管理人の食卓風景と日常の日記
今日も午前8時前に起床し、まずは昨日変更してもらった飛行機の運航状況を携帯でチェック。
朝の段階では、被害を受けた仙台空港、アクセスできなくなってる石巻空港を離発着する便以外に欠航はないとの情報にまずは一安心。
身支度して、朝食会場へ行き、今日これからの試練を考えるとあまり食欲もなかったんですけど、取りあえず胃に何か入れておかないとと無理矢理流し込んだ感じ。
今日の地元料理は、ようやく「クーブ(昆布)イリチー」の登場でした。
今日は「ミミガーの和え物」も出てましたが、「モズクの酢の物」と「油みそ」は毎日出てたので、定番なんですね。
食べて部屋に戻って荷づくりを済ませ、空港でチケットの再発券などの手続きがあるので予定よりかなり早くチェックアウト。
フロントではねぎらいの言葉や飛行機の心配などの言葉を頂き非常に感謝。
昨夜フロントから部屋へ、正式に千円だけど値引きすると連絡が来ていたので、こちらからも謝辞を述べ、「お気をつけてお帰り下さい」との言葉を背にタクシーに乗り込んで空港へ向かいました。
空港カウンターの男性係員に事情を言いクーポンを手渡すと、さっそく再発券の手続きに入り、宮古島からのチケットはすぐ発券されたんですが、その後の便について手間取ってる様子で、時間がかかるから椅子に座って待ってて欲しいと。
そりゃそうだ、クーポンに記載の便と全く同じ便なのは宮古島から那覇への便だけで、後の接続便はそれぞれ1便づつ遅らせてあるんだからと椅子に座って見てました。
係員は周りの人に聞いたり右往左往してましたが、電話を手にしてどこかと話しながらパソコンを操作し始めました。
恐らく、私が連絡したのと同じJAL eトラベルプラザかJALツアーズにホットラインで連絡して確認しながら手続きを始めたんでしょう。
程なくしてチケットを手に私の所に走り寄って来て、お待たせしましたと渡してくれました。
昨日の話と便が違わないかをメモを見ながら係員と一緒に確認しましたが、便に問題はなかったんですけど、那覇から羽田への便が普通席になると昨日の段階で言われていたのに、今日になってクラスJ席になってたんです。
その事を係員に言うと、そう言う予約になってますと困った様子でしたが、こちらとしては願ったりかなったり。
昨日の朝以降キャンセルが出たのか、それをJAL eトラベルプラザの担当者が即変更してくれたのかで、おかげでゆったりと帰って来れるようになりました。
手続きがサクサク済んでしまったので、ここでも時間が余ってしまったけど、まあ平静を装って搭乗案内があるまでテレビを見て過ごしました。
定時に飛行機は宮古空港を離陸、ほぼ定時に那覇空港に着陸。
ここでの待ち時間は2時間なので、売店で空弁を買ってランチタイム。
それにしても那覇空港は大混雑で、売店もちょうど昼時にぶつかって大行列でした。
飛行機は定時に那覇空港を離陸しましたが、離陸前の機内アナウンスで今日は飲み物のサービスと毛布の提供はできないと。
震災の影響でとしか言ってませんでしたが、飲料や毛布は被災地に送る事にしたのか、それとも昨夜欠航が相次いだので空港で1夜を明かした人も多かったとニュースで言ってましたからそちらへ提供したのか。
どちらにしても、小さなお菓子1個や1杯のお茶をもらうために2千円余分に払ってる訳じゃありませんし。
離陸後、私にも疲れが出てきたのか、あっという間に爆睡してしまい、気が付くと静岡上空に差し掛かっていて、すぐに着陸体勢入るとのアナウンスが聞こえました。
窓を見ると、私の席にある窓の前の1つがブラインドが降りてて見えなくなってました。
誰が勝手に閉めたんだと文句を言いながら開けて外を眺めてましたが、無事羽田に着いて降りてから奥さんが、前の席の女性が勝手にブラインド開けたからあなたの事を睨んでたよだって。
そんな事言ったって、人に断りも挨拶もなく勝手にシートをリクライニングにして、リクライニングにしたからこそ私の席の前の方の窓が自分の顔にかかってまぶしくなった訳でしょ。
それで私が文句言われる筋合いなんかないしね、いつも思うけど本当に東京の人間って『自己中』ばっかりでツラも見たくねェや。
羽田での待ち時間はおよそ1時間半。
降機してすぐ、出発予定のスポットへ行くと、千歳行きの表示がない!
まさか、ここに来て欠航か?と焦りました;
確かに朝から福島第一原発がとんでもない事になってるとしきりに報じていましたから、航路である福島上空を飛ぶのは危険だし、私が機上の人になってる間にとうとう原発に最悪の状況でも発生したんだろうか。
行き先表示板の前で立ちすくんでいると表示が変わり、千歳行きは隣のスポットに変更になりましただって;
脅かすんじゃねぇ!バカヤロー!
気を取り直して一服し、今夜自宅に着いてから食べる弁当などを購入し、搭乗アナウンスがあって機内へ。
これが無事離陸すれば、とにかく北海道へ帰れる。
でも、離陸したはいいけど原発の影響で引き返しますなんて言われたらどうしようと、ドキドキしながら出発を待っていました。
すると斜め後方の座席から、耳をつんざくような金切り声で子供が泣き叫ぶ声が聞こえ始めました。
その泣き叫ぶ声がなかなか止まず、クラスJ席の子供の周りにいた乗客もだんだんイライラし始め、1人2人と席を代えてくれと客室乗務員に訴え始めました。
母親がなだめすかそうが、客室乗務員が優しくなだめようが、子供は泣き叫ぶのを止めない。
時々聞こえる子供の声は、「パパにだっこしてもらう」とか、「降りる~」とか。
3歳か4歳位の子供でしたが、どういうシチュエーションか分かりませんけど、母と子2人が父親と別れて北海道へ戻ると言った感じ。
しまいには、「痛い痛い痛い・・・」と仮病の様な事を喚きだして、何とかして降りさせようとするんです。
泣き叫んでは休み、休んで泣き叫びを繰り返し、浅はかな子供のサル智恵なんか通用しない事も分からずひたすら泣き叫ぶクソガキ。
そのうち、弟か妹か、小さい方も釣られて泣き叫び始め、機内は子供の泣き叫ぶ声の大合唱になってしまいました。
おいおい、いい加減にしてくれ!
例え嘘の仮病であっても、痛いなんて連呼されたらそれこそ出発できないなんて事になりかねないぜ。
そんな状況と時を同じくして、今度は乗客がもう1人乗って来ないから出発が遅れるとのアナウンス。
待てど暮らせどもう1人は姿を見せず、とうとうタイムアウトで、保安上の理由からその客の荷物を貨物室から降ろすまで待てだって。
いい加減しろよどいつもこいつも(怒)
荷物を降ろすのは仕方がない、だって、セキュリティーをすり抜けるような新手の時限爆弾でも荷物に仕掛けられてて、本人は乗らずに逃げて無傷なんて事も考えられるしね。
ようやく荷物も降ろしてドアがクローズしたけど、子供の合唱は続いたまま。
ある老年男性の乗客が、「お尻でも叩きなさい!」と言うが、若い母親は何にもしない。
今どきのヤンママは子供をしつける事すらできないんですね。
言って聞かせる、叱る、怒鳴る、ダメなら叩いてでもマナーや常識を叩きこむ。
これって虐待じゃないんですから、やって当然でしょ、知能レベルが犬や猫と同じくらいの子供にはね。
泣いても喚いても、飛行機のエンジンが回り、滑走路を出発地点まで走って行き、スタンディングからエンジン全開。
何だかんだで、30分以上も遅れて出発しました。
エンジン音と風切り音で、子供の泣き叫ぶ声も若干聞こえづらくなった。
これでやっと帰れる・・・、お願いだからこのままずーっと飛んで、1ミリでも北海道に近づいてくれ!
ベルトサインが消え水平飛行に入り、もうすでに午後6時を過ぎているので下界の照明が点いているところは見えても、状況は目視では分からない。
シートに付いているパーソナルモニターを見ていたら、航路は内陸を飛行中で、さすがに福島原発付近は避けて飛行している模様。
もう子供の泣き叫ぶ声が聞こえないと思ったら、誰かが与えたのかジュースの様なものを飲んで大人しくなっていたし、小さい方の子は奥さんの話ではおっぱいを飲んで大人しくなってたとか。
まあこれで、もう何事もなければ・・・。
モニターの飛行機はだんだん北上して北海道がもうすぐそこになって来た。
ベルトサインが点灯し、いよいよ着陸態勢と言う事は、真下は津軽海峡。
ぐんぐん高度を下げ、見えた!新千歳空港の滑走路のランプ!
