管理人の食卓風景と日常の日記
ようやく風邪が下火になってきたようです。
鼻詰まりも解消され、呼吸が楽になりました。
まだ時折咳が出たり、タンが多少絡む事があるので完全ではありませんが、この週末辺りには外出もできるかも知れません。
その前に、明日は退院後初の外来診察日なので、わずかな時間でも外気に当たる事ができそうです。
ただ、色んな患者がいる病院へ行きますので、違ったタイプの風邪を貰って来たり、1週間ぶりに外気に当たる事で風邪がぶり返さなければいいんですが。
では、また夢の話を。
⑦ここは見覚えのある部屋だ。
確か、以前に住んでいて、家具や日用品、雑貨などを買ってきて、自分の好みの部屋にしようとして途中になってたはず。
ロフト式の下へ降りる階段もある。
でもなぜこの部屋に自分は寝ているのか。
起きようとしたが、体が動かない。
見ると、両手首がヒモで縛られて自分が買ってきて組み立て途中にしてあった鉄パイプの棚と、反対側の柱にくくり付けられている。
何だこれは?一体どういう事だ?
テレビがついていて、天気予報をやっていた。
自分が置かれた状況が理解できないままに天気予報を見ていると、そうか、今日の曜日は分かった。
待てよっ!この天気予報の上に出てる数字って、今の事か?間違いじゃないのか?数ヶ月前の日付だろこれって!
人の気配を感じてそのほうを見ると、いつの間にか、どこから入ってきたのか、男が1人立っていた。
「いや~、助かってよかったな」
えっ?何の事だ?
「事件は解決したけど、助かったのは君だけで、あとの人達は残念な事になった」
それよりまずこの手の拘束を解いてくれと訴えると、「残念ながらそれはできない」と言い残してどこかへ行ってしまった。
テレビでは天気予報が終わって、ワイドショーのコーナーで日本酒の宣伝のような事をやってる。
ん~、しばらく飲んでないから、冷たい日本酒をキュッと飲りたい。
それもいいが、助かった?残念な事に?何だそれは?
グルグル回る記憶の細い糸を手繰り寄せていくと、ある事にたどり着いた。
そうだ!あの日、何の前触れもなく急に腹が痛くなって、救急車で入院したんだ。
そして気がつくと、病院のベッドに寝かされて、その時も今と同じように両手をヒモで縛られてベッド柵に固定されていた。
腹部を手術された私は、点滴や管につながれて、ベッドに寝かされていた。
医師や看護師の手厚い治療と看護によって、術後の状態も快方へと向かっていた。
女性看護師の1人(以後看護師Aと書く)が、「早く良くなってね」と頻繁に声をかけてくれ、勤務割上の巡り合わせだろうが毎日のように処置をしに私の病室に来てくれた。
その時はまだ、痛みを感じないように施されていた麻酔剤と麻薬の影響で、常に寝ていて時々目を覚まして会話をする状態が続いていた。
ある時目を覚ますとそこは病室ではなく、昭和の時代のニオイがぷんぷんとする一軒家のようだった。
木で組んだ枠にトタン板を張りつけた流し台、石炭とだるまストーブ、裸電球とちゃぶ台、そして土間の玄関。
今でもこんな家があるのかと驚くほど「昭和」を集めたような家だった。
そんな家の流し台の横に、点滴もバルーンもカテーテルもそのままにベッドに寝かされた私がいるのはなぜだ。
横を向くと奥さんがいたので、ここはどこで何でここにいるのか聞いた。
「テレビの番組で、昭和の移り変わりって言うのを作るから、ここにあなたを置いてくれって」
「俺を?何で?この格好って関係ないし、何で治療中の?だってこれって最新の治療中だぞ」
「あっ、もう放送してるよ」と、奥さんがブラウン管テレビを指差した。
見ると、確かにこの家にある古い「モノ」を1つづつ紹介しながら、その歴史やエピソードをレポーターが老夫婦にインタビューしていた。
寝たまま意識のない私も、ベッドごと映っていて、昭和の雰囲気とは全く関係のない、それはまるで異質なオブジェのようだった。
何だい、この番組は???
番組が終わると、奥さんが玄関からベッドを出して、しばらく行くとそこは元の病室だった。
「あの家って、どこにあったの?」と奥さんに聞くと、あそこは病院の中の一室だと言う。
病院内にあんな古い民家のような部屋が存在すること自体信じられなかったし、巡回に来た看護師Aにその事を話すと、「そんなところ病院内にある訳ないじゃないですか」と、私を憐れむように言って出て行った。
そうだよな、あれは夢かまぼろし、そう思って自分の記憶から消そうと自分を納得させたら、また眠気が襲ってきて意識を失った。
どれだけ寝たのだろう、意識が戻って辺りを見渡すと、様子がおかしい。
ベッドの周りにはリビングセットが置かれ、壁際にはキッチンがあり、サイドボードなどの家具も見えた。
隣の部屋のさらに向こうから、言い争う声が聞こえたり、何かを壊すような音も聞こえてきた。
喉も乾いたのでナースコールを押すと看護師Aがやって来て、両手を縛られて拘束されているので、吸い口で水を飲ませてくれ、傷の処置をして出て行こうとした。
看護師Aを呼び止め、「ここは病室と違うみたいだけど、どこなんですか」と聞いてみた。
すると看護師Aは一瞬ためらったが、「あなたが入ってた個室には、もっと重い患者が入ったので、一時的にここにいてもらう事になったの」との答え。
「ここって、どこかのマンションみたいですが・・・」と聞くと、「ええ、病院に隣接したマンションの一室だけど、病院とは廊下でつながってるから、呼んだらすぐに来れるので心配しないで」と言いながら行ってしまった。
そう言えば、いつの間にか点滴や私にまとわりついていた「管」の類はすべて外されている。
心配するなと言われても、こんな変な所に入院と言う形で留め置かれて、外の方からは常に言い争うような怒鳴り声が聞こえてくるし、カーテンで遮られて出入り口の方はうかがう事も出来ず、奥さんも傍にいないからどんどん不安になってくるじゃないか。
ナースコールを押すと、看護師Aが来たので、状況が分からないからとても不安だと言うと、一旦部屋から出て行き、すぐに戻って来て「気持ちを落ち着ける注射をしますね」と言って、私の腕に針を突き刺した。
看護師Aが出て行ってすぐ意識が朦朧として来て、意識が遠のいたり戻ったりを繰り返すようになった。
ふと、ドアが開く音が聞こえ、誰かが入ってきたようだが、声を掛ける気力はなかった。
「入るぞ」と言う声は、どうも弟の声らしい。
部屋には入ってきたものの、カーテンのこちら側へは来ようとしない。
ガサガサというビニール袋の音がして、ドサッとそれを置く音がした。
「食えるようになったら食ってくれ」と言い残して出て行った。
お見舞いのつもりか、何かの食べ物を持って来たらしいが、顔ぐらい見せればいいのに。
うつらうつらしていると看護師Aがやって来て、この部屋も別の患者が入る事になったので、別の部屋に移動すると言う。
ベッドを押されて部屋から出たが、そこは廊下でつながった建物などではなく、一旦外に出されて別の建物に運ばれて行き、そこもマンションの一室らしいところに留め置かれた。
「ちょっと忙しいので、しばらく来られないと思います」と言って、看護師Aは慌ただしく出て行った。
おいおい、俺はどうなるんだい。
うつろな意識の中で、諦めにも似た気持ちになって、ただボーっとして横たわっていた。
この部屋は外からの声がはっきりと聞こえる。
耳を澄ますと、このマンションの一室で、大企業経営の資産家の家族間で遺産を巡る争いと、経営トップの座を巡る争いから殺人事件が起きたらしい。
創業者の死後、社長に就任した息子が会社を我が物にしようとして、息子の母であり実権を持つ創業者の妻の怒りをかい、暗殺されたんじゃないかとマンション住人らしき数人が話しているのが聞こえた。
先ほどの騒がしさは、警察が現場検証をしていたのと、マスコミがマンション住人とトラブルを起こしていたためだとも分かった。
そんな事はどうでもいいから、こんな変なところからちゃんとした病院の病室へ移してくれ!
カーテンの向こう側から若い女性の声が聞こえてきた。
他にも男女の声が聞こえる。
助けを求めて声を出そうとしたが、ハラの傷が痛んで力が入らず、蚊の鳴くような声しか出なかった。
若い女性は男女に、部屋の間取りや金銭的な話をしているようだった。
もしかしてここって、マンションのモデルルーム?
だとしたら、私が今置かれているリビングらしい部屋も見に来るだろう。
その時が助けを求めるチャンスだ。
解放されるかもしれないという期待と不安で鼓動を高鳴らせながらその時が来るのを待っていたが、客らしい男女が「じゃあ」と言って出て行ってしまったらしい。
えっ!こっちを見に来ないのか?
代わりに入ってきたのは看護師Aで、また部屋を移動すると言う。
何故?どこへ?と聞いても返事をせず、持ってきたストレッチャーに私を移して、上から毛布のような物を頭からすっぽりと被せて運び始めた。
先ほど聞こえた声の若い女性も手伝っているらしい。
ガチャっと何かのドアらしきものが開く金属音が聞こえ、ストレッチャーごとその中に押し込まれたようだ。
エンジン音が聞こえるので、救急車に乗せられたのか。
看護師Aと若い女性も乗り込んだようで、2人の話し声が聞こえるが、その言葉が私には理解できない言語だった。
どのくらい車は走ったのか、車が停まって2人が降りて誰かと話す声が聞こえてきた。
誰かが乗り込んでまた車を走らせ、車のドアが開く音が聞こえたと思ったら私が寝かされているストレッチャーを車外に出して押し始めた。
動きが止まると、体が持ち上げられるような感じを覚え、それが止まるとまたストレッチャーが動き始めた。
ガチャンガチャンと、ストレッチャーが動かないようにしているのか、金属音が響いた。
頭からすっぽりと被せられていた毛布の顔の部分だけめくられ、首を動かして周りを見ると、そこは金属のドームのようなところで、私が寝かされているストレッチャーの横には、通勤列車のような横一列のベンチのような物があった。
しばらくすると、両手を後ろ手に縛られた10人ほどの男女が自動小銃のような物を突き付けた男に促されて入って来て、そのベンチに座った。
何故私達がここに集められたのか、この先どこへ連れて行かれようとしているのか、誰一人として口を聞こうとはしなかった。
ドアが閉まって動き出し、また停まって静寂が訪れた後、耳をつんざくような爆音が右、そして左から聞こえてきた。
自動小銃を持った男は監視役らしいが、この爆音の事を知っていたのかヘッドホンで耳を保護していた。
我々は手で耳を塞ぐしかなかったが、全員両手を拘束されていたのでそれすら叶わず身を縮めるしかなかった。
そうか、このドーム型の狭い空間といい、右・左と順番に爆音が聞こえ始めたので、ここは飛行機の中だ。
しかも、エンジンの爆音を遮蔽する内装などないむき出しの金属そのままのボディーと、横一列のベンチは明らかに軍用機だ。
ここは兵士を乗せる空間か。
何時間飛行したのか想像もつかない時間が経ち、ドンッという着陸の衝撃を感じた。
私のストレッチャーが、恐らく荷物用のリフトで降ろされ、大量の荷物とともにワゴン車に積まれてどこかへ走り出した。
車内には、看護師Aと若い女性の姿が見える。
かなりの時間車は走り、どこかの建物の前で停まった。
車から私と荷物が降ろされ、車はどこかへ走り去った。
看護師Aがストレッチャーを押し、建物内のリビングらしき場所に私を留め置いた。
私服から白衣に着替えたのか、看護師Aが寄って来て「大丈夫ですか?」と聞きながら、傷の処置を始めた。
「ここは・・・?」と聞くと、ここは元から入院している病院の別院だと言う。
ナースコールはないが、呼べばすぐ来れるところにいるから大丈夫だとも。
若い女性は、車から降ろした荷物の片づけをしていたが、その格好は南国のワンピースタイプの民族衣装のようだった。
長時間乗り物で運ばれたせいか、寒気がして熱っぽい。
看護師Aを呼んで、体温を測ってもらうと38℃を超えていた。
「氷で冷やしましょうね、ちょっと待っててね」と看護師Aはドアから出て行った。
持ってきたのは、ビニール袋に入れたわずかな氷で、それを私の額の上に置いた。
熱とダルさでそのまま寝てしまった。
気付くと額を冷やしていた氷はとうに溶け、交換してもらおうと看護師Aを呼んだ。
「どうしましたか?」と来た看護師Aに氷の事を言うと、「じゃあ、ちょっと待って下さい」と言ってドアの外へ行った。
ドアの外から何語か分からない言葉で若い女性と話をしているのが聞こえ、話が止むと看護師Aが注射器を持って入ってきた。
「氷もいいけど、熱さましの注射をしますね」と言って私の腕に打とうとしたが、その注射器に入っていた薬は、今まで経験した熱さましの薬とは明らかに違って、十倍くらいの量が入っていた。
「それ何の注射?熱さましじゃないんじゃないのか?」と私が叫ぶと、看護師Aは「残念だけど、あなたが邪魔になったから、これで死んでもらうわ」と。
「何を注射するつもりだ!」
「安定剤よ。これだけ打てば眠るように呼吸が止まって楽になれるから」
「どこからそんな薬を・・・?」
「病院から失敬してきただけよ」と言いながら、身動きが取れない私の腕に針を突き刺して、静かに液を腕の筋肉内に注入した。
クソー、死んでたまるかっ!そんなもので俺を永久に眠らせられると思ってるのかっ!
注射し終えた看護師Aは、勝ち誇ったような顔をして私を見下ろし、ドアの外へ出て行った。
薬の効果には抗しがたく意識が地の底へ引き込まれそうになり、呼吸が苦しくなってきたが、縛りつけられている両手首を力の限り振りほどく仕草をして自分に痛みを感じさせ、かろうじて眠り落ちる手前で堪えていた。
意識が消えかかったり戻ったりを繰り返していたが、私の薬の分解能力が薬の作用を上まったらしく、だんだん意識がはっきりとしてきた。
様子を見に来た看護師Aが、もう呼吸は止まっているだろうと思ったのがまだ生きている事に驚き、ドアの外へ小走りに出て行き、また注射器に薬を詰めて戻ってきた。
「もうこれで終わり」
同じ安定剤なのか、別の薬なのか、また私の腕に針を突き刺した。
今度は眠くもならず、時間が経っても何の変化も感じられなかったので、薬が効いてるような寝たふりをして様子をうかがった。
看護師Aは、とりあえず安心したのか、若い女性が来ている派手な模様の南国のワンピースタイプの民族衣装に着替えてきたらしい。
ドアの外から、香ばしい良い匂いが漂ってきた。
若い女性が何か言いながら運んで来た料理は、ピザとガーリックが良く効いたパスタのようだ。
腹部の術後以降、水を飲んだ以外は何も食べていない事を思い出し、急に空腹感が襲ってきた。
2人が私の横で食べ始めたので、「タヌキ寝入り」を悟られないよう、腹が鳴るのを必死で押し留め、できるだけ生唾も飲み込まないよう努力した。
食べ終わった2人は、バッグに衣類などを詰め始め、どこかへ旅行に行く準備を始めた。
私を置いてどこかへトンずらしようってのか。
私が呼吸をしている事に気付いた看護師Aは、私の手のヒモを片手づつ外し、マジックテープタイプのやはりヒモがついたリストバンドに変えて、金属のピンのような物をカチャッとはめてロックし、またストレッチャーのサイドレールにヒモで縛りつけた。
私が起きている事を知ってか、「このロックはヨーロッパ製で、タイマーで10日間後にならないと解除されないようにセットした」と告げた。
どこからか持ってきた缶ビールのプルを開けて飲み始めた看護師Aは、「あの子は私の娘で私の右腕。これからひと眠りした後、組織の指示に従って別の国へ仕事をしに行くの」と言った。
「残念ながら、あなたをあの注射であの世に送る事は出来なかったけど、このアジトには何ヶ月か何年か、誰も来ないから水も食べ物も貰えないあなたの命運はここで尽きるわ。10日間生き延びて、それからヒモが解ける事を祈るのね」
娘はもう横のソファーで居眠りを始めていて、看護師Aは缶ビールを一気に飲み干すと奥の別室に消えて行った。
「待て!おまえは何者で、何をしてるんだ!」
「私?・・・。」と、何も答えず行ってしまった。
しばらくすると、横のソファーで寝ている娘からは寝息が聞こえ、ぐっすり寝入ってるようだ。
奥の部屋へのドアは閉まっているので窺いようがない。
どうしたらいいのか、何も考えがまとまらないまま時間が過ぎ、壁に掛けられた時計で1時間が過ぎようとした時、カチャッと音が聞こえた。
えっ?と思って両手首を見ると、手首のリストバンドを留めていた金属のピンのロックが外れていた。
もしかして、タイマーのセットを間違えたか。
横の娘を起こさないよう静かにピンを引き抜こうとしたが、両手が不自由な状況ではなかなか難しい。
手首を思いっきり内側に折り曲げて、指先に触るようにしながらゆっくりとピンを押し上げて、ストレッチャーベッドの内側にピンが落ちるように外した。
ヒモは思いのほか緩やかに結ばれていたので、同じように手首を折り曲げて指先の感覚だけで外す事が出来た。
片手が自由になったら、もう片手はいとも簡単。
ようやく両手が自由になったが、焦らず、まずは手首のストレッチをしてから、ベッドを静かに降りた。
建物に運び込まれた時に出入り口は見ていたので、隣の部屋から外に出る事が出来るのは分かっていた。
娘が起きないように様子をうかがいながら、ソロソロと隣の部屋の方へ歩いて行ったが、運悪く足に何かがぶつかって音がし、娘が目を覚ましてしまった。
驚いた娘は、何語か分からない言葉で母親である看護師Aが寝ている部屋に向かって叫び、部屋から飛び出してきた看護師Aとともに私を捕まえようとした。
「何をしてるの!傷口が開くでしょ!」
何言ってやがる、今さら何が傷だ!
