忍者ブログ
管理人の食卓風景と日常の日記
[114] [115] [116] [117] [118] [119] [120] [121] [122] [123] [124]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

集中治療室=ICU(Intensive Care Unit)重症患者を収容し、熟練した医師・看護師が必要な医療設備を駆使して連続看護・処置を行う治療室。

今日奥さんは早出勤務で、午前6時前起床。
私は甘えさせてもらって、布団の中からお見送りで、起床したのは午前7時半。
本当に7時半に起きたんですよ!嘘じゃないってばぁ。
本当の事を言うと、携帯のアラームを7時20分にセットしてあるんですけど、昨日の土曜日は2人とも休みだったので解除してましたが、今日奥さんが勤務だという事に気を取られて解除するのを忘れてたんです。
それで、まどろんでる最中にアラームに叩き起こされて、そのまま起きてしまったという訳;
自分が悪いんだから誰にも当たる事が出来なくて、バカみたいな話です。

今日も父の話です。
昨日今日と、私はお見舞には行きませんでしたので、母から聞いた話です。
今夜午後6時頃電話が掛って来て、父の現状を聞かせてくれました。
驚異的な回復を見せているようで、以前の元気だった時の状態に戻ってきたそうです。
「水が飲めて物が食べれるんなら、このままICUにいたい」と言ってるとか。
どういう事かと言うと、24時間厳重な管理下にありますから、何から何まで「至れり尽くせり」ってやつで、24時間持続点滴に心電図モニター装着、排尿はバルーンで自然と排尿されますので、ベッド上絶対安静。
例えば「あそこがカユい」と言ったら掻いてくれる、腰が痛いと言ったら体を動かしてくれるってな感じで、汗をかいたら体を丁寧に拭いてくれる、歯を磨いてくれる、顔を洗ってくれると、まるでお殿様気分なんでしょう。
しかも、私が面会した初日にはありませんでしたが、ベッドサイドにテレビを持ってきてくれて好きなだけご自由にご覧くださいって言われてるそう。
ただ、食道静脈瘤でしたので、また破れては困るから絶食絶飲にされて、昨日の話では胃管カテ(鼻から胃までの管)が入っているそう。
その管が非常に煩わしいから早く抜けとわがままを言ってるんだそうです。
点滴の針が入ってる腕がダルいと感じてちょっと腕を上げただけで看護師がぶっ飛んで来るらしく、まさに監視状態にいるのも悪い気がしていないらしい。
一般病室に移ったら、ナースコールを押してもすぐになんか来やしないから、そのギャップに苦しむでしょうよ。
以前のICUは、周りを機械に囲まれて、聞こえてくるのは人工呼吸器のシューって言う音や、心電図や血圧計のモニターからのピーピーピーって言う音、寝てても他の患者が悪化するとスタッフがバタバタして時には声を荒げる場面もあり、おちおち寝てもいられない。
そんな中に自分一人が置かれて、死の恐怖や不安が不安を煽り、あまりのストレスからノイローゼになって、うつ病や精神障害を発症したという報告が多数なされていました。
ですから、今では患者を孤独な状態にしないという方策を取る様になり、例えばBGMを流したり、壁を白一色じゃなくカラフルにして明るさを演出したり、極力面会者を受け入れて気分を和らげてもらったりと、様々な工夫をするようになったようです。
今父が入っている市立病院のICUはどういった方針の対策を立てているのか分かりませんが、少なくともテレビを見せるというのはその一環だと理解できます。
まあ、あまりお世話になりたいとは思わないICUですが、患者の立場ではここまで面倒を見てもらえるのも嬉しいのかもしれません。
といっても、後は回復して一般病室に移って退院するだけと、ゴールが見えている患者にとってはの話ですけど。
私は・・・、あまりかまってもらい過ぎるのはウザくて嫌ですけどね。

「昼食」
・山菜そば(山菜水煮、なめこ増量)

「夕食」
・ごはん
・漬物
・甘塩タラのコショウ焼
・色々コンニャクの煮物(しみ豆腐、切り昆布、筍)
・キャベツと椎茸の巣籠り玉子
・焼酎のウーロン茶割

「空腹凌ぎ」
・ソイジョイ アップル(137kcal)

今日のBW:73kg

拍手[0回]

