管理人の食卓風景と日常の日記
とっても起きたくない、とっても仕事行きたくない。
そんな気持ちが体に現われて、起きた時から吐き気はするし、変な汗が出て止まらず、熱を計ったら37℃ありました。
休んでもいいんですけど、そうすると連休中に来た処方箋や伝票の処理を誰がするのか。
あと後の事を考えると、いくら具合が悪くてもとりあえずは出勤しなければ、自分で自分の首を絞めることになる。
ここの所毎晩飲み過ぎのせいもあるし、精神的なものもあるんでしょう。
いい加減にしとかないと、私自身の肝臓もまた反乱を起こしかねない。
今ははさっさと寝ることにします。
もちろん1滴も飲まずに!
父の今日の様子ですが、母の仕事の都合で今日は午後から病院へ行くと言ってました。
夕方連絡があり、今日も容態は変わらずとの事。
悪化していないが改善の傾向も見られないと。
急変してからまだ2日ほどですから、そう簡単にはいかないでしょうが、眠らせている薬の用量の問題で意識レベルが上がると管やマスクを手で払いのけようとするらしい。
そこで今日は、手だけ動かないように拘束したいと、許可の書類にサインして欲しいと言われたそうです。
それもまた元気な証拠、生きてる証ですよ。
今日も母は主治医と面会して、やはり厳しいと言われたそうですが、できる限りは手を尽くしてもらうと言う事で私とも意見が一致しました。
少なくとも、心臓が悲鳴を上げるまでは頑張ってもらいましょう、父には。
もしかしたら、そうこうしているうちに肺の障害も良くなってくるかもしれないじゃないですか。
家族の希望的観測なのは分かっています。
もしかしたら明日にでもお見舞いに行ったら、ベッドから起き上がってそうめんなりおにぎりなりを食べながら「ようっ!」と笑顔で迎えてくれるかもしれないと、家族なら誰しもが思う事でしょう。
私だって同じです。
ここであきらめてしまったら、それこそもうおしまいです。
眠らされている間は苦しさも感じてませんから、その間に少しでも肺が良い方向に行ってくれないかなと願いつつ、今夜も病院から何も連絡がない事を祈って寝る事にしましょう。
「朝食」
・おにぎり(筋子)
・シジミの味噌汁
「昼食」
・具だくさん焼きビーフン(人参、ピーマン、玉ねぎ、シャウエッセン、玉子)
「夕食」
・三色弁当(鶏そぼろ、卵そぼろ、鮭フレーク、ポテサラ、エビフライ、味付けスパゲティ、ポークウインナー
・ミニぶっかけきつねうどん(味付け油揚げ、千切りキュウリ、わかめ、天かす、ネギ、板かまぼこの細切り)
今日のBW:70.5kg
そんな気持ちが体に現われて、起きた時から吐き気はするし、変な汗が出て止まらず、熱を計ったら37℃ありました。
休んでもいいんですけど、そうすると連休中に来た処方箋や伝票の処理を誰がするのか。
あと後の事を考えると、いくら具合が悪くてもとりあえずは出勤しなければ、自分で自分の首を絞めることになる。
ここの所毎晩飲み過ぎのせいもあるし、精神的なものもあるんでしょう。
いい加減にしとかないと、私自身の肝臓もまた反乱を起こしかねない。
今ははさっさと寝ることにします。
もちろん1滴も飲まずに!
