下腹部を見ていたら危険な異常を発見できたかもしれないと、のちにこの若手ドクターは私に謝罪してくれました。
私が結石だと言ったものだから、皆の頭の中は結石の激痛としかインプットされてなく、それなら時間が解決するだろうと安心していたようです。
私も、自宅に戻って水分を一杯取って安静にしてると帰ろうとすると、看護師の誰かが「奥さんに来てもらうかい?」と聞いてきたんです。
私は大丈夫と言ったんですが、この時の私はすでに痛みに耐え過ぎて意識が朦朧(もうろう)としてたので、そんな事にはお構いなしで助手に片付けを指示し、着替えて帰り始めていました。
奥さんが職場から飛んできてくれたのは、職員玄関を出てすぐ。
私は、痛みのため前屈みでゆっくりしか歩けない状態だったのに、それでも1人で帰ろうとしていた。
自宅に戻っても激し痛みは治まらず、奥さんが大丈夫とか病院へ行こうかとか言ってくれてたのを、結石だからそのうち治まると思い込んでいたので、逆ギレして怒鳴ってしまったらしいが、意識が朦朧としていたので覚えてないんです。
実は結石じゃなかったので、自宅でも座薬を挿したんですが効く訳がない。
ただひたすらバカみたいに痛みに耐えていて、とうとう我慢できなくなった午後4時頃、奥さんに頼んで職場の若手ドクターに指示をもらっけてくれと頼みました。
この時はもう、どこかの病院へ運んでくれと思っていた。
多少の時間の後、職場から電話がかかって来て、総合病院の泌尿器科から受け入れると返事が来て、紹介状も書いたからそれを持って行きなさいと指示がありました。
職場に紹介状を取りに行って戻ってきた奥さん、タクシーを呼ぼうと電話をしたんですが、私はもうダメだと思って救急車を呼んでもらいました。
マンション玄関まで救急隊を迎えに行くと出て行った奥さん、うちの玄関のカギは掛けないで行くからと私に言って出て行ったんですが、奥さんも慌てていたんでしょう、救急隊を連れてきた時にカギを入れて回してしまい、カギをかけた状態にしてしまった。
こんなしょうもない事を覚えているってことは、この時はもうすぐ助かると意識が正気に戻っていたって事ですね(^^ゞ
と言っても、私は前屈みの座位のまま、痛い痛いとうめきながら脂汗を流していたんです。
救急隊のストレッチャーに乗せられても、ちょっとした衝撃で激痛が走り、そのたびに痛いっ!と叫んでいました。
救急車が動き始めても、道路の段差などのほんのちょっとした衝撃でも激痛。
救急救命士が、血圧が低いと言っていたのは聞こえました。
病院に到着したのは覚えています。
ストレッチャーのままレントゲン撮影、その後CT撮影したでしょうか。
しばらくしてどこかの部屋に運び込まれてしばらく放置状態。
何人ものドクターや看護師が入れ替わり立ち替わり私の元に来て、「大丈夫ですよ」と声をかけてくれたんですが、早く痛みを取ってくれとそれしか私の頭にはなかった。
そのうちあるドクターが来て、「あなたの状態は、結石じゃなくてちょっと大変な事になってるので緊急手術します」というのが朦朧とした意識の中で聞こえました。
そして、「ちょっと腸を外に出す事になるかもしれませんが、命を助ける事が優先ですから・・・」とうっすらと聞こえていました。
もうそんな状況では、蚊の泣くような声で「お願いします」と言うしかないですもんね。
別の医師らしき人が来て、「今、麻酔科の先生が来ますから、もうちょっと我慢してくださいね」と、何回か言われたような気がする。
すぐに私の周りに人がいなくなるので、奥さんを呼んでとも言えず、1人で耐えていた私だった。
どのくらい経ったか、行きますとゾロゾロと看護師連中が私の寝ていたストレッチャーを押し始め、エレベーターにのせて運び始めた。
段差の衝撃が痛くて、叫び続けていた私。
手術室に入りますと言う声が聞こえたような気がしたけど、奥さんの姿は見えず、その代わり弟の声が「おにい・・・」と聞こえたのは覚えている。
ひんやりした手術室で服を脱がされて、ストレッチャーから手術台にうつされた時がまた地獄の激痛。