PR
昨夜は、原因が分かって処置がうまくいき、厳重な管理下に置かれた事で安心して、疲れがどっと出ました。
一昨日の朝から介助していた母も、昨日市立病院で処置中に居眠りしてしまったくらい疲れていたでしょうし、私も一昨日の夜、そして昨日の午後までは自分の病院で走り回っていたので、非日常的な疲れに参ってしまいました。
自分の糖尿病の事などぶっ飛んでしまい、昼食も中途半端、そのため糖尿の薬も飲めず、夜は夜で冷たい目で見る奥さんを横目に酒に走ってしまった私。
自分の体なんだから自分で管理しなさいと、奥さんに怒られてしまった。
午後10時過ぎ、飲むのをやめて腹を満たし、安心感と満腹感とからだが温まったのもあって、爆睡してしまいました。
今朝午前4時に目が覚めましたが、その後は寝たような寝てないような、いろいろな思いが頭を駆け巡り、結局は午前9時半まで布団に入っていましたけど、疲れが取れたような取れないような変な感じでした。
昨夜も今日も、誰からもどこからも電話が来ない事を祈っていましたが、このストレスは相当なものです。
午前10時過ぎ、自分のカバンも置きっぱなし、片付けも何もせず外来看護主任に頼んで半日有休で市立病院に付いて行ったので、病棟・看護師長も含めて挨拶がてら病院に顔を出しに行きました。
あちこちに挨拶をして礼を言って歩き、父の状態を説明してきましたが、残念ながら院長と転院を手配してくれた若手ドクターには会えませんでした。
多分来週月曜からは通常通り出勤できるでしょうから、その時に挨拶しようと思っています。
そうそう、昨日市立病院で、処置に成功した事を電話で外来看護主任に報告した時に、院長と若手ドクターにも報告しておいてと頼んであったんですが、その時の2人のリアクションを教えてくれました。
若いドクターは「いや~、よかったよかった。やっぱり送ってよかった」と。
院長は「ん~、このままうちに(当院に)置いておいたら死んでたな」と。
病棟看護師は声をそろえて、「何もできなくてもどかしかった。早く他の設備のある病院へ送ってくれないかなと思ってた」と。
ある意味、転院を即決した若いドクターを誉めている雰囲気でした。
外来看護主任は、「若いドクターの静脈瘤破裂かもと言った見立てが当たったね。しばらくは若いドクターに頭が上がらないね」とも。
今日明日は、私も奥さんもICUにお見舞いには行きません。
母の顔さえ見れれば父は安心するでしょうから、母に行ってもらう事にしました。
もし何かあればすぐに連絡をよこすでしょうし、そうでなく安定してるか回復傾向にあれば夜にでも報告をくれるでしょうし。
まあ、一般病室に移ったら、間違いなく病室番号を教えてくるのでそれからでも遅くはないと考えています。
ところが今夜は友人との忘年会とかで連絡も来ないし、こちらから電話をしても出ない。
午後9時半過ぎに何度目かの電話をしたらようやく出て、父はびっくりするくらい回復して、母にもドクターにも悪態をついてるくらい元気になったそうです。
月曜日にもう一度胃カメラで止血部位を検査し、問題がなければ一般病室に移すとのこと。
まあ、父もですが母も元気そうで本当に安心しました。

実は昨日は、奥さんが歯医者へ行く予約を入れていたんです。
奥歯に被せてあったものが先日取れてしまい、はめ直しても食事のたびにカパカパと外れてくると言っていたので、夜勤明けの昨日の午後に行く予約をしていました。
状況が状況だったので、電話で予約をキャンセルし、次の予約も入れられるかどうかわからない厳しい状況でしたから、そのままにしていました。
今日昼食時にも、やはり外れてきて気になるし炎症も起きてるみたいと歯医者へ電話をし、午後3時の予約で行きました。
まあ、これからしばらくは通ってもらいましょうかねと思っていたら、本格的に治療すると年末年始には歯が入らないとのことで、応急処置的治療で終わりだって。
まあ、痛んだり外れたりしなければそれでいいですけどね。

それからですけど、この日記の閲覧者がちょうど5,000になりました。
これもひとえに皆様からのご声援のたまものだと感謝しております。
どうぞこれからもこの何でもない日記「食卓のつぶやき」をご贔屓にお願い致しますm(__)m

「昼食」
・味噌ラーメン(キャベツ、モヤシ、ネギ、チャーシュー、メンマ)
・おにぎり(鮭ハラス、紅葉子)

「空腹凌ぎ」
・ソイジョイプラスFe プルーン(131kcal)