父の今日の様子ですが、母の仕事の都合で今日は午後から病院へ行くと言ってました。
夕方連絡があり、今日も容態は変わらずとの事。
悪化していないが改善の傾向も見られないと。
急変してからまだ2日ほどですから、そう簡単にはいかないでしょうが、眠らせている薬の用量の問題で意識レベルが上がると管やマスクを手で払いのけようとするらしい。
そこで今日は、手だけ動かないように拘束したいと、許可の書類にサインして欲しいと言われたそうです。
それもまた元気な証拠、生きてる証ですよ。
今日も母は主治医と面会して、やはり厳しいと言われたそうですが、できる限りは手を尽くしてもらうと言う事で私とも意見が一致しました。
少なくとも、心臓が悲鳴を上げるまでは頑張ってもらいましょう、父には。
もしかしたら、そうこうしているうちに肺の障害も良くなってくるかもしれないじゃないですか。
家族の希望的観測なのは分かっています。
もしかしたら明日にでもお見舞いに行ったら、ベッドから起き上がってそうめんなりおにぎりなりを食べながら「ようっ!」と笑顔で迎えてくれるかもしれないと、家族なら誰しもが思う事でしょう。
私だって同じです。
ここであきらめてしまったら、それこそもうおしまいです。
眠らされている間は苦しさも感じてませんから、その間に少しでも肺が良い方向に行ってくれないかなと願いつつ、今夜も病院から何も連絡がない事を祈って寝る事にしましょう。
「朝食」
・おにぎり(筋子)
・シジミの味噌汁
「昼食」
・具だくさん焼きビーフン(人参、ピーマン、玉ねぎ、シャウエッセン、玉子)
「夕食」
・三色弁当(鶏そぼろ、卵そぼろ、鮭フレーク、ポテサラ、エビフライ、味付けスパゲティ、ポークウインナー
・ミニぶっかけきつねうどん(味付け油揚げ、千切りキュウリ、わかめ、天かす、ネギ、板かまぼこの細切り)
今日のBW:70.5kg
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午前9時、いとこの運転する車が迎えに来て、母と母の妹の4人で大学病院に向かいました。
奥さんは今日は遅出勤務なので、もし何かあったらすぐに駆けつけると言う事で、仕事に行く事に。
病院に着き、ICUの前に行くと、先に来ていた父の弟が出てきて、「この前まであんな気元気だったのに、納得いかない」と憤っていました。
ICUに入ると、父が横たわっていて、言うなれば「管だらけ」状態。
気管内挿管、バルーンカテーテル、IVH、催眠安定剤の持続注入シリンジのチューブ、モニター類など。
当初の話では呼びかけには反応する程度に意識レベルを下げると言っていましたが、それではやはりダメだったのでしょう、呼びかけにも全く反応しない程度の薬液量に設定されているようで、ぐっすり眠った状態でしたが、呼吸はしっかりしていました。
昨日私に電話をくれたドクターが状況説明してくれ、昨日より悪くはなっていないが改善しているという訳でもないと。
抗ガン剤の副作用とは必ずしも言えず、入院した時から肺に白い影らしきものが映っているといえば映っていて、それもきっかけの1つかもしれませんと。
私、薬剤師として何も言いませんでしたが、抗ガン剤の副作用である事は明らかですよ。
ただ、ドクターが「そうです」と言ってしまうと、訴訟問題にもなりますし、補償とか書類とか、非常にめんどうなことになるから言わないだけなのは、同じ医療人として百も承知。
そもそも、薬の副作用は、投与してみないと分からない、発症して初めて分かる予見不可能な部分が多いんです。
これが明らかに投与した人全員に出ると分かっているなら、初めからその薬は発売されませんから、父はたまたまそれに当たってしまったという事です。
とりあえず落ち着いているのを確認してICUを出ようとすると、今度は父の姉夫婦がお見舞いに来ました。
その後父の別の弟もお見舞いに来て、入れ替わり立ち替わりでICUのスタッフも迷惑だったでしょう。
母が札幌市内で買い物をしたいと言うので、後の2人とは別れて買い物に付き合い、暑いので軽く冷たいそばでも食べようと、母とそば屋に入りました。
注文して待っていると、私が切り出せずにいた事を母の方から言ってきました。
「温泉に緊急連絡行くかもよ」と。
私は、今日の状態を見てキャンセルしようかと話していたんだと言うと、「そんな事したらキャンセル料取られるっしょ。いいから大丈夫そうだから行ってきなさい」とも。
確かに今日の段階でキャンセルした場合50%、前日の明日にキャンセルした場合は80%と約款に記載してありました。