私はキッチンだった隣の部屋を抜け、更に奥のドアのロックを解除し、ドアを開けて外に出た。
ここがどこの国か分からないが、どこかに交番ぐらいあるだろうと、無我夢中で道路を走った。
走りながら後ろを振り向くと、あの親子は追って来ていない。
それでも力を抜く事なく全力で走り続けると、向こうから中年の男女、私から見て外国人が歩いてきたので、助けを求めた。
すると、すぐそばの交番らしいところへ連れて行ってくれ、警官に保護された。
警官は私から事情を聴いて本部に連絡したらしく、すぐに巡回中のパトカーが集まって来て私が監禁されていた建物に踏み込み、逃げようとしていた看護師Aの親子を逮捕したそうだ。
こうして私は国へ帰る事が出来たが、腹部に術後の傷があると言う事で、民間旅客機専用のストレッチャーに寝かされたままの空の旅となった。
私を乗せた旅客機は空港に到着し、一般乗客とは別に降ろされ、一旦空港そばの病院に収容される事になった。
旅客機から救急車に乗せ換えられる間には、おびただしい数のマスコミがいて、どうやら私を含む10人ほどが拉致されて国外に連れ去られた事と、逮捕された看護師親子が所属する組織の国内での悪事が表に出て、大きな騒ぎになっていたらしい。
マスコミのレポーターらしき連中が、テレビでよく見るように答えがあろうとなかろうとお構いなしに大声で質問する、あの状況を私に投げつけてきた。
「他の人は全員殺されたんですが、今のお気持ちは?」
「1人だけ生きて帰ってきたんですが、今の感想を聞かせて・・・」
私1人だけ?拉致されて軍用機に一緒に乗っていたあの人達は殺された?
何故?何があって?どうして?
救急車内で私の頭の中にはその疑問がグルグルと渦巻いていて、そのうち意識が遠のいてしまった。
気がつくとそこは、以前自分が住んでいた部屋の中だった。
人の気配を感じてそのほうを見ると、いつの間にか、どこから入ってきたのか、男が1人立っていた。
「いや~、助かってよかったな」
えっ?何の事だ?
「事件は解決したけど、助かったのは君だけで、あとの人達は残念な事になった」
それよりまずこの手の拘束を解いてくれと訴えると、「残念ながらそれはできない」と言い残してどこかへ行ってしまった。
色々な出来事があって、長い日数が経ってたようだが、実際には夢の中の出来事だったかのように、元に戻されたような気がする。
この話はここまで。
看護師Aって本物のモデルがいて、私の世話を懸命にしてくれ、頻繁に声を掛けてくれたちょっと小太りの中年看護師さんだったんです。
しょっちゅう顔を見てたから、夢の中にも出てきたのかもしれません。
それなのに悪役にしてしまって申し訳ないと思ったんですが、夢を見てる最中はそんな事は考えられませんでしたし。
「派手な模様の南国のワンピースタイプの民族衣装」って、私の夢の中でのイメージは、メキシコの中年女性が来ているゆったりとした服の事です。
ハワイの女性もそう言ったタイプの服を着ていますが、夢の中で連れて行かれたところはそう言った暑い土地といったイメージでした。
最終的に最初のシチュエーションに戻るってところは、やはりゲームリセットがされて、また次のストーリーが始まるっていう合図だったのかも。
「朝食」
・トースト
・コンソメスープ
・ポテトサラダ
「昼食」
・月見きつねうどん
・焼きおにぎり1個
「夕食」
・松茸釜飯(レンジ用レトルト)
・男の煮物(大根、ナス、結び白滝、揚げ、鶏つくね)
・漬物
「デザート」
・ミルクチョコクリーム生洋菓子
・甘納豆
今日のBW:61.5kg
最高4.8(11:54)、最低 マイナス4.4(23:23)、積雪量10センチ
鼻詰まりも解消され、呼吸が楽になりました。
まだ時折咳が出たり、タンが多少絡む事があるので完全ではありませんが、この週末辺りには外出もできるかも知れません。
その前に、明日は退院後初の外来診察日なので、わずかな時間でも外気に当たる事ができそうです。
ただ、色んな患者がいる病院へ行きますので、違ったタイプの風邪を貰って来たり、1週間ぶりに外気に当たる事で風邪がぶり返さなければいいんですが。
では、また夢の話を。
⑦ここは見覚えのある部屋だ。
確か、以前に住んでいて、家具や日用品、雑貨などを買ってきて、自分の好みの部屋にしようとして途中になってたはず。
ロフト式の下へ降りる階段もある。
でもなぜこの部屋に自分は寝ているのか。
起きようとしたが、体が動かない。
見ると、両手首がヒモで縛られて自分が買ってきて組み立て途中にしてあった鉄パイプの棚と、反対側の柱にくくり付けられている。
何だこれは?一体どういう事だ?
テレビがついていて、天気予報をやっていた。
自分が置かれた状況が理解できないままに天気予報を見ていると、そうか、今日の曜日は分かった。
待てよっ!この天気予報の上に出てる数字って、今の事か?間違いじゃないのか?数ヶ月前の日付だろこれって!
人の気配を感じてそのほうを見ると、いつの間にか、どこから入ってきたのか、男が1人立っていた。
「いや~、助かってよかったな」
えっ?何の事だ?
「事件は解決したけど、助かったのは君だけで、あとの人達は残念な事になった」
それよりまずこの手の拘束を解いてくれと訴えると、「残念ながらそれはできない」と言い残してどこかへ行ってしまった。
テレビでは天気予報が終わって、ワイドショーのコーナーで日本酒の宣伝のような事をやってる。
ん~、しばらく飲んでないから、冷たい日本酒をキュッと飲りたい。
それもいいが、助かった?残念な事に?何だそれは?
グルグル回る記憶の細い糸を手繰り寄せていくと、ある事にたどり着いた。
そうだ!あの日、何の前触れもなく急に腹が痛くなって、救急車で入院したんだ。
そして気がつくと、病院のベッドに寝かされて、その時も今と同じように両手をヒモで縛られてベッド柵に固定されていた。
腹部を手術された私は、点滴や管につながれて、ベッドに寝かされていた。
医師や看護師の手厚い治療と看護によって、術後の状態も快方へと向かっていた。
女性看護師の1人(以後看護師Aと書く)が、「早く良くなってね」と頻繁に声をかけてくれ、勤務割上の巡り合わせだろうが毎日のように処置をしに私の病室に来てくれた。
その時はまだ、痛みを感じないように施されていた麻酔剤と麻薬の影響で、常に寝ていて時々目を覚まして会話をする状態が続いていた。
ある時目を覚ますとそこは病室ではなく、昭和の時代のニオイがぷんぷんとする一軒家のようだった。
木で組んだ枠にトタン板を張りつけた流し台、石炭とだるまストーブ、裸電球とちゃぶ台、そして土間の玄関。
今でもこんな家があるのかと驚くほど「昭和」を集めたような家だった。
そんな家の流し台の横に、点滴もバルーンもカテーテルもそのままにベッドに寝かされた私がいるのはなぜだ。
横を向くと奥さんがいたので、ここはどこで何でここにいるのか聞いた。
「テレビの番組で、昭和の移り変わりって言うのを作るから、ここにあなたを置いてくれって」
「俺を?何で?この格好って関係ないし、何で治療中の?だってこれって最新の治療中だぞ」
「あっ、もう放送してるよ」と、奥さんがブラウン管テレビを指差した。
見ると、確かにこの家にある古い「モノ」を1つづつ紹介しながら、その歴史やエピソードをレポーターが老夫婦にインタビューしていた。
寝たまま意識のない私も、ベッドごと映っていて、昭和の雰囲気とは全く関係のない、それはまるで異質なオブジェのようだった。
何だい、この番組は???
番組が終わると、奥さんが玄関からベッドを出して、しばらく行くとそこは元の病室だった。
「あの家って、どこにあったの?」と奥さんに聞くと、あそこは病院の中の一室だと言う。
病院内にあんな古い民家のような部屋が存在すること自体信じられなかったし、巡回に来た看護師Aにその事を話すと、「そんなところ病院内にある訳ないじゃないですか」と、私を憐れむように言って出て行った。
そうだよな、あれは夢かまぼろし、そう思って自分の記憶から消そうと自分を納得させたら、また眠気が襲ってきて意識を失った。
どれだけ寝たのだろう、意識が戻って辺りを見渡すと、様子がおかしい。
ベッドの周りにはリビングセットが置かれ、壁際にはキッチンがあり、サイドボードなどの家具も見えた。
隣の部屋のさらに向こうから、言い争う声が聞こえたり、何かを壊すような音も聞こえてきた。
喉も乾いたのでナースコールを押すと看護師Aがやって来て、両手を縛られて拘束されているので、吸い口で水を飲ませてくれ、傷の処置をして出て行こうとした。
看護師Aを呼び止め、「ここは病室と違うみたいだけど、どこなんですか」と聞いてみた。
すると看護師Aは一瞬ためらったが、「あなたが入ってた個室には、もっと重い患者が入ったので、一時的にここにいてもらう事になったの」との答え。
「ここって、どこかのマンションみたいですが・・・」と聞くと、「ええ、病院に隣接したマンションの一室だけど、病院とは廊下でつながってるから、呼んだらすぐに来れるので心配しないで」と言いながら行ってしまった。
そう言えば、いつの間にか点滴や私にまとわりついていた「管」の類はすべて外されている。
心配するなと言われても、こんな変な所に入院と言う形で留め置かれて、外の方からは常に言い争うような怒鳴り声が聞こえてくるし、カーテンで遮られて出入り口の方はうかがう事も出来ず、奥さんも傍にいないからどんどん不安になってくるじゃないか。
ナースコールを押すと、看護師Aが来たので、状況が分からないからとても不安だと言うと、一旦部屋から出て行き、すぐに戻って来て「気持ちを落ち着ける注射をしますね」と言って、私の腕に針を突き刺した。
看護師Aが出て行ってすぐ意識が朦朧として来て、意識が遠のいたり戻ったりを繰り返すようになった。
ふと、ドアが開く音が聞こえ、誰かが入ってきたようだが、声を掛ける気力はなかった。
「入るぞ」と言う声は、どうも弟の声らしい。
部屋には入ってきたものの、カーテンのこちら側へは来ようとしない。
ガサガサというビニール袋の音がして、ドサッとそれを置く音がした。
「食えるようになったら食ってくれ」と言い残して出て行った。
お見舞いのつもりか、何かの食べ物を持って来たらしいが、顔ぐらい見せればいいのに。
うつらうつらしていると看護師Aがやって来て、この部屋も別の患者が入る事になったので、別の部屋に移動すると言う。
ベッドを押されて部屋から出たが、そこは廊下でつながった建物などではなく、一旦外に出されて別の建物に運ばれて行き、そこもマンションの一室らしいところに留め置かれた。
「ちょっと忙しいので、しばらく来られないと思います」と言って、看護師Aは慌ただしく出て行った。
おいおい、俺はどうなるんだい。
うつろな意識の中で、諦めにも似た気持ちになって、ただボーっとして横たわっていた。
この部屋は外からの声がはっきりと聞こえる。
耳を澄ますと、このマンションの一室で、大企業経営の資産家の家族間で遺産を巡る争いと、経営トップの座を巡る争いから殺人事件が起きたらしい。
創業者の死後、社長に就任した息子が会社を我が物にしようとして、息子の母であり実権を持つ創業者の妻の怒りをかい、暗殺されたんじゃないかとマンション住人らしき数人が話しているのが聞こえた。
先ほどの騒がしさは、警察が現場検証をしていたのと、マスコミがマンション住人とトラブルを起こしていたためだとも分かった。
そんな事はどうでもいいから、こんな変なところからちゃんとした病院の病室へ移してくれ!
カーテンの向こう側から若い女性の声が聞こえてきた。
他にも男女の声が聞こえる。
助けを求めて声を出そうとしたが、ハラの傷が痛んで力が入らず、蚊の鳴くような声しか出なかった。
若い女性は男女に、部屋の間取りや金銭的な話をしているようだった。
もしかしてここって、マンションのモデルルーム?
だとしたら、私が今置かれているリビングらしい部屋も見に来るだろう。
その時が助けを求めるチャンスだ。
解放されるかもしれないという期待と不安で鼓動を高鳴らせながらその時が来るのを待っていたが、客らしい男女が「じゃあ」と言って出て行ってしまったらしい。
えっ!こっちを見に来ないのか?
代わりに入ってきたのは看護師Aで、また部屋を移動すると言う。
何故?どこへ?と聞いても返事をせず、持ってきたストレッチャーに私を移して、上から毛布のような物を頭からすっぽりと被せて運び始めた。
先ほど聞こえた声の若い女性も手伝っているらしい。
ガチャっと何かのドアらしきものが開く金属音が聞こえ、ストレッチャーごとその中に押し込まれたようだ。
エンジン音が聞こえるので、救急車に乗せられたのか。
看護師Aと若い女性も乗り込んだようで、2人の話し声が聞こえるが、その言葉が私には理解できない言語だった。
どのくらい車は走ったのか、車が停まって2人が降りて誰かと話す声が聞こえてきた。
誰かが乗り込んでまた車を走らせ、車のドアが開く音が聞こえたと思ったら私が寝かされているストレッチャーを車外に出して押し始めた。
動きが止まると、体が持ち上げられるような感じを覚え、それが止まるとまたストレッチャーが動き始めた。
ガチャンガチャンと、ストレッチャーが動かないようにしているのか、金属音が響いた。
頭からすっぽりと被せられていた毛布の顔の部分だけめくられ、首を動かして周りを見ると、そこは金属のドームのようなところで、私が寝かされているストレッチャーの横には、通勤列車のような横一列のベンチのような物があった。
しばらくすると、両手を後ろ手に縛られた10人ほどの男女が自動小銃のような物を突き付けた男に促されて入って来て、そのベンチに座った。
何故私達がここに集められたのか、この先どこへ連れて行かれようとしているのか、誰一人として口を聞こうとはしなかった。
ドアが閉まって動き出し、また停まって静寂が訪れた後、耳をつんざくような爆音が右、そして左から聞こえてきた。
自動小銃を持った男は監視役らしいが、この爆音の事を知っていたのかヘッドホンで耳を保護していた。
我々は手で耳を塞ぐしかなかったが、全員両手を拘束されていたのでそれすら叶わず身を縮めるしかなかった。
そうか、このドーム型の狭い空間といい、右・左と順番に爆音が聞こえ始めたので、ここは飛行機の中だ。
しかも、エンジンの爆音を遮蔽する内装などないむき出しの金属そのままのボディーと、横一列のベンチは明らかに軍用機だ。
ここは兵士を乗せる空間か。
何時間飛行したのか想像もつかない時間が経ち、ドンッという着陸の衝撃を感じた。
私のストレッチャーが、恐らく荷物用のリフトで降ろされ、大量の荷物とともにワゴン車に積まれてどこかへ走り出した。
車内には、看護師Aと若い女性の姿が見える。
かなりの時間車は走り、どこかの建物の前で停まった。
車から私と荷物が降ろされ、車はどこかへ走り去った。
看護師Aがストレッチャーを押し、建物内のリビングらしき場所に私を留め置いた。
私服から白衣に着替えたのか、看護師Aが寄って来て「大丈夫ですか?」と聞きながら、傷の処置を始めた。
「ここは・・・?」と聞くと、ここは元から入院している病院の別院だと言う。
ナースコールはないが、呼べばすぐ来れるところにいるから大丈夫だとも。
若い女性は、車から降ろした荷物の片づけをしていたが、その格好は南国のワンピースタイプの民族衣装のようだった。
長時間乗り物で運ばれたせいか、寒気がして熱っぽい。
看護師Aを呼んで、体温を測ってもらうと38℃を超えていた。
「氷で冷やしましょうね、ちょっと待っててね」と看護師Aはドアから出て行った。
持ってきたのは、ビニール袋に入れたわずかな氷で、それを私の額の上に置いた。
熱とダルさでそのまま寝てしまった。
気付くと額を冷やしていた氷はとうに溶け、交換してもらおうと看護師Aを呼んだ。
「どうしましたか?」と来た看護師Aに氷の事を言うと、「じゃあ、ちょっと待って下さい」と言ってドアの外へ行った。
ドアの外から何語か分からない言葉で若い女性と話をしているのが聞こえ、話が止むと看護師Aが注射器を持って入ってきた。
「氷もいいけど、熱さましの注射をしますね」と言って私の腕に打とうとしたが、その注射器に入っていた薬は、今まで経験した熱さましの薬とは明らかに違って、十倍くらいの量が入っていた。
「それ何の注射?熱さましじゃないんじゃないのか?」と私が叫ぶと、看護師Aは「残念だけど、あなたが邪魔になったから、これで死んでもらうわ」と。
「何を注射するつもりだ!」
「安定剤よ。これだけ打てば眠るように呼吸が止まって楽になれるから」
「どこからそんな薬を・・・?」
「病院から失敬してきただけよ」と言いながら、身動きが取れない私の腕に針を突き刺して、静かに液を腕の筋肉内に注入した。
クソー、死んでたまるかっ!そんなもので俺を永久に眠らせられると思ってるのかっ!