「夕食」
・豆乳鍋(無調整豆乳、椎茸、シメジ、豆腐、人参、結び白滝、板かまぼこ、春雨、豚肉:味噌少々で味付け)
・焼酎のウーロン茶割

「空腹凌ぎ」
・干し芋

今日のBW:73kg

拍手[0回]

朝いつもの時間に起きてすぐに実家に電話をすると、やはり状態は昨夜と変わらず歩行困難と母。
札幌の大学病院などとても行ける状態ではないので、私の病院に入院させてほしいと。
ただまだ午前6時半なので、私が出勤してからでもいいかと聞くと、それまでなら何とかと。
電話を切ってすぐに外来看護主任に昨夜からの事と今の状態をメールし、出勤後すぐに院長に受け入れ許可をもらうように依頼しました。
外来看護主任が出勤後すぐに院長自宅に連絡をしてくれましたが、院長が出ない。
そうこうしているうちに実家の母から病院に電話があり、もう限界だから何とかしてくれと。
外来看護主任にその事を告げると再度院長に連絡を取ってくれ、ようやく電話に出た院長からは即搬送しろとの指示が出て、実家へ電話をし救急車を呼べと母に指示しました。
救急車到着まで30分以上かかったでしょうか、私も院長もイライラしながら玄関前で待機していました。
搬送後からすぐに診察と緊急検査、処置が始まりましたが、意識は昨夜同様澄明でしたが全身青ざめたように真っ白。
検査結果はやはり強度の貧血があり、院長の診断ではどこかに出血があるだろうと、まずは輸血のオーダーで日赤に濃厚赤血球の発注をしました。
時折胸苦しさと嘔気を訴え、便意を訴えましたが起きることは不可能状態。
血液が到着するのをもどかしく院長以下全スタッフが待っていましたが、午前中はまず安定した様子で過ぎました。
昼休みになったので、私も自宅に戻り昼食を摂ったらすぐにまた病院に戻るつもりでいましたが、食事中に看護師から血圧が低下して苦しがっているのですぐに来てくださいと携帯に連絡があり、すぐに走って病院に戻りました。
父の様子を見るとその時は落ち着いた様子でしたが、部屋には院長もいて、心電図を見ながらどうも心筋梗塞のような波形が出ていると。
輸液には昇圧剤の2アンプル目を入れる指示を出し、詰所に戻ってややしばらく考え込んでいました。
その間に数回吐血し、呼吸も時折乱れ、排尿もない事からバルーンカテーテルを挿入し、血液が届くのを祈る思いで待ちました。
ここで院長は往診に行かなければならないので、次期院長の若手ドクターに交代し、まずは出血部位を探ろうと胃内視鏡の準備が始まりました。
待望の血液も到着したんですが、吐血の頻度が激しくなり、指先にチアノーゼも出現し始め、全身状態が急激に悪化してきたため、当院での対応は無理だと、ドクターが市立病院への転院を手配してくれました。
救急車が到着するまでの間も、父は苦しそうに「早く楽にしてくれ、まだ救急車は来ないのか」と。
この時点でも意識はしっかりしていたので、まだ望みはありました、私は。
午後2時過ぎ、市立病院に転送され、救急処置室で採血や処置をした後、受け入れた消化器専門のドクターが出てきて簡単に説明をし、すぐに内視鏡室へ搬送して検査と処置をすると告げられました。
1時間ほどかかった検査と処置も終わり、部屋から出てきたドクターから出血部位は治療したと告げられ、次に出てきた麻酔科医からはこの後3日ほどはICUで厳重に管理しますと告げられました。
奥さんがどこから出血していたのかと聞くと、アンパンマンのような顔をした麻酔科医は「胃に近いところの静脈瘤から出血していた」と説明してくれました。
内視鏡室から出てきた父はストレッチャーのままICUに運ばれ、輸血やモニター装着などの処置を終えた後で面会が許されました。
母が声をかけると、「さっきよりは楽になった」と。
さらに、「また死にぞこなった」と冗談を言ったそうです。
24時間厳重な監視の下に置かれるICUに入ってしまった以上、もう我々が何もすることはない、すべてを市立病院スタッフに任せるしかありませんので、午後5時頃母と別れて帰途につきました。
ドクターの話では、市立病院に搬送されてきた時点では非常に危険な状態で、止血に成功したので生命の危機は脱しましたとのこと。
まずは一般病室に移れるようになるよう処置をしますと。
当院にいた時に起きた心筋梗塞のような状態は、大量の出血で一時的に心筋に虚血が起きてダメージを受けたためと。
出血による血圧低下と、胸の苦しさはそこから起きたものでしょう。
一昨日のエレベーターでの意識消失も、実はすでに相当な出血による失血で、脳虚血状態にあったんだろうと、今になってはそう考えると矛盾しません。
食あたりらしいと言う母の言葉に私も含めてみんなが惑わされてしまい、危うく最悪の事態になるところでしたが、頻繁な下痢も実は下血のせいだったでしょうし、嘔気も血は昨日の午後までは口からは出てきませんでしたが、出血によるものだったんでしょう。
まだ静脈瘤も2つあり、ガンについてはそれから大学病院で対処することになるでしょうとの事でした。
ただ、言外に、長くはない、難しいなと、表情にも見え隠れしていたのは見逃しませんでした。
それはもう大学病院の主治医から聞かされた事ですし、もってあと1年か2年とも聞いていますから、覚悟はしています。
ただ今回のように、いきなり突然、最初の原因が食あたりで最期を迎えるなんていうのだけは勘弁してもらいたい気持ちです。