女性麻酔科医が周りのスタッフに指示して私を横向きにし、「背中にちょっと痛みがありますよ」と言って腰椎麻酔の針を刺して管を入れたんですが、それより動かされた時の痛みの方が激しくて。
だんだん麻酔を入れられていったらしく、「・・・ミリ入りました」みたいな声がおぼろげに聞こえ、それから上半身を抱えられて押さえつけられ、「外れるような歯はありませんか?」と何度も聞かれたんですが、入れ歯じゃないからとそのたびに答えた。
「金属は身につけてませんか?」と看護師らしき人に聞かれ、かろうじて思い立ったのが指輪。
外れるかしらと言う声が聞こえたので、緩いからすぐ外れると答えたと思う。
指輪を外されたら、口を思いっきり開けられて、口から金属の器具を無理やり押し込んでいったんです。
気管内挿管の器具だったようですが、まだ意識があるのに思いっきり突っ込まれたので、苦しさと吐き気で体をよじって暴れようとしたけど、何人にも押さえつけられて動く事は出来ず、そのうち意識がなくなってしまったらしい。
とまあ、その日の事はここまで覚えています。
尿路結石だと思い込んでいたのが、実はS字結腸に穴が開いてそこから腸内容物(早い話がウンチ)が腹腔内にまき散らされていた事で、激痛に襲われていたようなんです。
最初の痛み止めの座薬が効いたのは、恐らくまだ大腸まで入って行けて、それが吸収されて多少痛みが和らいだんだと思います。
2回目の座薬は、もう腸の内容物がどんどん腹腔内に流れ出ていて、座薬自体も吸収されずに腹腔内に出てしまったんじゃないかと考えます。
病院に搬入されて、しばらく放置されていたのは、今から思えば外科病棟の処置室だったかも。
一緒に来ていた奥さんは、そこには入れてもらえず、遠く離れた談話室で待機していて下さいと看護師に言われてそこにいたと。
いつまで経っても呼ばれないし、私に合わせてもくれず、手術室に移された時でさえ何の報告もなくて会う事が出来なかったんだそうです。
弟は、談話室には行かずに手術室横の患者家族待機場所へ行った時に、私が目の前を運ばれて行ったそう。
だから弟だけが、手術室に入る直前の私に声をかけられたんだと思う。
いい加減な病院スタッフですよね。
入院中もそう思う事がたくさんありました・・・。
だいたい午後7時頃から手術が始まって、終わったのは4時間後くらいだったと。
いつ手術室から出てくるかも分からないので母を先に帰らせて、奥さんだけが待機していたそうですが、手術を終えた主治医が奥さんの目の前に現れて、見せたのが私から切り取った約1キログラムの腸で、「今夜がヤマです」と言ったそうです。
その前に、術前には「あと1時間遅かったら危なかった」、つまり、あと1時間病院に到着が遅れて診断が遅かったら、命の保証はできなかったという事だったらしいです。
そんなになるまでバカみたいに耐えてた私って、本当にバカですよね(^^ゞ
術後、外科病棟のICUに移された私に、しばらく付き添っていてくれた奥さん、こんなおバカな私で本当に申し訳なかったと、謝罪と感謝の言葉もありませんm(_ _)m
「朝食」
・ごはん
・具沢山味噌汁(キャベツ、椎茸、玉ネギ、揚げ、玉子)
・残り物
「昼食」
・にゅう麺(かき玉、椎茸、人参、長ネギ、小松菜)
「おやつ」
・シュークリーム
・野菜チップス
「夕食」
・鍋焼きうどん(卵、鶏つくね、椎茸、シメジ、舞茸、長ネギ)
・弟が退院祝い代わりに持ってきたパック寿司(つぶ、サーモン、サーモンいくら軍艦、とびっ子)
今日のBW:59.5kg
最高3.7(08:08)、最低 マイナス2.9(22:32)、積雪量5センチ
夜中に何度も警報のメールが届き、午前8時半に起きた時には外は猛吹雪で、窓から先が見えない状況でした。
時間とともに雪と風がひどくなってきて、もの凄い雷まで鳴っていた。
テレビのL字情報で常に道内の状況を流していたけど、わが街には「暴風雪警報」が出ていました。
交通機関も大きく乱れていたようですし、道内の所によっては電線への着雪で停電になってる地域もあったようです。
真冬並みの寒気が上空に入ってると言ってましたが、今って冬じゃないんですか???