注射し終えた看護師Aは、勝ち誇ったような顔をして私を見下ろし、ドアの外へ出て行った。
薬の効果には抗しがたく意識が地の底へ引き込まれそうになり、呼吸が苦しくなってきたが、縛りつけられている両手首を力の限り振りほどく仕草をして自分に痛みを感じさせ、かろうじて眠り落ちる手前で堪えていた。
意識が消えかかったり戻ったりを繰り返していたが、私の薬の分解能力が薬の作用を上まったらしく、だんだん意識がはっきりとしてきた。
様子を見に来た看護師Aが、もう呼吸は止まっているだろうと思ったのがまだ生きている事に驚き、ドアの外へ小走りに出て行き、また注射器に薬を詰めて戻ってきた。
「もうこれで終わり」
同じ安定剤なのか、別の薬なのか、また私の腕に針を突き刺した。
今度は眠くもならず、時間が経っても何の変化も感じられなかったので、薬が効いてるような寝たふりをして様子をうかがった。
看護師Aは、とりあえず安心したのか、若い女性が来ている派手な模様の南国のワンピースタイプの民族衣装に着替えてきたらしい。
ドアの外から、香ばしい良い匂いが漂ってきた。
若い女性が何か言いながら運んで来た料理は、ピザとガーリックが良く効いたパスタのようだ。
腹部の術後以降、水を飲んだ以外は何も食べていない事を思い出し、急に空腹感が襲ってきた。
2人が私の横で食べ始めたので、「タヌキ寝入り」を悟られないよう、腹が鳴るのを必死で押し留め、できるだけ生唾も飲み込まないよう努力した。
食べ終わった2人は、バッグに衣類などを詰め始め、どこかへ旅行に行く準備を始めた。
私を置いてどこかへトンずらしようってのか。
私が呼吸をしている事に気付いた看護師Aは、私の手のヒモを片手づつ外し、マジックテープタイプのやはりヒモがついたリストバンドに変えて、金属のピンのような物をカチャッとはめてロックし、またストレッチャーのサイドレールにヒモで縛りつけた。
私が起きている事を知ってか、「このロックはヨーロッパ製で、タイマーで10日間後にならないと解除されないようにセットした」と告げた。
どこからか持ってきた缶ビールのプルを開けて飲み始めた看護師Aは、「あの子は私の娘で私の右腕。これからひと眠りした後、組織の指示に従って別の国へ仕事をしに行くの」と言った。
「残念ながら、あなたをあの注射であの世に送る事は出来なかったけど、このアジトには何ヶ月か何年か、誰も来ないから水も食べ物も貰えないあなたの命運はここで尽きるわ。10日間生き延びて、それからヒモが解ける事を祈るのね」
娘はもう横のソファーで居眠りを始めていて、看護師Aは缶ビールを一気に飲み干すと奥の別室に消えて行った。
「待て!おまえは何者で、何をしてるんだ!」
「私?・・・。」と、何も答えず行ってしまった。
しばらくすると、横のソファーで寝ている娘からは寝息が聞こえ、ぐっすり寝入ってるようだ。
奥の部屋へのドアは閉まっているので窺いようがない。
どうしたらいいのか、何も考えがまとまらないまま時間が過ぎ、壁に掛けられた時計で1時間が過ぎようとした時、カチャッと音が聞こえた。
えっ?と思って両手首を見ると、手首のリストバンドを留めていた金属のピンのロックが外れていた。
もしかして、タイマーのセットを間違えたか。
横の娘を起こさないよう静かにピンを引き抜こうとしたが、両手が不自由な状況ではなかなか難しい。
手首を思いっきり内側に折り曲げて、指先に触るようにしながらゆっくりとピンを押し上げて、ストレッチャーベッドの内側にピンが落ちるように外した。
ヒモは思いのほか緩やかに結ばれていたので、同じように手首を折り曲げて指先の感覚だけで外す事が出来た。
片手が自由になったら、もう片手はいとも簡単。
ようやく両手が自由になったが、焦らず、まずは手首のストレッチをしてから、ベッドを静かに降りた。
建物に運び込まれた時に出入り口は見ていたので、隣の部屋から外に出る事が出来るのは分かっていた。
娘が起きないように様子をうかがいながら、ソロソロと隣の部屋の方へ歩いて行ったが、運悪く足に何かがぶつかって音がし、娘が目を覚ましてしまった。
驚いた娘は、何語か分からない言葉で母親である看護師Aが寝ている部屋に向かって叫び、部屋から飛び出してきた看護師Aとともに私を捕まえようとした。
「何をしてるの!傷口が開くでしょ!」
何言ってやがる、今さら何が傷だ!
私はキッチンだった隣の部屋を抜け、更に奥のドアのロックを解除し、ドアを開けて外に出た。
ここがどこの国か分からないが、どこかに交番ぐらいあるだろうと、無我夢中で道路を走った。
走りながら後ろを振り向くと、あの親子は追って来ていない。
それでも力を抜く事なく全力で走り続けると、向こうから中年の男女、私から見て外国人が歩いてきたので、助けを求めた。
すると、すぐそばの交番らしいところへ連れて行ってくれ、警官に保護された。
警官は私から事情を聴いて本部に連絡したらしく、すぐに巡回中のパトカーが集まって来て私が監禁されていた建物に踏み込み、逃げようとしていた看護師Aの親子を逮捕したそうだ。
こうして私は国へ帰る事が出来たが、腹部に術後の傷があると言う事で、民間旅客機専用のストレッチャーに寝かされたままの空の旅となった。
私を乗せた旅客機は空港に到着し、一般乗客とは別に降ろされ、一旦空港そばの病院に収容される事になった。
旅客機から救急車に乗せ換えられる間には、おびただしい数のマスコミがいて、どうやら私を含む10人ほどが拉致されて国外に連れ去られた事と、逮捕された看護師親子が所属する組織の国内での悪事が表に出て、大きな騒ぎになっていたらしい。
マスコミのレポーターらしき連中が、テレビでよく見るように答えがあろうとなかろうとお構いなしに大声で質問する、あの状況を私に投げつけてきた。
「他の人は全員殺されたんですが、今のお気持ちは?」
「1人だけ生きて帰ってきたんですが、今の感想を聞かせて・・・」
私1人だけ?拉致されて軍用機に一緒に乗っていたあの人達は殺された?
何故?何があって?どうして?
救急車内で私の頭の中にはその疑問がグルグルと渦巻いていて、そのうち意識が遠のいてしまった。
気がつくとそこは、以前自分が住んでいた部屋の中だった。
人の気配を感じてそのほうを見ると、いつの間にか、どこから入ってきたのか、男が1人立っていた。
「いや~、助かってよかったな」
えっ?何の事だ?
「事件は解決したけど、助かったのは君だけで、あとの人達は残念な事になった」
それよりまずこの手の拘束を解いてくれと訴えると、「残念ながらそれはできない」と言い残してどこかへ行ってしまった。
色々な出来事があって、長い日数が経ってたようだが、実際には夢の中の出来事だったかのように、元に戻されたような気がする。
この話はここまで。
看護師Aって本物のモデルがいて、私の世話を懸命にしてくれ、頻繁に声を掛けてくれたちょっと小太りの中年看護師さんだったんです。
しょっちゅう顔を見てたから、夢の中にも出てきたのかもしれません。
それなのに悪役にしてしまって申し訳ないと思ったんですが、夢を見てる最中はそんな事は考えられませんでしたし。
「派手な模様の南国のワンピースタイプの民族衣装」って、私の夢の中でのイメージは、メキシコの中年女性が来ているゆったりとした服の事です。
ハワイの女性もそう言ったタイプの服を着ていますが、夢の中で連れて行かれたところはそう言った暑い土地といったイメージでした。
最終的に最初のシチュエーションに戻るってところは、やはりゲームリセットがされて、また次のストーリーが始まるっていう合図だったのかも。
「朝食」
・トースト
・コンソメスープ
・ポテトサラダ
「昼食」
・月見きつねうどん
・焼きおにぎり1個
「夕食」
・松茸釜飯(レンジ用レトルト)
・男の煮物(大根、ナス、結び白滝、揚げ、鶏つくね)
・漬物
「デザート」
・ミルクチョコクリーム生洋菓子
・甘納豆
今日のBW:61.5kg
最高4.8(11:54)、最低 マイナス4.4(23:23)、積雪量10センチ
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よくもまあこんなに何種類もの夢を見たものだと自分でも呆れてしまうんですが、クッキリハッキリ覚えているから仕方がない。
それも、ほとんどが「ふと気がつくと」から始まるんですが、夢の記憶の最初は突然訪れて始まり、それもいきなりどこかにいると言うシチュエーションなので、これまた仕方がないとご容赦いただきたい。
で、また、次の夢の話を。
⑥ここはある病院の病室のようだった。
ベッドに寝かされていて、左手首にヒモを巻きつけられベッド柵に縛り付けられていて、片手だけだが拘束された状態だった。
何故ここにいるのか。
どうやら自分に腹部に傷があって、ケガでもしたのだろうか。
頭の上にモニターのような物が設置されていて、どうもそれはテレビらしく、夕方のニュースショーを放送している。
その番組を見ていると、ゲームの設定画面のような表示になり、それは自分のこの先の数年間の行動パターンの設定画面で、ロールプレイングゲームとシュミレーションゲームを組み合わせたような、これから自分が疑似体験するパターンの設定のようだった。
その項目を見ていると、病気の自分が診察も何もしてもらえず死にそうになってたり、自分が犯罪者になったり、拉致されて外国に連れて行かれ、同時に拉致された数人は殺されたが私だけが生きて戻ってくるとか、新興宗教信者に拉致されて地区の代表者に無理やりさせられるとか、自分の傷を治療するため数か所の病院を転々とし、なぜかそのうちのある病院の看護師達に捕まって手術されそうになるとか、とても受け入れられないような内容の事が設定されていた。
これらは、そのシチュエーションが終わるたびにこの病室に戻され、また同じ状況から次のシチュエーションに移るそうだ。
冗談じゃない!そんなゲームの中の主人公のような事をさせられて、終わったらリセットされる様な役回りなどまっぴらごめんだ。
この設定を変更したい場合は、カーソルを動かして変更しろとの表示が画面に出ているが、コントローラーがどこにあるかも分からず、ベッド横のナースコールのようなボタンを押しても誰も来ない、
そのうちに画面の表示が点滅し始め、設定変更のタイムリミットのカウントダウンが始まった。
目か意志でカーソルを動かせるかと思い立ち、ある項目を見て変更すると念じたら、飲み物がワインに変わった。
なんだそりゃあ???
と思ったら画面が代わり、ニュースショーの天気予報を流し始めた。
どうやら、これからゲームが始まるらしい。
こんな所にはいられないと、左手のヒモを解こうとするが、がっちりと縛られていてビクともしない。
すると、足元の方のドアが開き、白衣を着た医師らしき若い男性が入ってきた。
「どうですか」と聞きながら傷を見て、いつの間にか胃に入れられてたカテーテルから、胃液のような血液のような液体をシリンジで抜き始め、終わると黙って出て行った。
突拍子もない状況に置かれた事が原因なのか、腹部の傷が原因なのか、かなり吐き気がしていたのだが、胃の中の液体を抜かれた事で何事もなかったかのように楽になった。
周りを見渡すと、とても病室とは言えない、まるでホテルの客室のようで、左側にはカーテンが掛っており、カーテンの向こうにもベッドがあって、そこには私と同じように手を拘束されてゲームの中にすでに連れ去られてしまった奥さんが寝ているような気がしたが、声をかけても返事はなかった。
空調が効いてて少し寒いなと思ったが、いつの間にか寝てしまったようだ。
人の気配を感じて目を覚ますと、先ほどの白衣の男性が来ていて、すぐに処置できるように病室に移しますと言いながらベッドを運び始めた。
ここは大学病院の外科病棟で、この病室の隣は外科の医局だと言う。
ずいぶん話声が聞こえるので何かやってるのかと聞くと、昨日亡くなった教授の追悼の会を開いていると。
「本当はあなたにも参加してもらいたいんだが、この状態では無理なので安静にしていてください」と言って出て行った。
私が?参加?
おぼろげな記憶をたどって行くと、そう言えば、昨夜はある外科教授のパーティーに出席させられたんだ。
自分の職場の代表として急きょ行かされる事になったんだが、その時はすでに腹部に大きな傷があり、入院先を探して痛みに耐えていたはず。
それなのに、隣街のホテルまで連れて行かれ、テーブルに座らされて晩さん会が始まるところだった。
脂汗を流しながら痛みに耐えつつ教授の挨拶を聞いていたら、教授が急に倒れて大騒ぎになった。
私も痛みに耐えかねて、とうとう意識を失ってしまった。
とまあ、こんなところだったはず。
と言う事は、さっきまでいた部屋はやはりホテルの部屋か。
でも、ドアから白衣の男性が入って来て、そのドアから移動させられた私は今大学病院の病室にいる。
壁1枚でホテルと大学病院がつながってるのか?あの教授はそのまま亡くなったのか・・・。
そんな事をボーっと考えながらふと左手を見ると、いつの間にか手のヒモが解かれていて自由になっていた。
起き上がってみると、傷の痛みはないが腹部に縫合された跡があって、そこが引きつった感じで前屈みになってしまう。
ベッドから降りてドアの外に出て、病室へ運ばれてきた経路を逆にたどって見る事にした。
隣の医局からは、話し声、笑い声、時折すすり泣く声も聞こえたが、誰も出てくる気配はない。
確かこのドアから出てきたはずだと、ドアを開けて入って見ると、確かにさっきまで私が寝かされていた部屋だった。
テレビは消され、もう1台あると思っていたベッドもなかった。
見回すと、私が寝かされていた頭側にもう1つドアがあり、そこを静かに開けて辺りをうかがってみて驚いた。
そこに見えた光景はまさしくホテルのフロントで、ボストンバッグやキャスター付きのトラベルケースを引いて歩いている人が大勢行き交っていた。
部屋を出て、フロントのフロアーに立ってみたが、行き交う人が私をじろじろ見ている。
自分の姿を見ると、ガウンタイプの病衣姿で、とてもその場には似つかない格好である事に気付いた。
これはマズいと、まるで忍者か逃亡中の犯罪者のように、壁伝いに体を縮めて建物の奥の方へ行き、最初に見つけた階段を上がって行った。
その階には赤絨毯が敷き詰められた廊下があり、廊下を歩いてとある部屋の前で立ち止まって、その部屋のドアノブを触るとドアが開いたので入ってみると、そこは最初に私が寝かされていた部屋と全く同じ造りで、テレビがありカーテンが掛っていて、空きベッド1台があった。
カーテンを開けてみると、そこには何と!奥さんがいて、ベッド上で何かを食べていて声をかけても返事はなく、ただ黙々と食事をしていた。
ドアをノックする音が聞こえ、そちらを振り向くと、私の返事を待つ事もなく黒服のホテル従業員らしい男性が入って来て、私の食事を運んで来たという。
男性は空きベッドにサイドテーブルを設置し、手際良く料理を並べてお辞儀をして出て行った。
料理を見ると、量は少ないがフレンチのフルコースになっているらしく、隣で食べている奥さんの料理と見比べると、全く同じものらしい。
ただ、奥さんが飲んでいたのは、酒が飲めないはずなのにシャンパンがサーブされていて、私のグラスには赤ワインがサーブされて運ばれてきていた。
料理を見た事で空腹感に襲われ、夢中で食べたが味の記憶はない。
2人が食べ終わったのを見計らったかのようにデザートが運ばれてきて、食べ終わって奥さんを見るとすでに寝てしまっていた。
ここから出ようと声を掛けても返事はなく、体を揺すって起こそうとしても反応はなかった。
私は、無理をし過ぎたのか、腹部の傷のあたりに激痛が走り、なんとか空きベッドに横たわってナースコールを押した。
足元の方のドアが開き、「どうしましたか?」と言う声の方を見ると、そこには男性看護師が立っていた。
傷のあたりが痛いと言うと、「まだ傷が塞がっていないのだから安静にしてないとダメです」と言いながら傷を覆っていたガーゼを交換し、ベッドを押し始めた。
どうやらまた病室に運ばれるようだと考えながら、なされるがままにされていたが、ドアを出たところで見えた部屋は大学病院の医局ではなく、看護師達の詰所のようだった。
「ここって、大学病院ですよね?」とベッドを押している男性看護師に聞くと、「えっ?あなたはこの総合病院に入院してるんですよ」と。
「じゃあ、今までいた部屋って?」
「あそこはうちの病院の処置室ですけど、何か?」
私の精神状態が狂っておかしくなってるのか、それとも夢でも見ているのか、全く状況が理解できなくなってしまった。
ベッドを病室に留め置くと、男性看護師は「何かあったらナースコール押してくださいね」と言って出て行った。
この部屋は、さっきまで大学病院と言われていた病室と全く同じ雰囲気だ。
訳が分からないままに、疲れてしばらく眠ったらしい。
一体今は何時なのか、ここは何という病院なのか、やはり私が住んでいる隣街の病院なんだろうか。
状況が分からず不安がつのって来て、せめて自分が住んでいる街の、自分が知っている病院に移して欲しくなった。
ナースコールを押したが、いつまで経っても誰も来ない。
何度押しても詰所から聞こえる、こちらが呼んでる合図の音がすぐに切られてしまうが、誰も来ようとはしないようだ。
幸いな事に今は傷の痛みは治まっているので、見つからないようにこの病院を脱走して、私の住んでる街の病院に助けを求めようと考えて実行する事にした。
ベッドを下りて廊下をうかがうと誰もいないので、とりあえずさっき運ばれてきたドアを戻れば、男性看護師は処置室と言っていたが、どう考えてもホテルの一室としか思えない、さっき食事をした部屋に戻れるはずだ。
体を縮めて廊下を進み、詰所に誰もいない事を確認して、ドアを開けて入り込んだ。
するとそこは、さっきまでとは違って、まさにビジネスホテルの一室になっていて、誰かがチェックインしたのか荷物が置いてあった。
ドアを開ける音が聞こえ、振り返ると、そこには若い女性が驚いた表情で立っていた。
「あっ!部屋を間違えました・・・えっ?」と。
私は返す言葉もなく立ちすくんでいると、女性の後ろから黒服の男性が現れて、「申し訳ございません、予約がバッティングしてしまいまして」と言い、この部屋は私の部屋だと言う。
今日このホテルの予約は満杯なので、系列ホテルの、私が住む街のホテルに変えてもらう事で女性は納得し出て行った。
「おいおい、私の街に移動するなら、私が行くのに」
とにかく、このホテルを出て自分の街に行かなくては。
ドアを開けて廊下に出ると、そこは廊下ではなく、フロントの目の前だった。
もう訳が分からなくても何でもいい!