クレジット決済で手続きしているので、振り込んだり支払いに行く必要はありませんが、もしもの場合は100%であってもやむを得ないと覚悟しています。
とりあえず、私達が温泉にいても毎晩連絡を携帯にくれることにして、急変した場合でも館内呼び出しじゃなく携帯にと決めてそばを食べ終えて帰途につきました。
気が張っていたせいもあってか、何だかドーッと疲れました。
帰宅後昼寝でもしようと布団に入っても、余計な事ばかり思い浮かんでなかなか寝付けず、休憩に入った奥さんが心配して電話をくれたんですが、それが子守歌になったようで、その後あっという間に落ちたようです。
気が付くとたっぷり2時間の爆睡。
その間夢を見た記憶もなく、起きるとパジャマは汗でビショビショ。
まだスッキリはしませんでしたが、とりあえず電話で起こされる事もなく良かったなと。
今夜も何の連絡もない事を祈って・・・。
「朝食」
・おにぎり(鶏めし)
・シジミの味噌汁
「ひと休み」(大学病院内)
・アイスコーヒー
「昼食」(そば屋)
・ざるそば
「夕食」
・ミニ海鮮丼(サーモンハラス炙り、サーモン、イカ、タコ、茹で海老、サヨリ、いくら、厚焼玉子)
・納豆巻き
・漬物
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:70kg
奥さんは今日は遅出勤務なので、もし何かあったらすぐに駆けつけると言う事で、仕事に行く事に。
病院に着き、ICUの前に行くと、先に来ていた父の弟が出てきて、「この前まであんな気元気だったのに、納得いかない」と憤っていました。
ICUに入ると、父が横たわっていて、言うなれば「管だらけ」状態。
気管内挿管、バルーンカテーテル、IVH、催眠安定剤の持続注入シリンジのチューブ、モニター類など。
当初の話では呼びかけには反応する程度に意識レベルを下げると言っていましたが、それではやはりダメだったのでしょう、呼びかけにも全く反応しない程度の薬液量に設定されているようで、ぐっすり眠った状態でしたが、呼吸はしっかりしていました。
昨日私に電話をくれたドクターが状況説明してくれ、昨日より悪くはなっていないが改善しているという訳でもないと。
抗ガン剤の副作用とは必ずしも言えず、入院した時から肺に白い影らしきものが映っているといえば映っていて、それもきっかけの1つかもしれませんと。
私、薬剤師として何も言いませんでしたが、抗ガン剤の副作用である事は明らかですよ。
ただ、ドクターが「そうです」と言ってしまうと、訴訟問題にもなりますし、補償とか書類とか、非常にめんどうなことになるから言わないだけなのは、同じ医療人として百も承知。
そもそも、薬の副作用は、投与してみないと分からない、発症して初めて分かる予見不可能な部分が多いんです。
これが明らかに投与した人全員に出ると分かっているなら、初めからその薬は発売されませんから、父はたまたまそれに当たってしまったという事です。
とりあえず落ち着いているのを確認してICUを出ようとすると、今度は父の姉夫婦がお見舞いに来ました。
その後父の別の弟もお見舞いに来て、入れ替わり立ち替わりでICUのスタッフも迷惑だったでしょう。
母が札幌市内で買い物をしたいと言うので、後の2人とは別れて買い物に付き合い、暑いので軽く冷たいそばでも食べようと、母とそば屋に入りました。
注文して待っていると、私が切り出せずにいた事を母の方から言ってきました。
「温泉に緊急連絡行くかもよ」と。
私は、今日の状態を見てキャンセルしようかと話していたんだと言うと、「そんな事したらキャンセル料取られるっしょ。いいから大丈夫そうだから行ってきなさい」とも。
確かに今日の段階でキャンセルした場合50%、前日の明日にキャンセルした場合は80%と約款に記載してありました。
クレジット決済で手続きしているので、振り込んだり支払いに行く必要はありませんが、もしもの場合は100%であってもやむを得ないと覚悟しています。
とりあえず、私達が温泉にいても毎晩連絡を携帯にくれることにして、急変した場合でも館内呼び出しじゃなく携帯にと決めてそばを食べ終えて帰途につきました。
気が張っていたせいもあってか、何だかドーッと疲れました。
帰宅後昼寝でもしようと布団に入っても、余計な事ばかり思い浮かんでなかなか寝付けず、休憩に入った奥さんが心配して電話をくれたんですが、それが子守歌になったようで、その後あっという間に落ちたようです。