さて、今回入院して緊急手術になってしまった理由ですが、結論から言うと「S字結腸穿孔」と言う病名が理由でした。
先月17日の水曜日、いつものように出勤して、朝礼を終えてマイデスクに戻り、問屋に注文の電話をしていた最中に、「ズンッ」と腹部に衝撃が走り、激痛に襲われました。
その感じは以前にも経験がした事があるような気がしたんです。
年に数回起こる、結石が腎臓から降りてきて尿管内に留まってしまった時の衝撃と似てたんです。
だからその時もまたそうだろうと、それなら痛みはしばらくすれば治まるだろうと耐えていました。
助手はいつものように調剤の準備をして待っていてくれましたが、マイデスクの椅子に座ったまま動けなくて、こりゃだめだと外来処置室のベッドに寝かせてもらいました。
痛いんだから鎮痛剤と、尿管結石の時はそれが当然の処置なため、鎮痛剤の座薬を挿して横になっていたら、多少痛みが和らいできたんです。
そのうち若手のドクターが外来診療の合間を縫ってエコー検査をしてくれるように外来看護主任が用意をしてくれ、エコーで診てもらったんですが専門外の結石は見つけられず、関係のない肝臓を見て「脂肪肝ですね」って事で終わり。
この時、エコーの機械でもう少し下腹部を見ていたら危険な異常を発見できたかもしれないと、のちにこの若手ドクターは私に謝罪してくれました。
私が結石だと言ったものだから、皆の頭の中は結石の激痛としかインプットされてなく、それなら時間が解決するだろうと安心していたようです。
私も、自宅に戻って水分を一杯取って安静にしてると帰ろうとすると、看護師の誰かが「奥さんに来てもらうかい?」と聞いてきたんです。
私は大丈夫と言ったんですが、この時の私はすでに痛みに耐え過ぎて意識が朦朧(もうろう)としてたので、そんな事にはお構いなしで助手に片付けを指示し、着替えて帰り始めていました。
奥さんが職場から飛んできてくれたのは、職員玄関を出てすぐ。
私は、痛みのため前屈みでゆっくりしか歩けない状態だったのに、それでも1人で帰ろうとしていた。
自宅に戻っても激し痛みは治まらず、奥さんが大丈夫とか病院へ行こうかとか言ってくれてたのを、結石だからそのうち治まると思い込んでいたので、逆ギレして怒鳴ってしまったらしいが、意識が朦朧としていたので覚えてないんです。
実は結石じゃなかったので、自宅でも座薬を挿したんですが効く訳がない。
ただひたすらバカみたいに痛みに耐えていて、とうとう我慢できなくなった午後4時頃、奥さんに頼んで職場の若手ドクターに指示をもらっけてくれと頼みました。
この時はもう、どこかの病院へ運んでくれと思っていた。
多少の時間の後、職場から電話がかかって来て、総合病院の泌尿器科から受け入れると返事が来て、紹介状も書いたからそれを持って行きなさいと指示がありました。
職場に紹介状を取りに行って戻ってきた奥さん、タクシーを呼ぼうと電話をしたんですが、私はもうダメだと思って救急車を呼んでもらいました。
マンション玄関まで救急隊を迎えに行くと出て行った奥さん、うちの玄関のカギは掛けないで行くからと私に言って出て行ったんですが、奥さんも慌てていたんでしょう、救急隊を連れてきた時にカギを入れて回してしまい、カギをかけた状態にしてしまった。
こんなしょうもない事を覚えているってことは、この時はもうすぐ助かると意識が正気に戻っていたって事ですね(^^ゞ
と言っても、私は前屈みの座位のまま、痛い痛いとうめきながら脂汗を流していたんです。
救急隊のストレッチャーに乗せられても、ちょっとした衝撃で激痛が走り、そのたびに痛いっ!と叫んでいました。
救急車が動き始めても、道路の段差などのほんのちょっとした衝撃でも激痛。
救急救命士が、血圧が低いと言っていたのは聞こえました。
病院に到着したのは覚えています。
ストレッチャーのままレントゲン撮影、その後CT撮影したでしょうか。
しばらくしてどこかの部屋に運び込まれてしばらく放置状態。
何人ものドクターや看護師が入れ替わり立ち替わり私の元に来て、「大丈夫ですよ」と声をかけてくれたんですが、早く痛みを取ってくれとそれしか私の頭にはなかった。
そのうちあるドクターが来て、「あなたの状態は、結石じゃなくてちょっと大変な事になってるので緊急手術します」というのが朦朧とした意識の中で聞こえました。
そして、「ちょっと腸を外に出す事になるかもしれませんが、命を助ける事が優先ですから・・・」とうっすらと聞こえていました。
もうそんな状況では、蚊の泣くような声で「お願いします」と言うしかないですもんね。
別の医師らしき人が来て、「今、麻酔科の先生が来ますから、もうちょっと我慢してくださいね」と、何回か言われたような気がする。