一直線に見える緑や赤のランプを横目に、ドンッと衝撃の後、エンジンリバースの急激なGの体感。
帰って来ました北海道。
いつもの旅行なら、もう帰って来ちゃったとちょっと感傷的になるところですが、今回は帰って来れたと言う嬉しさと安堵感で一杯。
降機してボーディングブリッジを歩いていると、そこはまだ冬の北海道。
ジャンバーを着なければ震え上がってしまう寒さのお出迎え。
宮古島で預けた荷物を受け取って、まずは母に連絡。
電波状態が悪くて声がほとんど聞こえなくて、とりあえずJRで帰ろうと。
気温3℃でまだ雪が残っているため、2駅前で降りてタクシーに乗り、一路自宅まで。
帰って来ました、午後9時半、長かった旅がようやく終わりました。
旅そのものはまあ今回もいろいろありましたが、何事もなく楽しく過ぎたんですけど、最後の最後に1発大きくやられちゃいました;
被災された方々には心よりお見舞い申し上げますが、私達の経験として、これもまたいい教訓にもなったと思うようにしたいと思います。
「朝食」(ホテルのバイキング)
・ごはん、アオサと豆腐の味噌汁、つぼ漬け、クーブイリチー、玉子焼き、ウインナー、ベーコンソテー
「昼食」(那覇空港で)
・空弁(うなぎ弁当)
「夕食」(自宅で)
・天むす(羽田で購入)
・焼酎のウーロン茶割り
帰宅後のBW:68.5kg
朝の段階では、被害を受けた仙台空港、アクセスできなくなってる石巻空港を離発着する便以外に欠航はないとの情報にまずは一安心。
身支度して、朝食会場へ行き、今日これからの試練を考えるとあまり食欲もなかったんですけど、取りあえず胃に何か入れておかないとと無理矢理流し込んだ感じ。
今日の地元料理は、ようやく「クーブ(昆布)イリチー」の登場でした。
今日は「ミミガーの和え物」も出てましたが、「モズクの酢の物」と「油みそ」は毎日出てたので、定番なんですね。
食べて部屋に戻って荷づくりを済ませ、空港でチケットの再発券などの手続きがあるので予定よりかなり早くチェックアウト。
フロントではねぎらいの言葉や飛行機の心配などの言葉を頂き非常に感謝。
昨夜フロントから部屋へ、正式に千円だけど値引きすると連絡が来ていたので、こちらからも謝辞を述べ、「お気をつけてお帰り下さい」との言葉を背にタクシーに乗り込んで空港へ向かいました。
空港カウンターの男性係員に事情を言いクーポンを手渡すと、さっそく再発券の手続きに入り、宮古島からのチケットはすぐ発券されたんですが、その後の便について手間取ってる様子で、時間がかかるから椅子に座って待ってて欲しいと。
そりゃそうだ、クーポンに記載の便と全く同じ便なのは宮古島から那覇への便だけで、後の接続便はそれぞれ1便づつ遅らせてあるんだからと椅子に座って見てました。
係員は周りの人に聞いたり右往左往してましたが、電話を手にしてどこかと話しながらパソコンを操作し始めました。
恐らく、私が連絡したのと同じJAL eトラベルプラザかJALツアーズにホットラインで連絡して確認しながら手続きを始めたんでしょう。
程なくしてチケットを手に私の所に走り寄って来て、お待たせしましたと渡してくれました。
昨日の話と便が違わないかをメモを見ながら係員と一緒に確認しましたが、便に問題はなかったんですけど、那覇から羽田への便が普通席になると昨日の段階で言われていたのに、今日になってクラスJ席になってたんです。
その事を係員に言うと、そう言う予約になってますと困った様子でしたが、こちらとしては願ったりかなったり。
昨日の朝以降キャンセルが出たのか、それをJAL eトラベルプラザの担当者が即変更してくれたのかで、おかげでゆったりと帰って来れるようになりました。
手続きがサクサク済んでしまったので、ここでも時間が余ってしまったけど、まあ平静を装って搭乗案内があるまでテレビを見て過ごしました。
定時に飛行機は宮古空港を離陸、ほぼ定時に那覇空港に着陸。
ここでの待ち時間は2時間なので、売店で空弁を買ってランチタイム。
それにしても那覇空港は大混雑で、売店もちょうど昼時にぶつかって大行列でした。
飛行機は定時に那覇空港を離陸しましたが、離陸前の機内アナウンスで今日は飲み物のサービスと毛布の提供はできないと。
震災の影響でとしか言ってませんでしたが、飲料や毛布は被災地に送る事にしたのか、それとも昨夜欠航が相次いだので空港で1夜を明かした人も多かったとニュースで言ってましたからそちらへ提供したのか。
どちらにしても、小さなお菓子1個や1杯のお茶をもらうために2千円余分に払ってる訳じゃありませんし。
離陸後、私にも疲れが出てきたのか、あっという間に爆睡してしまい、気が付くと静岡上空に差し掛かっていて、すぐに着陸体勢入るとのアナウンスが聞こえました。
窓を見ると、私の席にある窓の前の1つがブラインドが降りてて見えなくなってました。
誰が勝手に閉めたんだと文句を言いながら開けて外を眺めてましたが、無事羽田に着いて降りてから奥さんが、前の席の女性が勝手にブラインド開けたからあなたの事を睨んでたよだって。
そんな事言ったって、人に断りも挨拶もなく勝手にシートをリクライニングにして、リクライニングにしたからこそ私の席の前の方の窓が自分の顔にかかってまぶしくなった訳でしょ。
それで私が文句言われる筋合いなんかないしね、いつも思うけど本当に東京の人間って『自己中』ばっかりでツラも見たくねェや。
羽田での待ち時間はおよそ1時間半。
降機してすぐ、出発予定のスポットへ行くと、千歳行きの表示がない!
まさか、ここに来て欠航か?と焦りました;
確かに朝から福島第一原発がとんでもない事になってるとしきりに報じていましたから、航路である福島上空を飛ぶのは危険だし、私が機上の人になってる間にとうとう原発に最悪の状況でも発生したんだろうか。
行き先表示板の前で立ちすくんでいると表示が変わり、千歳行きは隣のスポットに変更になりましただって;
脅かすんじゃねぇ!バカヤロー!
気を取り直して一服し、今夜自宅に着いてから食べる弁当などを購入し、搭乗アナウンスがあって機内へ。
これが無事離陸すれば、とにかく北海道へ帰れる。
でも、離陸したはいいけど原発の影響で引き返しますなんて言われたらどうしようと、ドキドキしながら出発を待っていました。
すると斜め後方の座席から、耳をつんざくような金切り声で子供が泣き叫ぶ声が聞こえ始めました。
その泣き叫ぶ声がなかなか止まず、クラスJ席の子供の周りにいた乗客もだんだんイライラし始め、1人2人と席を代えてくれと客室乗務員に訴え始めました。
母親がなだめすかそうが、客室乗務員が優しくなだめようが、子供は泣き叫ぶのを止めない。
時々聞こえる子供の声は、「パパにだっこしてもらう」とか、「降りる~」とか。
3歳か4歳位の子供でしたが、どういうシチュエーションか分かりませんけど、母と子2人が父親と別れて北海道へ戻ると言った感じ。
しまいには、「痛い痛い痛い・・・」と仮病の様な事を喚きだして、何とかして降りさせようとするんです。
泣き叫んでは休み、休んで泣き叫びを繰り返し、浅はかな子供のサル智恵なんか通用しない事も分からずひたすら泣き叫ぶクソガキ。
そのうち、弟か妹か、小さい方も釣られて泣き叫び始め、機内は子供の泣き叫ぶ声の大合唱になってしまいました。
おいおい、いい加減にしてくれ!
例え嘘の仮病であっても、痛いなんて連呼されたらそれこそ出発できないなんて事になりかねないぜ。
そんな状況と時を同じくして、今度は乗客がもう1人乗って来ないから出発が遅れるとのアナウンス。
待てど暮らせどもう1人は姿を見せず、とうとうタイムアウトで、保安上の理由からその客の荷物を貨物室から降ろすまで待てだって。
いい加減しろよどいつもこいつも(怒)
荷物を降ろすのは仕方がない、だって、セキュリティーをすり抜けるような新手の時限爆弾でも荷物に仕掛けられてて、本人は乗らずに逃げて無傷なんて事も考えられるしね。
ようやく荷物も降ろしてドアがクローズしたけど、子供の合唱は続いたまま。
ある老年男性の乗客が、「お尻でも叩きなさい!」と言うが、若い母親は何にもしない。
今どきのヤンママは子供をしつける事すらできないんですね。
言って聞かせる、叱る、怒鳴る、ダメなら叩いてでもマナーや常識を叩きこむ。
これって虐待じゃないんですから、やって当然でしょ、知能レベルが犬や猫と同じくらいの子供にはね。
泣いても喚いても、飛行機のエンジンが回り、滑走路を出発地点まで走って行き、スタンディングからエンジン全開。
何だかんだで、30分以上も遅れて出発しました。
エンジン音と風切り音で、子供の泣き叫ぶ声も若干聞こえづらくなった。
これでやっと帰れる・・・、お願いだからこのままずーっと飛んで、1ミリでも北海道に近づいてくれ!
ベルトサインが消え水平飛行に入り、もうすでに午後6時を過ぎているので下界の照明が点いているところは見えても、状況は目視では分からない。
シートに付いているパーソナルモニターを見ていたら、航路は内陸を飛行中で、さすがに福島原発付近は避けて飛行している模様。
もう子供の泣き叫ぶ声が聞こえないと思ったら、誰かが与えたのかジュースの様なものを飲んで大人しくなっていたし、小さい方の子は奥さんの話ではおっぱいを飲んで大人しくなってたとか。
まあこれで、もう何事もなければ・・・。
モニターの飛行機はだんだん北上して北海道がもうすぐそこになって来た。
ベルトサインが点灯し、いよいよ着陸態勢と言う事は、真下は津軽海峡。
ぐんぐん高度を下げ、見えた!新千歳空港の滑走路のランプ!
一直線に見える緑や赤のランプを横目に、ドンッと衝撃の後、エンジンリバースの急激なGの体感。
帰って来ました北海道。
いつもの旅行なら、もう帰って来ちゃったとちょっと感傷的になるところですが、今回は帰って来れたと言う嬉しさと安堵感で一杯。
降機してボーディングブリッジを歩いていると、そこはまだ冬の北海道。
ジャンバーを着なければ震え上がってしまう寒さのお出迎え。
宮古島で預けた荷物を受け取って、まずは母に連絡。
電波状態が悪くて声がほとんど聞こえなくて、とりあえずJRで帰ろうと。
気温3℃でまだ雪が残っているため、2駅前で降りてタクシーに乗り、一路自宅まで。
帰って来ました、午後9時半、長かった旅がようやく終わりました。
旅そのものはまあ今回もいろいろありましたが、何事もなく楽しく過ぎたんですけど、最後の最後に1発大きくやられちゃいました;
被災された方々には心よりお見舞い申し上げますが、私達の経験として、これもまたいい教訓にもなったと思うようにしたいと思います。
「朝食」(ホテルのバイキング)
・ごはん、アオサと豆腐の味噌汁、つぼ漬け、クーブイリチー、玉子焼き、ウインナー、ベーコンソテー
「昼食」(那覇空港で)
・空弁(うなぎ弁当)
「夕食」(自宅で)
・天むす(羽田で購入)
・焼酎のウーロン茶割り
帰宅後のBW:68.5kg
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今日は帰途の旅、また約7時間の長旅で帰宅する予定。
午前7時半過ぎに目が覚め、昨日の地震はどうなったかテレビをつけてみると、1晩明けて分かった状況はこの世のものとは思えないほど悲惨な状況でした。
こりゃマズイとすぐに飛行機の運航状況を確かめると、やられた!