拍手[0回]

昨夜は奥さんが夜勤でしたので、私用に作ってくれた糖尿食を食べ、一服している時でした。
時間は午後7時前。
実家の母から電話があり、父の容態がおかしいから来てくれと。
食べ終わった食器などはそのままぶっ飛ばし、取るものも取り合えず実家にタクシーで向かいました。
弟にも電話をしておくように母に言っておきましたが、弟は会議とかで飲酒中のため、自家用車では来れないことが判明。
実家のマンションに到着し、父の姿を見た瞬間、救急車を呼ぶ事を決意しました。
母の電話での声の感じからして、父の容態は悪いだろうと思っていたので、初めから救急車を呼ぶことを決めていたんですが、近所に知られるとか大騒ぎになるからと言って渋る父を無視して、119番しました。
その時の父の様子は、ソファーに座っていましたが肩で息をして非常に体が辛そうな様子。
ただ、意識はしっかりしていて会話も普通に成立していたので、急を要するようなものではないなとは思いましたが、トイレに歩いて行くのも辛いというので、タクシーを呼んで歩かせるより救急車の方がベストだと私は判断しました。
母にどうしてこうなったのか聞くと、一昨日夕食に食べた物に当たったようだと。
食後からムカつきと下痢が続き、今朝も調子が戻らないのに様子を見ていたらだんだんひどくなってきたとの事。
不調の父を置いて母はどうしても行かなければならない仕事があったので、仕方なく行ったのはしょうがない。
母不在の間、下痢を止めるために薬を短時間に3回も服用していたらしく、母が仕事から戻った直後に嘔吐した中には溶けずに残った薬があったとか。
よせばいいのに、何かを食べなきゃと食パン1枚とみかん、更にバナナを食べたそう。
それも戻してしまい、下痢は止まらず、若干黒っぽい便だったと母の証言。
明らかに急性の大腸炎からくる脱水症状のようでしたが、元々肝臓ガンの父ですから、エネルギーが摂取できない状態では肝臓で作りだすエネルギーの補充も出来ない。
そのためフラフラになり、立つ事も歩く事も出来なくなったようです。
救急隊からは、「かかりつけ医」に連絡しなさいと指示があったので、母が札幌の大学病院に電話すると、まずはそちらの街で受診して、それで手に負えないようならそのドクターから大学病院に連絡が来るでしょうと言われたそうです。
札幌へ直行するつもりできてくれた救急隊も仕方なく市内の急病センターに搬送することになり、父は救急車に収容され私は同乗してセンターに向かいました。
横になった状態の父は、声は若干か細く聞こえましたが、意識はしっかりしていて救急隊の問いにもちゃんと答えていました。
センターに到着し、私が受付を済ませて内科診察室に行くと、救急隊と昨夜の担当ドクターが申し送りをしており、ドクターの顔を見ると!何と!当院の中堅ドクターが担当でした。
ここからは話はスムーズに行き、簡易検査の結果を見ながら私と専門用語や薬の商品名がポンポン飛び交う、まるで当院での風景の様になりました。
緊急簡易検査の結果、肝機能には問題がないが、強度の貧血が認められました。
さしあたっての処置として吐き気止めが入った補液と抗生物質を点滴し、1時間ほどで終了しまし帰宅許可が出ましたが、担当ドクターはすでに交代していました。
ベッドから起き上がってベッドの縁に腰かけたんですが、やはり体がいう事をきかず頭もふらつくと、またベッドに倒れ込んでしまいました。
看護師を呼びましたが、担当だった当院の中堅ドクターはすでに帰宅しており、看護師はとにかく帰宅して明日かかりつけの大学病院へ行きなさいと言うばかりで、交代後のドクターを呼んでくれることすらありませんでした。
仕方なく帰宅する事にしましたが、立てない歩けない状態ですから困惑していると、車いすでタクシーまで運ぶと看護師が言うのでタクシーを呼びに行き、救急搬入口に車を付けてもらい何とかタクシーに乗せて実家へ向かいました。
マンションの玄関から10メートルくらいのところまで車を付けてもらい歩いて玄関まで行きましたが、その間ですら息が上がって辛そうで、やっとの思いでエレベーター前まで到着した時には座りこんでしまいました。
呼吸を整えてエレベーターに乗り込もうと立ち上がり1歩入ったところで急激に意識を失って崩れ落ち、エレベーターのドアに挟まれる形になってしまったので、私が力ずくで引きずりだしました。
その後数分は全く動けず、言ってる事もあいまいでほとんど聞こえない状態が続きました。
意識を取り戻したようなのでまたエレベーターに乗り込ませると、エレベーター内でもしゃがみこんだまま。
自宅の階に到着し、エレベーターを降りたところから玄関ドアまでは5段程の階段があるんですが、父は最期の気力を振り絞ったと思う。
私は後ろから支えましたが何とか登り切り、玄関を入ったところで座り込んでそれからしばらくは全く動けませんでした。
しばらく母が玄関で介抱していましたが、動けそうだと這って居間に移動しソファーに横たわりました。
横になると息遣いも楽になるようで、会話も普通に交わしますし、いつものように減らず口を叩いて冗談も言うんです。
トイレに行きたいと言うので母の肩につかまってトイレに行き、戻ってきてからは布団に寝かせ、午後11時ころ私は帰宅しました。