玄関を見つけて、ドアボーイが掛けてきた声に返事もせず外に出た。
どうやら夜らしく、雪も降っていた。
こんなガウンタイプの病衣のまま、裸足にスリッパ履きのまま歩くのは寒いと思ったが、とにかく人が多く流れている方向へと歩いて行くと、途中で意識が朦朧とし始め、ただただ歩き続けたのか、途中で電車に乗ったのか、混濁する意識のまま時間が過ぎた。
気がつくと、大きな建物の前に立っていて、看板には自分が知っている自分の街の病院の前だと分かった。
遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえ、白衣姿の女性看護師が走り寄ってくるのが見えた。
「大丈夫ですか?心配しましたよ。さあ、戻りましょう」
戻りましょうって、私は今までここの病院に入院してた訳じゃないのに、どう言う事だ?
建物に入り、病室へと連れて行かれる時、さっきホテルで部屋がバッティングしたと言う事で、系列ホテルに移動してもらったはずの若い女性とすれ違った。
予約がバッティングしてた隣街のホテルに空きができたから、そちらに戻ると言う。
「・・・、ここもホテル?それとも病院?」
横には私の腕を抱えた女性看護師がいるし、廊下に赤い絨毯は敷かれていないから、やはり病院なんだろう。
看護師とともに病室へ行き、ベッドに横たわってホッとしていると、白衣姿の医師らしい若い男性が入ってきたようだ。
「もう大丈夫ですよ、安心してください」と言うので、その男性の顔を見ると大学病院の医師だった。
「ここは大学病院ですから、何かあってもすぐに対処できますので、心配しないでくださいね」
この夢はここで終わり。
まるで作家が書くショートショートみたいな内容ですけど、記憶を辿っていって、夢で見た状況を細かく書くと小説のようになってしまいました。
あやふやな記憶の所は、多少脚色をしたかなと思うところもありますが、でもほとんど記憶のままに文章にしたつもりです。
まあ、夢の中の話ですから、ドラマの脚本や小説のようになるのは致し方ないですね。
自分がゲームの中の主人公にされてしまうくだりは、この後も続きます。
「朝食」
・ごはん
・油揚げとわかめの味噌汁
・鶏塩缶
・ちりめん山椒
「昼食」
・たぬきそば(天かす、長ネギ)
・焼きおにぎり1個
「おやつ」
・五勝手屋羊羹
・コーヒー
「夕食」
・ごはん
・かぶときゅうりの漬物
・ひと口チキンカツ、千切りキャベツ添え
・ポテトサラダ(ジャガイモ、キュウリ、玉ネギ、ハム)
「デザート」
・カスタード生洋菓子
今日のBW:61.5kg
最高2.5(00:02)、最低 マイナス2.5(20:21)、積雪量9センチ
それも、ほとんどが「ふと気がつくと」から始まるんですが、夢の記憶の最初は突然訪れて始まり、それもいきなりどこかにいると言うシチュエーションなので、これまた仕方がないとご容赦いただきたい。
で、また、次の夢の話を。
⑥ここはある病院の病室のようだった。
ベッドに寝かされていて、左手首にヒモを巻きつけられベッド柵に縛り付けられていて、片手だけだが拘束された状態だった。
何故ここにいるのか。
どうやら自分に腹部に傷があって、ケガでもしたのだろうか。
頭の上にモニターのような物が設置されていて、どうもそれはテレビらしく、夕方のニュースショーを放送している。
その番組を見ていると、ゲームの設定画面のような表示になり、それは自分のこの先の数年間の行動パターンの設定画面で、ロールプレイングゲームとシュミレーションゲームを組み合わせたような、これから自分が疑似体験するパターンの設定のようだった。
その項目を見ていると、病気の自分が診察も何もしてもらえず死にそうになってたり、自分が犯罪者になったり、拉致されて外国に連れて行かれ、同時に拉致された数人は殺されたが私だけが生きて戻ってくるとか、新興宗教信者に拉致されて地区の代表者に無理やりさせられるとか、自分の傷を治療するため数か所の病院を転々とし、なぜかそのうちのある病院の看護師達に捕まって手術されそうになるとか、とても受け入れられないような内容の事が設定されていた。
これらは、そのシチュエーションが終わるたびにこの病室に戻され、また同じ状況から次のシチュエーションに移るそうだ。
冗談じゃない!そんなゲームの中の主人公のような事をさせられて、終わったらリセットされる様な役回りなどまっぴらごめんだ。
この設定を変更したい場合は、カーソルを動かして変更しろとの表示が画面に出ているが、コントローラーがどこにあるかも分からず、ベッド横のナースコールのようなボタンを押しても誰も来ない、
そのうちに画面の表示が点滅し始め、設定変更のタイムリミットのカウントダウンが始まった。
目か意志でカーソルを動かせるかと思い立ち、ある項目を見て変更すると念じたら、飲み物がワインに変わった。
なんだそりゃあ???
と思ったら画面が代わり、ニュースショーの天気予報を流し始めた。
どうやら、これからゲームが始まるらしい。
こんな所にはいられないと、左手のヒモを解こうとするが、がっちりと縛られていてビクともしない。
すると、足元の方のドアが開き、白衣を着た医師らしき若い男性が入ってきた。
「どうですか」と聞きながら傷を見て、いつの間にか胃に入れられてたカテーテルから、胃液のような血液のような液体をシリンジで抜き始め、終わると黙って出て行った。
突拍子もない状況に置かれた事が原因なのか、腹部の傷が原因なのか、かなり吐き気がしていたのだが、胃の中の液体を抜かれた事で何事もなかったかのように楽になった。
周りを見渡すと、とても病室とは言えない、まるでホテルの客室のようで、左側にはカーテンが掛っており、カーテンの向こうにもベッドがあって、そこには私と同じように手を拘束されてゲームの中にすでに連れ去られてしまった奥さんが寝ているような気がしたが、声をかけても返事はなかった。
空調が効いてて少し寒いなと思ったが、いつの間にか寝てしまったようだ。
人の気配を感じて目を覚ますと、先ほどの白衣の男性が来ていて、すぐに処置できるように病室に移しますと言いながらベッドを運び始めた。
ここは大学病院の外科病棟で、この病室の隣は外科の医局だと言う。
ずいぶん話声が聞こえるので何かやってるのかと聞くと、昨日亡くなった教授の追悼の会を開いていると。
「本当はあなたにも参加してもらいたいんだが、この状態では無理なので安静にしていてください」と言って出て行った。
私が?参加?
おぼろげな記憶をたどって行くと、そう言えば、昨夜はある外科教授のパーティーに出席させられたんだ。
自分の職場の代表として急きょ行かされる事になったんだが、その時はすでに腹部に大きな傷があり、入院先を探して痛みに耐えていたはず。
それなのに、隣街のホテルまで連れて行かれ、テーブルに座らされて晩さん会が始まるところだった。
脂汗を流しながら痛みに耐えつつ教授の挨拶を聞いていたら、教授が急に倒れて大騒ぎになった。
私も痛みに耐えかねて、とうとう意識を失ってしまった。
とまあ、こんなところだったはず。
と言う事は、さっきまでいた部屋はやはりホテルの部屋か。
でも、ドアから白衣の男性が入って来て、そのドアから移動させられた私は今大学病院の病室にいる。
壁1枚でホテルと大学病院がつながってるのか?あの教授はそのまま亡くなったのか・・・。
そんな事をボーっと考えながらふと左手を見ると、いつの間にか手のヒモが解かれていて自由になっていた。
起き上がってみると、傷の痛みはないが腹部に縫合された跡があって、そこが引きつった感じで前屈みになってしまう。
ベッドから降りてドアの外に出て、病室へ運ばれてきた経路を逆にたどって見る事にした。
隣の医局からは、話し声、笑い声、時折すすり泣く声も聞こえたが、誰も出てくる気配はない。
確かこのドアから出てきたはずだと、ドアを開けて入って見ると、確かにさっきまで私が寝かされていた部屋だった。
テレビは消され、もう1台あると思っていたベッドもなかった。
見回すと、私が寝かされていた頭側にもう1つドアがあり、そこを静かに開けて辺りをうかがってみて驚いた。
そこに見えた光景はまさしくホテルのフロントで、ボストンバッグやキャスター付きのトラベルケースを引いて歩いている人が大勢行き交っていた。
部屋を出て、フロントのフロアーに立ってみたが、行き交う人が私をじろじろ見ている。
自分の姿を見ると、ガウンタイプの病衣姿で、とてもその場には似つかない格好である事に気付いた。
これはマズいと、まるで忍者か逃亡中の犯罪者のように、壁伝いに体を縮めて建物の奥の方へ行き、最初に見つけた階段を上がって行った。
その階には赤絨毯が敷き詰められた廊下があり、廊下を歩いてとある部屋の前で立ち止まって、その部屋のドアノブを触るとドアが開いたので入ってみると、そこは最初に私が寝かされていた部屋と全く同じ造りで、テレビがありカーテンが掛っていて、空きベッド1台があった。
カーテンを開けてみると、そこには何と!奥さんがいて、ベッド上で何かを食べていて声をかけても返事はなく、ただ黙々と食事をしていた。
ドアをノックする音が聞こえ、そちらを振り向くと、私の返事を待つ事もなく黒服のホテル従業員らしい男性が入って来て、私の食事を運んで来たという。
男性は空きベッドにサイドテーブルを設置し、手際良く料理を並べてお辞儀をして出て行った。
料理を見ると、量は少ないがフレンチのフルコースになっているらしく、隣で食べている奥さんの料理と見比べると、全く同じものらしい。
ただ、奥さんが飲んでいたのは、酒が飲めないはずなのにシャンパンがサーブされていて、私のグラスには赤ワインがサーブされて運ばれてきていた。
料理を見た事で空腹感に襲われ、夢中で食べたが味の記憶はない。
2人が食べ終わったのを見計らったかのようにデザートが運ばれてきて、食べ終わって奥さんを見るとすでに寝てしまっていた。
ここから出ようと声を掛けても返事はなく、体を揺すって起こそうとしても反応はなかった。
私は、無理をし過ぎたのか、腹部の傷のあたりに激痛が走り、なんとか空きベッドに横たわってナースコールを押した。
足元の方のドアが開き、「どうしましたか?」と言う声の方を見ると、そこには男性看護師が立っていた。
傷のあたりが痛いと言うと、「まだ傷が塞がっていないのだから安静にしてないとダメです」と言いながら傷を覆っていたガーゼを交換し、ベッドを押し始めた。
どうやらまた病室に運ばれるようだと考えながら、なされるがままにされていたが、ドアを出たところで見えた部屋は大学病院の医局ではなく、看護師達の詰所のようだった。
「ここって、大学病院ですよね?」とベッドを押している男性看護師に聞くと、「えっ?あなたはこの総合病院に入院してるんですよ」と。
「じゃあ、今までいた部屋って?」
「あそこはうちの病院の処置室ですけど、何か?」
私の精神状態が狂っておかしくなってるのか、それとも夢でも見ているのか、全く状況が理解できなくなってしまった。
ベッドを病室に留め置くと、男性看護師は「何かあったらナースコール押してくださいね」と言って出て行った。
この部屋は、さっきまで大学病院と言われていた病室と全く同じ雰囲気だ。
訳が分からないままに、疲れてしばらく眠ったらしい。
一体今は何時なのか、ここは何という病院なのか、やはり私が住んでいる隣街の病院なんだろうか。
状況が分からず不安がつのって来て、せめて自分が住んでいる街の、自分が知っている病院に移して欲しくなった。
ナースコールを押したが、いつまで経っても誰も来ない。
何度押しても詰所から聞こえる、こちらが呼んでる合図の音がすぐに切られてしまうが、誰も来ようとはしないようだ。
幸いな事に今は傷の痛みは治まっているので、見つからないようにこの病院を脱走して、私の住んでる街の病院に助けを求めようと考えて実行する事にした。
ベッドを下りて廊下をうかがうと誰もいないので、とりあえずさっき運ばれてきたドアを戻れば、男性看護師は処置室と言っていたが、どう考えてもホテルの一室としか思えない、さっき食事をした部屋に戻れるはずだ。
体を縮めて廊下を進み、詰所に誰もいない事を確認して、ドアを開けて入り込んだ。
するとそこは、さっきまでとは違って、まさにビジネスホテルの一室になっていて、誰かがチェックインしたのか荷物が置いてあった。
ドアを開ける音が聞こえ、振り返ると、そこには若い女性が驚いた表情で立っていた。
「あっ!部屋を間違えました・・・えっ?」と。
私は返す言葉もなく立ちすくんでいると、女性の後ろから黒服の男性が現れて、「申し訳ございません、予約がバッティングしてしまいまして」と言い、この部屋は私の部屋だと言う。
今日このホテルの予約は満杯なので、系列ホテルの、私が住む街のホテルに変えてもらう事で女性は納得し出て行った。
「おいおい、私の街に移動するなら、私が行くのに」
とにかく、このホテルを出て自分の街に行かなくては。
ドアを開けて廊下に出ると、そこは廊下ではなく、フロントの目の前だった。
もう訳が分からなくても何でもいい!
玄関を見つけて、ドアボーイが掛けてきた声に返事もせず外に出た。
どうやら夜らしく、雪も降っていた。
こんなガウンタイプの病衣のまま、裸足にスリッパ履きのまま歩くのは寒いと思ったが、とにかく人が多く流れている方向へと歩いて行くと、途中で意識が朦朧とし始め、ただただ歩き続けたのか、途中で電車に乗ったのか、混濁する意識のまま時間が過ぎた。
気がつくと、大きな建物の前に立っていて、看板には自分が知っている自分の街の病院の前だと分かった。
遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえ、白衣姿の女性看護師が走り寄ってくるのが見えた。
「大丈夫ですか?心配しましたよ。さあ、戻りましょう」
戻りましょうって、私は今までここの病院に入院してた訳じゃないのに、どう言う事だ?