気が付くとたっぷり2時間の爆睡。
その間夢を見た記憶もなく、起きるとパジャマは汗でビショビショ。
まだスッキリはしませんでしたが、とりあえず電話で起こされる事もなく良かったなと。
今夜も何の連絡もない事を祈って・・・。
「朝食」
・おにぎり(鶏めし)
・シジミの味噌汁
「ひと休み」(大学病院内)
・アイスコーヒー
「昼食」(そば屋)
・ざるそば
「夕食」
・ミニ海鮮丼(サーモンハラス炙り、サーモン、イカ、タコ、茹で海老、サヨリ、いくら、厚焼玉子)
・納豆巻き
・漬物
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:70kg
今朝奥さんは割と早く起きて、私が先に進んでいるゲームに追いつこうとしていました。
そう、今日はこの連休中唯一2人揃って休みの日。
どこへ行っても人だらけとニュースでやっていたので、今日はどこへも行かずうちに籠っていると決めていました。
私は惰眠を貪り続けていましたが、午前10時半頃家の電話が鳴り、奥さんが出ると母からでした。
一方的に話す母の話をひとしきり聞いた奥さんに代わって私が出ると、今大学病院にいて父の様態が急変したと。
私達が帰った後の夕方頃からさらに呼吸が苦しくなり、夜中も唸るくらいの苦しさに襲われたそうで、母が今日病院に行くと個室に移されていて、父は酸素マスクを口に押し当てて必死に酸素を吸おうとしていたそう。
喘息発作の患者と同じく、酸素が吸えない状態になると横になって寝てはいられなくなり、座った状態(起坐呼吸)でベッドサイドテーブルにもたれる様にして苦しんでいたとか。
これはもう駄目だと、ドクターからICUに移して集中管理し、気管内挿管して酸素を送ると告げられたと連絡がありました。
もうすぐICUに移すと言う事なので、慌てて行ってもどうしようもないため、何かあったらまた連絡をくれと言って電話を切りました。
午後、また母から電話があり、戻ってきたのでそっちへ(私の家)に行くからと。
午後4時、母が来て事の次第の説明を聞きました。
ICUに運んでさまざまな処置をするまで1時間半ほど待たされ、面会が許された時にはまだ気管内挿管はしてなく、酸素マスクでかなりの圧をかけて酸素を送り込むことにしたと。
ただ、強い圧がかかっているのでそれも苦しいらしく、手で払いのけようとしているとか。
何かを懸命に話そうとしているが、マスク越しでは聞き取れず、それに対してもストレスがつのってイライラしていたと。
母が、貴重品などはちゃんと持ってきたからと、機転を利かせて父に言うとそれで納得したのか、父はそれを言いたかったようで、それ以降は何も言わなくなったと。
ドクターからの説明では、非常に危険な状態だと、レントゲン写真を見ても肺全面が真っ白で厳しいと告げられたそう。
呼吸器内科のドクターとも相談しながら治療していくが、非常に難しい状態ですと言われたそうです。
マスクを外そうとするのと、かなり苦しがっているので薬で意識レベルを下げて楽にしたいがと聞かれたそうで、苦しがっている姿を目の当たりにした母は、もうこれ以上見るに忍びないので楽にしてやってくださいと依頼してきたと。
ここで言う「楽にする」とは、最期を迎えさせるという事ではなく、本当に苦しさを感じさせなくするだけという意味ですからお間違えなく;
生まれて初めて父の携帯を持って使い始めるにあたっての簡単な操作法を教え、とにかくもうこの状況だから連絡しなければならない親戚などには連絡しておけと念を押し、母は帰りました
今日は早めに風呂に入ろうかと湯を入れていると、私の携帯に見知らぬ番号の着信が。
見ると市外局番は、札幌。
まさか!と思って電話に出ると、やはりそのまさかの大学病院からでした。
母がまだ自宅に到着していなかったため、連絡先の1つである私のところに掛けてきたとか。
内容は、やはり呼吸が苦しそうなので気管内挿管したいが確認のため電話をかけたと。
ただ、気管内挿管してしまうと会話ができなくなるので、もし今のうちに会話をしておきたい人がいるなら1日くらいならこのまま酸素マスクで維持していくこともできるがいかがしますかという内容でした。
今母が来ていて状況は聞いたと言うと、そうでしたかと。
いかがも何もない、とにかく酸素を送ってやらねばそれで終わってしまうので、今すぐにでも挿管してくださいとお願いしました。
会話など回復すればいつでもできるし、たったその事のために(親戚のためと言う事)更に父に苦しさを我慢してもらうなんて、息子である私が「はい」と言う訳ないじゃないですか。