「昼食」
・鍋焼きうどん8分目ほど(ほうれん草、長ネギ、椎茸、シメジ、落とし玉子)

「夕食」
・おにぎり(ネギトロ、エビマヨ)
・焼酎のプーアル茶割り

「夜食」
・鍋ラーメン

今日のBW:73.5kg

拍手[0回]

昨夜はヤラれました。
寿司屋での後半から記憶が途切れ途切れで、スナックではほとんど記憶がなく、帰宅時の記憶は全くなし。
いつ帰って来てどうやって寝たのか全く分からん;
奥さんが一緒だと安心し過ぎて、周りが全く見えなくなってしまう。
自分でも感じていましたが、昨夜は飲むペースが速かった。
結構醜態を曝したようですが、まあ酔っぱらいなんてこんなもんでしょ。

昨日の朝、どうも最近の体重減が気になって、血液検査をしました。
2ヶ月前には76キロあった体重が、最近は行きつ戻りつしながら73キロ台になっていたんです。
ダイエットでもしているのなら2ヶ月で3キロ減は普通かもしれませんが、今の私はダイエットなどしていませんし、食べる物も量も以前と何ら変わっている事はないんです。
それなのに体重はチョロチョロ減り続け、ズボンはユルユル、ベルトも穴が1つ詰まってしまいました。
わが家のヘルスメーターが壊れているのかとも思いましたが、奥さんは変動がないのでそうでもないらしい。
先週土曜の異常な喉の渇きも相まって、やはりどこかがおかしいのではと思い、奥さんにさんざん言われていても実行しなかった血液検査を受けてみる事にしました。
これで検査値に異常がなければ、それは自然な体重減だという証明になりますしね。
出勤後すぐに外来看護主任に事情を説明したところ、それはどこかがおかしいんじゃないかとすぐに採血され、肝機能・腎機能・脂質系・糖尿関係などの項目にチェックを付けて、検査センターに出されました。
で、その結果が今日届きました。
外来担当の学生助手が「主任さんが大変な事になってるから急いですぐに外来に来てと言ってます」と、私を呼びに来ました。
まあ、本当に大変な事になっているのなら、外来看護主任自ら検査データを持って私のところにやって来るはずですので、そうしないという事はそんなに悪いものじゃないなとタカをくくっていました。
外来に行くと外来看護主任が「大変だわ」と言いながら、多少ニヤついた顔でデータを私に見せました。
見ると、肝機能は高値安定で前回7月と比べても横ばい状態、肝ガンの腫瘍マーカーも正常、コレステロール正常、中性脂肪は正常の約2倍。
ん~、油ものは控えた方が良いな。
おおっ!尿酸値がいつの間にか正常になってる!下げる薬を飲んでる訳でもないのに一体これはどういう事だ!
血球関係はすべて正常。
血糖値が、朝食を抜いて検査したのに287mg/dLとは・・・。
胃の中に前夜の食べた物が残っていたんだろうか?
同じ条件で計った前回も150あったからヤバいかなと思ってはいたけど・・・。
え~っと、ヘモグロビンA1cは・・・9.4か・・・???
9.4って!もろ立派な糖尿病じゃん!しかも重症だゼこりゃ(-_-;)
正常上限が5.8のこの項目、1ヶ月間の血糖値の変動を示しているんですが、これが異常と言う事はこの1ヶ月間、又はそれ以上の期間ずーっと血糖値が高かったという事を示していました。
これだ・・・、異常な喉の渇きもおかしな体重の減少もこのせいだったんだ。
特に先週あたりから、食後すぐに空腹感を覚えていて、奥さんから気のせいと言われていた事が、実は本当に糖尿病がなせる技だったんです!
糖尿病、血糖値が高い、つまり血液中に糖分がたくさんあるのに何故やせるのか?