建物に入り、病室へと連れて行かれる時、さっきホテルで部屋がバッティングしたと言う事で、系列ホテルに移動してもらったはずの若い女性とすれ違った。
予約がバッティングしてた隣街のホテルに空きができたから、そちらに戻ると言う。
「・・・、ここもホテル?それとも病院?」
横には私の腕を抱えた女性看護師がいるし、廊下に赤い絨毯は敷かれていないから、やはり病院なんだろう。
看護師とともに病室へ行き、ベッドに横たわってホッとしていると、白衣姿の医師らしい若い男性が入ってきたようだ。
「もう大丈夫ですよ、安心してください」と言うので、その男性の顔を見ると大学病院の医師だった。
「ここは大学病院ですから、何かあってもすぐに対処できますので、心配しないでくださいね」
この夢はここで終わり。
まるで作家が書くショートショートみたいな内容ですけど、記憶を辿っていって、夢で見た状況を細かく書くと小説のようになってしまいました。
あやふやな記憶の所は、多少脚色をしたかなと思うところもありますが、でもほとんど記憶のままに文章にしたつもりです。
まあ、夢の中の話ですから、ドラマの脚本や小説のようになるのは致し方ないですね。
自分がゲームの中の主人公にされてしまうくだりは、この後も続きます。
「朝食」
・ごはん
・油揚げとわかめの味噌汁
・鶏塩缶
・ちりめん山椒
「昼食」
・たぬきそば(天かす、長ネギ)
・焼きおにぎり1個
「おやつ」
・五勝手屋羊羹
・コーヒー
「夕食」
・ごはん
・かぶときゅうりの漬物
・ひと口チキンカツ、千切りキャベツ添え
・ポテトサラダ(ジャガイモ、キュウリ、玉ネギ、ハム)
「デザート」
・カスタード生洋菓子
今日のBW:61.5kg
最高2.5(00:02)、最低 マイナス2.5(20:21)、積雪量9センチ
昨夜から天気が荒れて、夜中には窓がガタガタ揺れるくらい風が強かったですね。
予報では雨から雪になるらしいですが、午前中には道内各地に竜巻注意報まで出ていました。
私の風邪は、7割がた治ってきたようです。
いや~、こんなに長引いた風邪に掛ったのは何年振りの事でしょうか。
味覚と嗅覚も、7割程度は戻ってきましたかね。
それと、一昨日午後から通じが止まってしまい、出るのは腸からの空気ばかり。
始末の手間は楽でしたが、出なけりゃ出ないで心配になってくるものです。
その分、パウチが頻繁に空気で膨らんで、昨日は2時間おきに空気抜きをしないとパウチが破裂してしまうんじゃないかと心配になるほどでした。
まあでも、空気が出てるって事は腸はちゃんと動いてるって事で自分を安心させてましたけど。
昨日の夜あたりから少し通じがついて、今朝1回、昼に1回と、ちゃんと通じがついてきたので、一安心しました。
健康な時はあまり意識しませんでしたが、食べ物の影響って通じにとって本当に大きなものなんだと、改めて認識しました。
今日も、入院中に見た夢を、記憶をたどりながら
⑤そこはとある山の上の村のようだった。
奥さんと2人で暮していたが、なぜか私がそこの村長をする事になったらしい。
村に若い人がもっと住んで欲しいと村の長老達が期待を込めて私を村長にしたようだが、突然そんな事を言われてもと戸惑った。
この村は以前から、料理を目玉に村おこしのような事をしていた。
その月替わりのメニューを考えるのが、村長の役目だった。
仕方なく役場代わりに使っていた事務所のようなところへ行き、そこに古くからいるが見た目は若いメガネをかけたやり手の女性事務員に、過去に作ったメニューと村の年間予算、料理にかけられる予算を聞いた。
女性事務員はてきぱきと私の質問の答え、料理は同じものを作らない事、作るのは村の中年以上の女性達、提供するのは平日の昼時だけとの事で、実際には宣伝にかける予算もないので、他所からの客は車で通りすがった人がたまにいるだけで、ほとんどが村の老人達の昼食として食べられているとの事だった。
そのため、ほとんどが柔らかい煮物などの和食で、たまたま立ち寄った若い客はメニューを見てすぐに立ち去ってしまうそうだ。
これで村おこしなどできる訳がない。
まずは、村の老人達には申し訳ないがとにかく発想を変えて、若者が注文してくれるメニューに、村長権限でやって行くことにした。
さしあたって来月のメニューを、老人でも食べた記憶くらいはあるであろう「スパゲッティーナポリタン」とした。
村では、細々とだったが農業と酪農をやってる人が住んでいたので、食材は安く入手できた。
足りないものは、泊りがけで山を下りて町まで買いにいかなけれならないが、それは仕方のない事だ。
まずは、調理担当の村の女性達に調理法を教えなければならない。
小麦粉を練ってパスタを作り、村のトマトを使ってソースを作り、酪農家から入手した豚肉でウインナーを作り、野菜を炒めてゆで卵をカットしてあしらいに使い、昔ながらの喫茶店で提供するような懐かしい味のスパゲッティーを作って見せた。
作り方に難しい事はないし、パスタやソースやウインナーは、そのまま村の特産品にもできるので、一石二鳥だと私は悦に入ってたんだが、ただ1人、女性事務員だけは冷たい視線で私を見ていた。
女性事務員は私に、「村のお年寄りは誰も食べないと思いますし、たくさんのお客さんに来て食べてもらわないとすぐに予算がつきますし、そんなに一体誰が来るんですか」と冷たく言い放ってその場を離れた。
言葉は丁寧だが、突き刺さるような物の言い方で、どうも合わないなと考えながら後ろ姿を見送った。
どうせ、前村長を含む村の長老達に逐一私の行動を告げているんだろう。
試食の段階では、自分が考えていた通りの味になっていたが、果たして食べてもらえるだろうか。
それだけでは人は呼べないと考え、何かネタはないかと村を見て回った。
山の上にある村で、何の産業もこれといった観光地もないここで、どうやったら人に来てもらえるか。
考えながら歩いていると、村のはずれの所にまだ新しいが空き家らしい2階建ての小さな一軒家を見つけた。
カギは掛かってなかったので入って見ると、本当に1人が住むだけでギリギリの大きさの家だった。
事務所に戻って女性事務員にその家の事を聞くと、他所から来た人が住み付くつもりで勝手に建てたが、あまりにも不便すぎて逃げ出したので、誰の所有物でもなく村の財産でもないと言う。
それなら、何かに有効に使えそうだと思ったが、その時は何も思いつかなかった。
次の日もその次の日も、人を呼ぶための何かいい方法はないかと村をグルグル歩き回ってみたが、何もない村には何もないと言う事が分かっただけだった。
そう言えばしばらく事務所にも行ってなかったし、月が変わった今月のメニューの売れ具合も聞いてなかったと、急いで事務所に向かった。
事務所に入ると、女性事務員が怒ったような視線を私に向け、「村長は毎日来て、書類の決裁などの仕事もしてもらわないと困ります」と。
ところで今月のメニューの出具合はと聞くと、1枚の書類を私の目の前に突き出した。
見ると、それは毎日の「スパゲッティーナポリタン」の売れ具合を表にしたもので、初日こそ先月末と同じ人数が食べてくれたようだが、それ以降は加速度的に数が少なくなり、今日はもう昼を過ぎているのにまだ誰からも注文が来ていないと。
売り上げはそこそこ上がっていたので、それは何故かと聞くと、調理担当の女性達が老人達の要望を受けて、まあ、見るに見かねてと言うところなのか、老人達の口に合う和食を別に作って提供していたと。
「私が言ったとおりでしたね、村長」
この女性事務員、憎たらしいったらありゃしない。
でも、事実を突き付けられた私はうつむいて唇をかみしめるしかなかった。
すると、事務所に隣接した食堂の前に車が止まる音がして、人が入ってくる雰囲気を感じた。
厨房へ移動して様子をうかがうと、若い男女がテーブルに座り「スパゲッティーナポリタン」を注文する声が聞こえた。
自分に突き付けられた現実から逃避するように、エプロンを締めて私自ら「スパゲッティーナポリタン」を作り、女性従業員に運ばせた。
若い男女は特に何も言わず食べていたので、美味しいと思って食べているのか不味いと感じているのかも判断できなかった。
2人とも手を止めたので、思わず2人の前に出て行って、「私がシェフの~です」と名乗り、「いかがでしたか」と聞くと、美味しかったと答えてくれた。
まあ、社交辞令だったのかもしれないが、とにかくその言葉に勇気づけられて、また女性事務員と向かい合った。
「なぜ村の人には人気がないのか思いつく事がありますか」と聞くと、高齢者だって「スパゲッティーナポリタン」を食べない事はないが、若者向けに作ったこってりした料理は1度食べたらその後数年は食べなくてもいいと感じるんでしょうと。
加齢による味覚の変化と、体が求める物の変化。
これに気付かず、押し付けようとした私の敗北で、「スパゲッティーナポリタン」の提供は今日をもって中止する事とし、調理担当の女性達が私に内緒で作っていた和食をメインとして出す指示をした。
打ちのめされた私は何も考えられず、また村をぶらぶら歩いていたが、村はずれの空き家に来た時に、1台の車が停まっていて人が家に入っているのを見つけた。
私もその空き家へ入ると、若い男性が家の中を見回し、台所を入念に調べていた。
「どうかしましたか?」と声をかけると、驚いたように男性は私を見て、実は車を走らせていたらここにたどり着いて、家があったから道を聞こうと訪ねたら空き家だったので、つい入ってしまったそうだ。
自分はパン職人で、勤め先を退職して独立しようと思ったが、なかなか手頃な物件がなくて探して車を走らせていたと。
ピンと来た私は、この建物はどうかと聞いてみた。
この狭さでは、自分が考えるパンを作れるのは限定で10人か20人分が限度だが、魅力的な物件と環境だと言う。
そこで私がした提案、毎日限定で10人分のパンを作り、しかも毎日違うパンを作ると言うもの。
2階は作業場として使い、作業と営業は電気が通ってない家なので日の出から日没までで、もちろん売り切れ御免とする。
ガスも器具も食材もすべて自前で、水だけは村民が使っている湧水をタダでどうぞ。
平日のみの営業で、毎日麓(ふもと)の町から通ってきて、町に戻ったら手作りのチラシなどを配って自分で宣伝する事。
そして、私と私の奥さんの分は別に味見用として提供する事。
2人のゴーサインが出なければ、そのパンの販売は中止する。
この条件でいいなら、この物件をタダで貸して、売り上げの上納も求めないと言ったものだった。
若い男性パン職人は、笑顔を見せて「頑張ります」と言ってまた家の中を見て回った。
数日後、来月用のメニューを悩みながらも考えつき、食材など必要な物のリストを女性事務員に手渡し、手配するように指示した。
高齢者が毎日、いや、週に何回か食べても食べ飽きない、食傷しない、若者も好んで食べて満足できる料理、それは「・・・・・」だと思いついたんです。
事務所を出て、今はパン工房となった村はずれの一軒家に向かい、明日販売用のパンの試食をした。
最初は試行錯誤で苦労していたパン職人も、今では自分のペースを作り上げ、翌日販売用のパンの試作と仕込みを前日にするようなったのだ。
その分、限定販売数も増やす事が出来るようになり、また、チラシの効果と、口コミと限定販売と言う言葉に対する日本人の異常なまでの執着、山の上のパン屋さんと言う物珍しさも手伝って、朝早くから車がたくさんやってきて、店の前には焼き上がるパンを待って毎日長い行列ができるようになった。
人が来るようになって、それを狙ったレストランや物産販売店と工場などの建築許可申請が出されているので、パン屋との相乗効果で村に移住してくれる人も増えてくると思う。
とまあ、こんな感じの、珍しくハッピーな夢も見てたんです。
奥さんから聞いた話ですが、幻覚を見てか夢のままに「私がシェフの~です」と現実の世界で言ってたそうです。
この事は、私は一切覚えてません。
よくもまあ、そんな「こっ恥ずかしい事」が言えたもんだと、奥さんから聞いて赤面してしまった私でした;
「朝食」
・残りのシチュー
「昼食」
・焼きおにぎり1個
・昨夜の残りの炒飯少々
・ミニカップワンタンメン
・残ってたおかず少々
「夕食」
・親子丼
・漬物
・エノキとわかめとネギの味噌汁
「何となく」
・シュガーラスク
今日のBW:61.5kg
最高9.6(10:52)、最低2.2(23:44)、積雪量17センチ
予報では雨から雪になるらしいですが、午前中には道内各地に竜巻注意報まで出ていました。
私の風邪は、7割がた治ってきたようです。
いや~、こんなに長引いた風邪に掛ったのは何年振りの事でしょうか。
味覚と嗅覚も、7割程度は戻ってきましたかね。
それと、一昨日午後から通じが止まってしまい、出るのは腸からの空気ばかり。
始末の手間は楽でしたが、出なけりゃ出ないで心配になってくるものです。
その分、パウチが頻繁に空気で膨らんで、昨日は2時間おきに空気抜きをしないとパウチが破裂してしまうんじゃないかと心配になるほどでした。
まあでも、空気が出てるって事は腸はちゃんと動いてるって事で自分を安心させてましたけど。
昨日の夜あたりから少し通じがついて、今朝1回、昼に1回と、ちゃんと通じがついてきたので、一安心しました。
健康な時はあまり意識しませんでしたが、食べ物の影響って通じにとって本当に大きなものなんだと、改めて認識しました。
今日も、入院中に見た夢を、記憶をたどりながら
⑤そこはとある山の上の村のようだった。
奥さんと2人で暮していたが、なぜか私がそこの村長をする事になったらしい。
村に若い人がもっと住んで欲しいと村の長老達が期待を込めて私を村長にしたようだが、突然そんな事を言われてもと戸惑った。
この村は以前から、料理を目玉に村おこしのような事をしていた。
その月替わりのメニューを考えるのが、村長の役目だった。
仕方なく役場代わりに使っていた事務所のようなところへ行き、そこに古くからいるが見た目は若いメガネをかけたやり手の女性事務員に、過去に作ったメニューと村の年間予算、料理にかけられる予算を聞いた。
女性事務員はてきぱきと私の質問の答え、料理は同じものを作らない事、作るのは村の中年以上の女性達、提供するのは平日の昼時だけとの事で、実際には宣伝にかける予算もないので、他所からの客は車で通りすがった人がたまにいるだけで、ほとんどが村の老人達の昼食として食べられているとの事だった。
そのため、ほとんどが柔らかい煮物などの和食で、たまたま立ち寄った若い客はメニューを見てすぐに立ち去ってしまうそうだ。
これで村おこしなどできる訳がない。
まずは、村の老人達には申し訳ないがとにかく発想を変えて、若者が注文してくれるメニューに、村長権限でやって行くことにした。
さしあたって来月のメニューを、老人でも食べた記憶くらいはあるであろう「スパゲッティーナポリタン」とした。
村では、細々とだったが農業と酪農をやってる人が住んでいたので、食材は安く入手できた。
足りないものは、泊りがけで山を下りて町まで買いにいかなけれならないが、それは仕方のない事だ。
まずは、調理担当の村の女性達に調理法を教えなければならない。
小麦粉を練ってパスタを作り、村のトマトを使ってソースを作り、酪農家から入手した豚肉でウインナーを作り、野菜を炒めてゆで卵をカットしてあしらいに使い、昔ながらの喫茶店で提供するような懐かしい味のスパゲッティーを作って見せた。
作り方に難しい事はないし、パスタやソースやウインナーは、そのまま村の特産品にもできるので、一石二鳥だと私は悦に入ってたんだが、ただ1人、女性事務員だけは冷たい視線で私を見ていた。
女性事務員は私に、「村のお年寄りは誰も食べないと思いますし、たくさんのお客さんに来て食べてもらわないとすぐに予算がつきますし、そんなに一体誰が来るんですか」と冷たく言い放ってその場を離れた。
言葉は丁寧だが、突き刺さるような物の言い方で、どうも合わないなと考えながら後ろ姿を見送った。
どうせ、前村長を含む村の長老達に逐一私の行動を告げているんだろう。
試食の段階では、自分が考えていた通りの味になっていたが、果たして食べてもらえるだろうか。
それだけでは人は呼べないと考え、何かネタはないかと村を見て回った。
山の上にある村で、何の産業もこれといった観光地もないここで、どうやったら人に来てもらえるか。
考えながら歩いていると、村のはずれの所にまだ新しいが空き家らしい2階建ての小さな一軒家を見つけた。
カギは掛かってなかったので入って見ると、本当に1人が住むだけでギリギリの大きさの家だった。
事務所に戻って女性事務員にその家の事を聞くと、他所から来た人が住み付くつもりで勝手に建てたが、あまりにも不便すぎて逃げ出したので、誰の所有物でもなく村の財産でもないと言う。
それなら、何かに有効に使えそうだと思ったが、その時は何も思いつかなかった。
次の日もその次の日も、人を呼ぶための何かいい方法はないかと村をグルグル歩き回ってみたが、何もない村には何もないと言う事が分かっただけだった。
そう言えばしばらく事務所にも行ってなかったし、月が変わった今月のメニューの売れ具合も聞いてなかったと、急いで事務所に向かった。
事務所に入ると、女性事務員が怒ったような視線を私に向け、「村長は毎日来て、書類の決裁などの仕事もしてもらわないと困ります」と。
ところで今月のメニューの出具合はと聞くと、1枚の書類を私の目の前に突き出した。
見ると、それは毎日の「スパゲッティーナポリタン」の売れ具合を表にしたもので、初日こそ先月末と同じ人数が食べてくれたようだが、それ以降は加速度的に数が少なくなり、今日はもう昼を過ぎているのにまだ誰からも注文が来ていないと。
売り上げはそこそこ上がっていたので、それは何故かと聞くと、調理担当の女性達が老人達の要望を受けて、まあ、見るに見かねてと言うところなのか、老人達の口に合う和食を別に作って提供していたと。
「私が言ったとおりでしたね、村長」
この女性事務員、憎たらしいったらありゃしない。
でも、事実を突き付けられた私はうつむいて唇をかみしめるしかなかった。
すると、事務所に隣接した食堂の前に車が止まる音がして、人が入ってくる雰囲気を感じた。
厨房へ移動して様子をうかがうと、若い男女がテーブルに座り「スパゲッティーナポリタン」を注文する声が聞こえた。
自分に突き付けられた現実から逃避するように、エプロンを締めて私自ら「スパゲッティーナポリタン」を作り、女性従業員に運ばせた。
若い男女は特に何も言わず食べていたので、美味しいと思って食べているのか不味いと感じているのかも判断できなかった。
2人とも手を止めたので、思わず2人の前に出て行って、「私がシェフの~です」と名乗り、「いかがでしたか」と聞くと、美味しかったと答えてくれた。