母から電話が来て、その事を伝えると「そうかい、そう言ったのかい」と。
夜、あちこちに連絡した途端、母の元に親戚は集まって来るし、私のいとこは早速大学病院に面会に行ったとか。
明日私も面会に行く事にして今日は終わりましたが、今夜1晩、どこからも連絡が来ない事を祈って。
「昼食」
・沖縄そば(インスタント袋麺)
・おにぎり(バター醤油、鮭ひじき)
「夕食」
・ベイクドブレッド(シュガーバター、チョコ、ハーブソルト)
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:70.5kg
そう、今日はこの連休中唯一2人揃って休みの日。
どこへ行っても人だらけとニュースでやっていたので、今日はどこへも行かずうちに籠っていると決めていました。
私は惰眠を貪り続けていましたが、午前10時半頃家の電話が鳴り、奥さんが出ると母からでした。
一方的に話す母の話をひとしきり聞いた奥さんに代わって私が出ると、今大学病院にいて父の様態が急変したと。
私達が帰った後の夕方頃からさらに呼吸が苦しくなり、夜中も唸るくらいの苦しさに襲われたそうで、母が今日病院に行くと個室に移されていて、父は酸素マスクを口に押し当てて必死に酸素を吸おうとしていたそう。
喘息発作の患者と同じく、酸素が吸えない状態になると横になって寝てはいられなくなり、座った状態(起坐呼吸)でベッドサイドテーブルにもたれる様にして苦しんでいたとか。
これはもう駄目だと、ドクターからICUに移して集中管理し、気管内挿管して酸素を送ると告げられたと連絡がありました。
もうすぐICUに移すと言う事なので、慌てて行ってもどうしようもないため、何かあったらまた連絡をくれと言って電話を切りました。
午後、また母から電話があり、戻ってきたのでそっちへ(私の家)に行くからと。
午後4時、母が来て事の次第の説明を聞きました。
ICUに運んでさまざまな処置をするまで1時間半ほど待たされ、面会が許された時にはまだ気管内挿管はしてなく、酸素マスクでかなりの圧をかけて酸素を送り込むことにしたと。
ただ、強い圧がかかっているのでそれも苦しいらしく、手で払いのけようとしているとか。
何かを懸命に話そうとしているが、マスク越しでは聞き取れず、それに対してもストレスがつのってイライラしていたと。
母が、貴重品などはちゃんと持ってきたからと、機転を利かせて父に言うとそれで納得したのか、父はそれを言いたかったようで、それ以降は何も言わなくなったと。
ドクターからの説明では、非常に危険な状態だと、レントゲン写真を見ても肺全面が真っ白で厳しいと告げられたそう。
呼吸器内科のドクターとも相談しながら治療していくが、非常に難しい状態ですと言われたそうです。
マスクを外そうとするのと、かなり苦しがっているので薬で意識レベルを下げて楽にしたいがと聞かれたそうで、苦しがっている姿を目の当たりにした母は、もうこれ以上見るに忍びないので楽にしてやってくださいと依頼してきたと。
ここで言う「楽にする」とは、最期を迎えさせるという事ではなく、本当に苦しさを感じさせなくするだけという意味ですからお間違えなく;
生まれて初めて父の携帯を持って使い始めるにあたっての簡単な操作法を教え、とにかくもうこの状況だから連絡しなければならない親戚などには連絡しておけと念を押し、母は帰りました
今日は早めに風呂に入ろうかと湯を入れていると、私の携帯に見知らぬ番号の着信が。
見ると市外局番は、札幌。
まさか!と思って電話に出ると、やはりそのまさかの大学病院からでした。
母がまだ自宅に到着していなかったため、連絡先の1つである私のところに掛けてきたとか。
内容は、やはり呼吸が苦しそうなので気管内挿管したいが確認のため電話をかけたと。
ただ、気管内挿管してしまうと会話ができなくなるので、もし今のうちに会話をしておきたい人がいるなら1日くらいならこのまま酸素マスクで維持していくこともできるがいかがしますかという内容でした。
今母が来ていて状況は聞いたと言うと、そうでしたかと。
いかがも何もない、とにかく酸素を送ってやらねばそれで終わってしまうので、今すぐにでも挿管してくださいとお願いしました。
会話など回復すればいつでもできるし、たったその事のために(親戚のためと言う事)更に父に苦しさを我慢してもらうなんて、息子である私が「はい」と言う訳ないじゃないですか。
母から電話が来て、その事を伝えると「そうかい、そう言ったのかい」と。