私達が乗る予定だった宮古島発那覇行きの便が、もうこの時点で欠航が決定してた。
ところがその先の、那覇発の便と羽田発の便は通常運行と出ている。
何故なんだ?どうしてなんだ?何で宮古島から飛ばないんだ?那覇からは飛んでるのに。
テレビ画面の下の方には日本地図が出ていて、太平洋側のすべてが大津波警報か津波警報の表示。
沖縄本島も、ここ沖縄離島の宮古島も赤く津波警報となっている。
すぐにJAL eトラベルプラザの沖縄・離島担当に連絡するが、混雑しているとのアナウンスばかりでつながらない。
しょうがなくトラベルプラザ本部に電話するが、ここも混雑してつながらないが、ここで諦める訳にはいかないので、何度か掛け直し、つながるまで辛抱強く携帯を持ち続けたらようやくつながった。
担当の女性に運行状況を聞くと、宮古島便は運行再開を空港で待つか、空席待ちを乗り継ぐしかないと言う。
ただ、那覇や羽田まで行けたとしても、時間的に新千歳まで今日中に着くかどうかは保証できないとも。
もうその時の私の考えは決まっていて、全く同じスケジュールで明日の便に振り替える事はできませんかと聞くと、しばらくお待ちくださいと保留音になって、しばらくすると再び女性の声で、宮古島から那覇の便は取れたと。
那覇から羽田へは1本後の便なら普通席だが取れるとの事で、今はそれでも御の字と予約をお願いしました。
羽田から新千歳の便は、1本後の便にしないと乗り継ぎ時間が30分しかないので、もしもの事を考えるとそうした方がいいとの提案。
もちろんそんなリスクは背負いたくないので、1本後の便にしてもらうと、クラスJ席が取れたとの事。
結局明日の便を乗り継げば、予定より1時間ほど多くかかるけど帰宅できる事になりました。
ただこれも、飛行機の席が確保されたと言うだけで、飛ぶ飛ばないは明日の状況を見てみないと何とも言えませんので、油断はできません。
でもJALの旅行部門だけあって、待ちも何もなく、いとも簡単に席が確保できたのはさすがでした。
他の旅行会社では、ここまで簡単にはいかなかったでしょうね。
1つだけ、ホテルのもう1泊分は自腹でと言われたのも織り込み済み。
電話を切ってからは準備して今度はフロントとの交渉へ。
フロントの人に事情を説明すると、こちらも簡単に良いですよと手続きしてくれ、明日の朝食も付けましょうね、部屋も移動は大変だから今の部屋でいいですよ、特別キャンペーン中でこの料金ですが震災と言う事なのでもう少しお安くいたしますが、上司がまだ出勤してないので許可をもらって後ほどお知らせしますと。
まあ、何と至れり尽くせりか。
恐らく、この震災の影響で飛行機が欠航だと客も沖縄本島から来れないですので、観光客からのキャンセルが相次いだのかも。
何にしても寝床も確保したと。
やるだけの事はやったのでまずは腹ごしらえ。
その後部屋に戻ってテレビで震災状況を見ていましたが、奥さんから「今日のご予定は?」と聞かれ返答に困ってしまった。
もう観光の予定はすべて終わったし、ガイドブックや地図を見てもホテル周辺に見どころは全くない。
これからスケジュールを立てるにしても、もう気が重いから、今日はナシ!
時間を見計らって母の職場に電話をし、こういう状況でこっちの飛行機が飛ばないのでもう1泊していくと伝えると、のんびりテレビでも見てなさいだって;
部屋掃除も来る時間になり、ちょっと近くのコンビニでも行くかと外へ出ると、ここ数日は曇り空だったのにこんな日に限ってピーカンの青空なんですよね;
しかも暑くて暑くて、後で聞いたら今日の気温は24℃ですって!
これは北海道では真夏の暑さと言っていいほどです。
私1人、歩きながらひたすら汗かきまくってました;
部屋に戻ってもまだ清掃されてないので、コンビニで買った荷物を一旦部屋に置いて、隣接するフェリーターミナルへ。
まだこの時点では津波警報が発令されたままだったので、本当は岸壁に近寄ってはいけないんですが、部屋から見た港と岸壁には先端で海の様子をうかがう島民が多数いましたから、私達もちょっと様子を見に行っちゃいました;
時間は午前11時過ぎ頃で、津波到達予想時間を過ぎていましたが、これからさらに満潮と重なって津波の高さ70センチが予想されると報道されてました。
でも、この時見た海はまだ穏やか。
ブラブラしてても何もする事もなく、フェリーターミナルに入っても店舗や乗船カウンターはすべて閉鎖。
仕方なく、ターミナルのテレビで地震と津波の情報を見て時間を潰してましたが、もう昼なのでそろそろ部屋の清掃は終わっただろうと部屋に戻ったんですけど、清掃用具を載せたカートも見当たらず、部屋の清掃は何一つされてませんでした。
もういい!
ドアに「Don't Disturb!」の札をかけて、今日の部屋清掃はお断り!
テレビを見たり、買ってきた雑誌を読んだり、時間を持て余してました。
さほど腹も減ってなかったけど、ヒマつぶしに午後1時過ぎにホテル内の中華バイキングへと行きました。
看板の写真で見る料理は非常に美味しそうと奥さんが行きたがっていたんですが、実際に行って並んでいた料理を見ると、何じゃこりゃぁ?
品数は少ない、味はマズイ。
炒飯の塩気がほとんどなくて、麻婆豆腐は全く辛みがない。
これじゃあ市中の中華料理屋の方がはるかに旨いし、これで1人1,200円は・・・、こんなものですかね。
ホテルの食事で受けたショックは2度目。
部屋に戻って、またテレビと雑誌で時間を過ごす。
ヒマ過ぎて飽きた奥さんはお昼寝タイム。
今夜の夕食は・・・、もうホテルのメシは勘弁、近所に飲食店もないし、売店でカップ麺を買ってお湯を沸かしてそれでおしまい。
明日、無事に北海道の大地を踏む事が出来ますようお祈りしつつ、余分な今日1日は終わりにします。
「朝食」(ホテルのバイキング)
・ごはん、アオサと豆腐の味噌汁、キュウリの漬物、海苔、切干大根と豚肉の煮物、玉子焼き、ウインナー、ベーコンソテー、コーヒー
「一休み」(フェリーターミナル)
・炭酸飲料
「昼食」(ホテルの中華バイキング)
・あんかけ焼きそば、玉子炒飯、麻婆豆腐、宮古牛スープ、焼売、春巻、プチケーキ(アップルケーキ、抹茶ケーキ、チョコケーキ)、アイスコーヒー
「夕食」(部屋で)
・おかき
・チョコ菓子
・スナック菓子
・泡盛
・カップヌードル
・ハンバーグチーズおにぎり
午前7時半過ぎに目が覚め、昨日の地震はどうなったかテレビをつけてみると、1晩明けて分かった状況はこの世のものとは思えないほど悲惨な状況でした。
こりゃマズイとすぐに飛行機の運航状況を確かめると、やられた!
私達が乗る予定だった宮古島発那覇行きの便が、もうこの時点で欠航が決定してた。
ところがその先の、那覇発の便と羽田発の便は通常運行と出ている。
何故なんだ?どうしてなんだ?何で宮古島から飛ばないんだ?那覇からは飛んでるのに。
テレビ画面の下の方には日本地図が出ていて、太平洋側のすべてが大津波警報か津波警報の表示。
沖縄本島も、ここ沖縄離島の宮古島も赤く津波警報となっている。
すぐにJAL eトラベルプラザの沖縄・離島担当に連絡するが、混雑しているとのアナウンスばかりでつながらない。
しょうがなくトラベルプラザ本部に電話するが、ここも混雑してつながらないが、ここで諦める訳にはいかないので、何度か掛け直し、つながるまで辛抱強く携帯を持ち続けたらようやくつながった。
担当の女性に運行状況を聞くと、宮古島便は運行再開を空港で待つか、空席待ちを乗り継ぐしかないと言う。
ただ、那覇や羽田まで行けたとしても、時間的に新千歳まで今日中に着くかどうかは保証できないとも。
もうその時の私の考えは決まっていて、全く同じスケジュールで明日の便に振り替える事はできませんかと聞くと、しばらくお待ちくださいと保留音になって、しばらくすると再び女性の声で、宮古島から那覇の便は取れたと。
那覇から羽田へは1本後の便なら普通席だが取れるとの事で、今はそれでも御の字と予約をお願いしました。
羽田から新千歳の便は、1本後の便にしないと乗り継ぎ時間が30分しかないので、もしもの事を考えるとそうした方がいいとの提案。
もちろんそんなリスクは背負いたくないので、1本後の便にしてもらうと、クラスJ席が取れたとの事。
結局明日の便を乗り継げば、予定より1時間ほど多くかかるけど帰宅できる事になりました。
ただこれも、飛行機の席が確保されたと言うだけで、飛ぶ飛ばないは明日の状況を見てみないと何とも言えませんので、油断はできません。
でもJALの旅行部門だけあって、待ちも何もなく、いとも簡単に席が確保できたのはさすがでした。
他の旅行会社では、ここまで簡単にはいかなかったでしょうね。
1つだけ、ホテルのもう1泊分は自腹でと言われたのも織り込み済み。
電話を切ってからは準備して今度はフロントとの交渉へ。
フロントの人に事情を説明すると、こちらも簡単に良いですよと手続きしてくれ、明日の朝食も付けましょうね、部屋も移動は大変だから今の部屋でいいですよ、特別キャンペーン中でこの料金ですが震災と言う事なのでもう少しお安くいたしますが、上司がまだ出勤してないので許可をもらって後ほどお知らせしますと。
まあ、何と至れり尽くせりか。
恐らく、この震災の影響で飛行機が欠航だと客も沖縄本島から来れないですので、観光客からのキャンセルが相次いだのかも。
何にしても寝床も確保したと。
やるだけの事はやったのでまずは腹ごしらえ。
その後部屋に戻ってテレビで震災状況を見ていましたが、奥さんから「今日のご予定は?」と聞かれ返答に困ってしまった。
もう観光の予定はすべて終わったし、ガイドブックや地図を見てもホテル周辺に見どころは全くない。
これからスケジュールを立てるにしても、もう気が重いから、今日はナシ!