まあ、社交辞令だったのかもしれないが、とにかくその言葉に勇気づけられて、また女性事務員と向かい合った。
「なぜ村の人には人気がないのか思いつく事がありますか」と聞くと、高齢者だって「スパゲッティーナポリタン」を食べない事はないが、若者向けに作ったこってりした料理は1度食べたらその後数年は食べなくてもいいと感じるんでしょうと。
加齢による味覚の変化と、体が求める物の変化。
これに気付かず、押し付けようとした私の敗北で、「スパゲッティーナポリタン」の提供は今日をもって中止する事とし、調理担当の女性達が私に内緒で作っていた和食をメインとして出す指示をした。
打ちのめされた私は何も考えられず、また村をぶらぶら歩いていたが、村はずれの空き家に来た時に、1台の車が停まっていて人が家に入っているのを見つけた。
私もその空き家へ入ると、若い男性が家の中を見回し、台所を入念に調べていた。
「どうかしましたか?」と声をかけると、驚いたように男性は私を見て、実は車を走らせていたらここにたどり着いて、家があったから道を聞こうと訪ねたら空き家だったので、つい入ってしまったそうだ。
自分はパン職人で、勤め先を退職して独立しようと思ったが、なかなか手頃な物件がなくて探して車を走らせていたと。
ピンと来た私は、この建物はどうかと聞いてみた。
この狭さでは、自分が考えるパンを作れるのは限定で10人か20人分が限度だが、魅力的な物件と環境だと言う。
そこで私がした提案、毎日限定で10人分のパンを作り、しかも毎日違うパンを作ると言うもの。
2階は作業場として使い、作業と営業は電気が通ってない家なので日の出から日没までで、もちろん売り切れ御免とする。
ガスも器具も食材もすべて自前で、水だけは村民が使っている湧水をタダでどうぞ。
平日のみの営業で、毎日麓(ふもと)の町から通ってきて、町に戻ったら手作りのチラシなどを配って自分で宣伝する事。
そして、私と私の奥さんの分は別に味見用として提供する事。
2人のゴーサインが出なければ、そのパンの販売は中止する。
この条件でいいなら、この物件をタダで貸して、売り上げの上納も求めないと言ったものだった。
若い男性パン職人は、笑顔を見せて「頑張ります」と言ってまた家の中を見て回った。
数日後、来月用のメニューを悩みながらも考えつき、食材など必要な物のリストを女性事務員に手渡し、手配するように指示した。
高齢者が毎日、いや、週に何回か食べても食べ飽きない、食傷しない、若者も好んで食べて満足できる料理、それは「・・・・・」だと思いついたんです。
事務所を出て、今はパン工房となった村はずれの一軒家に向かい、明日販売用のパンの試食をした。
最初は試行錯誤で苦労していたパン職人も、今では自分のペースを作り上げ、翌日販売用のパンの試作と仕込みを前日にするようなったのだ。
その分、限定販売数も増やす事が出来るようになり、また、チラシの効果と、口コミと限定販売と言う言葉に対する日本人の異常なまでの執着、山の上のパン屋さんと言う物珍しさも手伝って、朝早くから車がたくさんやってきて、店の前には焼き上がるパンを待って毎日長い行列ができるようになった。
人が来るようになって、それを狙ったレストランや物産販売店と工場などの建築許可申請が出されているので、パン屋との相乗効果で村に移住してくれる人も増えてくると思う。
とまあ、こんな感じの、珍しくハッピーな夢も見てたんです。
奥さんから聞いた話ですが、幻覚を見てか夢のままに「私がシェフの~です」と現実の世界で言ってたそうです。
この事は、私は一切覚えてません。
よくもまあ、そんな「こっ恥ずかしい事」が言えたもんだと、奥さんから聞いて赤面してしまった私でした;
「朝食」
・残りのシチュー
「昼食」
・焼きおにぎり1個
・昨夜の残りの炒飯少々
・ミニカップワンタンメン
・残ってたおかず少々
「夕食」
・親子丼
・漬物
・エノキとわかめとネギの味噌汁
「何となく」
・シュガーラスク
今日のBW:61.5kg
最高9.6(10:52)、最低2.2(23:44)、積雪量17センチ
今日奥さんは休み。
いつもより少しだけ寝坊して、起きたのは午前8時半過ぎ。
テレビのワイドショーを見ていたら、職場から電話の着信。
出ると外来看護主任からで、年末年始の私の仕事についての質問でした。
実際に、入院するだいぶ前に年末年始の仕事のスケジュールは組んであったんですが、もう12月に入ってしまってはちょっと遅いと思いながら、負傷休養中の私に代わって私の仕事を引き受けてくれているスタッフにそんなことは言えないので、とにかく今日から前倒し前倒しで、来年の2週目の分まで終わらせてくれるよう頼んで電話を切った。
今はまだ風邪も治らず、傷も完全に塞がっていない状態では、手伝いに行く事もできないもどかしさを感じながら、今の自分にできるのは本当に申し訳ないと頭を下げて手を合わせるだけでした。
午後から奥さんは市役所と私の職場へ行って、色々な手続きをしてくれ、2人で家にいる時には奥さんが録り溜めてくれてあったドラマのビデオを見て過ごしました。
両手首をヒモで縛られて拘束と言うシチュエーションの夢は、昨日のとはまた違ったパターンでも見ています。
気がついたらある島のある民家に寝かされていて、もちろん、縛られて拘束状態。
脱出に成功して自由になったが、なぜかまたその島に近づいてしまい、その島民の中型船に収容されて拘束されてしまったという夢の話を。
④両手首を縛られてベッドサイドの両柵に縛り付けられていたところが病院だという。
ここが病室なのか、カーテンで仕切られていて状況が分からない。
ただ、ベッドは病院で使っているそのものだし、ベッドサイドの柵もそのまま。
ただ、周りには何かの機械が設置されていて、荷物置き場のように段ボール箱らしいものが積み上げてあった。
ナースコールは手元に置いてあるが、点滴はされていない。
自分がなぜここにいるのか、なぜ手を縛られて拘束されているのか、理解できないままうつらうつらしていた。
訳の分からない島から上手く逃げ出せて、自由の身になったはずなのに、何でまた同じように拘束されているのか。
しかも、今度は民家ではなく、もろに病院だという。
自分はどこか病気になったのか、どこかをケガでもしたのか。
痛くも痒くもないのに、なぜベッドに寝かされているのか。
常に感じる細かい振動と、わずかに体がベッドごと上下するような揺れを感じる。
病院と言う堅牢な建物が、こんな振動や揺れを感じるはずがない。
と言う事は、ここは建物の中じゃないのか。
喉が渇いたのナースコールを押すと、白衣姿じゃなく、病院と言う施設には全く不似合いな、油染みのような汚れがついた作業服を着た男性がやってきた。
これが看護師かと驚いたが、とにかく喉が渇いていたので「水をください」と頼むと、吸い飲みを手に取って私の口に水を注いでくれた。
「もういいです」と言うと、何も言わずすぐに立ち去ろうとしたので、「ここはどこですか」と聞くと、Aと言う総合病院だとの返事。
その後も何度かナースコールを押して看護師を呼んだが、ある時看護師から「しばらく来れないが、大人しくしているように」と命令され、ベッド横にあるテレビのスイッチを点けてドアを閉めて出て行ってしまった。
緩やかな上下動は続いているが、細かい振動は収まっている。
ドアの外では複数人の男女の声がしているが、何を話しているかまでは聞き取れない。
テレビを見ると、ニュースショーを放送しており、何かのイベントの模様を中継していた。
何気なく見ていると、ある離島から来た船で、その島の特産物を船内で販売したり、アワビやウニなどをふんだんに使った海鮮丼を安価で提供するコーナーがあったり、船をどこかの埠頭か岸壁に停泊させて、一般客を船内に招き入れてイベントをやってるようだ。
それをテレビ局が取材に来て、男性レポーターが売り子の中年女性にインタビューし、別の売り子らしい女性は客に買ってもらおうと甲高い声で呼び込みをしていた。
映像は、特産と言う海産物や、海鮮丼とそれを食べている客を頻繁に映し、客にもインタビューをしていた。
あれ?
映像にほんの僅かに映った男性の姿、それは商品の補充をしている船内店舗の従業員らしかったが、見た事があるような・・・。
気のせいかと思って、その時はそれで済ませたが、どうも引っ掛かるものがあった。
テレビの中継が終わり、イベントも終わったらしい。
水が欲しくなってナースコールを押すと、さっきとは違うがやはり作業服を着たがっしりした体格の男性が来て、吸い口を私の口に差し入れ水を流し込んだ。
「あなたも看護師ですか?」と聞くと、「そうです」と言い、「ここはどこですか?」とさっきと同じ質問をすると、「Aという総合病院だ」と答えて出て行ってしまった。
この男性が出て行く時、ドアを閉め忘れたのか、ドアの外から声が聞こえてきた。
「おい、この船って、あのよそ者の立ち入りを拒み続けてる島の船だよな」と。
「船の中を調べたら、何か分かるかもな」という言葉が、遠ざかりながら聞こえた。
どうやら、この船を取材に来たクルーが、何かを疑って船内を調査し始めたらしい。
以前私が拘束されて、島民にならされるべく拉致監禁された島の事をマスコミや警察などに告発したのだが、日本国内でそんな事があり得るはずがないと無視されていた。
その後、あるテレビ局が島を取材させてくれと、島の代表者に交渉し、その許可条件として大量の保存がきく食料品や日用品を、なかなか本土に行けない島民のためと言う理由をつけて、島民のために無償提供する事を提示され、その条件を飲んだテレビ局が大型運搬船一隻をチャーターし、大量の荷物とともに取材クルー複数人が島へ渡っていた。
その時の映像は私も見たが、とても国内の島とは思えないほど町並みや家屋は貧しいもので、また、インタビューは島の代表者が指定した数人にのみと言うものだった。
レポーターが指定された島民にしたインタビューで、「本土へ行った事はありますか?」との質問に、口ごもって答えられなかった島民に、すぐに代表者が割って入って、「みんな島を愛してるから、行こうと思わないんです」と答えていた。
代表者同席でインタビューしているあいだに、ビデオカメラの一台が町並みを撮っていたが、人っ子一人歩いていなく、全員家の中に隠れて息を潜めているように感じた。
ビデオカメラを持ったスタッフが、更に別の絵を撮ろうと町の奥へ歩いていこうとすると、2人の男性がスタッフの前に立ちふさがるようにして、その先の取材を妨害するようにスタッフを押し戻す姿が映っていた。
船からの荷下ろしが終わった頃、取材はここまでと代表者から打ち切られたのか、本土へ戻るチャーター船内でレポーターが印象を述べて、「もっと取材したかったんですが・・・」と納得していない表情の映像で終わっていた。
「・・・!」思い出した!
私はベッドからがばっと起き上がろうとして両手を縛られて拘束されている事に気づき、ベッドに倒れ込んだが、おぼろげだった記憶がはっきりと戻ってきた事を実感した。
「あの時の男2人は、看護師だと言って私に水を飲ませに来た、作業服の男2人だ!」
そう思った瞬間、細かい振動が体に伝わって来て、ドアの外からは男達の叫び声が聞こえてきた。
「奴らを早く下せ!」、「ちくしょう、どこへ行きやがった!」、「船を出す準備はできたか!?」
作業服の男の1人が私が寝かされている部屋に来て、焦りながら何かを探し、見つけたそれを持ってどこかへ行こうとした。
その際、私に向かって「しばらくお前にかまってるヒマはないからな」と。
この後私はどうなるのか。
この夢もここでおわり。
現実の話をしますと、実際に入院していた病院の外科病棟に私の処置をしてくれた男性看護師が2名いたんですが、そのうちの1名が私が手首の拘束を無意識に外そうとしてセンサーが感知し、それを押しとどめようようと来たんです。
この夢を見た後だったんでしょうか、現実と夢が交錯してしまい、「こんな病院にはいられない」、「他の病院に移るからヒモを解け!」と暴言を吐きました。
彼がセンサーをつなごうとして私の体に近づいてきた時、「私の体に触るな!」、「暴力を振るうな!」と大声で怒鳴ってしまいました。
「~ました」と書いたという事は、そう言った言動をした事を自分でも覚えているという事なんです。
でも、自分では夢も現実も一緒になってしまっていたので、自分がやってる事は正しい事だと思っていた。
このままここにいては殺されてしまうかもしれないと思ったのかもしれませんし、また訳の分からない島に連れ戻されて一生そこから出られなくされてしまうかもしれないと思ったんでしょう。
必死になって、男性看護師に「おまえあそこにいただろう」とか、「ここは何とかという病院なんだろ、だから退院するんだ」と言ったような、意味不明の事を叫んだんでしょうね。
しばらくその看護師とのやり合い、にらみ合いがあった後、別の、やはり体格のいい男性看護師が来て私に「どうしたんですか?」と声をかけてきたと記憶しています。
その問いに答えて私は「あんたもあそこにいたよなっ!」、「さっき見たぞ!」と、これまた意味不明の事を言うと、穏やかな声で「私がどこにいましたか?ここはあなたが入院しているBと言う病院ですよ」と答えが返ってきました。
「ここはAと言う病院だろ?」と声を荒げて私が聞くと、わざとだったのかゆっくりとした口調で「Bと言う病院ですよ」との答え。
その瞬間に私の意識が正気に戻ったらしく、「そうか」と言って大人しくベッドに横たわりました。
それを見計らって看護師がセンサーをつなぎ直し、その後は何をされたか、何もされずただ私が眠ってしまったか、記憶は全くありません。
夢に出てきた作業服の男性は、明らかにこの男性看護師2名で、1人は細くて華奢なんですが、もう1人は夢に出てきたようにがっしりとした体格の看護師でした。
その後、幻覚も錯乱も治まり、いつもの精神状態の私に戻ってからも、いつものように普通に私の看護や処置をしてくれた男性看護師。
自分自身言った事やった事の記憶があるものだから、多少バツが悪かったのは確かですが、事あるごとに言葉で感謝を表し「本当に申し訳ない、あなた達のおかげで良くなってきた」と何度も言ったのは夢でも幻覚でもなく本音の事ですよ(^^ゞ
「朝食」
・トースト半分
・シチュー カップ1杯
「昼食」
・納豆スパゲッティー(ひき割り納豆増量、卵)
「夕食」
・半チャーハン(卵、玉ネギ、ベーコン)
・半醤油ラーメン(チャーシュー、メンマ、味玉、長ネギ、おろしニンニク)
「デザート」
・生八つ橋 抹茶味
・カフェラテ
今日のBW:60.5kg
最高7.3(23:36)、最低 マイナス2.6(06:56)、積雪量26センチ
いつもより少しだけ寝坊して、起きたのは午前8時半過ぎ。
テレビのワイドショーを見ていたら、職場から電話の着信。
出ると外来看護主任からで、年末年始の私の仕事についての質問でした。
実際に、入院するだいぶ前に年末年始の仕事のスケジュールは組んであったんですが、もう12月に入ってしまってはちょっと遅いと思いながら、負傷休養中の私に代わって私の仕事を引き受けてくれているスタッフにそんなことは言えないので、とにかく今日から前倒し前倒しで、来年の2週目の分まで終わらせてくれるよう頼んで電話を切った。
今はまだ風邪も治らず、傷も完全に塞がっていない状態では、手伝いに行く事もできないもどかしさを感じながら、今の自分にできるのは本当に申し訳ないと頭を下げて手を合わせるだけでした。
午後から奥さんは市役所と私の職場へ行って、色々な手続きをしてくれ、2人で家にいる時には奥さんが録り溜めてくれてあったドラマのビデオを見て過ごしました。
両手首をヒモで縛られて拘束と言うシチュエーションの夢は、昨日のとはまた違ったパターンでも見ています。
気がついたらある島のある民家に寝かされていて、もちろん、縛られて拘束状態。
脱出に成功して自由になったが、なぜかまたその島に近づいてしまい、その島民の中型船に収容されて拘束されてしまったという夢の話を。
④両手首を縛られてベッドサイドの両柵に縛り付けられていたところが病院だという。
ここが病室なのか、カーテンで仕切られていて状況が分からない。
ただ、ベッドは病院で使っているそのものだし、ベッドサイドの柵もそのまま。
ただ、周りには何かの機械が設置されていて、荷物置き場のように段ボール箱らしいものが積み上げてあった。
ナースコールは手元に置いてあるが、点滴はされていない。
自分がなぜここにいるのか、なぜ手を縛られて拘束されているのか、理解できないままうつらうつらしていた。
訳の分からない島から上手く逃げ出せて、自由の身になったはずなのに、何でまた同じように拘束されているのか。
しかも、今度は民家ではなく、もろに病院だという。
自分はどこか病気になったのか、どこかをケガでもしたのか。
痛くも痒くもないのに、なぜベッドに寝かされているのか。
常に感じる細かい振動と、わずかに体がベッドごと上下するような揺れを感じる。
病院と言う堅牢な建物が、こんな振動や揺れを感じるはずがない。
と言う事は、ここは建物の中じゃないのか。
喉が渇いたのナースコールを押すと、白衣姿じゃなく、病院と言う施設には全く不似合いな、油染みのような汚れがついた作業服を着た男性がやってきた。
これが看護師かと驚いたが、とにかく喉が渇いていたので「水をください」と頼むと、吸い飲みを手に取って私の口に水を注いでくれた。
「もういいです」と言うと、何も言わずすぐに立ち去ろうとしたので、「ここはどこですか」と聞くと、Aと言う総合病院だとの返事。
その後も何度かナースコールを押して看護師を呼んだが、ある時看護師から「しばらく来れないが、大人しくしているように」と命令され、ベッド横にあるテレビのスイッチを点けてドアを閉めて出て行ってしまった。
緩やかな上下動は続いているが、細かい振動は収まっている。
ドアの外では複数人の男女の声がしているが、何を話しているかまでは聞き取れない。
テレビを見ると、ニュースショーを放送しており、何かのイベントの模様を中継していた。
何気なく見ていると、ある離島から来た船で、その島の特産物を船内で販売したり、アワビやウニなどをふんだんに使った海鮮丼を安価で提供するコーナーがあったり、船をどこかの埠頭か岸壁に停泊させて、一般客を船内に招き入れてイベントをやってるようだ。
それをテレビ局が取材に来て、男性レポーターが売り子の中年女性にインタビューし、別の売り子らしい女性は客に買ってもらおうと甲高い声で呼び込みをしていた。
映像は、特産と言う海産物や、海鮮丼とそれを食べている客を頻繁に映し、客にもインタビューをしていた。
あれ?