夜、あちこちに連絡した途端、母の元に親戚は集まって来るし、私のいとこは早速大学病院に面会に行ったとか。
明日私も面会に行く事にして今日は終わりましたが、今夜1晩、どこからも連絡が来ない事を祈って。
「昼食」
・沖縄そば(インスタント袋麺)
・おにぎり(バター醤油、鮭ひじき)
「夕食」
・ベイクドブレッド(シュガーバター、チョコ、ハーブソルト)
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:70.5kg
奥さんが夜勤明けで帰宅後、軽く朝食を摂って父のお見舞いに向かいました。
先日の母の話では、どうも抗ガン剤投与後から肺に白い影が出てきて呼吸が苦しくなっていると聞かされていました。
前回24日に行った時にも酸素吸入をしていましたが、その時以上に血中酸素飽和度が低下しているとの事。
ただ、抗ガン剤投与直後のような強い倦怠感もほぼ消失し、食欲も出てきていて、ドクターにパンと米飯の食事じゃなく、本人が好きな麺類に変更して欲しいと頼んだところ、隔日でそうめんの食事に変更が許可され、それは食べていると言っていました。
またドクターからも、食べたいものがあったら何でも食べていいとも言われたそうで、毎日母がお菓子などを買って持って行ってると。
大学病院に到着し、父の病室へ行くと酸素ボンベをベッドサイドに置き、歩いてトイレにいけるようしてあり、鼻腔カニューらから酸素吸入をしながらベッドに横になっていました。
見た目元気そうでしたが、歩くと息が苦しくてトイレの往復もやっとだと。
酸素マスクはかえって苦しいからこれ(カニューラ)にしてもらっていて、寝る前に飲む栄養補助食品が増えたから辛いと文句タラタラでした。
まあ、これも元気な証拠かと考えましたが、ドクターが考えてアルブミン値を上げようと処方している物を、マズイとか腹が膨らむとか翌腸まで消化されないから苦しいとか言ってきちんと飲まない(飲めない)からアルブミン値が上がらず、今日は点滴で直接アルブミンを入れられていました。
アルブミンは肝臓で作られる血清タンパクなんですが、その値が上がらないということはそれだけ肝機能が低下しているという事を示しています。
肺の白い影について、ドクターからは「間質性肺炎」の疑いと言われているそうで、予防的な抗生剤投与も行われているとか。
10分も話したでしょうか、冗談も言いながらの会話は苦しそうでもなく、父本人に聞いても会話をするのは苦しくないと。
若干息が荒い事がありましたが、会話中に咳き込む事もなく、痰が絡んだような声でもなかったので、まあ私達も少し安心し、昼食のそうめんが運ばれてきたので「じゃあ、また来るね」と言って帰る事にし、すると父は奥さんに「はい、ご苦労さん」と笑顔で送り出してくれました。
状態が快方に向かっているとは言い難いんですが、今日のこの様子ではさしあたってどうこうという事はないだろうという感じでした。
ですが、ドクターが言ったように「間質性肺炎」なら、非常に厳しい状況になるかもしれません。
帰宅後母に電話をし、私が見た状態を説明して、このままなら大丈夫かもしれないと言うと母も少しは安心したようでした。
悲観的な事ばかり考えていても父の様態が良くなるわけでもなく、母に対して医療人としての「嘘も方便」を多少使ってしまった事に心の中で謝罪しましたが・・・。
「朝食」
・おにぎり(筋子)
・サラダ巻き
・ウーロン茶
「昼食」(中華レストラン)
◎中華ランチ
・あんかけ焼きそば
・干焼蝦仁
・玉子スープ
・3点盛り(大根の酢漬け、ブロッコリーのマヨソース、野菜サラダ)
「夕食」
・フライの残り
・自家製パンのハムカツサンド
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:70.5kg
先日の母の話では、どうも抗ガン剤投与後から肺に白い影が出てきて呼吸が苦しくなっていると聞かされていました。
前回24日に行った時にも酸素吸入をしていましたが、その時以上に血中酸素飽和度が低下しているとの事。
ただ、抗ガン剤投与直後のような強い倦怠感もほぼ消失し、食欲も出てきていて、ドクターにパンと米飯の食事じゃなく、本人が好きな麺類に変更して欲しいと頼んだところ、隔日でそうめんの食事に変更が許可され、それは食べていると言っていました。
またドクターからも、食べたいものがあったら何でも食べていいとも言われたそうで、毎日母がお菓子などを買って持って行ってると。