時間を見計らって母の職場に電話をし、こういう状況でこっちの飛行機が飛ばないのでもう1泊していくと伝えると、のんびりテレビでも見てなさいだって;
部屋掃除も来る時間になり、ちょっと近くのコンビニでも行くかと外へ出ると、ここ数日は曇り空だったのにこんな日に限ってピーカンの青空なんですよね;
しかも暑くて暑くて、後で聞いたら今日の気温は24℃ですって!
これは北海道では真夏の暑さと言っていいほどです。
私1人、歩きながらひたすら汗かきまくってました;
部屋に戻ってもまだ清掃されてないので、コンビニで買った荷物を一旦部屋に置いて、隣接するフェリーターミナルへ。
まだこの時点では津波警報が発令されたままだったので、本当は岸壁に近寄ってはいけないんですが、部屋から見た港と岸壁には先端で海の様子をうかがう島民が多数いましたから、私達もちょっと様子を見に行っちゃいました;
時間は午前11時過ぎ頃で、津波到達予想時間を過ぎていましたが、これからさらに満潮と重なって津波の高さ70センチが予想されると報道されてました。
でも、この時見た海はまだ穏やか。
ブラブラしてても何もする事もなく、フェリーターミナルに入っても店舗や乗船カウンターはすべて閉鎖。
仕方なく、ターミナルのテレビで地震と津波の情報を見て時間を潰してましたが、もう昼なのでそろそろ部屋の清掃は終わっただろうと部屋に戻ったんですけど、清掃用具を載せたカートも見当たらず、部屋の清掃は何一つされてませんでした。
もういい!
ドアに「Don't Disturb!」の札をかけて、今日の部屋清掃はお断り!
テレビを見たり、買ってきた雑誌を読んだり、時間を持て余してました。
さほど腹も減ってなかったけど、ヒマつぶしに午後1時過ぎにホテル内の中華バイキングへと行きました。
看板の写真で見る料理は非常に美味しそうと奥さんが行きたがっていたんですが、実際に行って並んでいた料理を見ると、何じゃこりゃぁ?
品数は少ない、味はマズイ。
炒飯の塩気がほとんどなくて、麻婆豆腐は全く辛みがない。
これじゃあ市中の中華料理屋の方がはるかに旨いし、これで1人1,200円は・・・、こんなものですかね。
ホテルの食事で受けたショックは2度目。
部屋に戻って、またテレビと雑誌で時間を過ごす。
ヒマ過ぎて飽きた奥さんはお昼寝タイム。
今夜の夕食は・・・、もうホテルのメシは勘弁、近所に飲食店もないし、売店でカップ麺を買ってお湯を沸かしてそれでおしまい。
明日、無事に北海道の大地を踏む事が出来ますようお祈りしつつ、余分な今日1日は終わりにします。
「朝食」(ホテルのバイキング)
・ごはん、アオサと豆腐の味噌汁、キュウリの漬物、海苔、切干大根と豚肉の煮物、玉子焼き、ウインナー、ベーコンソテー、コーヒー
「一休み」(フェリーターミナル)
・炭酸飲料
「昼食」(ホテルの中華バイキング)
・あんかけ焼きそば、玉子炒飯、麻婆豆腐、宮古牛スープ、焼売、春巻、プチケーキ(アップルケーキ、抹茶ケーキ、チョコケーキ)、アイスコーヒー
「夕食」(部屋で)
・おかき
・チョコ菓子
・スナック菓子
・泡盛
・カップヌードル
・ハンバーグチーズおにぎり
今日も起床は7時半。
今日は私が申し込んだ、「5島巡り&島唄三線ライブツアー」11時間コースでした。
5島とは、この「宮古島」と、「池間島」、「伊良部島」、「下地島」、「来間島」の5つ。
今日は昨日のようなガイドは御免と不安を抱えて、午前8時45分の約束時間前に部屋を出ようとしたらフロントから電話がかかって来て、タクシーが迎えに来てると。
まだ時間前なのに「沖縄時間」じゃない人もいるんだと感心?してフロントへ行き、タクシーに乗り込んで今日の行程開始。
やや大きめなタクシーでゆったりは良かったんですが、ガイド役の運転手さんがところどころ何を言ってるのか聞こえないのが困った;
まあでも、人の良さそうな運転手さんだったので安心して任せられそう・・・と思ったけどそうでもなかった;
スケジュールの説明が、ところどころ抜けていて、こちらがこのまま一緒にフェリーに乗って他の島に渡るのかと思ったら、自分達だけで島を渡って、そっちの島に別の会社のタクシーが待ってるからそれで観光して、その間自分はこっちの島で他の客を乗せるとか、全くそういった事前の説明がないので振り回されてしまいました。
フェリーで渡った下地島の運転手、奥さんがトイレに行きたいとターミナルのトイレに行くと、運転手は私に不機嫌そうに「フェリーにもトイレはあるのに」と文句を言ったんです。
その後も、観光ポイントで写真を撮ろうとすると「時間がないから!回る所が一杯あるから早くしてっ!」と怒るんです。
だから歩きながら写真を撮ったり、運転手のすきを見て風景の写真を撮ったりと、何でこんなに気を使わなきゃならないんだろうと気分がだんだん滅入って来ちゃいました。
伊良部島・下地島観光は、昼食の店の前までで終了。
あとは勝手に食べて勝手に戻れって感じで運転手は走り去って行きました。
高速フェリーに乗って宮古島に戻ると、岸壁に先の運転手のタクシーが待っていて、観光の続き開始とタクシーに乗り込んだんですが・・・。
カーラジオから何やら緊迫したアナウンサーの声が流れていて、「14時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のマグニチュード7.9規模の地震が発生・・・」と(注:その後8.8から9.0に修正)。
一瞬何が起きているか理解できませんでしたが、走る車内でラジオを聞いていたらアナウンサーが突然「今このスタジオも大きな揺れを感じています、東京のスタジオも揺れています、皆さん火の元には・・・、まだ大きくスタジオも揺れています・・・」と、絶叫する国営放送のラジオアナウンサーの声が車内に響き渡り、とてつもなく大変な事が日本で起きてると認識しました。
「震度7、宮城県栗原市・・・、大津波警報が発令されました、高台へ避難して下さい・・・」
これがこの後、私達にも降りかかってくる大災害だとは、まだこの時点では知る由もありませんでした。
すぐに携帯のポータルサイトで地震情報を入手しようとしましたが、アクセスが集中してか全然つながらない。
観光してても気が気じゃなく、ようやくつながったポータルサイトの地震情報を見ると、北海道のわが街の震度は3と表示されていた。
震度3くらいなら、揺れはしても大きな被害はないと一安心。
沖縄離島一帯は津波警報が出てて、パトカーや消防車が島内を走り回って警戒してました。
落ち着いて考えてみると、地震発生の瞬間って伊良部島から乗った高速フェリーが宮古島の平良港に入港したかどうかという時間。
宮古島は全く揺れませんでしたが、フェリー自体が大きく揺れてますから島が揺れたとしても分からなかったでしょう。
その後すぐに津波警報が出され、フェリーの運休が決まり、津波対策に船のほとんどが港の沖の方へ行ってしまいました。
もしこれが1時間でも乗船時間が遅かったら、間違いなく伊良部島に足止めされ、荷物も着替えもないままに泊る所もなく途方にくれていたかもしれません。
落ち着いたところで、観光の続き。
「来間島」へ渡る手前で、運転手さんがきれいな海を見せると連れて行かれたのが来間大橋横の簡易埠頭のような所。
そこには何と、海で遊ぶ高校生男子の集団が。
遊ぶと言うかじゃれてると言うか、海に入って「冷てぇ~!」と大騒ぎ。
手を入れるとぬるく感じる海水も、さすがに体ごと入るといくら沖縄離島と言えどもまだまだ冬の海。
海から上がってブルブル震えてる姿は、3月に海に入るなんて考えられない私としても、さもありなんといったところでした。
3人位の男子が埠頭の先の方へ行って、海に向かってジャ~ンプ!で、ドボ~ン。
南国ならではの風景を、3月に見せてもらってこちらも寒くなってしまいました。
マンゴー農園、貝殻の博物館を見学し、最後は東平安名崎灯台へ。
残念ながら天気が思わしくなく、きれいな夕日は見れませんでした。
じゃあホテルへ戻ろうと言う時に、運転手さんがテレビの企画で運営している民宿の前を通ろうとの提案で、何もない道をひたすら走って到着し、車内から写真をパチパチ撮ってみました。
警備員が車を停めちゃダメと車外で言っていたけど運転手さんはお構いなし、警備員も顔が笑ってるから恐らく地元の人なんでしょう、それとも同じ島の顔見知りだったんでしょうか。
偶然でしたがロケ中で、テレビで見るお笑い芸人の顔をばっちりとカメラに収める事が出来ました。
まあ、話のネタと言う事で(^^ゞ
一旦ホテルに戻って小休止しましたが、その間もテレビはすべて地震関連のニュース。
詳しい情報が入っていない模様で、震源ととか各地の震度とか、都内の様子や揺れた瞬間の映像を何度も流し、鉄道が全線ストップしてるとかライフラインの現在の状況などを放送していました。
地元の様子を聞こうと母に連絡しても通信制限されてなかなか通じず、母はメールを使えないし。
奥さんが弟の嫁に、母に無事を伝えてもらおうとメールしたが返事も来ない。
午後7時15分、さっきまでのタクシーの運転手が迎えに来て、今夜の夕食は島唄ライブ居酒屋へ。
料理的にはセットメニューで大したことはなかったけど、最前列で迎えられて見た三線と踊りのライブは圧巻でした。
何たってここで演奏・唄・踊りをしている人達はプロであってここの従業員。
CDも出してるし、歌手の夏川りみの前座を東京で務める位の実力派ですって。
本物を目の前で見れて、大満足な夜でした。