映像にほんの僅かに映った男性の姿、それは商品の補充をしている船内店舗の従業員らしかったが、見た事があるような・・・。
気のせいかと思って、その時はそれで済ませたが、どうも引っ掛かるものがあった。
テレビの中継が終わり、イベントも終わったらしい。
水が欲しくなってナースコールを押すと、さっきとは違うがやはり作業服を着たがっしりした体格の男性が来て、吸い口を私の口に差し入れ水を流し込んだ。
「あなたも看護師ですか?」と聞くと、「そうです」と言い、「ここはどこですか?」とさっきと同じ質問をすると、「Aという総合病院だ」と答えて出て行ってしまった。
この男性が出て行く時、ドアを閉め忘れたのか、ドアの外から声が聞こえてきた。
「おい、この船って、あのよそ者の立ち入りを拒み続けてる島の船だよな」と。
「船の中を調べたら、何か分かるかもな」という言葉が、遠ざかりながら聞こえた。
どうやら、この船を取材に来たクルーが、何かを疑って船内を調査し始めたらしい。
以前私が拘束されて、島民にならされるべく拉致監禁された島の事をマスコミや警察などに告発したのだが、日本国内でそんな事があり得るはずがないと無視されていた。
その後、あるテレビ局が島を取材させてくれと、島の代表者に交渉し、その許可条件として大量の保存がきく食料品や日用品を、なかなか本土に行けない島民のためと言う理由をつけて、島民のために無償提供する事を提示され、その条件を飲んだテレビ局が大型運搬船一隻をチャーターし、大量の荷物とともに取材クルー複数人が島へ渡っていた。
その時の映像は私も見たが、とても国内の島とは思えないほど町並みや家屋は貧しいもので、また、インタビューは島の代表者が指定した数人にのみと言うものだった。
レポーターが指定された島民にしたインタビューで、「本土へ行った事はありますか?」との質問に、口ごもって答えられなかった島民に、すぐに代表者が割って入って、「みんな島を愛してるから、行こうと思わないんです」と答えていた。
代表者同席でインタビューしているあいだに、ビデオカメラの一台が町並みを撮っていたが、人っ子一人歩いていなく、全員家の中に隠れて息を潜めているように感じた。
ビデオカメラを持ったスタッフが、更に別の絵を撮ろうと町の奥へ歩いていこうとすると、2人の男性がスタッフの前に立ちふさがるようにして、その先の取材を妨害するようにスタッフを押し戻す姿が映っていた。
船からの荷下ろしが終わった頃、取材はここまでと代表者から打ち切られたのか、本土へ戻るチャーター船内でレポーターが印象を述べて、「もっと取材したかったんですが・・・」と納得していない表情の映像で終わっていた。
「・・・!」思い出した!
私はベッドからがばっと起き上がろうとして両手を縛られて拘束されている事に気づき、ベッドに倒れ込んだが、おぼろげだった記憶がはっきりと戻ってきた事を実感した。
「あの時の男2人は、看護師だと言って私に水を飲ませに来た、作業服の男2人だ!」
そう思った瞬間、細かい振動が体に伝わって来て、ドアの外からは男達の叫び声が聞こえてきた。
「奴らを早く下せ!」、「ちくしょう、どこへ行きやがった!」、「船を出す準備はできたか!?」
作業服の男の1人が私が寝かされている部屋に来て、焦りながら何かを探し、見つけたそれを持ってどこかへ行こうとした。
その際、私に向かって「しばらくお前にかまってるヒマはないからな」と。
この後私はどうなるのか。
この夢もここでおわり。
現実の話をしますと、実際に入院していた病院の外科病棟に私の処置をしてくれた男性看護師が2名いたんですが、そのうちの1名が私が手首の拘束を無意識に外そうとしてセンサーが感知し、それを押しとどめようようと来たんです。
この夢を見た後だったんでしょうか、現実と夢が交錯してしまい、「こんな病院にはいられない」、「他の病院に移るからヒモを解け!」と暴言を吐きました。
彼がセンサーをつなごうとして私の体に近づいてきた時、「私の体に触るな!」、「暴力を振るうな!」と大声で怒鳴ってしまいました。
「~ました」と書いたという事は、そう言った言動をした事を自分でも覚えているという事なんです。
でも、自分では夢も現実も一緒になってしまっていたので、自分がやってる事は正しい事だと思っていた。
このままここにいては殺されてしまうかもしれないと思ったのかもしれませんし、また訳の分からない島に連れ戻されて一生そこから出られなくされてしまうかもしれないと思ったんでしょう。
必死になって、男性看護師に「おまえあそこにいただろう」とか、「ここは何とかという病院なんだろ、だから退院するんだ」と言ったような、意味不明の事を叫んだんでしょうね。
しばらくその看護師とのやり合い、にらみ合いがあった後、別の、やはり体格のいい男性看護師が来て私に「どうしたんですか?」と声をかけてきたと記憶しています。
その問いに答えて私は「あんたもあそこにいたよなっ!」、「さっき見たぞ!」と、これまた意味不明の事を言うと、穏やかな声で「私がどこにいましたか?ここはあなたが入院しているBと言う病院ですよ」と答えが返ってきました。
「ここはAと言う病院だろ?」と声を荒げて私が聞くと、わざとだったのかゆっくりとした口調で「Bと言う病院ですよ」との答え。
その瞬間に私の意識が正気に戻ったらしく、「そうか」と言って大人しくベッドに横たわりました。
それを見計らって看護師がセンサーをつなぎ直し、その後は何をされたか、何もされずただ私が眠ってしまったか、記憶は全くありません。
夢に出てきた作業服の男性は、明らかにこの男性看護師2名で、1人は細くて華奢なんですが、もう1人は夢に出てきたようにがっしりとした体格の看護師でした。
その後、幻覚も錯乱も治まり、いつもの精神状態の私に戻ってからも、いつものように普通に私の看護や処置をしてくれた男性看護師。
自分自身言った事やった事の記憶があるものだから、多少バツが悪かったのは確かですが、事あるごとに言葉で感謝を表し「本当に申し訳ない、あなた達のおかげで良くなってきた」と何度も言ったのは夢でも幻覚でもなく本音の事ですよ(^^ゞ
「朝食」
・トースト半分
・シチュー カップ1杯
「昼食」
・納豆スパゲッティー(ひき割り納豆増量、卵)
「夕食」
・半チャーハン(卵、玉ネギ、ベーコン)
・半醤油ラーメン(チャーシュー、メンマ、味玉、長ネギ、おろしニンニク)
「デザート」
・生八つ橋 抹茶味
・カフェラテ
今日のBW:60.5kg
最高7.3(23:36)、最低 マイナス2.6(06:56)、積雪量26センチ
風邪にピークは過ぎたようです。
鼻詰まりはまだあるものの、昨日までの常に詰まって呼吸困難になりそうなほど酷くはなくなりました。
時折くしゃみが連発して鼻タレにはなりますが、抗ヒスタミン剤を服用しなくても耐えられるまでに回復してきたようです。
この鼻水・鼻詰まりを改善する抗ヒスタミン剤、もの凄く効果があるんですが、何たって眠気が強く出て、起きている時でも頭がぼーっとして思考能力が低下し、倦怠感が強くて何もやる気が起きなくなっちゃうんです。
昨日寝る前に飲んで以降は、さすがに今朝は服用を止め、昨夕からは眠気が出ない小青竜湯で対処しています。
味覚も、塩味が多少分かるようになったので、あと2、3日ほどで回復するんじゃないかと期待しています。
昨夜は当院の忘年会。
何事もなければ私も当然参加していたはずなんですが、この体では欠席もいた仕方なし。
予報通り、夜は猛吹雪でしたので、2次会や3次会への移動も大変だったでしょう。
まあでも、当院の職員はみんな元気ですから、雪くらいで怖気づくはずもなく、楽しく飲んで大騒ぎしたんじゃないでしょうか。
まあ、来年は、いつものように私も参加したいと思います。
さて、今日も入院中の夢で見た話を。
③眠りから覚めて気がつくと、そこはとある民家だった。
ボーっとした意識の中で周りを見渡すと、お膳があってタンスがあって、昔ごく普通に見ていた昭和の雰囲気がする一軒家。
起き上がろうとすると、身動きが取れない。
見ると、両手首が太いヒモで縛られて、片手づつどこかに縛り付けられていた。
顔だけを動かして横を見ると、奥さんも同じように縛り付けられたまま寝ているようだ。
懸命にヒモをほどこうとするが両手首ともきつく縛られているので、口を使ってほどこうとしてもビクともしなかった。
しばらく格闘していると、見知らぬ男性が家の中に入って来て、「ムダだよ」と。
話を聞くと、私達はもうこの島の人間で、島から逃げ出さないという誓いを示すために毎日夕食後に手首を縛りつけて朝まで寝るんだと。
家族がいる家庭は誰かが家族を縛りつけて、残った1人は島の神がその忠誠を認めた代表者が縛って歩くんだそうだ。
その代表者は複数いて、その人達は逃げ出す事がないと島民全員から認められているので、縛られる事はないと。
朝になると、その代表者が島民のヒモをほどいて、各自準備をして朝食を摂り、与えられた仕事に従事するんだという事らしい。
翌朝、外に出て見ると、町並みは寂れて貧しい漁村といった風情で、人口も少なく、平均年齢も相当高そうな感じがした。
商店らしき店舗が1、2軒あるが、「何屋」というのではなく、わずかだが何でも扱う「よろずや」といった感じだ。
あちこちの少ない家屋から人が出てきて、仕事に向かうらしい。
ロープの束を肩から提げて歩いている男性に声をかけると、これから漁に出るという。
漁と言っても、古いボートのようなもので、エンジンは付いているが燃料がないので手漕ぎで行くため、近場で小魚などを獲ってると言いながら去って行った。
後方から私を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると中年女性がこちらの方へやってくる。
さあ行きましょうと私を連れてどこかへ向かい、連れて行かれたのは私が縛り付けられていた民家とは窓ガラス1枚でつながっていた建物だった。
ガラス越しに私達の行動は監視されていたらしい。
その別棟と言うか別室の方には、やや若い女性から中年女性までの複数がいて、何か忙しそうに作業していた。
私を連れてきた中年女性は私に、「ここに寝てください」とベッドを指差した。
指示通りにベッドに横たわると、女性は私の服をまくって腹部をむき出しにし、持ってきた道具などを使って私の腹部に何かをし始めた。
首を起こして何をしているのか見ると、何かの液を塗って、その上にガーゼらしい白い布切れを腹部に置き、絆創膏のようなテープで固定したようだ。
何をしているのか聞くと、私はどうやら腹部に傷を負っていて、その処置をしていると。
傷があるので仕事は免除されているので、安静にしているようにと、そして毎日処置を受けにここへ来なさいとも言われた。
私が連れて来られた建物、窓ガラス1枚向こうは自分の家とされた民家のようだが、そこはこの島唯一の病院機能を持った建物で、そこにいた女性達は粗末な衣服を着て白衣姿ではなかったが全員看護師らしいと分かった。
処置が終わって自宅に戻り、奥さんと誰にも聞こえないように話をしました。
もちろん、こんな訳のわからないところにいつまでも束縛されてるつもりはないので、どうやって島から脱出しようかという内容だった。
だが、知り合いがいる訳でもなく、地理的状況も分からず、住民が相互に監視し合っているような中での脱出は、非常に困難を伴う事が予想された。
「働かざる者は食うべからず」が掟らしいこの島で、仕事を免除されている私達には、島民の誰かしらが食材を差し入れてくれて、質素ながらも奥さんが料理を作って空腹を満たしていた。
夜には手を縛られて拘束され、朝には拘束を解かれて多少なりとも自由が与えられる。
脱出方法を考えながらも、何日か何週間かが過ぎ、島民とも親しくなって、本音の話も語り合える人も出てきた。
この島は、島民誰一人として見た事がない神とされるものを奉る看護師達によって支配されていて、島に来た人間のすべてを奪い取って拘束し、島から逃げ出せないようにして島の存在を維持していると。
そのために、住民相互で監視をさせ、目の届かない夜間帯は相互に手を縛りつけて監禁状態にし、逃げ出す意欲を奪う事によって住民を減らさない方策としているそうだ。
看護師は全員この島で生まれ育った人間で、自分達の故郷を消滅させない事が最大にして唯一の使命だそうだ。
住民の半分は、漂流してきたり、探索のためこの島を訪れた人達で、逃げ出す事に失敗して戻された人は、病院施設に連れて行かれ、安定剤・催眠剤・精神神経用剤などを多量に投与されて思考回路を洗脳され、逃亡する意欲を失わせるという事をやっていると。
この話をしてくれたのは、島の調査に来て拘束された中年男性で、脱出を試みたものの失敗し、病院施設で洗脳されそうになったが、幸い薬の効果がなく正常な精神状態のまま解放されたが、疑われないように他の島民と同じ状態を装って脱出できる機会をうかがっているそうだ。
島には産業などなく、わずかな農作物とわずかな漁獲だけでは住民の生活を維持できないため、不定期に看護師1名と忠誠を誓って逃亡の心配がない住民男性数名が、島の女性達が作った手工芸品を持って船で本土へ渡り、それを売った金で必要な食料や物品を購入して島へ戻ってくるらしい。
と言う事は、船を動かすエンジン用の燃料があるはず。
この島で一番最初に会った漁師の船にはエンジンがついてると言っていたから、その燃料を入手できれば、追手に捕まる事なくこの島から脱出できるかもと考えた。
ある夜、いつものように両手首を縛られて拘束されながら寝ていたが、ふと夜中に目覚めると、いつもはきつく縛られているヒモが片手だけ緩んでいる事に気がついた。
もしかするとと、手首を折り曲げて指が届くようにしてヒモをこすりながら、更にヒモが緩むように手首をひねったり振ったりしているうちに、だんだん結び目が解けていき、とうとう片手のヒモが外れて自由になった。
もう片手のヒモも解いて、奥さんの拘束も解き放ち、さあ逃げようと2人で海岸へ向かい、暗闇の中を漁師のボートを探し当て、エンジンは掛からないがオールがあったので手漕ぎで海原へ漕ぎだした。
その後どうなったか、気がつくと見た事がある風景、見覚えのある女性が私の顔を覗き込んでいた。
私はベッドに寝かされ、両手首はヒモで縛られ、左右それぞれがベッドサイドのレールに縛り付けられ拘束されていた。
「傷があるんですから、あんな事はしないでください」と言いながら、女性は私の腹部の傷の手当てをし、何も言わず腕に注射をしてどこかへ行ってしまった。
注射されると急に意識が遠のき始め、薄れ行く意識の中であたりを見回したが、奥さんの姿を見つける事は出来なかった。
次に気がついた時には、病院施設隣の自宅で、いつものように両手首を縛られ拘束された状態で寝ていた。
またヒモが外れないかと手を振ったりしていると、住民の代表者が入って来て、ヒモがちゃんと締まっている事を確認して出て行った。
翌朝にはいつものように拘束は解かれ、病院施設へ行って処置を受けた後、散歩がてらボートを勝手に拝借した事を謝罪するつもりで漁師の所へ行った。
漁師に会うと、私が言葉を発する前に私を道具小屋の方へ手招きし、私にある物を見せた。
小屋の中は、漁師の小屋らしく魚の生臭さが漂っていたが、「ある物」が入った容器のふたを開けると尚一層生臭さが鼻を突いた。
見ると、ドロッとした茶色い液体が入っていた。
「これが燃料だ」
私の目をじっと見つめながら漁師はそうつぶやいた。
この島の船のエンジンの燃料は、この漁師が獲ってきた魚を絞って取った「魚油」だった。
ふと背中に人の気配を感じ、身構えると同時にそちらを見ると、本音の話をしてくれた、島の調査に来て拘束された中年男性だった。
「やるか」と、その中年男性は言った。
そのためには、要注意人物としてマークされている2人が従順に言う事を聞いて、住民として代表者クラスにまで信頼されることが条件だという事で一致した。
その後どのくらいの年月が経ったか。
腹部の傷などとうに癒えて、漁師の手伝いなどの仕事をしながら暮らし、積極的に住民の先頭になって祭りやイベントなどに参加し、住民から相談を受けるなど顔役としての地位を確立した頃、夜のヒモを縛って拘束する代表者からも信頼されるようになり、日に日にヒモの縛り方が緩くなってきているのを感じた。
お互いに助け合いながら生活していると、人情と言う物が出てくる。
脱出の約束をした中年男性も同じで、ある日、これ以上緩められないというヒモの縛り方での夜間の拘束がお互いに続いた頃、目配せして、その夜の実行が決まった。
夕食後、いつものように代表者がやって来て、ヒモで両手首を縛り、片手づつどこかに縛りつけて拘束し、二言三言、言葉を交わして出て行った。
縛り方はやはり緩く、代表者が出て行ってすぐヒモを外す事は出来たが、誰が来るかわからないので、自分でヒモを手首に巻きつけて、時間が経つのを待った。