大学病院に到着し、父の病室へ行くと酸素ボンベをベッドサイドに置き、歩いてトイレにいけるようしてあり、鼻腔カニューらから酸素吸入をしながらベッドに横になっていました。
見た目元気そうでしたが、歩くと息が苦しくてトイレの往復もやっとだと。
酸素マスクはかえって苦しいからこれ(カニューラ)にしてもらっていて、寝る前に飲む栄養補助食品が増えたから辛いと文句タラタラでした。
まあ、これも元気な証拠かと考えましたが、ドクターが考えてアルブミン値を上げようと処方している物を、マズイとか腹が膨らむとか翌腸まで消化されないから苦しいとか言ってきちんと飲まない(飲めない)からアルブミン値が上がらず、今日は点滴で直接アルブミンを入れられていました。
アルブミンは肝臓で作られる血清タンパクなんですが、その値が上がらないということはそれだけ肝機能が低下しているという事を示しています。
肺の白い影について、ドクターからは「間質性肺炎」の疑いと言われているそうで、予防的な抗生剤投与も行われているとか。
10分も話したでしょうか、冗談も言いながらの会話は苦しそうでもなく、父本人に聞いても会話をするのは苦しくないと。
若干息が荒い事がありましたが、会話中に咳き込む事もなく、痰が絡んだような声でもなかったので、まあ私達も少し安心し、昼食のそうめんが運ばれてきたので「じゃあ、また来るね」と言って帰る事にし、すると父は奥さんに「はい、ご苦労さん」と笑顔で送り出してくれました。
状態が快方に向かっているとは言い難いんですが、今日のこの様子ではさしあたってどうこうという事はないだろうという感じでした。
ですが、ドクターが言ったように「間質性肺炎」なら、非常に厳しい状況になるかもしれません。
帰宅後母に電話をし、私が見た状態を説明して、このままなら大丈夫かもしれないと言うと母も少しは安心したようでした。
悲観的な事ばかり考えていても父の様態が良くなるわけでもなく、母に対して医療人としての「嘘も方便」を多少使ってしまった事に心の中で謝罪しましたが・・・。
「朝食」
・おにぎり(筋子)
・サラダ巻き
・ウーロン茶
「昼食」(中華レストラン)
◎中華ランチ
・あんかけ焼きそば
・干焼蝦仁
・玉子スープ
・3点盛り(大根の酢漬け、ブロッコリーのマヨソース、野菜サラダ)
「夕食」
・フライの残り
・自家製パンのハムカツサンド
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:70.5kg
たばこは10月に値上がりすることがほぼ確実になりましたねぇ~;
昨夜は午後10時半頃には、眠くて寝てしまいました。
奥さんも疲れていたらしく、私が布団に入った直後に寝てしまいました。
夢うつつの中で、胃が熱く感じられ、寝苦しくて布団の中で悶え苦しみました。
前夜食べた物が消化しきれず、胃酸をたっぷり含んだ未消化物が胃粘膜を攻撃し始めたようです。
一度目が覚めて奥さんに胃が痛いと告げ、奥さんが薬持ってこようかと言ってくれたんですが、その時は胃痛がやや治まったのでそのまままた寝てしまいました。
次にまた胃痛で目覚めたのは午前3時頃。
今度はもう我慢できずに起き、自分で薬を選んで飲み、やや治まったところで布団に入りました。
寝入ったと思った次の瞬間、実際には2時間後の午前5時頃でしたが、今度は下腹部に違和感を覚え、段々痛みが強くなってきて我慢できなくなり、トイレに駆け込むと・・・ピィー!
何だ何だ?
寝ぼけてボケボケの頭では理解不能な、久しく見たことがない水ゲリでした。
出してしまうと、今のは何だったのと感じるくらいスッキリして、腹痛など一緒に流れて行ったんじゃないかと思ったほど。
今朝は寒かったので、トイレから戻ってまた布団にもぐり込み、起きるまでまだ時間があるからと寝る努力をしました。
まどろむ事しばし、また腹痛が襲ってきて、トイレにダッシュ!
またもや水がピィ~~~。
出終わると何事もなかったようになるのは今度も同じで、時間はすでに午前6時過ぎ。
もう起きる時間だとストーブを点火し、テレビの情報番組を見ていましたが、しばらくするとまた腹が渋ってきてトイレに。
奥さんが起きてきて、「おなか壊すようなものは何も食べてないけど」と。
確かに昨夜も奥さんと同じ物を食べたのに、奥さんは何ともないんですよね;
その後も何度か、出勤後も1時間おきくらいに腹が痛くなり、トイレに行ってもさすがにもう出るものもなくなったのか、しまいには「スカ」して終わりだったり。
何が悪かったんでしょ?