すぐに私の周りに人がいなくなるので、奥さんを呼んでとも言えず、1人で耐えていた私だった。
どのくらい経ったか、行きますとゾロゾロと看護師連中が私の寝ていたストレッチャーを押し始め、エレベーターにのせて運び始めた。
段差の衝撃が痛くて、叫び続けていた私。
手術室に入りますと言う声が聞こえたような気がしたけど、奥さんの姿は見えず、その代わり弟の声が「おにい・・・」と聞こえたのは覚えている。
ひんやりした手術室で服を脱がされて、ストレッチャーから手術台にうつされた時がまた地獄の激痛。
女性麻酔科医が周りのスタッフに指示して私を横向きにし、「背中にちょっと痛みがありますよ」と言って腰椎麻酔の針を刺して管を入れたんですが、それより動かされた時の痛みの方が激しくて。
だんだん麻酔を入れられていったらしく、「・・・ミリ入りました」みたいな声がおぼろげに聞こえ、それから上半身を抱えられて押さえつけられ、「外れるような歯はありませんか?」と何度も聞かれたんですが、入れ歯じゃないからとそのたびに答えた。
「金属は身につけてませんか?」と看護師らしき人に聞かれ、かろうじて思い立ったのが指輪。
外れるかしらと言う声が聞こえたので、緩いからすぐ外れると答えたと思う。
指輪を外されたら、口を思いっきり開けられて、口から金属の器具を無理やり押し込んでいったんです。
気管内挿管の器具だったようですが、まだ意識があるのに思いっきり突っ込まれたので、苦しさと吐き気で体をよじって暴れようとしたけど、何人にも押さえつけられて動く事は出来ず、そのうち意識がなくなってしまったらしい。
とまあ、その日の事はここまで覚えています。
尿路結石だと思い込んでいたのが、実はS字結腸に穴が開いてそこから腸内容物(早い話がウンチ)が腹腔内にまき散らされていた事で、激痛に襲われていたようなんです。
最初の痛み止めの座薬が効いたのは、恐らくまだ大腸まで入って行けて、それが吸収されて多少痛みが和らいだんだと思います。
2回目の座薬は、もう腸の内容物がどんどん腹腔内に流れ出ていて、座薬自体も吸収されずに腹腔内に出てしまったんじゃないかと考えます。
病院に搬入されて、しばらく放置されていたのは、今から思えば外科病棟の処置室だったかも。
一緒に来ていた奥さんは、そこには入れてもらえず、遠く離れた談話室で待機していて下さいと看護師に言われてそこにいたと。
いつまで経っても呼ばれないし、私に合わせてもくれず、手術室に移された時でさえ何の報告もなくて会う事が出来なかったんだそうです。
弟は、談話室には行かずに手術室横の患者家族待機場所へ行った時に、私が目の前を運ばれて行ったそう。
だから弟だけが、手術室に入る直前の私に声をかけられたんだと思う。
いい加減な病院スタッフですよね。
入院中もそう思う事がたくさんありました・・・。
だいたい午後7時頃から手術が始まって、終わったのは4時間後くらいだったと。
いつ手術室から出てくるかも分からないので母を先に帰らせて、奥さんだけが待機していたそうですが、手術を終えた主治医が奥さんの目の前に現れて、見せたのが私から切り取った約1キログラムの腸で、「今夜がヤマです」と言ったそうです。
その前に、術前には「あと1時間遅かったら危なかった」、つまり、あと1時間病院に到着が遅れて診断が遅かったら、命の保証はできなかったという事だったらしいです。
そんなになるまでバカみたいに耐えてた私って、本当にバカですよね(^^ゞ
術後、外科病棟のICUに移された私に、しばらく付き添っていてくれた奥さん、こんなおバカな私で本当に申し訳なかったと、謝罪と感謝の言葉もありませんm(_ _)m
「朝食」
・ごはん
・具沢山味噌汁(キャベツ、椎茸、玉ネギ、揚げ、玉子)
・残り物
「昼食」
・にゅう麺(かき玉、椎茸、人参、長ネギ、小松菜)
「おやつ」
・シュークリーム
・野菜チップス
「夕食」
・鍋焼きうどん(卵、鶏つくね、椎茸、シメジ、舞茸、長ネギ)
・弟が退院祝い代わりに持ってきたパック寿司(つぶ、サーモン、サーモンいくら軍艦、とびっ子)
今日のBW:59.5kg
最高3.7(08:08)、最低 マイナス2.9(22:32)、積雪量5センチ
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管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
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2018/10/20:50,000マイル
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