第2部は客も一緒に踊りまくるそうなんですが、残念ながら時間に制限がある私達は第1部だけでお迎えの時間が来てしまい、ホテルへ戻らざるを得ませんでした。
楽しい気分で今宵も部屋で飲み続け、でもテレビではだんだん悲惨な報道が始まっていたのを、まだ何となくでしか見ていなかった私でした。
また母への連絡開始、何度も何度も電話をかけて、制限のすき間でようやくつながり、結構揺れたけど大丈夫との事で安心しました。
それよりそっちはとの母からの問いかけに、揺れもしないし何ともないよと答えましたがね。
さて、これで今回の旅の日程はすべて終了しました。
ガイド役の運転手3人と寿司バーの大将が、私達には今イチ波長が合わなかったのを除けば、まあ何事もなく楽しい観光ではありました。
あまり観光化されていない、さほど見るべき所もない島でした。
また来たいかと問われると、ん~と考えてしまう島ではありますが、あくせくしている日本人にはこんな場所で骨休めするのもいいかもしれませんね。
「朝食」(ホテルのバイキング)
・ごはん、アオサと豆腐の味噌汁、キュウリの漬物、サバ照焼き、スクランブルエッグ、サラダ、ポテサラ、ミミガーの和え物、肉団子、海苔
「一休み」(池間島の売店)
・サザエの壺焼き(奥さんはサトウキビジュース)
「昼食」(伊良部島の食堂のセットメニュー)
・ごはん、味噌汁、グルクンの唐揚げ、カツオのぬた風、ゴーヤとスパムの和え物、モズク酢、油みそ、サーターアンダーギ
「一休み」(マンゴー農園)
・マンゴーソフト
「夕食」(島唄ライブ居酒屋のセットメニュー)
・グルクンの唐揚げ、ラフテー、タコとマグロの刺身、海ぶどう、モズク酢、ゴーヤチャンプルー、ゴーヤとパパイヤの千切りの酢の物、おにぎり、玉子焼き、たくあん
・オリオン生
・泡盛(月桃の花)
「部屋に戻って」
・泡盛
・シークヮーサージュース
今日は私が申し込んだ、「5島巡り&島唄三線ライブツアー」11時間コースでした。
5島とは、この「宮古島」と、「池間島」、「伊良部島」、「下地島」、「来間島」の5つ。
今日は昨日のようなガイドは御免と不安を抱えて、午前8時45分の約束時間前に部屋を出ようとしたらフロントから電話がかかって来て、タクシーが迎えに来てると。
まだ時間前なのに「沖縄時間」じゃない人もいるんだと感心?してフロントへ行き、タクシーに乗り込んで今日の行程開始。
やや大きめなタクシーでゆったりは良かったんですが、ガイド役の運転手さんがところどころ何を言ってるのか聞こえないのが困った;
まあでも、人の良さそうな運転手さんだったので安心して任せられそう・・・と思ったけどそうでもなかった;
スケジュールの説明が、ところどころ抜けていて、こちらがこのまま一緒にフェリーに乗って他の島に渡るのかと思ったら、自分達だけで島を渡って、そっちの島に別の会社のタクシーが待ってるからそれで観光して、その間自分はこっちの島で他の客を乗せるとか、全くそういった事前の説明がないので振り回されてしまいました。
フェリーで渡った下地島の運転手、奥さんがトイレに行きたいとターミナルのトイレに行くと、運転手は私に不機嫌そうに「フェリーにもトイレはあるのに」と文句を言ったんです。
その後も、観光ポイントで写真を撮ろうとすると「時間がないから!回る所が一杯あるから早くしてっ!」と怒るんです。
だから歩きながら写真を撮ったり、運転手のすきを見て風景の写真を撮ったりと、何でこんなに気を使わなきゃならないんだろうと気分がだんだん滅入って来ちゃいました。
伊良部島・下地島観光は、昼食の店の前までで終了。
あとは勝手に食べて勝手に戻れって感じで運転手は走り去って行きました。
高速フェリーに乗って宮古島に戻ると、岸壁に先の運転手のタクシーが待っていて、観光の続き開始とタクシーに乗り込んだんですが・・・。
カーラジオから何やら緊迫したアナウンサーの声が流れていて、「14時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のマグニチュード7.9規模の地震が発生・・・」と(注:その後8.8から9.0に修正)。
一瞬何が起きているか理解できませんでしたが、走る車内でラジオを聞いていたらアナウンサーが突然「今このスタジオも大きな揺れを感じています、東京のスタジオも揺れています、皆さん火の元には・・・、まだ大きくスタジオも揺れています・・・」と、絶叫する国営放送のラジオアナウンサーの声が車内に響き渡り、とてつもなく大変な事が日本で起きてると認識しました。
「震度7、宮城県栗原市・・・、大津波警報が発令されました、高台へ避難して下さい・・・」
これがこの後、私達にも降りかかってくる大災害だとは、まだこの時点では知る由もありませんでした。
すぐに携帯のポータルサイトで地震情報を入手しようとしましたが、アクセスが集中してか全然つながらない。
観光してても気が気じゃなく、ようやくつながったポータルサイトの地震情報を見ると、北海道のわが街の震度は3と表示されていた。
震度3くらいなら、揺れはしても大きな被害はないと一安心。
沖縄離島一帯は津波警報が出てて、パトカーや消防車が島内を走り回って警戒してました。
落ち着いて考えてみると、地震発生の瞬間って伊良部島から乗った高速フェリーが宮古島の平良港に入港したかどうかという時間。
宮古島は全く揺れませんでしたが、フェリー自体が大きく揺れてますから島が揺れたとしても分からなかったでしょう。
その後すぐに津波警報が出され、フェリーの運休が決まり、津波対策に船のほとんどが港の沖の方へ行ってしまいました。
もしこれが1時間でも乗船時間が遅かったら、間違いなく伊良部島に足止めされ、荷物も着替えもないままに泊る所もなく途方にくれていたかもしれません。
落ち着いたところで、観光の続き。
「来間島」へ渡る手前で、運転手さんがきれいな海を見せると連れて行かれたのが来間大橋横の簡易埠頭のような所。
そこには何と、海で遊ぶ高校生男子の集団が。
遊ぶと言うかじゃれてると言うか、海に入って「冷てぇ~!」と大騒ぎ。
手を入れるとぬるく感じる海水も、さすがに体ごと入るといくら沖縄離島と言えどもまだまだ冬の海。
海から上がってブルブル震えてる姿は、3月に海に入るなんて考えられない私としても、さもありなんといったところでした。
3人位の男子が埠頭の先の方へ行って、海に向かってジャ~ンプ!で、ドボ~ン。
南国ならではの風景を、3月に見せてもらってこちらも寒くなってしまいました。
マンゴー農園、貝殻の博物館を見学し、最後は東平安名崎灯台へ。
残念ながら天気が思わしくなく、きれいな夕日は見れませんでした。
じゃあホテルへ戻ろうと言う時に、運転手さんがテレビの企画で運営している民宿の前を通ろうとの提案で、何もない道をひたすら走って到着し、車内から写真をパチパチ撮ってみました。
警備員が車を停めちゃダメと車外で言っていたけど運転手さんはお構いなし、警備員も顔が笑ってるから恐らく地元の人なんでしょう、それとも同じ島の顔見知りだったんでしょうか。
偶然でしたがロケ中で、テレビで見るお笑い芸人の顔をばっちりとカメラに収める事が出来ました。
まあ、話のネタと言う事で(^^ゞ
一旦ホテルに戻って小休止しましたが、その間もテレビはすべて地震関連のニュース。
詳しい情報が入っていない模様で、震源ととか各地の震度とか、都内の様子や揺れた瞬間の映像を何度も流し、鉄道が全線ストップしてるとかライフラインの現在の状況などを放送していました。
地元の様子を聞こうと母に連絡しても通信制限されてなかなか通じず、母はメールを使えないし。
奥さんが弟の嫁に、母に無事を伝えてもらおうとメールしたが返事も来ない。
午後7時15分、さっきまでのタクシーの運転手が迎えに来て、今夜の夕食は島唄ライブ居酒屋へ。
料理的にはセットメニューで大したことはなかったけど、最前列で迎えられて見た三線と踊りのライブは圧巻でした。
何たってここで演奏・唄・踊りをしている人達はプロであってここの従業員。
CDも出してるし、歌手の夏川りみの前座を東京で務める位の実力派ですって。
本物を目の前で見れて、大満足な夜でした。
第2部は客も一緒に踊りまくるそうなんですが、残念ながら時間に制限がある私達は第1部だけでお迎えの時間が来てしまい、ホテルへ戻らざるを得ませんでした。
楽しい気分で今宵も部屋で飲み続け、でもテレビではだんだん悲惨な報道が始まっていたのを、まだ何となくでしか見ていなかった私でした。
また母への連絡開始、何度も何度も電話をかけて、制限のすき間でようやくつながり、結構揺れたけど大丈夫との事で安心しました。
それよりそっちはとの母からの問いかけに、揺れもしないし何ともないよと答えましたがね。
さて、これで今回の旅の日程はすべて終了しました。
ガイド役の運転手3人と寿司バーの大将が、私達には今イチ波長が合わなかったのを除けば、まあ何事もなく楽しい観光ではありました。
あまり観光化されていない、さほど見るべき所もない島でした。
また来たいかと問われると、ん~と考えてしまう島ではありますが、あくせくしている日本人にはこんな場所で骨休めするのもいいかもしれませんね。
「朝食」(ホテルのバイキング)
・ごはん、アオサと豆腐の味噌汁、キュウリの漬物、サバ照焼き、スクランブルエッグ、サラダ、ポテサラ、ミミガーの和え物、肉団子、海苔
「一休み」(池間島の売店)
・サザエの壺焼き(奥さんはサトウキビジュース)
「昼食」(伊良部島の食堂のセットメニュー)