膵臓から分泌されるインスリンが、体内に取り込まれた糖分(ブドウ糖)をエネルギーに変える働きをしますが、このインスリンの効きが悪くなったり(感受性低下)分泌量が何らかの理由で少なくなる(分泌低下)と血中のブドウ糖を利用することができずエネルギー不足になって、体内に蓄えられてたグリコーゲン(ブドウ糖がたくさん連なった物質)や脂肪を分解してエネルギーにするんです。
つまり細胞レベルでは飢餓状態と、それでやせていくという訳。
利用されずに血中に残ったブドウ糖は、そのまま尿から排泄されるのもありますが、大部分は血液をドロドロにして体中を「砂糖漬け」にしてしまう。
それを少しでも薄めようとして、異常な喉の渇きを訴えるんです。
さあ、この「砂糖漬け」が怖い合併症を引き起こすんです!
◎糖尿病性網膜症
◎糖尿病性腎症
◎糖尿病性末梢神経障害
これが糖尿病の3大合併症と呼ばれるもので、なってしまうとほぼ予後不良で回復が難しい疾病です。
糖尿病で血糖をコントロールしなければならない目的は、この合併症を引き起こさないよう予防するためと言っても過言ではありません。
最近視力が低下してきたように感じていたのは、この合併症のせいなのではと奥さんの診断。
それはそうと、取りあえずドクターに診察してもらい、糖尿病薬(経口剤)を処方してもらい、今日の昼から飲み始めました。
薬のタイプは、膵臓のインスリンを分泌するところ(ランゲルハンス島β細胞)に作用して、インスリン分泌を促して血糖降下作用を発現するものです。
1日1回1錠から始めましょうとの事でしたので、朝食はほとんど食べない私が選択したのは昼食後服用です。
また、一度眼科を受診した方がよいのではとのアドバイスを貰いましたが、考えておきます。

接待が昨日で良かった(^^ゞ
今日だったら、ものすごく落ち込んで会話も進まず、奥さんには酒も飲ませてもらえなかったでしょう。
そういう問題じゃないか(* ̄m ̄)ノ彡☆ピシッ

「昨夜のメニュー」(寿司屋で接待)
・タチポン
・鮭児のアラ炊き
・お造り(鮭児、シャコ、キンキ、ハッカク、ニシン、ボタンエビ)
・三点盛(フグ味噌漬焼き、タチカマ、フグ皮の煮凝り
・中トロのカツ
・カキの醤油漬け
・クチコとカラスミ
・海水ウニお造り
・握り(ホッキ、鮭児ハラス、コハダ、イカミミ)
・中生
・冷酒

「昨夜の2次会」(スナック)
・ウイスキーの水割り

「朝食」
・野菜ジュース
・アリナミンVドリンク

「昼食」
・鍋ラーメン

「夕食」
・ごはん
・エノキと揚げの味噌汁
・大根のそぼろ煮(エビ、椎茸、大根)
・イカ、セロリ、アスパラの塩炒め
・ほうれん草のお浸し

「あまりの空腹に耐えきれず」
・調製豆乳200mL(114kcal)

今日のBW:73.5kg

拍手[0回]

カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
お客さま数
                                                       
プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。

   保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在

マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]