確かに冷たい飲み物をガブガブ飲みましたから、おなかがゆるくなってもおかしくはないんですけど、それっていつもの事ですし、今日のような超特急になるのも珍しい事です。
何だかよく分からないけど、余分なものがきれいさっぱり出て行ってるようなので、薬で止めずにそのまま出るがままにしておきました。
今日の勤務は午前中だけですし、午後からはいつでもトイレに行けるので、特に心配はしていませんが、何だか納得いかないのは間違いないです。
「朝食」
・ごはん
・漬物
・シジミの味噌汁
・納豆
・イカトロメカブ
・なめたけ
・焼鮭
「昼食」
・明太生からすみキノコパスタバター醤油
「夕食」(夜勤の奥さんの負担軽減、コンビニ弁当)
◎グリルチキン&ミックスフライ弁当
・ごはん
・グリルチキン
・とんかつ
・鶏唐揚げ
・味付けスパゲティー
・明太ポテトサラダ
・ウインナー
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:70.5kg
昨夜は午後10時半頃には、眠くて寝てしまいました。
奥さんも疲れていたらしく、私が布団に入った直後に寝てしまいました。
夢うつつの中で、胃が熱く感じられ、寝苦しくて布団の中で悶え苦しみました。
前夜食べた物が消化しきれず、胃酸をたっぷり含んだ未消化物が胃粘膜を攻撃し始めたようです。
一度目が覚めて奥さんに胃が痛いと告げ、奥さんが薬持ってこようかと言ってくれたんですが、その時は胃痛がやや治まったのでそのまままた寝てしまいました。
次にまた胃痛で目覚めたのは午前3時頃。
今度はもう我慢できずに起き、自分で薬を選んで飲み、やや治まったところで布団に入りました。
寝入ったと思った次の瞬間、実際には2時間後の午前5時頃でしたが、今度は下腹部に違和感を覚え、段々痛みが強くなってきて我慢できなくなり、トイレに駆け込むと・・・ピィー!
何だ何だ?
寝ぼけてボケボケの頭では理解不能な、久しく見たことがない水ゲリでした。
出してしまうと、今のは何だったのと感じるくらいスッキリして、腹痛など一緒に流れて行ったんじゃないかと思ったほど。
今朝は寒かったので、トイレから戻ってまた布団にもぐり込み、起きるまでまだ時間があるからと寝る努力をしました。
まどろむ事しばし、また腹痛が襲ってきて、トイレにダッシュ!
またもや水がピィ~~~。
出終わると何事もなかったようになるのは今度も同じで、時間はすでに午前6時過ぎ。
もう起きる時間だとストーブを点火し、テレビの情報番組を見ていましたが、しばらくするとまた腹が渋ってきてトイレに。
奥さんが起きてきて、「おなか壊すようなものは何も食べてないけど」と。
確かに昨夜も奥さんと同じ物を食べたのに、奥さんは何ともないんですよね;
その後も何度か、出勤後も1時間おきくらいに腹が痛くなり、トイレに行ってもさすがにもう出るものもなくなったのか、しまいには「スカ」して終わりだったり。
何が悪かったんでしょ?
確かに冷たい飲み物をガブガブ飲みましたから、おなかがゆるくなってもおかしくはないんですけど、それっていつもの事ですし、今日のような超特急になるのも珍しい事です。
何だかよく分からないけど、余分なものがきれいさっぱり出て行ってるようなので、薬で止めずにそのまま出るがままにしておきました。
今日の勤務は午前中だけですし、午後からはいつでもトイレに行けるので、特に心配はしていませんが、何だか納得いかないのは間違いないです。
「朝食」
・ごはん
・漬物
・シジミの味噌汁
・納豆
・イカトロメカブ
・なめたけ
・焼鮭
「昼食」
・明太生からすみキノコパスタバター醤油
「夕食」(夜勤の奥さんの負担軽減、コンビニ弁当)
◎グリルチキン&ミックスフライ弁当
・ごはん
・グリルチキン
・とんかつ
・鶏唐揚げ
・味付けスパゲティー
・明太ポテトサラダ
・ウインナー
・焼酎のウーロン茶割り
今日のBW:70.5kg
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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
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