そろそろかと思ってヒモを解き、事前に知らせてあった奥さんに言葉を発しないように付いてくるよう目で合図しながらヒモを解き、玄関を開けて辺りをうかがい、誰もいない事を確認して漁師の小屋へ向かった。
相棒となった中年男性もほぼ同時に来て、2人で燃料の「魚油」が入った容器を持ち、誰にも見られていない事を確認しながら海岸へ急ぎ、漁師のボートを見つけるとエンジンに燃料を入れ、岸から海へ船を押し出してからエンジンをスタートさせた。
奥さんを乗せ、私と相棒の中年男性が乗って、エンジンの回転を上げて沖に向かって走り出そうとしたところへ、浜の方から大声をあげて迫ってくる声が聞こえてきた。
その声の主は、動き出した船の縁につかまって乗り込み、エンジンを止めようとした。
中年男性が声の主と格闘し、抑え込んだので私がエンジンを操作し、船は浜から遠くへと走って行った。
しばらく海を走ると声の主が大人しくなったので、中年男性と顔を見ると、私の傷の処置をしていた看護師の1人だった。
もうここまで来ては連れ戻す事は無理だと悟ったのか、抵抗する事もなく黙って座っていた。
どのくらい船を走らせたか、方向も何も分からないままに走らせていたので不安ではあったが、遠くにちらっと見えた光を頼りにその方角に向かって船を走らせ続けていた。
光がだんだん大きくなっていき、それが本土か別のどこかの島か分からないが、とにかくそこに乗りつけることにした。
船を岸に乗り上げるように泊め、船から降りて近所の家に助けを求めて走った。
ようやくこれで拘束生活から解放されたと、一緒に乗って来てしまった看護師の女性にもその事を告げ、自由の身になったんだからどこへ行ってもいいと勧めた。
しばらく黙っていた看護師の女性だったが、自分はあの島で生まれ育ち、あの島を守る事が自分の使命だから戻りますと、きっぱりと言い放って島へ戻って行った。
とまあ、ここでこの夢は終わりました。
文章にするとかなり長いけど、実際にはどのくらいの時間をかけてこの夢を見てたんでしょうかね。
夢の時間など計りようもないけど、興味はありますね。
それにしてもところどころリアルで、「両手首をヒモで縛られ」は、ミトンの手袋をはめられていて、手首はマジックテープとヒモでまさしくその通りにされていたし、「どこかに縛り付けられていた」と言うのもベッドサイドの柵に結ばれていたんです。
窓ガラスを挟んで病院施設と自分の家って言うのは、外科病棟のICUで治療されていた時の風景そのものでした。
「安定剤・催眠剤・精神神経用剤などを多量に投与されて思考回路を洗脳され」と言うのは、私自身、管を抜去してしまった時に同じような処置をされ、それが幻覚を見て錯乱状態になった原因の1つだと思っていますし、脱出に失敗した後に注射されたくだりは、やはり幻覚と錯乱状態の時にされた処置そのものの事だったようです。
「朝食」
・にゅう麺
「昼食」
・月見そば(天かす入り)
・焼きおにぎり1個
「夕食」
・ごはん
・チキンクリームシチュー(鶏肉、ジャガイモ、玉ネギ、人参、ブロッコリー)
「デザート」
・プチエクレア
・カフェラテエスプレッソ
今日のBW:61kg
最高0.2(12:57)、最低 マイナス5.1(03:47)、積雪量32センチ
鼻詰まりはまだあるものの、昨日までの常に詰まって呼吸困難になりそうなほど酷くはなくなりました。
時折くしゃみが連発して鼻タレにはなりますが、抗ヒスタミン剤を服用しなくても耐えられるまでに回復してきたようです。
この鼻水・鼻詰まりを改善する抗ヒスタミン剤、もの凄く効果があるんですが、何たって眠気が強く出て、起きている時でも頭がぼーっとして思考能力が低下し、倦怠感が強くて何もやる気が起きなくなっちゃうんです。
昨日寝る前に飲んで以降は、さすがに今朝は服用を止め、昨夕からは眠気が出ない小青竜湯で対処しています。
味覚も、塩味が多少分かるようになったので、あと2、3日ほどで回復するんじゃないかと期待しています。
昨夜は当院の忘年会。
何事もなければ私も当然参加していたはずなんですが、この体では欠席もいた仕方なし。
予報通り、夜は猛吹雪でしたので、2次会や3次会への移動も大変だったでしょう。
まあでも、当院の職員はみんな元気ですから、雪くらいで怖気づくはずもなく、楽しく飲んで大騒ぎしたんじゃないでしょうか。
まあ、来年は、いつものように私も参加したいと思います。
さて、今日も入院中の夢で見た話を。
③眠りから覚めて気がつくと、そこはとある民家だった。
ボーっとした意識の中で周りを見渡すと、お膳があってタンスがあって、昔ごく普通に見ていた昭和の雰囲気がする一軒家。
起き上がろうとすると、身動きが取れない。
見ると、両手首が太いヒモで縛られて、片手づつどこかに縛り付けられていた。
顔だけを動かして横を見ると、奥さんも同じように縛り付けられたまま寝ているようだ。
懸命にヒモをほどこうとするが両手首ともきつく縛られているので、口を使ってほどこうとしてもビクともしなかった。
しばらく格闘していると、見知らぬ男性が家の中に入って来て、「ムダだよ」と。
話を聞くと、私達はもうこの島の人間で、島から逃げ出さないという誓いを示すために毎日夕食後に手首を縛りつけて朝まで寝るんだと。
家族がいる家庭は誰かが家族を縛りつけて、残った1人は島の神がその忠誠を認めた代表者が縛って歩くんだそうだ。
その代表者は複数いて、その人達は逃げ出す事がないと島民全員から認められているので、縛られる事はないと。
朝になると、その代表者が島民のヒモをほどいて、各自準備をして朝食を摂り、与えられた仕事に従事するんだという事らしい。
翌朝、外に出て見ると、町並みは寂れて貧しい漁村といった風情で、人口も少なく、平均年齢も相当高そうな感じがした。
商店らしき店舗が1、2軒あるが、「何屋」というのではなく、わずかだが何でも扱う「よろずや」といった感じだ。
あちこちの少ない家屋から人が出てきて、仕事に向かうらしい。
ロープの束を肩から提げて歩いている男性に声をかけると、これから漁に出るという。
漁と言っても、古いボートのようなもので、エンジンは付いているが燃料がないので手漕ぎで行くため、近場で小魚などを獲ってると言いながら去って行った。
後方から私を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると中年女性がこちらの方へやってくる。
さあ行きましょうと私を連れてどこかへ向かい、連れて行かれたのは私が縛り付けられていた民家とは窓ガラス1枚でつながっていた建物だった。
ガラス越しに私達の行動は監視されていたらしい。
その別棟と言うか別室の方には、やや若い女性から中年女性までの複数がいて、何か忙しそうに作業していた。
私を連れてきた中年女性は私に、「ここに寝てください」とベッドを指差した。
指示通りにベッドに横たわると、女性は私の服をまくって腹部をむき出しにし、持ってきた道具などを使って私の腹部に何かをし始めた。
首を起こして何をしているのか見ると、何かの液を塗って、その上にガーゼらしい白い布切れを腹部に置き、絆創膏のようなテープで固定したようだ。
何をしているのか聞くと、私はどうやら腹部に傷を負っていて、その処置をしていると。
傷があるので仕事は免除されているので、安静にしているようにと、そして毎日処置を受けにここへ来なさいとも言われた。
私が連れて来られた建物、窓ガラス1枚向こうは自分の家とされた民家のようだが、そこはこの島唯一の病院機能を持った建物で、そこにいた女性達は粗末な衣服を着て白衣姿ではなかったが全員看護師らしいと分かった。
処置が終わって自宅に戻り、奥さんと誰にも聞こえないように話をしました。
もちろん、こんな訳のわからないところにいつまでも束縛されてるつもりはないので、どうやって島から脱出しようかという内容だった。
だが、知り合いがいる訳でもなく、地理的状況も分からず、住民が相互に監視し合っているような中での脱出は、非常に困難を伴う事が予想された。
「働かざる者は食うべからず」が掟らしいこの島で、仕事を免除されている私達には、島民の誰かしらが食材を差し入れてくれて、質素ながらも奥さんが料理を作って空腹を満たしていた。
夜には手を縛られて拘束され、朝には拘束を解かれて多少なりとも自由が与えられる。
脱出方法を考えながらも、何日か何週間かが過ぎ、島民とも親しくなって、本音の話も語り合える人も出てきた。
この島は、島民誰一人として見た事がない神とされるものを奉る看護師達によって支配されていて、島に来た人間のすべてを奪い取って拘束し、島から逃げ出せないようにして島の存在を維持していると。
そのために、住民相互で監視をさせ、目の届かない夜間帯は相互に手を縛りつけて監禁状態にし、逃げ出す意欲を奪う事によって住民を減らさない方策としているそうだ。
看護師は全員この島で生まれ育った人間で、自分達の故郷を消滅させない事が最大にして唯一の使命だそうだ。
住民の半分は、漂流してきたり、探索のためこの島を訪れた人達で、逃げ出す事に失敗して戻された人は、病院施設に連れて行かれ、安定剤・催眠剤・精神神経用剤などを多量に投与されて思考回路を洗脳され、逃亡する意欲を失わせるという事をやっていると。
この話をしてくれたのは、島の調査に来て拘束された中年男性で、脱出を試みたものの失敗し、病院施設で洗脳されそうになったが、幸い薬の効果がなく正常な精神状態のまま解放されたが、疑われないように他の島民と同じ状態を装って脱出できる機会をうかがっているそうだ。
島には産業などなく、わずかな農作物とわずかな漁獲だけでは住民の生活を維持できないため、不定期に看護師1名と忠誠を誓って逃亡の心配がない住民男性数名が、島の女性達が作った手工芸品を持って船で本土へ渡り、それを売った金で必要な食料や物品を購入して島へ戻ってくるらしい。
と言う事は、船を動かすエンジン用の燃料があるはず。
この島で一番最初に会った漁師の船にはエンジンがついてると言っていたから、その燃料を入手できれば、追手に捕まる事なくこの島から脱出できるかもと考えた。
ある夜、いつものように両手首を縛られて拘束されながら寝ていたが、ふと夜中に目覚めると、いつもはきつく縛られているヒモが片手だけ緩んでいる事に気がついた。
もしかするとと、手首を折り曲げて指が届くようにしてヒモをこすりながら、更にヒモが緩むように手首をひねったり振ったりしているうちに、だんだん結び目が解けていき、とうとう片手のヒモが外れて自由になった。
もう片手のヒモも解いて、奥さんの拘束も解き放ち、さあ逃げようと2人で海岸へ向かい、暗闇の中を漁師のボートを探し当て、エンジンは掛からないがオールがあったので手漕ぎで海原へ漕ぎだした。
その後どうなったか、気がつくと見た事がある風景、見覚えのある女性が私の顔を覗き込んでいた。
私はベッドに寝かされ、両手首はヒモで縛られ、左右それぞれがベッドサイドのレールに縛り付けられ拘束されていた。
「傷があるんですから、あんな事はしないでください」と言いながら、女性は私の腹部の傷の手当てをし、何も言わず腕に注射をしてどこかへ行ってしまった。
注射されると急に意識が遠のき始め、薄れ行く意識の中であたりを見回したが、奥さんの姿を見つける事は出来なかった。
次に気がついた時には、病院施設隣の自宅で、いつものように両手首を縛られ拘束された状態で寝ていた。
またヒモが外れないかと手を振ったりしていると、住民の代表者が入って来て、ヒモがちゃんと締まっている事を確認して出て行った。
翌朝にはいつものように拘束は解かれ、病院施設へ行って処置を受けた後、散歩がてらボートを勝手に拝借した事を謝罪するつもりで漁師の所へ行った。
漁師に会うと、私が言葉を発する前に私を道具小屋の方へ手招きし、私にある物を見せた。
小屋の中は、漁師の小屋らしく魚の生臭さが漂っていたが、「ある物」が入った容器のふたを開けると尚一層生臭さが鼻を突いた。
見ると、ドロッとした茶色い液体が入っていた。
「これが燃料だ」
私の目をじっと見つめながら漁師はそうつぶやいた。
この島の船のエンジンの燃料は、この漁師が獲ってきた魚を絞って取った「魚油」だった。
ふと背中に人の気配を感じ、身構えると同時にそちらを見ると、本音の話をしてくれた、島の調査に来て拘束された中年男性だった。
「やるか」と、その中年男性は言った。
そのためには、要注意人物としてマークされている2人が従順に言う事を聞いて、住民として代表者クラスにまで信頼されることが条件だという事で一致した。
その後どのくらいの年月が経ったか。
腹部の傷などとうに癒えて、漁師の手伝いなどの仕事をしながら暮らし、積極的に住民の先頭になって祭りやイベントなどに参加し、住民から相談を受けるなど顔役としての地位を確立した頃、夜のヒモを縛って拘束する代表者からも信頼されるようになり、日に日にヒモの縛り方が緩くなってきているのを感じた。
お互いに助け合いながら生活していると、人情と言う物が出てくる。
脱出の約束をした中年男性も同じで、ある日、これ以上緩められないというヒモの縛り方での夜間の拘束がお互いに続いた頃、目配せして、その夜の実行が決まった。
夕食後、いつものように代表者がやって来て、ヒモで両手首を縛り、片手づつどこかに縛りつけて拘束し、二言三言、言葉を交わして出て行った。
縛り方はやはり緩く、代表者が出て行ってすぐヒモを外す事は出来たが、誰が来るかわからないので、自分でヒモを手首に巻きつけて、時間が経つのを待った。
そろそろかと思ってヒモを解き、事前に知らせてあった奥さんに言葉を発しないように付いてくるよう目で合図しながらヒモを解き、玄関を開けて辺りをうかがい、誰もいない事を確認して漁師の小屋へ向かった。
相棒となった中年男性もほぼ同時に来て、2人で燃料の「魚油」が入った容器を持ち、誰にも見られていない事を確認しながら海岸へ急ぎ、漁師のボートを見つけるとエンジンに燃料を入れ、岸から海へ船を押し出してからエンジンをスタートさせた。
奥さんを乗せ、私と相棒の中年男性が乗って、エンジンの回転を上げて沖に向かって走り出そうとしたところへ、浜の方から大声をあげて迫ってくる声が聞こえてきた。
その声の主は、動き出した船の縁につかまって乗り込み、エンジンを止めようとした。
中年男性が声の主と格闘し、抑え込んだので私がエンジンを操作し、船は浜から遠くへと走って行った。
しばらく海を走ると声の主が大人しくなったので、中年男性と顔を見ると、私の傷の処置をしていた看護師の1人だった。
もうここまで来ては連れ戻す事は無理だと悟ったのか、抵抗する事もなく黙って座っていた。
どのくらい船を走らせたか、方向も何も分からないままに走らせていたので不安ではあったが、遠くにちらっと見えた光を頼りにその方角に向かって船を走らせ続けていた。
光がだんだん大きくなっていき、それが本土か別のどこかの島か分からないが、とにかくそこに乗りつけることにした。
船を岸に乗り上げるように泊め、船から降りて近所の家に助けを求めて走った。
ようやくこれで拘束生活から解放されたと、一緒に乗って来てしまった看護師の女性にもその事を告げ、自由の身になったんだからどこへ行ってもいいと勧めた。
しばらく黙っていた看護師の女性だったが、自分はあの島で生まれ育ち、あの島を守る事が自分の使命だから戻りますと、きっぱりと言い放って島へ戻って行った。
とまあ、ここでこの夢は終わりました。
文章にするとかなり長いけど、実際にはどのくらいの時間をかけてこの夢を見てたんでしょうかね。
夢の時間など計りようもないけど、興味はありますね。
それにしてもところどころリアルで、「両手首をヒモで縛られ」は、ミトンの手袋をはめられていて、手首はマジックテープとヒモでまさしくその通りにされていたし、「どこかに縛り付けられていた」と言うのもベッドサイドの柵に結ばれていたんです。
窓ガラスを挟んで病院施設と自分の家って言うのは、外科病棟のICUで治療されていた時の風景そのものでした。
「安定剤・催眠剤・精神神経用剤などを多量に投与されて思考回路を洗脳され」と言うのは、私自身、管を抜去してしまった時に同じような処置をされ、それが幻覚を見て錯乱状態になった原因の1つだと思っていますし、脱出に失敗した後に注射されたくだりは、やはり幻覚と錯乱状態の時にされた処置そのものの事だったようです。
「朝食」
・にゅう麺
「昼食」
・月見そば(天かす入り)
・焼きおにぎり1個
「夕食」
・ごはん
・チキンクリームシチュー(鶏肉、ジャガイモ、玉ネギ、人参、ブロッコリー)
「デザート」
・プチエクレア
・カフェラテエスプレッソ
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男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
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