・ごはん、味噌汁、グルクンの唐揚げ、カツオのぬた風、ゴーヤとスパムの和え物、モズク酢、油みそ、サーターアンダーギ
「一休み」(マンゴー農園)
・マンゴーソフト
「夕食」(島唄ライブ居酒屋のセットメニュー)
・グルクンの唐揚げ、ラフテー、タコとマグロの刺身、海ぶどう、モズク酢、ゴーヤチャンプルー、ゴーヤとパパイヤの千切りの酢の物、おにぎり、玉子焼き、たくあん
・オリオン生
・泡盛(月桃の花)
「部屋に戻って」
・泡盛
・シークヮーサージュース
今朝の起床は午前7時過ぎ。
二日酔いもなく、爽やかに目覚めた割には、今朝の天気はやや曇り。
離島便は飛んでくれるんだろうか。
今日は宮古島から39人乗りのプロペラ機で多良間島へ渡り、多良間島観光の予定です。
まずは準備をして朝食バイキング会場へ。
毎日1、2品は地元の料理を出すとホームページには書いてあったので、ちょっと楽しみに会場へ行き、さ~てと料理を見ると今日は「ゴーヤチャンプルー」と「モズクの酢の物」が並んでいました。
あとの料理は・・・、まあ、日本全国どこでも食べられるものばかり。
そうそう、毎日出るんでしょうけど、九州南部からこちらの方は「油みそ」っていうごはんのお供が定番らしく、これも3種類並んでました。
ササっと食べて部屋に戻り、一休みしてフロントへ。
午前8時45分に迎えの車が来て空港へ行き、そこでチケットなどを渡され、午前9時55分発の多良間島行きRACのボンバルディア機に乗って飛び立ちました。
私、プロペラ機に乗ったのは初めてで、ジェット機と違って面白かったですねぇ。
乗客定員も少なく機体も軽いからなのか、離陸時の加速Gがハンパなかった。
機体が小さい故なのか、曇り空で気流が悪かったせいもあって、飛行時間僅か15分ほどでしたが結構揺れましたね。
取りあえず着陸して、待合室に出ると私の名前を書いたプレートを持った小柄な中高年女性が立っていました。
近づいて行って挨拶すると、「・・・さんが忙しいとの事で、私がピンチヒッターで案内します」と。
最初何を言っているのか意味が理解できず、本職の男性が作った説明の紙を渡された後になって分かったんですが、その男性が忙しいから素人に毛の生えた程度の中高年女性に頼んだと言う事らしい。
最初は「あっ、そう」と思っていましたが、途中からは「金返せっ!」と心の中で思ってしまった。
この中高年女性、空港に停めてあった軽自動車を持って来て、それで島内観光ですって。
何だかなぁ~と思いましたが、小さい島を巡るには軽の方が小回りが利いて、細い道も通れるからこれはこれで仕方がないんだなと。
それにしてもこの中高年女性、声は聞き取りづらいわ、同じ事を何度も何度も言うわ、海辺に連れていかれて私達を放っておいて自分1人でサンゴ拾いに熱中するわ、時間調整に何もない公園でただただ時間つぶしさせられるわ。
本来自分がするべきの資料館の案内を、そこの責任者らしき人に押し付けてどこかへ行ってしまうし。
昼食で決められた店に連れて行かず、自分の知り合いがやってるそば屋へ連れて行き、大した美味しくもない宮古そばを食べさせられたしね。
ソーキそば1杯700円也で、私達の昼食の設定は一体いくらだったのか?
千円やそこらの設定が普通だと思うけど、浮いた分で自分の昼食代を支払った様に取られてもおかしくないですよ。
また運転が下手クソでさぁ、センターラインも縁石もお構いなしなんですよ。
途中で居眠りしてるんじゃないかってくらい対向車線を走り始めるし、よそ見運転をして側溝に落ちそうになるし。
しまいには時間が少なくなって、下車観光する予定の施設も素通りで終わり。
こちらとしても早くこの中高年女性とお別れしたかったから、それはそれでよかったんですけど、何だかねぇ~でしたね;
多良間島自体は、見るべき所もほとんどなく、集落の行事で使う施設や過去の遺跡みたいなものだけ。
あとはただただ、ひたすら自然が一杯の島って感じでした。
今日の夕食は、ホテルの寿司バーと決めていました。
最初から今日は外へ出て食べる気はなかったので、宮古島でどんなネタを出してくるのか興味もありましたから行ったんですけど、これまた大ハズレでブッたまげました。
寿司バーと言うだけあって、酒を飲ませるバーのような作りの店内。
大将は、どう見ても病に冒されていて点滴の跡を隠すかのように手首の上付近に湿布を貼っていて、歩き方もぎごちないんです。
私はいつものようにカウンターに座って、お勧めを2、3品お造りでと頼んだんですが、ここに来る客はメニューに載った物しか頼まないのか、「?」と言った顔をして何やら取り出してお造り風のものを出してきました。
そのネタは下に書いた通りで、刺身のツマは大量の海ぶどうと島らっきょう。
更に牛の刺身だけをと注文すると、またもや「??」と言った顔をしたんです。
この牛の刺身、セットメニューにはあるんですがメニューを見ても単品ではないんです。
ついでに「ウニをつまみで」と言うと、またまた「???」と言った顔をして、板ウニをおもむろに取り出したかと思ったら、「牛刺しと一緒に盛ってもいいですか?」と聞いてきました。
今度は私が「????」と思いましたが、まあいいですよと返事はしましたけど、出されたものを見ると、寿司用のゲタに牛刺し半分とウニが半分乗ってる姿って、今までこんなの見た事ないしぃ;
普通ウニはガラスの器なんかで別盛りにして出すものだと思い込んでた私がおかしいのか?
私は、ここならではのものと思ってきたんですけど、何と!ウニは北海道のものだと胸を張られてガックリ来ちゃいました;
握りをと頼むと、握ってるの?と思ったほど力が入ってなくて、握りを持った瞬間に口に届く前に崩れてしまう。
シャリは酸っぱく、マグロは水っぽく、穴子に至っては砂糖漬けかと思う位甘くて堅かった。
愛想も何もない、酒に関する知識もうんちくもない、そんな人間が大将ですなんてチャンチャラおかしくて、さっさと部屋に戻っちゃいました。
結構いい値段取られましたよ(怒)
あまりに腹立たしくて、部屋に戻ってシャワーを浴び、飲み直しと決め込んで、何だかなぁ~の1日は過ぎ去って行きました。
「朝食」(ホテルのバイキング)
・ごはん、アオサと豆腐の味噌汁、つぼ漬け、ベーコンソテー、ウインナー、玉子焼き、ゴーヤチャンプルー、モズク酢、大根と豚肉の煮物、宮古牛のハンバーグ、コーヒー
「昼食」(多良間島の食堂)
・ソーキそば
「夕食」(ホテルの寿司バー)
・お造り(マグロ、紋甲イカ、イラブチャー(ブダイという魚)、付け合わせ:海ぶどう、島らっきょう)
・お造り(牛刺し、北海道のウニ)
・ラフテー(超甘!)
・握り(海ぶどう軍艦、赤貝、サバ、イラブチャー、穴子
・オリオン生
・沖縄県産日本酒(ちょっと色が付いた日本酒で、銘柄も教えてくれませんでした)
「部屋に戻って」
・泡盛
・スナック菓子など(じゃがポックル、雪塩ふわわ、ポテチ、贅沢ショコラ)
二日酔いもなく、爽やかに目覚めた割には、今朝の天気はやや曇り。
離島便は飛んでくれるんだろうか。
今日は宮古島から39人乗りのプロペラ機で多良間島へ渡り、多良間島観光の予定です。
まずは準備をして朝食バイキング会場へ。
毎日1、2品は地元の料理を出すとホームページには書いてあったので、ちょっと楽しみに会場へ行き、さ~てと料理を見ると今日は「ゴーヤチャンプルー」と「モズクの酢の物」が並んでいました。
あとの料理は・・・、まあ、日本全国どこでも食べられるものばかり。
そうそう、毎日出るんでしょうけど、九州南部からこちらの方は「油みそ」っていうごはんのお供が定番らしく、これも3種類並んでました。
ササっと食べて部屋に戻り、一休みしてフロントへ。
午前8時45分に迎えの車が来て空港へ行き、そこでチケットなどを渡され、午前9時55分発の多良間島行きRACのボンバルディア機に乗って飛び立ちました。
私、プロペラ機に乗ったのは初めてで、ジェット機と違って面白かったですねぇ。
乗客定員も少なく機体も軽いからなのか、離陸時の加速Gがハンパなかった。
機体が小さい故なのか、曇り空で気流が悪かったせいもあって、飛行時間僅か15分ほどでしたが結構揺れましたね。
取りあえず着陸して、待合室に出ると私の名前を書いたプレートを持った小柄な中高年女性が立っていました。
近づいて行って挨拶すると、「・・・さんが忙しいとの事で、私がピンチヒッターで案内します」と。
最初何を言っているのか意味が理解できず、本職の男性が作った説明の紙を渡された後になって分かったんですが、その男性が忙しいから素人に毛の生えた程度の中高年女性に頼んだと言う事らしい。
最初は「あっ、そう」と思っていましたが、途中からは「金返せっ!」と心の中で思ってしまった。
この中高年女性、空港に停めてあった軽自動車を持って来て、それで島内観光ですって。
何だかなぁ~と思いましたが、小さい島を巡るには軽の方が小回りが利いて、細い道も通れるからこれはこれで仕方がないんだなと。
それにしてもこの中高年女性、声は聞き取りづらいわ、同じ事を何度も何度も言うわ、海辺に連れていかれて私達を放っておいて自分1人でサンゴ拾いに熱中するわ、時間調整に何もない公園でただただ時間つぶしさせられるわ。
本来自分がするべきの資料館の案内を、そこの責任者らしき人に押し付けてどこかへ行ってしまうし。
昼食で決められた店に連れて行かず、自分の知り合いがやってるそば屋へ連れて行き、大した美味しくもない宮古そばを食べさせられたしね。
ソーキそば1杯700円也で、私達の昼食の設定は一体いくらだったのか?
千円やそこらの設定が普通だと思うけど、浮いた分で自分の昼食代を支払った様に取られてもおかしくないですよ。
また運転が下手クソでさぁ、センターラインも縁石もお構いなしなんですよ。
途中で居眠りしてるんじゃないかってくらい対向車線を走り始めるし、よそ見運転をして側溝に落ちそうになるし。
しまいには時間が少なくなって、下車観光する予定の施設も素通りで終わり。
こちらとしても早くこの中高年女性とお別れしたかったから、それはそれでよかったんですけど、何だかねぇ~でしたね;
多良間島自体は、見るべき所もほとんどなく、集落の行事で使う施設や過去の遺跡みたいなものだけ。
あとはただただ、ひたすら自然が一杯の島って感じでした。
今日の夕食は、ホテルの寿司バーと決めていました。
最初から今日は外へ出て食べる気はなかったので、宮古島でどんなネタを出してくるのか興味もありましたから行ったんですけど、これまた大ハズレでブッたまげました。
寿司バーと言うだけあって、酒を飲ませるバーのような作りの店内。
大将は、どう見ても病に冒されていて点滴の跡を隠すかのように手首の上付近に湿布を貼っていて、歩き方もぎごちないんです。
私はいつものようにカウンターに座って、お勧めを2、3品お造りでと頼んだんですが、ここに来る客はメニューに載った物しか頼まないのか、「?」と言った顔をして何やら取り出してお造り風のものを出してきました。
そのネタは下に書いた通りで、刺身のツマは大量の海ぶどうと島らっきょう。
更に牛の刺身だけをと注文すると、またもや「??」と言った顔をしたんです。
この牛の刺身、セットメニューにはあるんですがメニューを見ても単品ではないんです。
ついでに「ウニをつまみで」と言うと、またまた「???」と言った顔をして、板ウニをおもむろに取り出したかと思ったら、「牛刺しと一緒に盛ってもいいですか?」と聞いてきました。
今度は私が「????」と思いましたが、まあいいですよと返事はしましたけど、出されたものを見ると、寿司用のゲタに牛刺し半分とウニが半分乗ってる姿って、今までこんなの見た事ないしぃ;
普通ウニはガラスの器なんかで別盛りにして出すものだと思い込んでた私がおかしいのか?
私は、ここならではのものと思ってきたんですけど、何と!ウニは北海道のものだと胸を張られてガックリ来ちゃいました;
握りをと頼むと、握ってるの?と思ったほど力が入ってなくて、握りを持った瞬間に口に届く前に崩れてしまう。
シャリは酸っぱく、マグロは水っぽく、穴子に至っては砂糖漬けかと思う位甘くて堅かった。
愛想も何もない、酒に関する知識もうんちくもない、そんな人間が大将ですなんてチャンチャラおかしくて、さっさと部屋に戻っちゃいました。
結構いい値段取られましたよ(怒)
あまりに腹立たしくて、部屋に戻ってシャワーを浴び、飲み直しと決め込んで、何だかなぁ~の1日は過ぎ去って行きました。
「朝食」(ホテルのバイキング)
・ごはん、アオサと豆腐の味噌汁、つぼ漬け、ベーコンソテー、ウインナー、玉子焼き、ゴーヤチャンプルー、モズク酢、大根と豚肉の煮物、宮古牛のハンバーグ、コーヒー
「昼食」(多良間島の食堂)
・ソーキそば
「夕食」(ホテルの寿司バー)
・お造り(マグロ、紋甲イカ、イラブチャー(ブダイという魚)、付け合わせ:海ぶどう、島らっきょう)
・お造り(牛刺し、北海道のウニ)
・ラフテー(超甘!)
・握り(海ぶどう軍艦、赤貝、サバ、イラブチャー、穴子
・オリオン生
・沖縄県産日本酒(ちょっと色が付いた日本酒で、銘柄も教えてくれませんでした)
「部屋に戻って」
・泡盛
・スナック菓子など(じゃがポックル、雪塩ふわわ、ポテチ、贅沢ショコラ)
今朝の起床は、午前5時45分。
飛行機の出発が第1便の午前7時50分なので、早く起きて準備し、午前6時半オープンのホテルのレストランで朝食バイキング。
このバイキング、ここ3年続けて利用してますけど、1,100円も払って年々内容が悪くなってる気がする;
取りあえず胃の中に入れると言う感じで食べ終え、部屋に戻って速やかにチェックアウト。
JALのカウンターで荷物を預けて、セキュリティーを問題なくクリアーして機上の人に。
さあ、1年振りの飛行機の旅。
平静を装っていましたが、心の中ではワクワクウキウキ。
乗り継ぎの接続時間にさほどの余裕がないので、定時で運行してくれと願いつつ、無事飛行機は新千歳を飛び立ちました。
上空に上がると眼下は一面の雲海、高度を下げるまで下界は全く見えず、何事もなく羽田に着陸。
小1時間ほど乗り継ぎ時間があったので、一服してから空弁などを購入して、次の那覇行きに搭乗。
離陸してしばらくすると、まだ雪の帽子をかぶった富士山が雲から顔を出していて、初めてその姿の写真撮影に成功してニンマリ。
静岡上空を過ぎたあたりからはまた一面の雲で下界が隠されしまい、しかたなく本を読んだり居眠りしたりと、そうこうするうちにいつしか飛行機は那覇空域に入ったらしく、着陸態勢に入るとのアナウンスが聞こえてきた。
1年振りに見る那覇空港、尖閣問題で神経質になっているのか、滑走路脇の空自施設前にはF-15イーグルが多数並んでいました。
那覇での乗り継ぎ時間はおよそ30分程度で、降機して出発ゲート前に行くと程なく搭乗のアナウンスが聞こえてきました。
那覇から宮古空港までのフライト時間は約50分。
今日の上空は、日本全国雲また雲でした。
ベルトサインが点灯し、機体が高度を下げ始めると目に飛び込んできたのは、南国特有のエメラルドグリーンの海。
そして、宮古島に入ると・・・、な~んにもない「ド田舎」の風景。
茶色の土と緑の葉っぱだけが見え、建物はほとんど見当たらなかった。
位置的見えてたのは島の南部。
話には聞いてましたし、地図上からも分かっていたように、この島の中心的な場所は「平良港」がある島北部のようです。
市の行政機能も繁華街も、島北部の半径3キロ程度の様子。
空港はほぼ島の中心部にあり、飛行機の進入経路は何もない南東部からでした。
14時40分、新千歳を7時50分に発ってから、乗り継ぎ時間も含めておよそ約7時間の超長丁場でようやく目的地の宮古島に到着しました。
何たって、札幌と宮古島の距離は約2,500キロもあるんです。
そりゃあ時間もかかりますわね;
到着時の宮古島の天気は曇り、気温は大体19℃くらいとか。
出発時にはマイナス10℃でしたから、約30℃の気温差!
風がぬるく感じて、暖かさに驚かされました;
まずは空港売店へ行って、テレビ番組内で評判になってる今流行りの「ラー油を使ったおかず」があるかどうかをチェック。
生産に限界があるとかで、ここ宮古島の空港とお笑い芸人が運営させられている民宿に隣接する売店、東京のデパートなど一部でしか販売してないって言うんだから、あったらさっさと確保しとかなきゃね。
と思ったら、売店の店先に山のように積まれて置いてあるじゃん!
到着したばかりなので、とりあえず2個確保で止めておきました。
タクシーに乗り、空港から10分程で3泊予定のホテルに到着し、まずはチェックイン。
昨年のように部屋をシングルに代えてくれとか、とっぱじめから気分を害する事を言われないように(祈)
カードに氏名などを記入し、朝食券と部屋のキーを受け取って2、3の説明を受け、無事何事もなくチェックイン完了。
そそくさと部屋に行くと、おおっ!平良港と東シナ海を望むオーシャンビューの部屋じゃん!
荷物を置いてまずは一息。
時間はまだ午後3時半過ぎ、今日は観光の予定は入れてない。
じゃあと言う事で、まずはホテルの売店でお土産物を物色し、ダンボール1つ分をお買い上げして発送してもらいました。
そのまま繁華街でも散策しようと外に出たんですが、位置的に海岸線をぐるっと回って行かなければならないのかこの島は?
建物は古びているのか塩害でやられているのか、見た目西洋の廃墟のような建物が並んでいた。
宮古島に限らず台風の通り道にある島って、飛ばされない様に木造建築はなくて、ほぼ鉄筋コンクリートの建物しか見当たらない。
のんびり道路に沿って歩いて行くと、ようやく銀行やホテルなどの大きな建物が密集している繁華街らしきところに着いて、店が並ぶ細い道を見まわしながら歩きました。
今日の夕食に予定していた居酒屋を探そうと歩いていたんですが、道を間違えたのかなかなか見つからない。
疲れたし喉も乾いたと、アイスクリーム屋に入って一休み。
今度は大きな道路に沿って歩こうと地図を頼りに歩いて行ったんですが、どうも通り過ぎてる様な気がして、別の路地に入って歩いて行くと、さっき休んだアイスクリーム屋が見えた。
ありゃ!戻って来ちまったぜ(汗)
地図を見ると目的の居酒屋はそのアイスクリーム屋のそばのような・・・、あったっ!!!
斜め向かいに目的の居酒屋があって、見過ごして通り過ぎていました(^^ゞ
時間はまだ午後5時ちょっと過ぎと早いけど、予約もしてないから早めに入っちゃえばフリーでも断られる事はないだろうと、ここで今日の夕食となりました。
席に案内され、メニューを見て、昨年同様の沖縄や地元の料理を頼んでひたすら食べ、泡盛をひたすら飲んで、午後7時前には店を出てホテルへ戻り、部屋でまた飲み始めて泡盛三昧の宮古島の夜は更けて行きました。
「朝食」(千歳のホテルのバイキング)
・ごはん、わかめとねぎの味噌汁、サラダ(レタス、キュウリ、ポテサラ)、ウインナー、ベーコンソテー、スクランブルエッグ、玉子焼き、味付けめかぶ、白身魚のフライ
「機内」(新千歳→羽田)
・コーヒー
「機内」(羽田→那覇)
・冷茶
・ほたておかき(王様製菓)
「昼食」(羽田→那覇の機内で)
・崎陽軒のしうまい弁当(焼売5個、昆布の佃煮、筍煮、マグロの照焼き、板かま、玉子焼き、鶏唐揚げ、アンズの甘煮)
「一休み」(宮古島の繁華街)
・チョコチップクッキードーアイス
「夕食」
・お通し(ごぼう、小揚げ、スパム、椎茸の煮物)
・ジーマミ豆腐
・牛たたき
・テビチの唐揚げ
・フーチャンプルー
・島豆腐の厚揚げ
・島野菜のバーニャカウダ
・豆腐よう
・オリオン生ビール
・泡盛(菊之露 VIPゴールド)
「部屋に戻って」
・泡盛
・さんぴん茶(ジャスミンティーの事)
飛行機の出発が第1便の午前7時50分なので、早く起きて準備し、午前6時半オープンのホテルのレストランで朝食バイキング。
このバイキング、ここ3年続けて利用してますけど、1,100円も払って年々内容が悪くなってる気がする;
取りあえず胃の中に入れると言う感じで食べ終え、部屋に戻って速やかにチェックアウト。
JALのカウンターで荷物を預けて、セキュリティーを問題なくクリアーして機上の人に。
さあ、1年振りの飛行機の旅。
平静を装っていましたが、心の中ではワクワクウキウキ。
乗り継ぎの接続時間にさほどの余裕がないので、定時で運行してくれと願いつつ、無事飛行機は新千歳を飛び立ちました。
上空に上がると眼下は一面の雲海、高度を下げるまで下界は全く見えず、何事もなく羽田に着陸。
小1時間ほど乗り継ぎ時間があったので、一服してから空弁などを購入して、次の那覇行きに搭乗。
離陸してしばらくすると、まだ雪の帽子をかぶった富士山が雲から顔を出していて、初めてその姿の写真撮影に成功してニンマリ。
静岡上空を過ぎたあたりからはまた一面の雲で下界が隠されしまい、しかたなく本を読んだり居眠りしたりと、そうこうするうちにいつしか飛行機は那覇空域に入ったらしく、着陸態勢に入るとのアナウンスが聞こえてきた。
1年振りに見る那覇空港、尖閣問題で神経質になっているのか、滑走路脇の空自施設前にはF-15イーグルが多数並んでいました。
那覇での乗り継ぎ時間はおよそ30分程度で、降機して出発ゲート前に行くと程なく搭乗のアナウンスが聞こえてきました。
那覇から宮古空港までのフライト時間は約50分。
今日の上空は、日本全国雲また雲でした。
ベルトサインが点灯し、機体が高度を下げ始めると目に飛び込んできたのは、南国特有のエメラルドグリーンの海。
そして、宮古島に入ると・・・、な~んにもない「ド田舎」の風景。
茶色の土と緑の葉っぱだけが見え、建物はほとんど見当たらなかった。
位置的見えてたのは島の南部。
話には聞いてましたし、地図上からも分かっていたように、この島の中心的な場所は「平良港」がある島北部のようです。
市の行政機能も繁華街も、島北部の半径3キロ程度の様子。
空港はほぼ島の中心部にあり、飛行機の進入経路は何もない南東部からでした。
14時40分、新千歳を7時50分に発ってから、乗り継ぎ時間も含めておよそ約7時間の超長丁場でようやく目的地の宮古島に到着しました。
何たって、札幌と宮古島の距離は約2,500キロもあるんです。
そりゃあ時間もかかりますわね;
到着時の宮古島の天気は曇り、気温は大体19℃くらいとか。
出発時にはマイナス10℃でしたから、約30℃の気温差!
風がぬるく感じて、暖かさに驚かされました;
まずは空港売店へ行って、テレビ番組内で評判になってる今流行りの「ラー油を使ったおかず」があるかどうかをチェック。
生産に限界があるとかで、ここ宮古島の空港とお笑い芸人が運営させられている民宿に隣接する売店、東京のデパートなど一部でしか販売してないって言うんだから、あったらさっさと確保しとかなきゃね。
と思ったら、売店の店先に山のように積まれて置いてあるじゃん!
到着したばかりなので、とりあえず2個確保で止めておきました。
タクシーに乗り、空港から10分程で3泊予定のホテルに到着し、まずはチェックイン。
昨年のように部屋をシングルに代えてくれとか、とっぱじめから気分を害する事を言われないように(祈)
カードに氏名などを記入し、朝食券と部屋のキーを受け取って2、3の説明を受け、無事何事もなくチェックイン完了。
そそくさと部屋に行くと、おおっ!平良港と東シナ海を望むオーシャンビューの部屋じゃん!
荷物を置いてまずは一息。
時間はまだ午後3時半過ぎ、今日は観光の予定は入れてない。
じゃあと言う事で、まずはホテルの売店でお土産物を物色し、ダンボール1つ分をお買い上げして発送してもらいました。
そのまま繁華街でも散策しようと外に出たんですが、位置的に海岸線をぐるっと回って行かなければならないのかこの島は?
建物は古びているのか塩害でやられているのか、見た目西洋の廃墟のような建物が並んでいた。
宮古島に限らず台風の通り道にある島って、飛ばされない様に木造建築はなくて、ほぼ鉄筋コンクリートの建物しか見当たらない。
のんびり道路に沿って歩いて行くと、ようやく銀行やホテルなどの大きな建物が密集している繁華街らしきところに着いて、店が並ぶ細い道を見まわしながら歩きました。
今日の夕食に予定していた居酒屋を探そうと歩いていたんですが、道を間違えたのかなかなか見つからない。
疲れたし喉も乾いたと、アイスクリーム屋に入って一休み。
今度は大きな道路に沿って歩こうと地図を頼りに歩いて行ったんですが、どうも通り過ぎてる様な気がして、別の路地に入って歩いて行くと、さっき休んだアイスクリーム屋が見えた。
ありゃ!戻って来ちまったぜ(汗)
地図を見ると目的の居酒屋はそのアイスクリーム屋のそばのような・・・、あったっ!!!
斜め向かいに目的の居酒屋があって、見過ごして通り過ぎていました(^^ゞ
時間はまだ午後5時ちょっと過ぎと早いけど、予約もしてないから早めに入っちゃえばフリーでも断られる事はないだろうと、ここで今日の夕食となりました。
席に案内され、メニューを見て、昨年同様の沖縄や地元の料理を頼んでひたすら食べ、泡盛をひたすら飲んで、午後7時前には店を出てホテルへ戻り、部屋でまた飲み始めて泡盛三昧の宮古島の夜は更けて行きました。
「朝食」(千歳のホテルのバイキング)
・ごはん、わかめとねぎの味噌汁、サラダ(レタス、キュウリ、ポテサラ)、ウインナー、ベーコンソテー、スクランブルエッグ、玉子焼き、味付けめかぶ、白身魚のフライ
「機内」(新千歳→羽田)
・コーヒー
「機内」(羽田→那覇)
・冷茶
・ほたておかき(王様製菓)
「昼食」(羽田→那覇の機内で)
・崎陽軒のしうまい弁当(焼売5個、昆布の佃煮、筍煮、マグロの照焼き、板かま、玉子焼き、鶏唐揚げ、アンズの甘煮)
「一休み」(宮古島の繁華街)
・チョコチップクッキードーアイス
「夕食」
・お通し(ごぼう、小揚げ、スパム、椎茸の煮物)
・ジーマミ豆腐
・牛たたき
・テビチの唐揚げ
・フーチャンプルー
・島豆腐の厚揚げ
・島野菜のバーニャカウダ
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「部屋に戻って」
・泡盛
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プロフィール
HN:
管理人「か」
性別:
男性
趣味:
食べる事、旅行、飛行機関連
自己紹介:
某医療機関に勤務する、メタボな食いしん坊です。
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
2018/4/23:30,000マイル
2018/10/20:50,000マイル
2019/10/31:15,000マイル
2019/12/15:35,000マイル
2020/6/18:20,000マイル
もともと民間旅客機・軍用機を含む航空機全般が好きでしたが、2006年の4月から陸マイラー(時々空マイラー)生活を始めた、もっぱらJALマイラーです。
保有JALマイル
合算:76,381マイル
私の分:76,381マイル
奥さん分:0マイル
2021年2月15日現在
マイル使用歴
2009/1/15:40,000マイル
2010/1/11:50,000マイル
2011/1/15:70,000マイル
2011/11/1:60,000マイル
2012/9/10:40,000マイル
2015/1/17:100,000マイル
2017/1/12:10,000マイル
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2018/10/20:50,000マイル
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